渋谷区が公開したは、「ON HALLOWEEN NIHGT EVERYONE SHOULD」という文言の次に、「STAY AWAY! FROM SHIBUYA!」という語気の強いメッセージが表示される(渋谷区YouTubeより)
昨年のハロウィンに韓国・ソウルの梨泰院(イテウォン)で、約150人が犠牲となった悲惨な事件が繰り返させることを懸念したのか、渋谷区の長谷部健区長は渋谷でのハロウィンを規制する、という思い切った措置に踏み切った。
2023年10月5日、東京の日本外国特派員協会(FCCJ)で開かれた記者会見で、長谷部区長は今年のハロウィンを渋谷で祝わないよう警告する分ほどの英語の動画を公開した。
渋谷ハロウィンは世界的にもしられており、外国人観光客の日本への入国が解禁されて初めてとなる今年のハロウィンには、危険なほど人が押し寄せることが予想されたため、渋谷区が今年極端な帰省に乗り出すのは当然なことだと言えるが、この動画が実は多くの外国人を憤慨させているのだ。
今回渋谷区が公開した動画には、10月27日から11月1日までの間、午後6時から午前5時までの間、渋谷の公共の場での飲酒を禁止するなどの注意事項の詳細が含まれていた。日本語字幕付きの動画自体は非常に有益な情報を伝えるものだが、動画は日本によくある外国人フレンドリーなはずの標識や情報と同じように致命的な問題があった。「何を伝えたいのかわからない英語」である。
つまり、動画は英語話者の視聴者のことをまったく考慮せずに作られているものだった。
例えば、動画はとても失礼なメッセージで始まるーー「STAY AWAY!FROM SHIBUYA」。「Stay away」というのはお願いや要請というよりは、命令のニュアンスが強い(対して、日本語字幕は「渋谷から離れよう!」というより優しいメッセージになっている)。今回のようなシチュエーションであれば、「Avoid」や「Steer clear」という単語を使ったほうがよかっただろう。
意図自体は間違っていなかったとしても、明らかに日本人以外がどう受け止めるか考慮していないことがわかる。実際、多くの外国人が動画における言葉遣いに驚いていた。
動画はさらにここから酷くなっていく。「自分の行動が他人にどう影響するかは選べない」「被害者になるか加害者になるかは選べない」と英語で人々に警告するのだ。
もし私が、これらのメッセージの元となった日本語(日本語の字幕部分)を読めなかったとしたらーー実際ほとんどの人は読めないだろうーー、私は完全に当惑するだろう。大事な部分が説明されていない字幕の日本語はわかりやすく、不安を煽るような言葉もあまり使われていない。意図の有無にかかわらず、ハロウィンに渋谷に来るような利己的な行為をすることで、誰かがけがをしたり、事故にあったりする可能性があること、また、危険で災難を引き起こす可能性のある、制御不能な群集の一部になってしまう可能性も示唆している。こうした部分は外国人向けの動画ではまったく翻訳されていないし、説明もされていない。この動画の主題がそれほど深刻なものでなかったとしたら、配慮に欠けた英語は笑い話になるだろう。だが、この動画は軽んじられることを意図したものではない。ハロウィンに渋谷に集まることの危険性を外国人に知らせるためのものだった。つまり、命を救うためのものだったのだ。そうした意図があるのであれば、なぜこの動画の英語が日本語字幕と同じように丁寧で、礼儀正しく、わかりやすいものになるよう、あらゆる努力がなされなかったのだろうか。皮肉なのは、こうした外国人に対する無関心さは、日本に住む外国人が1年中364日(ハロウィンの日以外)、笑顔で我慢しなければならないフラストレーションの1つに過ぎず、だからこそ、ハロウィンの日に渋谷の街で仮装してはしゃぐことが、普通以上に魅力的に映ってしまうことだ。10月29日の夜、渋谷には大勢の警察官が出動していた。写真はセンター街の様子(写真:編集部撮影)さらに皮肉なのは、長谷部区長は同氏と区がどれだけ外国人納税者を含む外国人の安全に対して配慮をしているかを示すためにわざわざ会見を開いたのにもかかわらず、その税金で作られた動画がこれだった、ということだ。英語話者に対する配慮の欠如は、日本では特に看板や標識で見られる。店のウィンドウに掲げられた広告や看板のほとんどはブロークンで意味が理解できない英語で書かれている。日本に長く住んでいる英語話者なら誰でも、滑稽なものからとんでもないものまで、さまざまな看板を目にしたことがあるだろう。だが、そのほとんどのものは無害だ。だが、今回の場合は、安全性を確保するためにどうしても伝わらなければいけなかったはずだ。渋谷区がこうした動画を作ること自体は素晴らしいことだと思うが、それが伝わらなかったり、外国人に不快感を与えるだけになってしまうのはとても残念なことだ。「英語が話せない」は言い訳にならない長谷部区長も渋谷区職員も英語を話す人ではない、あるいは、日本は英語を話す国ではない、という弁明は、動画における不完全な英語を正当化するものではない。日本はすでに国際化に向けて大きく前進しており、多くの外国人が住むようにもなっている。そして、そういう国になっている以上、日本語を話さない人々を受け入れるために最善の策をとる必要があるだろう。特に公的に重要なことを伝える場合においては、その内容は最高水準のものであることが望ましい。日本は言うまでもなく、国際社会の一部であり、東京は国際的都市の1つである。その国際社会のリーダーが、外国人の協力を求めていながら、外国人がそのメッセージを理解できるように努力しないと言うことは、対外的にどんな意味を持つと考えるだろうか。今後、渋谷区長、あるいは国が、外国人に向けて英語でメッセージを発信しようとする場合、特に(今回のように)生死を分けるようなメッセージであれば、対象者の感性を持った人の力を借りて、メッセージを作成したり、理解できるかどうかを確認したりすることを強くお勧めする。長谷部さん、必要なら喜んでやりますよ。(バイエ・マクニール : 作家)
もし私が、これらのメッセージの元となった日本語(日本語の字幕部分)を読めなかったとしたらーー実際ほとんどの人は読めないだろうーー、私は完全に当惑するだろう。
字幕の日本語はわかりやすく、不安を煽るような言葉もあまり使われていない。意図の有無にかかわらず、ハロウィンに渋谷に来るような利己的な行為をすることで、誰かがけがをしたり、事故にあったりする可能性があること、また、危険で災難を引き起こす可能性のある、制御不能な群集の一部になってしまう可能性も示唆している。こうした部分は外国人向けの動画ではまったく翻訳されていないし、説明もされていない。
この動画の主題がそれほど深刻なものでなかったとしたら、配慮に欠けた英語は笑い話になるだろう。だが、この動画は軽んじられることを意図したものではない。ハロウィンに渋谷に集まることの危険性を外国人に知らせるためのものだった。つまり、命を救うためのものだったのだ。
そうした意図があるのであれば、なぜこの動画の英語が日本語字幕と同じように丁寧で、礼儀正しく、わかりやすいものになるよう、あらゆる努力がなされなかったのだろうか。
皮肉なのは、こうした外国人に対する無関心さは、日本に住む外国人が1年中364日(ハロウィンの日以外)、笑顔で我慢しなければならないフラストレーションの1つに過ぎず、だからこそ、ハロウィンの日に渋谷の街で仮装してはしゃぐことが、普通以上に魅力的に映ってしまうことだ。
10月29日の夜、渋谷には大勢の警察官が出動していた。写真はセンター街の様子(写真:編集部撮影)
さらに皮肉なのは、長谷部区長は同氏と区がどれだけ外国人納税者を含む外国人の安全に対して配慮をしているかを示すためにわざわざ会見を開いたのにもかかわらず、その税金で作られた動画がこれだった、ということだ。
英語話者に対する配慮の欠如は、日本では特に看板や標識で見られる。店のウィンドウに掲げられた広告や看板のほとんどはブロークンで意味が理解できない英語で書かれている。日本に長く住んでいる英語話者なら誰でも、滑稽なものからとんでもないものまで、さまざまな看板を目にしたことがあるだろう。だが、そのほとんどのものは無害だ。
だが、今回の場合は、安全性を確保するためにどうしても伝わらなければいけなかったはずだ。渋谷区がこうした動画を作ること自体は素晴らしいことだと思うが、それが伝わらなかったり、外国人に不快感を与えるだけになってしまうのはとても残念なことだ。
長谷部区長も渋谷区職員も英語を話す人ではない、あるいは、日本は英語を話す国ではない、という弁明は、動画における不完全な英語を正当化するものではない。日本はすでに国際化に向けて大きく前進しており、多くの外国人が住むようにもなっている。そして、そういう国になっている以上、日本語を話さない人々を受け入れるために最善の策をとる必要があるだろう。
特に公的に重要なことを伝える場合においては、その内容は最高水準のものであることが望ましい。日本は言うまでもなく、国際社会の一部であり、東京は国際的都市の1つである。その国際社会のリーダーが、外国人の協力を求めていながら、外国人がそのメッセージを理解できるように努力しないと言うことは、対外的にどんな意味を持つと考えるだろうか。
今後、渋谷区長、あるいは国が、外国人に向けて英語でメッセージを発信しようとする場合、特に(今回のように)生死を分けるようなメッセージであれば、対象者の感性を持った人の力を借りて、メッセージを作成したり、理解できるかどうかを確認したりすることを強くお勧めする。長谷部さん、必要なら喜んでやりますよ。
(バイエ・マクニール : 作家)