一応「終息」したことになっている新型コロナウイルス騒動だが、この件で深い傷を負った人々がいる。在日外国人である。
【写真】今や昔…今年1月、コロナを5類に引き下げる決断をした岸田総理 これまで、コロナ禍で苦しんだ人々は数多く紹介されてきた。「時短営業に苦しむ人々」「廃業に追い込まれた人々」「行事中止」「無観客開催でスタッフ解雇」など様々だが、「コロナと在日外国人の苦しみ」についてはあまり報じられていない。言語の困難さや、習慣・文化の違い、果てには差別など日本人にはない苦悩はあったことだろう。

そこで本稿では「マスク」「ワクチン」で苦悩した在日EU圏出身女性とベトナム人女性の告白を紹介する。さて、本題に入る前に。日本人はしれーっとマスクを外し、本来は救い神だった6回目、7回目のワクチン接種を拒否している。おい、両方ともすさまじい効果があるはずだったのでは? 回数ごとのワクチン接種人数をNHKのサイトで見ると12月12日現在、こうなっている。なぜか4回目以降はパーセンテージが表記されていないため、本稿ではそちらも併せて記入する。ここでは計算から日本国内の総人数は1億2856万5887人ということになる。マスクをつけろという圧に苛まれ…(写真はイメージです)1回目:1億473万469人(80.8%)2回目:1億344万7695人(79.8%)3回目:8665万3408人(67.4%)4回目:5930万7773人(46.1%)5回目:3746万6373人(29.1%)6回目:2445万3286人(19.0%)7回目:1509万4055人(11.7%)なぜそんな人権侵害をするの 本来マスクを筆頭とした感染対策とワクチンは感染蔓延を防止する切り札だったはずだ。しかし、両方を日本が世界トップレベルで実行しても、結局感染は抑えられなかった。2022年、マスクとワクチンを重視した日本は17週間にわたり世界一の陽性者数を出した。 一方、欧米各国は2022年初頭に感染対策に効果がないことを理解し、これは到底人智では抑えられないことを把握。マスクもブースター接種も推奨しない国が相次いだ。そうした中、日本在住外国人はマスクとワクチン接種を強要され「本国と違う!」や「なぜそんな人権侵害をするの?」と思い声をあげたのである。 まずはとある大都市在住のEU圏出身女性・Kさん(30代前半)の話から見てみよう。 *** 私たちが「顔の見えない社会」で暮らし始めてからもうすぐ4年。初期の「コロナは未知のウイルス。マスクで予防しよう」という状況であれば理にかなっていたかもしれません。しかし、どれだけマスクをしようが世界中で蔓延したため、その正当性はとうの昔に失われていたのではないでしょうか。そんな状況で現在は2023年12月を迎えています。そして、私は複数の病気を患っています。コロナ後遺症ではありません。後に詳しく説明しますが、マスクを強要されて精神的な病を患ったのです。迷惑な存在 普段の行動範囲ではマスクの強要はないものの、この前入院した病院では必ず着けるよう言われました。今の日本は、「顔が見えない」という状況に固執する臆病で偏執的なやり方にこだわり過ぎていると思います。病院では外部世界と違い、そのやり方を堅持していますし、これがまかり通る以上、いつそれ以外の場所でも「顔が見えない」が復活するか、ものすごく恐れています。 実際に病院に通っていますが、もはやこの悲惨な人災からは後戻りできないようにも感じます。私は外国人として日本に約7年住んでいます。コロナ騒動が始まって以来最初の1年数ヶ月は厚労省や専門家や自治体が呼びかけた感染対策に対し、私も他の日本人と同様、従順な対応をしていました。いや、もっと敏感だったかもしれません。 何しろ、初期の頃は「外国人が危険なウイルスを我が日本に持ち込んだ! ヤツらを排除しろ!」のような論調があったからです。だからこそ、私はマスクを着けることで外国人に対する批判が向けられたり、差別に遭ったりすることを回避しようとしたのです。しかし、当時の日本では人種差別が蔓延しており、多くの日本人が外国人の存在をウザく思い、さらには迷惑な存在として扱っていました。終わらない苦痛 次第に私は電車の席で隣に人がいない場所を選んだり、外でも極力人とすれ違わないよう意識する精神状況になっていったのです。何しろ差別は怖いですから。マスクがウイルスから私を防護してくれたのかはよく分かりません。でも、人々が私のような外国人を恐れることをマスクは全く防いでくれなかった。何しろ外国人というだけで露骨に怖がる表情を毎日のように見せられたからです。 そうしたことから私は「マスクは私を守ってくれない。少なくとも差別からは」という判断をし、2021年の早い段階でマスクを捨てました。すると、差別度合は上がります。マスクをした人々が、私のことを道路に落ちた大量の大便であるかのように、露骨に避けて歩くのです。 こうしたことから私は憂鬱を発症。そして常に不安を抱いていることからパニック障害と診断されます。それに加えてバセドウ病と過敏性腸症候群とも診断されました。いずれも自己免疫疾患で、恐らく一生私を悩ませることになるでしょう。 医師は過度のストレスが原因のようだと述べました。これに加え、日本で直面してきた数々の差別と、かつて食事を楽しめたカフェでも常時マスクをしなければならないという絶え間ないプレッシャーにより、PTSDとなりました。これだけの病気と診断されたわけで、本当に私はこの3年11ヶ月、消耗させられました。今でも病院ではマスクを強要されるため、この苦痛は終わっていないのです。海外が正常化に向かう中で もう、病気については何が何やら、という感じですが、私は慢性的な偏頭痛持ちでもあります。元々身体も精神も強い方ではないのですが、コロナ騒動はその苦痛を加速させました。この期間、狭い箱に閉じ込められているような気分になり、絶望的に孤独でした。本当に消えたい、と何度も何度も思いました。 完全にボロボロの人生だと思います。それなのになぜ、私がまだ日本にいるのかと疑問に思うかもしれませんが、私には「無限」という表現を超えるほど愛している素晴らしい日本人の夫がいるのです。彼と別離することは絶対にしたくないので、他の場所に引っ越すことは不可能です。 それだけ彼のことを愛してはいますし、彼のいない人生を想像することはできません。でも、私には本当に居場所がなかった……。場合によっては別れることを何度か考えました。「別れる」、というのはまぁ察してください。 海外が正常化に早く向かう中、日本で生活するのは非常に大変でした。自分なりにその時間がもたらしたものを考えてみました。無理矢理自分を納得させようと思っているのは分かりますが、マスクを外すことで「少なくとも私は少しだけ強くなった」と思えるようになったことです。あとは、周りの顔の見えない人々すべてを気にしないようにし、顔を隠すことを強制される以外の場所に行くように最善を尽くしました。特記事項として記入 しかし、私が1ヶ月前に急性虫垂炎と診断され、手術について話し合うため、総合病院に行った時のこと。入口に足を踏み入れた瞬間でした。「あなたはマスクをしていない!」と怒鳴られ、門番から追いかけられました。普段行く内分泌系のクリニック、診療内科、歯科医ではマスク着用は求められません。そういう意味ではラッキーだっただけかもしれませんが……。 前述の通り、マスクを着用することが精神的に苦痛であることを伝えたら、スルーされました。妥協する姿勢をみせるべく、夫が「自分はマスクを着けるから彼女のことは許してくれませんか?」と言うと、門番の警備員は私を追い出す、と言い出しました。 しかし、私が本当にマスクをするのが苦痛だと説明したところ、最終的に病院からは了承を得ました。そのため、私がマスクするよう求められないことを特記事項として記入してくれました。ようやく一安心です。 私の手術は当初の予定から2週間延期されましたが、手術の3日前に私たちは麻酔科医との打ち合わせのために病院に行きました。この時、もちろん、新型コロナウイルスのPCR検査が必要でした。マニュアルでそうなっている この日、私達は短時間の滞在予定でしたが、約3時間院内で過ごし、そのうちの半分の時間は私がマスクをしていなかったことでスタッフや警備員から叱責された時間です。理由は、他の患者たちをいかに動揺させるか、という点にあります。患者の中には寝ている時もマスクを着けている人がいました。 病院の言い分は「マニュアルでそうなっている」というもの。しかし、私は精神的に辛いのです。この病院に来始めてから何度もマスクの苦痛を訴えましたが、それはその都度無視されました。「マスクを着用できない」という私に関する書類には「非常識なヤツだ」といった落書きがされました。看護師は人間味の全くない、私の苦痛を無視したレクチャーを延々と続けたのです。もちろん私は動揺し、その旨も彼らに伝えました。夫は妻が動揺しているのを理解しつつも、なんとか平静を保ち、私のことを守ってくれました。 私はコロナ陰性でした。大部屋の病室のカーテンを開けてトイレへ行く時、一言も発さないのに、マスクをしなければならない。私は陰性なのだし、他の患者も陰性なのになぜマスクをしなくてはならないのですか? と私は科学的な説明と着用が必要な理由を伝えるよう求めました。ただただ消え去りたかった しかし、基本的に看護師からの説明は「あなたが他の患者やスタッフから目をつけられて注目されないために、マスクをしなければならない」というものでした。つまり、マスクは批判されないようにするための必須アイテムであり、仮にそれを着けて窒息死したとしても、苦痛で精神をさらに病んでも問題ではないようです。それだけ日本の病院ではマスクが大事なのです。 この時、私はモンスター患者のような扱いを受け、手術の延期と中止を検討することもちらつかされました。とにかく待つよう伝えられると、このまま入院を延期させて、私に仕事をさせないように仕向けているのではないか、と感じました。この時、私はただただ、消え去りたかったです……。 手術の実施にはマスク着用を条件にされるよう伝えられ、それでも困難な旨を伝える攻防は続きました。最終判断を待つ間、夫はマスク着用の強制をしてはいけない、という厚生労働省の通達を発見しました。聞きづらいフェイスシールド越しの言葉 最終的には看護師は、マスクをしないのであれば個室に泊まらなければならないと言います。個室に泊まらないと手術は受けさせない、とも。結果的に個室に泊まることになりましたが、恐らく彼らはマスク強要が徹底的に痛ましい差別であることに気づいていなかったのでしょう。夫は、裕福な人であれば、マスクを強要されることはないんだろうな、との感想を持ちました。結局、飛行機のビジネスクラスとエコノミークラスのようなものです。1年ほど前、ビジネスクラスの客はマスクを求められなかったケースもあったと聞きました。 虐げられた庶民は思考することを許されず、自身が火葬されるまでマスクという素晴らしい効果がある万能アイテムの後ろに隠れなければならないことを、この時感じました。かくして私は入院生活を続行できましたが、私にとってマスクとフェイスシールド越しの看護師たちが喋る言葉を聞き取るのは難解でした。 何しろ聞きづらいのです。日本語を喋れるものの、流暢ではない私は、彼らの喋る言葉を理解しようと努力をしましたが、通じない場合に聞き返してもそれ以上何も言わない人もいました。しかし、私にとって大切な入院において、彼らの言葉を理解することが本当に重要なこと。でも、それをさせてもらえませんでした。日本人が求める「顔の見えない社会」 結論として、マスク着用の執拗なプレッシャーの下での入院生活は、極度のストレス状態でした。これは、マスク強制の社会的影響について幅広い議論の必要性を浮き彫りにしたと考えます。私が苦痛なように、日本人でも苦痛な方はいます。飛行機では体質的にマスクを着けられないことを事前に申告し、他の乗客から隔離されました。マスク着用を拒否したことから裁判沙汰になった方もいます。 そう考えると、マスク文化は多くの日本人にとって人間とはかくあるべきか? という命題の本質を変え、本来大切な「人間同士のふれあい・やり取り」を不可能にさせる空気感を生み出したのではないでしょうか。病院のカーテンの向こうは、日本人が求める「顔の見えない社会」を推進するものだったと私は感じました。 日本が突入した太平洋戦争では、戦争に反対する者は非国民扱いされました。コロナも同じです。マスクは社会的同調性の影響について、人々が考えるべき課題を与えました。結局人間はあまり変わらず、いくら時間が経過しようが、異端を排除する空気感は存在していることを明らかにしましたね。私が今回こうして体験を綴ったのは、同調圧力に伴う課題と変革すべきことに光を当てたかったからです。 別に、病院や社会を批判したいのではなく、理解と共感を育み、最終的にはより皆が思いやりを持てる社会を作りたい、との思いを吐き出したかった。人間性が完全に欠落したジョージ・オーウェル的『1984』の世界観になってほしくないのです。マスクというものは、人間が人間であることを否定するものだとこの4年間でつくづく感じました。私からは以上です。 ***打たないあなたはワガママだ 続いては某地方都市在住の30代前半のベトナム人女性Hさんからのいわゆる「ワクハラ」についての報告だ。 *** 私はケーキなどの菓子類を作る工場に勤務するベトナム人です。最近、インフルエンザワクチンの接種を連日に渡って強要され続け、最終的に接種をしました。数日経っても腕の痛みと腫れが引かなく辛いです。もしかしたら効く人はいるのかもしれませんが、こんなに痛いのであれば、私には合わないものなのかもしれません。 私の上司の課長が「打たないあなたはワガママだ」と説教をしてきました。本来、ワクチン接種とは任意であり、本人の意思が最優先されるべきではないでしょうか。新型コロナワクチンについては散々「思いやりワクチン」と喧伝してきてワクチン被害を訴えると、「ワクチンは多くの人々の命を救った!」と推進派は言います。 弱い立場の従業員に対し、「ワガママ」と言うのは強制に他ならないのではないでしょうか。私が日本語と日本の法律をよくわからないことを良いことに、平気で強制して接種をさせたことについて、私は悲しくなりました。私達はウイルスの運び屋ではない 接種する理由は「ルールだから」と課長からは伝えられました。「ルールだから」といえば、本人の意思を無視できるっておかしくないですか? 今の私は結婚を約束した日本人の彼氏がいます。その彼から「日本の法律の感染症法には人権の尊重と何度も何度も書かれている」と教わりました。このような理不尽なルールは立派な人権侵害に他なりません。 私の職場にはベトナム人だけでなく、ネパール人や中国人なども働いていますが、日本人だけがなぜか接種してなくても許されています。外国人だけが強制的に接種させられています。まるで外国人は恐怖のウイルスの培養器扱いされているのでは、と思うのです。日本は「水際対策」を徹底し、外国人の入国を2023年4月まで制限していました。私達はウイルスの運び屋ではない。ひどい差別を受けたと思います。 他にも彼氏から予防接種法についても話をされ、ワクチンは「努力義務」で、その対象は「国民」と書かれていると知りました。外国人は除外されているのですか? それでも私達は「努力義務」ではなく「強制」ってことになります。現にそうでしたし。でも、本来日本人に限らず、日本に住む全ての人の個人の意思が尊重され、平等の権利を担保されねばならないはずです。外国人には「強制」というのはおかしいと思います。思い出すだけで目に涙 そして、私は新型コロナのワクチンも当初は打たないと宣言し、拒否したのですが、同じ上司の課長から繰り返し接種圧力をかけられて3回接種しました。その時上司から言われたのは「あなたが打たないでコロナになったら、みんなが休まなければいけない。会社も休業しなければならない」。一人の人間の意思を簡単に踏みにじる発言で、会社のことしか考えていないのです。 一時期、海外から来る外国人が変異株を持ち込む――的な煽り報道がありましたが、それは外国人労働者に対するワクハラに一層の拍車をかけたのでは、と私は感じています。日本人同士でのワクハラは取り上げられますが、言語や意思疎通の難しい外国人を菌扱いして、激しいワクハラが行われた実態も無視しないでほしいです。 私達外国人も日本社会の一員です。私は日本にやってきて5年になりますが、コロナ前に外国人に対するヘイトスピーチに反対していた人達もワクチン接種の話になると誰も助けてくれず、本当に悲しく残念な気持ちになりました。失望がとても大きく、思い出すだけでも目に涙が浮かびます。中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)1973(昭和48)年東京都生まれ、佐賀県唐津市在住のネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『よくも言ってくれたよな』。最新刊は『過剰反応な人たち』(新潮新書)。デイリー新潮編集部
これまで、コロナ禍で苦しんだ人々は数多く紹介されてきた。「時短営業に苦しむ人々」「廃業に追い込まれた人々」「行事中止」「無観客開催でスタッフ解雇」など様々だが、「コロナと在日外国人の苦しみ」についてはあまり報じられていない。言語の困難さや、習慣・文化の違い、果てには差別など日本人にはない苦悩はあったことだろう。
そこで本稿では「マスク」「ワクチン」で苦悩した在日EU圏出身女性とベトナム人女性の告白を紹介する。さて、本題に入る前に。日本人はしれーっとマスクを外し、本来は救い神だった6回目、7回目のワクチン接種を拒否している。おい、両方ともすさまじい効果があるはずだったのでは?
回数ごとのワクチン接種人数をNHKのサイトで見ると12月12日現在、こうなっている。なぜか4回目以降はパーセンテージが表記されていないため、本稿ではそちらも併せて記入する。ここでは計算から日本国内の総人数は1億2856万5887人ということになる。
1回目:1億473万469人(80.8%)2回目:1億344万7695人(79.8%)3回目:8665万3408人(67.4%)4回目:5930万7773人(46.1%)5回目:3746万6373人(29.1%)6回目:2445万3286人(19.0%)7回目:1509万4055人(11.7%)
本来マスクを筆頭とした感染対策とワクチンは感染蔓延を防止する切り札だったはずだ。しかし、両方を日本が世界トップレベルで実行しても、結局感染は抑えられなかった。2022年、マスクとワクチンを重視した日本は17週間にわたり世界一の陽性者数を出した。
一方、欧米各国は2022年初頭に感染対策に効果がないことを理解し、これは到底人智では抑えられないことを把握。マスクもブースター接種も推奨しない国が相次いだ。そうした中、日本在住外国人はマスクとワクチン接種を強要され「本国と違う!」や「なぜそんな人権侵害をするの?」と思い声をあげたのである。
まずはとある大都市在住のEU圏出身女性・Kさん(30代前半)の話から見てみよう。
***
私たちが「顔の見えない社会」で暮らし始めてからもうすぐ4年。初期の「コロナは未知のウイルス。マスクで予防しよう」という状況であれば理にかなっていたかもしれません。しかし、どれだけマスクをしようが世界中で蔓延したため、その正当性はとうの昔に失われていたのではないでしょうか。そんな状況で現在は2023年12月を迎えています。そして、私は複数の病気を患っています。コロナ後遺症ではありません。後に詳しく説明しますが、マスクを強要されて精神的な病を患ったのです。
普段の行動範囲ではマスクの強要はないものの、この前入院した病院では必ず着けるよう言われました。今の日本は、「顔が見えない」という状況に固執する臆病で偏執的なやり方にこだわり過ぎていると思います。病院では外部世界と違い、そのやり方を堅持していますし、これがまかり通る以上、いつそれ以外の場所でも「顔が見えない」が復活するか、ものすごく恐れています。
実際に病院に通っていますが、もはやこの悲惨な人災からは後戻りできないようにも感じます。私は外国人として日本に約7年住んでいます。コロナ騒動が始まって以来最初の1年数ヶ月は厚労省や専門家や自治体が呼びかけた感染対策に対し、私も他の日本人と同様、従順な対応をしていました。いや、もっと敏感だったかもしれません。
何しろ、初期の頃は「外国人が危険なウイルスを我が日本に持ち込んだ! ヤツらを排除しろ!」のような論調があったからです。だからこそ、私はマスクを着けることで外国人に対する批判が向けられたり、差別に遭ったりすることを回避しようとしたのです。しかし、当時の日本では人種差別が蔓延しており、多くの日本人が外国人の存在をウザく思い、さらには迷惑な存在として扱っていました。
次第に私は電車の席で隣に人がいない場所を選んだり、外でも極力人とすれ違わないよう意識する精神状況になっていったのです。何しろ差別は怖いですから。マスクがウイルスから私を防護してくれたのかはよく分かりません。でも、人々が私のような外国人を恐れることをマスクは全く防いでくれなかった。何しろ外国人というだけで露骨に怖がる表情を毎日のように見せられたからです。
そうしたことから私は「マスクは私を守ってくれない。少なくとも差別からは」という判断をし、2021年の早い段階でマスクを捨てました。すると、差別度合は上がります。マスクをした人々が、私のことを道路に落ちた大量の大便であるかのように、露骨に避けて歩くのです。
こうしたことから私は憂鬱を発症。そして常に不安を抱いていることからパニック障害と診断されます。それに加えてバセドウ病と過敏性腸症候群とも診断されました。いずれも自己免疫疾患で、恐らく一生私を悩ませることになるでしょう。
医師は過度のストレスが原因のようだと述べました。これに加え、日本で直面してきた数々の差別と、かつて食事を楽しめたカフェでも常時マスクをしなければならないという絶え間ないプレッシャーにより、PTSDとなりました。これだけの病気と診断されたわけで、本当に私はこの3年11ヶ月、消耗させられました。今でも病院ではマスクを強要されるため、この苦痛は終わっていないのです。
もう、病気については何が何やら、という感じですが、私は慢性的な偏頭痛持ちでもあります。元々身体も精神も強い方ではないのですが、コロナ騒動はその苦痛を加速させました。この期間、狭い箱に閉じ込められているような気分になり、絶望的に孤独でした。本当に消えたい、と何度も何度も思いました。
完全にボロボロの人生だと思います。それなのになぜ、私がまだ日本にいるのかと疑問に思うかもしれませんが、私には「無限」という表現を超えるほど愛している素晴らしい日本人の夫がいるのです。彼と別離することは絶対にしたくないので、他の場所に引っ越すことは不可能です。
それだけ彼のことを愛してはいますし、彼のいない人生を想像することはできません。でも、私には本当に居場所がなかった……。場合によっては別れることを何度か考えました。「別れる」、というのはまぁ察してください。
海外が正常化に早く向かう中、日本で生活するのは非常に大変でした。自分なりにその時間がもたらしたものを考えてみました。無理矢理自分を納得させようと思っているのは分かりますが、マスクを外すことで「少なくとも私は少しだけ強くなった」と思えるようになったことです。あとは、周りの顔の見えない人々すべてを気にしないようにし、顔を隠すことを強制される以外の場所に行くように最善を尽くしました。
しかし、私が1ヶ月前に急性虫垂炎と診断され、手術について話し合うため、総合病院に行った時のこと。入口に足を踏み入れた瞬間でした。「あなたはマスクをしていない!」と怒鳴られ、門番から追いかけられました。普段行く内分泌系のクリニック、診療内科、歯科医ではマスク着用は求められません。そういう意味ではラッキーだっただけかもしれませんが……。
前述の通り、マスクを着用することが精神的に苦痛であることを伝えたら、スルーされました。妥協する姿勢をみせるべく、夫が「自分はマスクを着けるから彼女のことは許してくれませんか?」と言うと、門番の警備員は私を追い出す、と言い出しました。
しかし、私が本当にマスクをするのが苦痛だと説明したところ、最終的に病院からは了承を得ました。そのため、私がマスクするよう求められないことを特記事項として記入してくれました。ようやく一安心です。
私の手術は当初の予定から2週間延期されましたが、手術の3日前に私たちは麻酔科医との打ち合わせのために病院に行きました。この時、もちろん、新型コロナウイルスのPCR検査が必要でした。
この日、私達は短時間の滞在予定でしたが、約3時間院内で過ごし、そのうちの半分の時間は私がマスクをしていなかったことでスタッフや警備員から叱責された時間です。理由は、他の患者たちをいかに動揺させるか、という点にあります。患者の中には寝ている時もマスクを着けている人がいました。
病院の言い分は「マニュアルでそうなっている」というもの。しかし、私は精神的に辛いのです。この病院に来始めてから何度もマスクの苦痛を訴えましたが、それはその都度無視されました。
「マスクを着用できない」という私に関する書類には「非常識なヤツだ」といった落書きがされました。看護師は人間味の全くない、私の苦痛を無視したレクチャーを延々と続けたのです。もちろん私は動揺し、その旨も彼らに伝えました。夫は妻が動揺しているのを理解しつつも、なんとか平静を保ち、私のことを守ってくれました。
私はコロナ陰性でした。大部屋の病室のカーテンを開けてトイレへ行く時、一言も発さないのに、マスクをしなければならない。私は陰性なのだし、他の患者も陰性なのになぜマスクをしなくてはならないのですか? と私は科学的な説明と着用が必要な理由を伝えるよう求めました。
しかし、基本的に看護師からの説明は「あなたが他の患者やスタッフから目をつけられて注目されないために、マスクをしなければならない」というものでした。つまり、マスクは批判されないようにするための必須アイテムであり、仮にそれを着けて窒息死したとしても、苦痛で精神をさらに病んでも問題ではないようです。それだけ日本の病院ではマスクが大事なのです。
この時、私はモンスター患者のような扱いを受け、手術の延期と中止を検討することもちらつかされました。とにかく待つよう伝えられると、このまま入院を延期させて、私に仕事をさせないように仕向けているのではないか、と感じました。この時、私はただただ、消え去りたかったです……。
手術の実施にはマスク着用を条件にされるよう伝えられ、それでも困難な旨を伝える攻防は続きました。最終判断を待つ間、夫はマスク着用の強制をしてはいけない、という厚生労働省の通達を発見しました。
最終的には看護師は、マスクをしないのであれば個室に泊まらなければならないと言います。個室に泊まらないと手術は受けさせない、とも。結果的に個室に泊まることになりましたが、恐らく彼らはマスク強要が徹底的に痛ましい差別であることに気づいていなかったのでしょう。夫は、裕福な人であれば、マスクを強要されることはないんだろうな、との感想を持ちました。結局、飛行機のビジネスクラスとエコノミークラスのようなものです。1年ほど前、ビジネスクラスの客はマスクを求められなかったケースもあったと聞きました。
虐げられた庶民は思考することを許されず、自身が火葬されるまでマスクという素晴らしい効果がある万能アイテムの後ろに隠れなければならないことを、この時感じました。かくして私は入院生活を続行できましたが、私にとってマスクとフェイスシールド越しの看護師たちが喋る言葉を聞き取るのは難解でした。
何しろ聞きづらいのです。日本語を喋れるものの、流暢ではない私は、彼らの喋る言葉を理解しようと努力をしましたが、通じない場合に聞き返してもそれ以上何も言わない人もいました。しかし、私にとって大切な入院において、彼らの言葉を理解することが本当に重要なこと。でも、それをさせてもらえませんでした。
結論として、マスク着用の執拗なプレッシャーの下での入院生活は、極度のストレス状態でした。これは、マスク強制の社会的影響について幅広い議論の必要性を浮き彫りにしたと考えます。私が苦痛なように、日本人でも苦痛な方はいます。飛行機では体質的にマスクを着けられないことを事前に申告し、他の乗客から隔離されました。マスク着用を拒否したことから裁判沙汰になった方もいます。
そう考えると、マスク文化は多くの日本人にとって人間とはかくあるべきか? という命題の本質を変え、本来大切な「人間同士のふれあい・やり取り」を不可能にさせる空気感を生み出したのではないでしょうか。病院のカーテンの向こうは、日本人が求める「顔の見えない社会」を推進するものだったと私は感じました。
日本が突入した太平洋戦争では、戦争に反対する者は非国民扱いされました。コロナも同じです。マスクは社会的同調性の影響について、人々が考えるべき課題を与えました。結局人間はあまり変わらず、いくら時間が経過しようが、異端を排除する空気感は存在していることを明らかにしましたね。私が今回こうして体験を綴ったのは、同調圧力に伴う課題と変革すべきことに光を当てたかったからです。
別に、病院や社会を批判したいのではなく、理解と共感を育み、最終的にはより皆が思いやりを持てる社会を作りたい、との思いを吐き出したかった。人間性が完全に欠落したジョージ・オーウェル的『1984』の世界観になってほしくないのです。マスクというものは、人間が人間であることを否定するものだとこの4年間でつくづく感じました。私からは以上です。
***
続いては某地方都市在住の30代前半のベトナム人女性Hさんからのいわゆる「ワクハラ」についての報告だ。
***
私はケーキなどの菓子類を作る工場に勤務するベトナム人です。最近、インフルエンザワクチンの接種を連日に渡って強要され続け、最終的に接種をしました。数日経っても腕の痛みと腫れが引かなく辛いです。もしかしたら効く人はいるのかもしれませんが、こんなに痛いのであれば、私には合わないものなのかもしれません。
私の上司の課長が「打たないあなたはワガママだ」と説教をしてきました。本来、ワクチン接種とは任意であり、本人の意思が最優先されるべきではないでしょうか。新型コロナワクチンについては散々「思いやりワクチン」と喧伝してきてワクチン被害を訴えると、「ワクチンは多くの人々の命を救った!」と推進派は言います。
弱い立場の従業員に対し、「ワガママ」と言うのは強制に他ならないのではないでしょうか。私が日本語と日本の法律をよくわからないことを良いことに、平気で強制して接種をさせたことについて、私は悲しくなりました。
接種する理由は「ルールだから」と課長からは伝えられました。「ルールだから」といえば、本人の意思を無視できるっておかしくないですか? 今の私は結婚を約束した日本人の彼氏がいます。その彼から「日本の法律の感染症法には人権の尊重と何度も何度も書かれている」と教わりました。このような理不尽なルールは立派な人権侵害に他なりません。
私の職場にはベトナム人だけでなく、ネパール人や中国人なども働いていますが、日本人だけがなぜか接種してなくても許されています。外国人だけが強制的に接種させられています。まるで外国人は恐怖のウイルスの培養器扱いされているのでは、と思うのです。日本は「水際対策」を徹底し、外国人の入国を2023年4月まで制限していました。私達はウイルスの運び屋ではない。ひどい差別を受けたと思います。
他にも彼氏から予防接種法についても話をされ、ワクチンは「努力義務」で、その対象は「国民」と書かれていると知りました。外国人は除外されているのですか? それでも私達は「努力義務」ではなく「強制」ってことになります。現にそうでしたし。でも、本来日本人に限らず、日本に住む全ての人の個人の意思が尊重され、平等の権利を担保されねばならないはずです。外国人には「強制」というのはおかしいと思います。
そして、私は新型コロナのワクチンも当初は打たないと宣言し、拒否したのですが、同じ上司の課長から繰り返し接種圧力をかけられて3回接種しました。その時上司から言われたのは「あなたが打たないでコロナになったら、みんなが休まなければいけない。会社も休業しなければならない」。一人の人間の意思を簡単に踏みにじる発言で、会社のことしか考えていないのです。
一時期、海外から来る外国人が変異株を持ち込む――的な煽り報道がありましたが、それは外国人労働者に対するワクハラに一層の拍車をかけたのでは、と私は感じています。日本人同士でのワクハラは取り上げられますが、言語や意思疎通の難しい外国人を菌扱いして、激しいワクハラが行われた実態も無視しないでほしいです。
私達外国人も日本社会の一員です。私は日本にやってきて5年になりますが、コロナ前に外国人に対するヘイトスピーチに反対していた人達もワクチン接種の話になると誰も助けてくれず、本当に悲しく残念な気持ちになりました。失望がとても大きく、思い出すだけでも目に涙が浮かびます。
中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)1973(昭和48)年東京都生まれ、佐賀県唐津市在住のネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『よくも言ってくれたよな』。最新刊は『過剰反応な人たち』(新潮新書)。
デイリー新潮編集部