―[ありのままの池袋]―
新宿・渋谷と並ぶ副都心の一つ、「池袋」。近年では再開発も進み、「住みたい街ランキング」の上位に位置するなど大きな変貌を遂げている。しかし一口に池袋について書かれたものは意外と少ないはずだ。この連載では、そんな池袋を多角的な視点から紐解いていきたい。◆筆者の脳にこびりつく両親の言葉
「12時すぎたら銃声が聞こえるから、この街は」
そう、両親から言われたことを覚えている。私が通っていた幼稚園は、池袋北口のロマンス通りを抜けたところにあった。ロマンス通りを含めたこのエリアは、池袋の中でも一大繁華街を形成していて、治安が良い、とはけっして言えない場所だ。
いつも、自転車の後ろに乗りながら、そう言い聞かされていた。その言葉が、私をおどすためのものだったのか、本当にそうだったのか、今となってはわからない。
でも、なぜだかその言葉の記憶は、幼い私と両親が交わせた楽しい会話の一幕として、妙な粘着力で私の脳にこびりついている。話している内容の暗さに反して、なぜだか楽しげな記憶が残っているのだ。
◆池袋の「多様性」は「混沌」だ
私はこれから、池袋について書こうと思う。生まれてから今まで(といっても短い間だけれども)、ほとんどこの近辺で人生を過ごしてきた。そこには楽しい思い出も、怖い思い出も、苦い思い出も、ある。
池袋について書かれたものは、そう多くない。同じ副都心として知られている渋谷や新宿については、文化論のようなものも含めて、さまざまなところで言及されている。どうして池袋はあまり書かれてこなかったのだろうか。
その理由は、池袋の姿があまりにも多面的だからだと思う。街の中に「多様性」がある、といってもよい。多様性というと、最近話題のSDGsやらESGのことやらが思い出されるけれど、池袋の多様性はそうした「みんな違ってみんないい」というような、生ぬるい多様性とはまったく違う、むしろ「混沌」と言った方がよい「多様性」だと私は思う。
◆少し歩くだけで別の街に行った感覚に
北口の繁華街は、歌舞伎町のように居酒屋と風俗店がひしめいているが、その同じ場所には中国語の看板がちらほら見える。池袋北口は、ここ10年と少しで、東京の中でも有数のチャイナタウンが形成されている。
そんな猥雑な区画があるかと思えば、そこからちょっと歩くと、突然、堂々たる東京芸術劇場が現れる。歌舞伎町のすぐ横に銀座や日比谷が現れた感じ。
でも、その裏手にはちゃっかりラブホテルがあったりするし、東京芸術劇場から少し歩けば、立教大学があって、学生街の様相も呈する。さしずめ、高田馬場といったところか。
これは西口・北口エリアの話で、東口に行けば、駅前はビッグカメラやヤマダ電機などの大型家電量販店が軒を並べる電気街の雰囲気になり、そこからさらに歩けば、「animate」の本店があって、その横には2.5次元ミュージカルの劇場があって「腐女子たちの街」という様子になる。今度は、秋葉原である。
◆新宿・渋谷と比べても池袋の特異性は際立つ
またまた歩けば、今度はサンシャインシティが出てきて、そこに続く「サンシャイン通り」にはファミリーやカップルがたくさんだ。
ただ、サンシャインの横の公園にいくと、一転、寂しげな雰囲気になる。そこには「慰霊碑」があって、かつてそこが太平洋戦争の戦争犯罪者たちが収監された巣鴨プリズンの跡地であったことが思い出される。
これは、新宿や渋谷と比較してみるとよくわかる。新宿は、歌舞伎町やゴールデン街を有する繁華街としての東口と、東京都庁に代表されるオフィス街の西口、という性格の異なる街がしっかりと分かれて存在している。とってもシンプルで、語りやすい。
渋谷は、全体として若者の街、というところだろうか。もちろん、道玄坂と宮益坂、桜丘で雰囲気は違うけれども、それでも全体として若者が多く集う街というイメージを持っている。
数十m単位で街の雰囲気が変わる池袋は、やはりどこか混沌としていて、一つの池袋像を持たない。それが、これまでこの街があまり語られてこなかった原因ではないだろうか。
◆「暗い池袋」と同時に存在する「明るい池袋」
2022年、作家の花房観音と中村淳彦が『ルポ池袋 アンダーワールド』(大洋図書)という本を出版した。珍しく、池袋にフォーカスを絞った都市論である。詳しい中身は同書に譲るとして、ここではタイトルにもあるように「アンダーワールド」、つまり一般的な世界とは異なる「地下世界」と関連のある池袋の姿が多く描かれている。
性風俗、犯罪、怪異現象、確かに池袋はこの手の暗いことがらと関係が深い。そしてそれゆえに、池袋全体がどこか危ない街だという印象を持つ人も多くいる。もちろん、こうした池袋の姿も、池袋の一面だろう。そのような暗部の池袋をこの本は克明に描き出すことに成功している。
しかし私はやはり、池袋はそれだけではない、と思うのだ。「暗い池袋」と同時に「明るい池袋」もある。それは、池袋で過ごしてきた私自身の率直な感覚でもある。まさに、私が幼い頃、池袋は拳銃の音が聞こえる街だと、両親と話した記憶が楽しい思い出として残っているように、池袋にはさまざまな側面が存在するのではないか。
そこで、ここからは池袋について、断片的に私が知っていること、見たこと、聞いたこと、を書いていこうと思う。毎回、話題はさまざまな方向に飛んでいくだろう。回ごとにつながりはない。そこで書かれるのは、ただ、現在の、ありのままの池袋の姿である。そんなありのままの池袋の姿をただひたすら書きとめていくことが、ひいては池袋という、混沌とした街の全体を描くことにつながると思うのだ。
「12時すぎたら銃声が聞こえるから、この街は」と話した楽しい思い出に、深く沈んでいこう。
<TEXT/谷頭和希>
―[ありのままの池袋]―