過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、桐島聡容疑者と名乗った男が死亡する前、「事件について後悔している」「1人で逃亡した」という趣旨の話をしていたことがわかりました。
捜査関係者によりますと、桐島聡容疑者(70)とみられる男は末期の胃がんを患い、今月中旬、「内田洋」の名前で神奈川県鎌倉市内にある病院に入院していましたが、きのう死亡しました。
その後の捜査関係者への取材で、男は入院先の病院で、警視庁公安部の事情聴取に対して「事件について後悔している」という趣旨の話をしていたことがわかりました。
さらに男は、長期間の逃亡生活について「1人で逃亡していた」と明かしたということですが、警視庁は潜伏を支援する人が本当にいなかったかどうかなど実態解明を進めています。
桐島容疑者は1975年4月、東京・銀座の「韓国産業経済研究所」で起きた手製の時限爆弾による爆破事件で指名手配されていました。