新潟市中央区で1977年、当時市立寄居中1年の横田めぐみさん(行方不明時13歳)が下校中に北朝鮮の工作員に拉致されてから15日で46年となる。小中で同級生の真保(しんぼ)恵美子さん(58)=千葉市=が毎日新聞の取材に応じた。
【写真】めぐみさんが描いた少女漫画の絵を持つ親友 親友のめぐみさんに宛てた手紙は次の通り。 ◇ 横田めぐみ様 ヨコ、お元気ですか? あの日、13歳になって間もなかったあなたが59歳の誕生日を迎えてしまいました。こんなにも長い間、会うことも手紙をやりとりすることもできなくなるなんて夢にも思いませんでした。46年もの長い年月、私は当たり前のように平和な日本で食べるものにも困らずに生活しているのに、北朝鮮の酷(ひど)い実情を伝え聴くたびに胸が痛みます。病気はしていませんか?ちゃんと食事はできていますか?

今も思い出すのは、明るくて朗らかだったヨコばかりです。新潟小学校に転校してきて間もないのに「私、合唱部に入ろうと思うの、よろしくね。」と自分から話しかけて来て、「私のことはヨコって呼んでね。」と言ってくれたヨコ。覚えていますか?お互いの家を行ったり来たりして漫画を読んだり、絵を描いたり、そのうち交換ノートを始めて、いっぱい絵を描いて回しましたね。気がついていましたか?ヨコが描く絵がとても上手だったから私は自分が描くよりもヨコの絵を見る方が楽しみだったのですよ。 中学校に入るとクラスは別になってしまいましたが部活動は一緒にバドミントン部に入って一生懸命練習をしましたね。運動神経が良いヨコは選手に選ばれて、新人戦で頑張っていましたね。準々決勝で敗れてよほど悔しかったのでしょう。涙を流すヨコを初めて見ました。でも、あの時の泣いていた顔を思い出しても、あの北朝鮮で撮ったという写真ほど、絶望に満ちた顔とは全然違いました。北朝鮮に連れて行かれて、どれほど怖くて、どれほど泣いて、どれほど絶望したのかと思うと胸が張り裂けそうになります。 歌うことが大好きだったヨコ。曽我さんが講演で夜布団の中で小さな声で「ふるさと」を歌ったと話されたのを聞き、「嗚呼(ああ)、間違いなくヨコだ」と思いました。どこにいても歌がヨコの心の支えになってくれていますよう、心から願っています。ヨコが帰国したら、また一緒に声を合わせて歌いましょうね。その日が来ることを信じて、諦めずに待っていてください。 またお会いする日を信じて、祈っております。 令和5年10月7日 真保恵美子
親友のめぐみさんに宛てた手紙は次の通り。

横田めぐみ様
ヨコ、お元気ですか?
あの日、13歳になって間もなかったあなたが59歳の誕生日を迎えてしまいました。こんなにも長い間、会うことも手紙をやりとりすることもできなくなるなんて夢にも思いませんでした。46年もの長い年月、私は当たり前のように平和な日本で食べるものにも困らずに生活しているのに、北朝鮮の酷(ひど)い実情を伝え聴くたびに胸が痛みます。病気はしていませんか?ちゃんと食事はできていますか?
今も思い出すのは、明るくて朗らかだったヨコばかりです。新潟小学校に転校してきて間もないのに「私、合唱部に入ろうと思うの、よろしくね。」と自分から話しかけて来て、「私のことはヨコって呼んでね。」と言ってくれたヨコ。覚えていますか?お互いの家を行ったり来たりして漫画を読んだり、絵を描いたり、そのうち交換ノートを始めて、いっぱい絵を描いて回しましたね。気がついていましたか?ヨコが描く絵がとても上手だったから私は自分が描くよりもヨコの絵を見る方が楽しみだったのですよ。
中学校に入るとクラスは別になってしまいましたが部活動は一緒にバドミントン部に入って一生懸命練習をしましたね。運動神経が良いヨコは選手に選ばれて、新人戦で頑張っていましたね。準々決勝で敗れてよほど悔しかったのでしょう。涙を流すヨコを初めて見ました。でも、あの時の泣いていた顔を思い出しても、あの北朝鮮で撮ったという写真ほど、絶望に満ちた顔とは全然違いました。北朝鮮に連れて行かれて、どれほど怖くて、どれほど泣いて、どれほど絶望したのかと思うと胸が張り裂けそうになります。
歌うことが大好きだったヨコ。曽我さんが講演で夜布団の中で小さな声で「ふるさと」を歌ったと話されたのを聞き、「嗚呼(ああ)、間違いなくヨコだ」と思いました。どこにいても歌がヨコの心の支えになってくれていますよう、心から願っています。ヨコが帰国したら、また一緒に声を合わせて歌いましょうね。その日が来ることを信じて、諦めずに待っていてください。
またお会いする日を信じて、祈っております。
令和5年10月7日
真保恵美子