1974~75年の連続企業爆破事件で指名手配された桐島聡容疑者(70)を名乗り、死亡した男は「内田洋」の偽名で少なくとも約40年間、神奈川県藤沢市で暮らしていたとされる。
ただ、容疑者本人であれば半世紀近くに及ぶ大胆な逃亡生活を、怪しむ声はなかった。警視庁公安部の元捜査幹部は「警察の敗北と言われても仕方ない。偽名の生活を確立され、疑いの目が向かなかったのかもしれない」と悔やむ。
「よく笑い、踊っていた」。JR藤沢駅前にある60代のバー店主は、20年来の客だった男について、そう語る。
小田急電鉄、江ノ島電鉄も乗り入れる同駅の1日平均乗降客数は、新型コロナウイルス流行前で40万人超。百貨店や飲食店が立ち並ぶ駅前に足を踏み入れれば、多くの人の目に触れることになる。
男は大胆にも、そんな場所に足しげく通った。知人男性は、駅前の大型スーパーで買い物をする姿をたびたび目撃。音楽好きが集う駅周辺のバーなど少なくとも4軒では常連客として知られ、一晩で何軒も顔を出し、「はしご酒」を楽しむこともあった。
長年住み込みで働いた工務店のわずか約200メートル先にある別の駅ホームには、古びた桐島容疑者の指名手配ポスターがある。ただ、男と結び付けて考えた人はいなかった。
「今思えば反体制的な映画を好み、熱く語っていた」と振り返る60代の知人は、真面目に働く姿や笑顔はテロリストのイメージとあまりに懸け離れており、「誰も気付けない」という。45年来の知人男性も「いつも楽しそうで、逃げている感じはなかった」と語った。
警視庁には今も年に数件、桐島容疑者に関する情報が寄せられるが、公安部幹部は「年月がたつほど容姿が変わり(有力情報の入手は)難しくなる」と話す。
「非常に悔しい」とは、別の捜査関係者。約46年間の逃亡の末、逮捕された中核派メンバー、大坂正明被告(74)は、支援者への捜査が潜伏先特定につながった。「(桐島容疑者には)支援者がおらず情報が乏しくなっていたのかもしれない」と分析し、「最期は本名で迎えたい」との死の間際の告白を、男の「勝利宣言」と捉えた。