親が子どもに過度に学業を課したり、過度に結果を求めたりすることによって、子どもに心身の苦痛を与えることを「教育虐待」という。例えば、未就学児を朝5時に起こして勉強させたり、勉強が終わらないと深夜まで寝かさなかったりいったケースがある。
また、がんばっても結果が出ない子どもに対し、「どうして頭が悪いのか」、「こんな子どもを産んだのは失敗だった」等とひどい言葉をかけてしまうケースもある。こうした教育虐待の問題は、親子間の問題にとどまらず、実は、夫婦関係とも密接にかかわっている。このコラムでは、教育虐待と離婚問題について離婚協議の現場からお伝えしたい。
筆者は、家族のためのADRセンターという民間の調停機関を運営しており、離婚調停も多く扱っているが、離婚理由として、一方の教育虐待が語られることも少なくない。以下では、そんな事例を紹介する(この事例は典型的な「あるある」を詰め込んだ架空の事例である)。
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Aさんは都会のタワーマンションに住む専業主婦だ。夫は小さいながらも会社を経営しており、2000万円を超える収入がある。また、5歳のかわいい息子にも恵まれ、はたから見れば幸せそのものだ 。しかし、実は、家庭内では「異常」とも呼べる出来事が日々繰り返されていた。
Aさんは専業主婦だが、とても忙しい。朝5時に起床し、ご飯を炊き、味噌汁を作り、バランスのとれたおかずを3品ほど作る。6時になると息子を起こし、一緒に朝食を食べる。炊き立ての白米と手作りのおかずが並ぶ食卓は幸せそのものだが、2人の会話に暖かさや幸福感はみじんもない。
まず、Aさんによる質問攻めがはじまる。「今日のお味噌汁の具は何か分かる?」「お出汁ってどうやってとるんだった?」「ごはんと汁物の置く場所はこれで合ってる?」「『あなたの好きな朝ごはんは?』って聞かれたら何て答えるの? 」と質問攻めだ。息子は、一生懸命答えよう」とするが、答えに窮すると、上目遣いでAさんを見上げ、「分かんない……」と消え入りそうな声でつぶやく。そうするとAさんは、「なんで毎日やっているのにわかんないの!」「ママは何時に起きて準備してると思ってるの!」とすごい剣幕でまくしたてる。息子は、下を向いたきり、箸をおいてしまう。せっかくAさんが作った美味しそうな朝食はほとんど残されてしまうのだ。
幼稚園から帰ってくると、すぐに着替えてお教室だ。長男は、小学校受験のためのお教室に週5回通っている。それだけではなく、体操教室や水泳教室、そして英会話スクールと、毎日何かしらの予定が詰まっている。そうした習い事のお月謝の合計額は1か月に30万円を軽く超える。
お教室から帰ってきても、長男の気が休まることはなく、すぐに復習が始まる。そして、夕飯を食べているときも、お風呂に入っているときも、「今日はカレーライスだけど、同じ材料で作れる料理は何?」、「お風呂に入るとき、かけ湯をするのはなぜ?」と常に質問攻めだ。
そして、「〇〇くんはいつも先生に褒められているのに、どうしてあなたはできないの!」「小学校受験に失敗したら、恥ずかしくて外を歩けないわ!」「あなたができないと、ママがパパに怒られるのよ!」「ママ、ばかな子は嫌いなの!」と様々な言葉で長男を追い詰めた。挙句の果ては、ドリルに正解するまで、長男を寝かせないのだ。ある時は、眠くて頭が働かなくなり、ぼーっとしている長男に激怒したAさんは、夜中の12時まで長男を叱り続けた。
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そんな毎日を送る中で、長男はチックや吃音の症状が出始めた。また、幼稚園では、友達に対して乱暴な言動が増え、先生から注意を受けることもあった。子どもがそんな状態になっても、Aさんは取りつかれたように小学校受験にまい進した。
そんな妻を見て、夫は、「まだ5歳なのにやりすぎじゃないか」、「そんなやり方だと息子がつぶれてしまう」と妻の教育方針の間違いを指摘した。そして、休みの日には子どもを外に連れ出したり、母親に怒られている息子の味方をするような言動を見せたりした
結果、長男はことごとく志望校に落ち、最後の最後に最低ラインの小学校に補欠合格した。夫からすると、あえて高額な学費を払って通わせるような小学校ではなかったが、 妻は「今さら恥ずかしくて地域の公立小学校には通わせられない」と入学を希望した。
しかし、冷静な夫は、「そんな学校に行かせるのは逆に恥ずかしいし、金の無駄だ」と言い、入学金の支払いを拒否した。そして、妻に離婚を切り出したのだ。「お前の育児の仕方は間違っている。このままお前に任せることはできない。俺が親権者になって育てるから離婚してくれ」と言うのだ。それを聞いたAさんは、青天の霹靂だ。これまで、一心不乱に子育てをしてきたのに、その子育てを全否定され、子どもも夫も失うかもしれない恐怖におののいた。
ここまでの経過を読んで、読者はどう感じるだろうか。Aさんをひどい母親だと思ったのではないだろうか。しかし、実は、こういった話にはもっと深い闇がある。夫のモラハラだ。
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夫は、妻の「やりすぎ」を注意する一方で、「いくら金がかかっていると思うんだ。結果が出なければお前のせいだ。」「仕事もしていないのに、子育ても満足にできないのか。」「お前がばかだから、息子もばかなんだ」と妻を責め立てた。
さらにひどいことには、「もう受験はやめたい」という妻に対し、「俺はいいけど」と枕詞を付けた上で、「これまでかかった学費は返してくれるの?」「子どもに挫折体験だけ植え付けて終わるの?」「失敗ってことでいいんだね」と脅すように言った。
妻は、このメッセージを「後戻りできない」、「失敗したら自分も息子も終わり」、そんな風に受け止め、日々追い詰められていたのだ。
こうした事例を紹介すると、あたかも特殊なひどい夫婦だと思われるかもしれないが、決して珍しいことではなく、教育虐待は誰でも陥りやすい罠のようなものなのだ。以下では、小学校受験をサポートする親がなぜ教育虐待に陥りやすいか、筆者なりの考えを書いてみる。
・不健全な母子密着関係に陥りやすい
未就学児にとって、母親が全てと言っても過言ではない。そんな母親が指導役となるため、大好きな母親に褒められたい、認められたい、嫌われたくない、そんな気持ちで子どもは母親に依存していく。母親に反抗したり、間違っていることを指摘 したりできる年齢ではないのだ。母親も、そんな素直でかわいいわが子にすべてをかけて尽くしたくなり、母子密着に陥る。
・遊びと勉強の線引きが難しい
小学校受験のための勉強は多岐にわたる。面談や実技もあるため、運動の習い事もしなければいけないし、日常生活のすべてが勉強の題材になるのだ。そのため、この事例の母子の朝食タイムのように、親は際限なく子どもに学習を強いてしまう。
・親の自己実現や自己肯定感の欠如が反映されやすい
小学校受験は、よくも悪くも親の力が大きくものを言う。まだまだ自主的に勉強する年齢ではなく、親がうまく導いたり、促したりする必要があるのだ。そのため、子どもの成績が悪いと、「親が悪い」と言われているような気になってしまい、もともと自己肯定感が低い親や劣等感がある親は、何とか挽回しようとしてしまうのだ。
後編記事「中学受験をする息子に夫が課した“異常なスケジュール”、妻はついに離婚を決意した」では中学受験がきっかけで離婚に至ってしまうケースについても紹介する。