2024年は、3月に天皇・皇后の長女である愛子内親王が学習院大学文学部を卒業、9月には秋篠宮家の長男である悠仁親王が18歳の成年を迎え、その後には筑波大学附属高校を卒業して大学進学が予定されるなど、次世代の皇族が新しいステップに進む年である。
【写真】眞子さんを見つめる紀子さまの“険しいご表情”皇太子ご一家には逆風が吹いていた 愛子内親王は2001年12月1日に誕生した後、皇太子の娘として、常に注目を浴びる存在であった。2004年には父である皇太子が撮影したビデオで「パパ」と呼んでいる姿が公開されたり、学習院幼稚園で大玉転がしをしている映像がテレビで流れたりして、その成長の姿は人々に記憶されていった。それは、男性皇族が減少するなかで、2005年から2006年にかけて小泉純一郎内閣のもとで女性天皇の可能性が議論されるなど、愛子内親王に女性天皇として即位する可能性があったからだとも思われる。

1歳半の春、御所のお庭で。雅子さまは「皇太子さま(当時)に似たのか、おおらかな性格」と語られた 宮内庁提供 しかしその後は、必ずしもその足跡は順風満帆なものとは言えなかった。2006年9月6日に悠仁親王が誕生し、女性天皇の即位を可能にする皇室典範改正の議論は低調となった。2004年に適応障害の診断を受けて療養生活に入った雅子皇太子妃は、公務の機会も減少し、それに対する批判も数多く出た。皇太子を辞めるよう主張する廃太子論まで登場し、眞子内親王・佳子内親王が注目を浴びていた秋篠宮家とは対照的に、皇太子一家には逆風が吹いていた。 愛子内親王自身、学習院初等科2年生のときに不登校騒動が浮上、その後も母親である雅子皇太子妃が登校に付き添っていることなどが週刊誌などで報じられた。また、2016年の15歳の誕生日に際して公開された映像では、それまでより痩せた姿が映し出され、週刊誌などでは摂食障害ではないかとの報道が相次いだ。世間も、愛子内親王をどこか冷たくもしくは批判的にとらえていた。41年ぶりの皇族男子、悠仁さま 一方で、41年ぶりの皇族男子として誕生した悠仁親王は、小さなころからその様子がメディアで取りあげられた。それは、現在の皇室典範では、将来の天皇であることを約束された男子だったからこそ、大きく注目されたのだと思われる。その後、お茶の水女子大学附属小学校へ入学するが、現行の皇室典範下において皇族が学習院初等科以外の小学校へ入学するのは初めてであった。これも、象徴天皇制が変化したことを示す出来事として、好意的に取りあげられた。愛子さまの人物像にも注目が こうした状況に大きな変化が訪れる。2016年8月の平成の天皇による退位の意思をにじませた「おことば」の発表がきっかけであった。新天皇の即位が近づくなかで、皇太子・皇太子妃の思考や行動にメディアの注目が集まっていく。 そして、その長女である愛子内親王も、人物像などがクローズアップされるようになった。学業成績は常にトップクラスであることはたびたび記事になっている。また、2017年3月に学習院女子中等科を卒業した際に発表された作文「世界の平和を願って」は大きな反響を呼んだ。広島の原爆ドームを訪れた時の体験をもとに、「『平和』は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから」と書かれたこの作文からは、慰霊の旅を続ける「平成流」のあり方が愛子内親王に伝わり、内面化されたことを示した。 また、令和となり、天皇と皇后の存在がよりメディアで取りあげられるなかで、家族3人の姿も注目されるようになった。たとえば、2023年5月には即位5年・結婚30年を記念した特別展を両親と見学、愛子内親王が天皇にプロポーズの言葉の再現を促す場面もあり、天皇は苦笑いしていたとまで報道された。静養先などでも、愛子内親王の声がテレビカメラを通じて、伝えられるようになった。両親と一緒の場面でのこうしたほほえましいやりとりから、20代の内親王の等身大の姿が人々に広がっていった。 さらに2022年3月17日には、成年の記者会見を行い、その場でも一人で記者を相手にユーモアある回答を展開。その姿も高く評価された。逆転した秋篠宮家への“評価” 一方で、秋篠宮家に対する評価は、平成の皇太子一家とシーソーのように、逆転していく。きっかけは、眞子内親王と小室圭さんの結婚をめぐる騒動であった。これが長期化し、しかも金銭トラブルを発端に、様々な憶測を呼ぶような報道もなされたことで、週刊誌やネット上では秋篠宮家批判が展開されるようになる。 しかも、悠仁親王自身の筑波大学附属高校合格をめぐっても、「特別扱い」などの批判が出、様々な噂が駆けめぐった。秋篠宮家をめぐっては、進学や結婚といったプライベートな部分が国民的な関心を呼び、しかもそれが皇室ゆえに「公」の側面を持っていることから、その方向からの強い批判や反発が寄せられることになった。悠仁親王が未成年ゆえ、自身の言葉を話す機会が少ないことも、憶測を呼ぶ背景になっているのではないか。 以上のような愛子内親王と悠仁親王のあゆみを見てくると、人々の移ろいやすい関心という側面を感じることができる。メディアの報道も、まさにそうした観点からなされている。それゆえ、あるときは持ち上げられ、そしてあるときは下げられる。その構図が、平成のときとは逆転したのが今である。しかし、再逆転しないという保証はない。 たしかに社会は多様化し、ものすごいスピードで進展している。象徴天皇制も、特に平成以降、社会のあり方に寄り添いつつ、変化を遂げてきた。しかし、そうした短期的な面だけで象徴天皇制や皇族をとらえていいのだろうか。 皇族数が減少し、皇位継承は危機的な状況を迎えている。分断社会のなかで、「国民を統合する象徴」としての天皇・皇族の役割があり得るのではないか。私たち自身がその存在をしっかりと考え、皇族をどう受容するのか、何を求めるのか、今こそ考えるべき時期だろう。◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2024年の論点100』に掲載されています。(河西 秀哉/ノンフィクション出版)
愛子内親王は2001年12月1日に誕生した後、皇太子の娘として、常に注目を浴びる存在であった。2004年には父である皇太子が撮影したビデオで「パパ」と呼んでいる姿が公開されたり、学習院幼稚園で大玉転がしをしている映像がテレビで流れたりして、その成長の姿は人々に記憶されていった。それは、男性皇族が減少するなかで、2005年から2006年にかけて小泉純一郎内閣のもとで女性天皇の可能性が議論されるなど、愛子内親王に女性天皇として即位する可能性があったからだとも思われる。
1歳半の春、御所のお庭で。雅子さまは「皇太子さま(当時)に似たのか、おおらかな性格」と語られた 宮内庁提供
しかしその後は、必ずしもその足跡は順風満帆なものとは言えなかった。2006年9月6日に悠仁親王が誕生し、女性天皇の即位を可能にする皇室典範改正の議論は低調となった。2004年に適応障害の診断を受けて療養生活に入った雅子皇太子妃は、公務の機会も減少し、それに対する批判も数多く出た。皇太子を辞めるよう主張する廃太子論まで登場し、眞子内親王・佳子内親王が注目を浴びていた秋篠宮家とは対照的に、皇太子一家には逆風が吹いていた。
愛子内親王自身、学習院初等科2年生のときに不登校騒動が浮上、その後も母親である雅子皇太子妃が登校に付き添っていることなどが週刊誌などで報じられた。また、2016年の15歳の誕生日に際して公開された映像では、それまでより痩せた姿が映し出され、週刊誌などでは摂食障害ではないかとの報道が相次いだ。世間も、愛子内親王をどこか冷たくもしくは批判的にとらえていた。
一方で、41年ぶりの皇族男子として誕生した悠仁親王は、小さなころからその様子がメディアで取りあげられた。それは、現在の皇室典範では、将来の天皇であることを約束された男子だったからこそ、大きく注目されたのだと思われる。その後、お茶の水女子大学附属小学校へ入学するが、現行の皇室典範下において皇族が学習院初等科以外の小学校へ入学するのは初めてであった。これも、象徴天皇制が変化したことを示す出来事として、好意的に取りあげられた。
愛子さまの人物像にも注目が こうした状況に大きな変化が訪れる。2016年8月の平成の天皇による退位の意思をにじませた「おことば」の発表がきっかけであった。新天皇の即位が近づくなかで、皇太子・皇太子妃の思考や行動にメディアの注目が集まっていく。 そして、その長女である愛子内親王も、人物像などがクローズアップされるようになった。学業成績は常にトップクラスであることはたびたび記事になっている。また、2017年3月に学習院女子中等科を卒業した際に発表された作文「世界の平和を願って」は大きな反響を呼んだ。広島の原爆ドームを訪れた時の体験をもとに、「『平和』は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから」と書かれたこの作文からは、慰霊の旅を続ける「平成流」のあり方が愛子内親王に伝わり、内面化されたことを示した。 また、令和となり、天皇と皇后の存在がよりメディアで取りあげられるなかで、家族3人の姿も注目されるようになった。たとえば、2023年5月には即位5年・結婚30年を記念した特別展を両親と見学、愛子内親王が天皇にプロポーズの言葉の再現を促す場面もあり、天皇は苦笑いしていたとまで報道された。静養先などでも、愛子内親王の声がテレビカメラを通じて、伝えられるようになった。両親と一緒の場面でのこうしたほほえましいやりとりから、20代の内親王の等身大の姿が人々に広がっていった。 さらに2022年3月17日には、成年の記者会見を行い、その場でも一人で記者を相手にユーモアある回答を展開。その姿も高く評価された。逆転した秋篠宮家への“評価” 一方で、秋篠宮家に対する評価は、平成の皇太子一家とシーソーのように、逆転していく。きっかけは、眞子内親王と小室圭さんの結婚をめぐる騒動であった。これが長期化し、しかも金銭トラブルを発端に、様々な憶測を呼ぶような報道もなされたことで、週刊誌やネット上では秋篠宮家批判が展開されるようになる。 しかも、悠仁親王自身の筑波大学附属高校合格をめぐっても、「特別扱い」などの批判が出、様々な噂が駆けめぐった。秋篠宮家をめぐっては、進学や結婚といったプライベートな部分が国民的な関心を呼び、しかもそれが皇室ゆえに「公」の側面を持っていることから、その方向からの強い批判や反発が寄せられることになった。悠仁親王が未成年ゆえ、自身の言葉を話す機会が少ないことも、憶測を呼ぶ背景になっているのではないか。 以上のような愛子内親王と悠仁親王のあゆみを見てくると、人々の移ろいやすい関心という側面を感じることができる。メディアの報道も、まさにそうした観点からなされている。それゆえ、あるときは持ち上げられ、そしてあるときは下げられる。その構図が、平成のときとは逆転したのが今である。しかし、再逆転しないという保証はない。 たしかに社会は多様化し、ものすごいスピードで進展している。象徴天皇制も、特に平成以降、社会のあり方に寄り添いつつ、変化を遂げてきた。しかし、そうした短期的な面だけで象徴天皇制や皇族をとらえていいのだろうか。 皇族数が減少し、皇位継承は危機的な状況を迎えている。分断社会のなかで、「国民を統合する象徴」としての天皇・皇族の役割があり得るのではないか。私たち自身がその存在をしっかりと考え、皇族をどう受容するのか、何を求めるのか、今こそ考えるべき時期だろう。◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2024年の論点100』に掲載されています。(河西 秀哉/ノンフィクション出版)
こうした状況に大きな変化が訪れる。2016年8月の平成の天皇による退位の意思をにじませた「おことば」の発表がきっかけであった。新天皇の即位が近づくなかで、皇太子・皇太子妃の思考や行動にメディアの注目が集まっていく。
そして、その長女である愛子内親王も、人物像などがクローズアップされるようになった。学業成績は常にトップクラスであることはたびたび記事になっている。また、2017年3月に学習院女子中等科を卒業した際に発表された作文「世界の平和を願って」は大きな反響を呼んだ。広島の原爆ドームを訪れた時の体験をもとに、「『平和』は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから」と書かれたこの作文からは、慰霊の旅を続ける「平成流」のあり方が愛子内親王に伝わり、内面化されたことを示した。 また、令和となり、天皇と皇后の存在がよりメディアで取りあげられるなかで、家族3人の姿も注目されるようになった。たとえば、2023年5月には即位5年・結婚30年を記念した特別展を両親と見学、愛子内親王が天皇にプロポーズの言葉の再現を促す場面もあり、天皇は苦笑いしていたとまで報道された。静養先などでも、愛子内親王の声がテレビカメラを通じて、伝えられるようになった。両親と一緒の場面でのこうしたほほえましいやりとりから、20代の内親王の等身大の姿が人々に広がっていった。 さらに2022年3月17日には、成年の記者会見を行い、その場でも一人で記者を相手にユーモアある回答を展開。その姿も高く評価された。逆転した秋篠宮家への“評価” 一方で、秋篠宮家に対する評価は、平成の皇太子一家とシーソーのように、逆転していく。きっかけは、眞子内親王と小室圭さんの結婚をめぐる騒動であった。これが長期化し、しかも金銭トラブルを発端に、様々な憶測を呼ぶような報道もなされたことで、週刊誌やネット上では秋篠宮家批判が展開されるようになる。 しかも、悠仁親王自身の筑波大学附属高校合格をめぐっても、「特別扱い」などの批判が出、様々な噂が駆けめぐった。秋篠宮家をめぐっては、進学や結婚といったプライベートな部分が国民的な関心を呼び、しかもそれが皇室ゆえに「公」の側面を持っていることから、その方向からの強い批判や反発が寄せられることになった。悠仁親王が未成年ゆえ、自身の言葉を話す機会が少ないことも、憶測を呼ぶ背景になっているのではないか。 以上のような愛子内親王と悠仁親王のあゆみを見てくると、人々の移ろいやすい関心という側面を感じることができる。メディアの報道も、まさにそうした観点からなされている。それゆえ、あるときは持ち上げられ、そしてあるときは下げられる。その構図が、平成のときとは逆転したのが今である。しかし、再逆転しないという保証はない。 たしかに社会は多様化し、ものすごいスピードで進展している。象徴天皇制も、特に平成以降、社会のあり方に寄り添いつつ、変化を遂げてきた。しかし、そうした短期的な面だけで象徴天皇制や皇族をとらえていいのだろうか。 皇族数が減少し、皇位継承は危機的な状況を迎えている。分断社会のなかで、「国民を統合する象徴」としての天皇・皇族の役割があり得るのではないか。私たち自身がその存在をしっかりと考え、皇族をどう受容するのか、何を求めるのか、今こそ考えるべき時期だろう。◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2024年の論点100』に掲載されています。(河西 秀哉/ノンフィクション出版)
そして、その長女である愛子内親王も、人物像などがクローズアップされるようになった。学業成績は常にトップクラスであることはたびたび記事になっている。また、2017年3月に学習院女子中等科を卒業した際に発表された作文「世界の平和を願って」は大きな反響を呼んだ。広島の原爆ドームを訪れた時の体験をもとに、「『平和』は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから」と書かれたこの作文からは、慰霊の旅を続ける「平成流」のあり方が愛子内親王に伝わり、内面化されたことを示した。
また、令和となり、天皇と皇后の存在がよりメディアで取りあげられるなかで、家族3人の姿も注目されるようになった。たとえば、2023年5月には即位5年・結婚30年を記念した特別展を両親と見学、愛子内親王が天皇にプロポーズの言葉の再現を促す場面もあり、天皇は苦笑いしていたとまで報道された。静養先などでも、愛子内親王の声がテレビカメラを通じて、伝えられるようになった。両親と一緒の場面でのこうしたほほえましいやりとりから、20代の内親王の等身大の姿が人々に広がっていった。
さらに2022年3月17日には、成年の記者会見を行い、その場でも一人で記者を相手にユーモアある回答を展開。その姿も高く評価された。
一方で、秋篠宮家に対する評価は、平成の皇太子一家とシーソーのように、逆転していく。きっかけは、眞子内親王と小室圭さんの結婚をめぐる騒動であった。これが長期化し、しかも金銭トラブルを発端に、様々な憶測を呼ぶような報道もなされたことで、週刊誌やネット上では秋篠宮家批判が展開されるようになる。
しかも、悠仁親王自身の筑波大学附属高校合格をめぐっても、「特別扱い」などの批判が出、様々な噂が駆けめぐった。秋篠宮家をめぐっては、進学や結婚といったプライベートな部分が国民的な関心を呼び、しかもそれが皇室ゆえに「公」の側面を持っていることから、その方向からの強い批判や反発が寄せられることになった。悠仁親王が未成年ゆえ、自身の言葉を話す機会が少ないことも、憶測を呼ぶ背景になっているのではないか。
以上のような愛子内親王と悠仁親王のあゆみを見てくると、人々の移ろいやすい関心という側面を感じることができる。メディアの報道も、まさにそうした観点からなされている。それゆえ、あるときは持ち上げられ、そしてあるときは下げられる。その構図が、平成のときとは逆転したのが今である。しかし、再逆転しないという保証はない。 たしかに社会は多様化し、ものすごいスピードで進展している。象徴天皇制も、特に平成以降、社会のあり方に寄り添いつつ、変化を遂げてきた。しかし、そうした短期的な面だけで象徴天皇制や皇族をとらえていいのだろうか。 皇族数が減少し、皇位継承は危機的な状況を迎えている。分断社会のなかで、「国民を統合する象徴」としての天皇・皇族の役割があり得るのではないか。私たち自身がその存在をしっかりと考え、皇族をどう受容するのか、何を求めるのか、今こそ考えるべき時期だろう。◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2024年の論点100』に掲載されています。(河西 秀哉/ノンフィクション出版)
以上のような愛子内親王と悠仁親王のあゆみを見てくると、人々の移ろいやすい関心という側面を感じることができる。メディアの報道も、まさにそうした観点からなされている。それゆえ、あるときは持ち上げられ、そしてあるときは下げられる。その構図が、平成のときとは逆転したのが今である。しかし、再逆転しないという保証はない。
たしかに社会は多様化し、ものすごいスピードで進展している。象徴天皇制も、特に平成以降、社会のあり方に寄り添いつつ、変化を遂げてきた。しかし、そうした短期的な面だけで象徴天皇制や皇族をとらえていいのだろうか。 皇族数が減少し、皇位継承は危機的な状況を迎えている。分断社会のなかで、「国民を統合する象徴」としての天皇・皇族の役割があり得るのではないか。私たち自身がその存在をしっかりと考え、皇族をどう受容するのか、何を求めるのか、今こそ考えるべき時期だろう。◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2024年の論点100』に掲載されています。(河西 秀哉/ノンフィクション出版)
たしかに社会は多様化し、ものすごいスピードで進展している。象徴天皇制も、特に平成以降、社会のあり方に寄り添いつつ、変化を遂げてきた。しかし、そうした短期的な面だけで象徴天皇制や皇族をとらえていいのだろうか。
皇族数が減少し、皇位継承は危機的な状況を迎えている。分断社会のなかで、「国民を統合する象徴」としての天皇・皇族の役割があり得るのではないか。私たち自身がその存在をしっかりと考え、皇族をどう受容するのか、何を求めるのか、今こそ考えるべき時期だろう。
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2024年の論点100』に掲載されています。
(河西 秀哉/ノンフィクション出版)