北海道にはゴキブリがいなくて羨ましい――。本州以南の住民から、そんな言葉をかけられたことがある北海道民は少なくないだろう。だが寒さに弱いとされる現代人の天敵「G」は、実は道内にもいる。それどころか札幌市内には、本州よりも高い密度で生息している場所さえあるのだ。専門家は「ゴキブリの天国かも」とさえ言う。ならば住宅にも……?
相次ぐサラダへのカエル混入…なぜ? 危険は? 札幌市中央区の繁華街・ススキノから約3キロ。緑豊かで、市民の憩いの場となっている円山公園を9月上旬の日没後に訪れた。

大木の根元をのぞくと数匹で円形になり、餌に群がっていた。日本固有種「ヤマトゴキブリ」だ。光で照らすと驚いたようにカサカサと木や草の陰に隠れた。 ヤマトゴキブリは体長が2~3センチほどで、森林を主な生息地とする。日没後3~4時間までが活発で、盛期は6~7月。本州の住宅で見られるクロゴキブリよりも小さく、光沢は控えめ。屋内ではないせいか嫌悪感はなかった。 犬の散歩をしていた女性がこちらの様子をうかがっていたので「これゴキブリです」と伝えると「円山にいるなんて」と目を丸くした。生息を知らない近隣住民も珍しくないようだ。冬の最低気温が氷点下10度を下回る札幌で、寒さを苦手とするはずのゴキブリが生息できるのか。いつから、なぜいるのか。専門家を訪ねた。 ゴキブリに詳しい北海道大の水波誠名誉教授(66)=行動神経生物学=と北大電子科学研究所の西野浩史助教(54)=同=は「私たちが円山公園に多くの個体がいることに気がついたのは4~5年前のことでした」と明かしてくれた。 2人によると、文献では15年ほど前に確認されている。一方で、周辺住民から「50年前、子供のころに庭で見た」との情報提供もある。元々北海道に生息していなかったが、過去に行われた円山公園への植樹の際に、北海道外から持ち込まれた樹木に紛れ、すみ着いたとみられるという。 本州ではヤマトを見かける機会が減っている。より体長の大きいゴキブリなどに駆逐されていることが要因の一つのようだ。一方、円山公園の一部では、本州と比べても生息密度が高いという。 円山公園のヤマトの主食は樹液やキノコで、アカシアなど樹液を出す樹木をすみかとし、外敵から身も守っている。他のゴキブリに脅かされることがなく、人が行き交う園内は大型動物が近づきにくいことも、繁殖を後押ししているとみられる。突如として海を渡ったヤマトに、円山公園の捕食者が対応していないという見方もある。 「外敵から身を隠し、食事もある快適な暮らしができる一等地なのでしょう」と水波さん。西野さんは「隔絶された天国のようなところなのかも。住民も気がついていなかったり、見かけても道外よりもおおらかな反応を示す傾向にあったりするので」と語った。厳しい寒さにいかに適応したかは不明だが、冬は木のくぼみなどで動かずに休眠しているという。 気になるのは、住宅に侵入したり繁殖したりするのか、ということだ。道内では以前から、年中空調の利く百貨店や、飲食店ではチャバネゴキブリなどが目撃されている。本州からの荷物に紛れ込むことを完全には防げないためだ。 住宅でも目撃例はある。水波さんは「多くは宅配便などの荷物に紛れて屋内に入り込んだ個体でしょう。今は通販が多いという事情もあります」と解説しつつ、「厳しい寒さもあり、越冬や繁殖は難しいと考えられるので、目撃した個体を退治したり、薬剤を使ったりすれば決着がつくでしょうね」と語る。 ただ、屋外に定着しているのであれば話は別だ。円山公園は市街地に隣接しており、ヤマトの雄は飛ぶこともできる。新たな天国を求めて移動することはないのだろうか。 水波さんは「自力で長く飛ぶことはできないし、移動範囲も狭い。離れた民家にあえて向かうとも思えない。家に入ることはめったにないと思う。私は侵入の報告を聞いたことはない」と語った。ただ、風に乗れば数百メートル先まで移動することはあり得る。その場合は、移動範囲が公園外に及ぶことになる。 屋外で繁殖し、生息しているゴキブリの国内の北限は、今のところ札幌近辺とみられる。ただ、気候変動の影響などを受け、道内のゴキブリ事情がどのように変化していくかは、「見てみないと分からない」と2人は口をそろえる。 最近では異常な暑さに加え、菌類に寄生されて死ぬヤマトが確認されるなど、円山公園での生息状況は注視が必要という。 だからこそ、水波さんは「小さいし、気持ち悪くないので、そっとしておいてほしい。公園だし、人間に害はない。奥ゆかしくも本州から逃げてきたかもしれないヤマトが、個人的には札幌で生き延びてほしいです」と願っている。【谷口拓未】
札幌市中央区の繁華街・ススキノから約3キロ。緑豊かで、市民の憩いの場となっている円山公園を9月上旬の日没後に訪れた。
大木の根元をのぞくと数匹で円形になり、餌に群がっていた。日本固有種「ヤマトゴキブリ」だ。光で照らすと驚いたようにカサカサと木や草の陰に隠れた。
ヤマトゴキブリは体長が2~3センチほどで、森林を主な生息地とする。日没後3~4時間までが活発で、盛期は6~7月。本州の住宅で見られるクロゴキブリよりも小さく、光沢は控えめ。屋内ではないせいか嫌悪感はなかった。
犬の散歩をしていた女性がこちらの様子をうかがっていたので「これゴキブリです」と伝えると「円山にいるなんて」と目を丸くした。生息を知らない近隣住民も珍しくないようだ。冬の最低気温が氷点下10度を下回る札幌で、寒さを苦手とするはずのゴキブリが生息できるのか。いつから、なぜいるのか。専門家を訪ねた。
ゴキブリに詳しい北海道大の水波誠名誉教授(66)=行動神経生物学=と北大電子科学研究所の西野浩史助教(54)=同=は「私たちが円山公園に多くの個体がいることに気がついたのは4~5年前のことでした」と明かしてくれた。
2人によると、文献では15年ほど前に確認されている。一方で、周辺住民から「50年前、子供のころに庭で見た」との情報提供もある。元々北海道に生息していなかったが、過去に行われた円山公園への植樹の際に、北海道外から持ち込まれた樹木に紛れ、すみ着いたとみられるという。
本州ではヤマトを見かける機会が減っている。より体長の大きいゴキブリなどに駆逐されていることが要因の一つのようだ。一方、円山公園の一部では、本州と比べても生息密度が高いという。
円山公園のヤマトの主食は樹液やキノコで、アカシアなど樹液を出す樹木をすみかとし、外敵から身も守っている。他のゴキブリに脅かされることがなく、人が行き交う園内は大型動物が近づきにくいことも、繁殖を後押ししているとみられる。突如として海を渡ったヤマトに、円山公園の捕食者が対応していないという見方もある。
「外敵から身を隠し、食事もある快適な暮らしができる一等地なのでしょう」と水波さん。西野さんは「隔絶された天国のようなところなのかも。住民も気がついていなかったり、見かけても道外よりもおおらかな反応を示す傾向にあったりするので」と語った。厳しい寒さにいかに適応したかは不明だが、冬は木のくぼみなどで動かずに休眠しているという。
気になるのは、住宅に侵入したり繁殖したりするのか、ということだ。道内では以前から、年中空調の利く百貨店や、飲食店ではチャバネゴキブリなどが目撃されている。本州からの荷物に紛れ込むことを完全には防げないためだ。
住宅でも目撃例はある。水波さんは「多くは宅配便などの荷物に紛れて屋内に入り込んだ個体でしょう。今は通販が多いという事情もあります」と解説しつつ、「厳しい寒さもあり、越冬や繁殖は難しいと考えられるので、目撃した個体を退治したり、薬剤を使ったりすれば決着がつくでしょうね」と語る。
ただ、屋外に定着しているのであれば話は別だ。円山公園は市街地に隣接しており、ヤマトの雄は飛ぶこともできる。新たな天国を求めて移動することはないのだろうか。
水波さんは「自力で長く飛ぶことはできないし、移動範囲も狭い。離れた民家にあえて向かうとも思えない。家に入ることはめったにないと思う。私は侵入の報告を聞いたことはない」と語った。ただ、風に乗れば数百メートル先まで移動することはあり得る。その場合は、移動範囲が公園外に及ぶことになる。
屋外で繁殖し、生息しているゴキブリの国内の北限は、今のところ札幌近辺とみられる。ただ、気候変動の影響などを受け、道内のゴキブリ事情がどのように変化していくかは、「見てみないと分からない」と2人は口をそろえる。
最近では異常な暑さに加え、菌類に寄生されて死ぬヤマトが確認されるなど、円山公園での生息状況は注視が必要という。
だからこそ、水波さんは「小さいし、気持ち悪くないので、そっとしておいてほしい。公園だし、人間に害はない。奥ゆかしくも本州から逃げてきたかもしれないヤマトが、個人的には札幌で生き延びてほしいです」と願っている。【谷口拓未】