DNA型鑑定の結果、「矛盾はない」と判断–。1月29日、神奈川県内の病院で死亡した男が、1970年代に連続企業爆破事件に関与した「桐島聡」(70)であると結論付けられようとしている。ただし親族が遺体の引き取りを拒否しているため、その「遺体処理」をめぐって思わぬ混乱が起きているという。
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【初公開】「いかにも真面目な優等生」桐島聡容疑者「高校時代の卒アル写真」と「寄せ書き」に記した“自己主張”強めな字体
警視庁公安部は2日、DNA型鑑定の結果を受け、藤沢市内の桐島容疑者の自宅を爆発物取締罰則違反容疑で家宅捜索。衣服など室内に残された「証拠類」を押収し、本人を特定する作業が進められている。
「近隣住民によると、桐島容疑者が住んでいた6畳ほどの部屋には家具もなく、衣類のほかは石油ストーブ2台があるだけだったといいます。すでに警視庁は複数の親族の協力のもと、DNA型鑑定を実施し『親族として矛盾なし』との結果を得ていますが、今後も鑑定は継続する方針です」(全国紙社会部記者)
末期の胃がんで入院していた桐島容疑者が「自分は桐島聡だ」と明かしたのは1月25日。がんと診断されたのは1年以上前だが、「内田洋」と名乗り身元を偽っていたため、自費診療で通院。健康保険証を持っておらず、歯医者にも行けなかったので「歯はなかった」(同)という。
死亡後、桐島容疑者の遺体は病院から神奈川県内の警察署に移送され、本人と特定でき次第、警視庁は容疑者死亡のまま書類送検する方針だ。一方で書類送検の有無にかかわらず、親族が「引き取り」を拒否しているため、遺体の行方が新たな問題に浮上しているという。
警視庁関係者が話す。
「今回のように死因が“がん”と判明しており、病院で死亡したケースは『変死』扱いにならず、一般的には警察の手を離れて、死亡した病院を管轄する地元行政が遺体の処理を担うことになる。親族側が遺体の引き取りを拒否しているケースでは、地元自治体が税金を使って火葬し、“無縁仏”として管轄内の寺に埋葬されるのが通例です」
桐島容疑者は鎌倉市内の病院で死亡したため、今回、遺体処理を担うのは鎌倉市になるという。鎌倉市役所に桐島容疑者の遺体は今後、どう扱われるのかを訊ねると、
「桐島聡(容疑者)に関することは一切、お答えできません」
とピリピリした様子で取材は断られた。ただ同市内の葬儀業者によれば、無縁仏などの火葬費用は「5~10万円程度が相場」といい、このまま引き取り手が現れなければ、桐島容疑者を埋葬するため、最低でも数万円の税金が投入されると見られている。
一方で捜査関係者のひとりは、意外な懸念を口にした。
「桐島容疑者がメンバーだった過激派『東アジア反日武装戦線』は1974年から75年にかけ、主に企業を標的とした爆弾事件を計12件起こした極左テログループ。なかでも74年に起きた三菱重工ビル爆破事件では8人が死亡、380人が重軽傷を負う最大の被害を出した。しかし警察の摘発などもあって組織は弱体化の一途をたどり、80年代に入ってからは“自然消滅”したと考えられていた」(同)
実際、桐島容疑者は死亡前、捜査員の聞き取りに対し、誰の支援も受けず「一人でいた」と話し、組織的な支援体制などは構築されていなかったと見られている。
同武装戦線のなかでも桐島容疑者は「さそり」グループに属し、75年に起きた銀座のビル爆破事件に関与したとして指名手配。その後、行方は杳として知れなかったが、約40年間にわたり藤沢市内の土木会社に住み込みで働いていたことが判明している。
「容疑者は死亡したが、同武装戦線の“シンパ”など支援者がいまも存在する可能性はゼロといえず、たとえば桐島の親族を名乗って今後、遺体を引き取ろうと画策するシナリオも完全には排除できない。不測の事態に備え、警戒をすぐには解けない状態が続いている」
死してなお、混乱の芽を残す桐島容疑者。「最期は本名で迎えたい」との言葉も、遺族の側に立てば、自己中心的な言い分にしか聞こえない。
デイリー新潮編集部