「髪を染めたりパーマをかけたりしてはいけない」「ツーブロックは禁止」「下着の色は白でなければいけない」「登下校時、ゲームセンターや喫茶店は立入禁止」
近年、こうした“ブラック校則”が注目されている。「部活動で水を飲んではいけない」など、いかにも昭和の香りがするものも存在するようだが、こうした校則は現在の人権感覚からすると理不尽なものが多く、非難の対象になり始めた。どうして、このような校則が存在するのだろうか。
【写真を見る】ツーブロックはOK? ブラック校則に対する東京都教育委員会の取り組み 結論から言えば、「昔は必要だったから」なのである。制定された当時は保護者や学校関係者、地域住民などから歓迎されていたルールを、日本国憲法のように何十年も一字一句たりとも変えていないせいで、現代の感覚に合わなくなっている。ただそれだけなのだ。なぜブラック校則はあるのか(写真はイメージです)昔の学校は荒れまくっていた そもそも、校則は何のために必要なのだろうか。学校という集団生活において、学校側が生徒を合理的かつ都合よく動かすため欠かせないからである。そして、ブラック校則が制定された理由を探るうえで知らねばならないのは、現代とは違う、昭和の時代背景だ。筆者の知り合いで、今年で85歳になる元教員はこう話す。「80~90年代の校内暴力全盛期には、厳しい校則が必要だったと思いますよ。だって今では想像ができないくらい、学校が荒れに荒れていたんですから(笑)。たぶん、ブラック校則の記事を書いているライターなんて、真面目な生徒しかいない偏差値の高い学校にしか通ってないじゃないの。だから、ブラック校則が必要だった理由がそもそもわからないんだと思うよ(笑)」『戦前の少年犯罪』を執筆した管賀江留郎は、戦前に修身という科目が必要だったことについて、あの時代は必要だったからだ、と説いている。天皇制の維持のために必要、という意味ではない。戦前は、現代では考えられないような凄惨な少年犯罪が頻発し、親殺しも絶えず、兄弟で殺し合う例もあった。したがって、家族の大切さを説く修身は重要な科目であったというのである。 ブラック校則もそういった一面もあったのだろう。そして、校則が不要ではないかと思われるのは、それだけ学校が平和になったからである。今の学校ではネットいじめなどは存在するかもしれないが、校内暴力の件数などは劇的に減っているし、生徒がバットでガラスを割って暴れただけでニュースになる時代だ。もはや校則は、昭和という時代がいかにヤバかったのかを物語る文化財であり、古文書のような存在であるといえよう。校則は生徒を守るために作られた 校則は管理型社会の象徴として批判の対象になっている。確かに、茶色い地毛を黒く染めろなどというのは明らかに人権侵害だし、やりすぎだろう。しかし、髪型や髪の色まで細かい規定があるのは、むしろ生徒を犯罪から守るための一種の親心だったのではないか、と筆者は考える。 元暴走族の構成員を取材したときに聞いた話だが、90年代のある関東地方の町では、早朝の駅に地域を仕切る不良の手下が立っていて、登校する生徒を一人一人監視していた。そして、髪を茶髪にして“調子に乗っている”生徒がいようものなら、坊主にするように脅していたという。先の教員はこう話す。「下着はどうだかわからないけれど、昔はちょっと派手な服装をしているだけで目をつける不良が、そこらじゅうにいたんだから。だから、生徒にとっても坊主頭のようにとことん無難な見た目の方が、都合がよかったんだと思うよ」 昔の不良は、鞄の厚さとか、歩き方がガニ股だとか、1年生のくせに長髪だとか、今からすれば実にしょうもないことで難癖をつけ、喧嘩をしていた。確かに、当たり障りない髪型にしておいた方が喧嘩に巻き込まれるリスクも減るだろう、それが生徒個人のためなのだ、と大人が考えるのも自然な流れかもしれない。ゲーセンやコンビニが不良のたまり場だった「学校帰りにゲーセンに立ち寄ってはいけない」という校則も、子どもを守るためのものだろう。今やゲーセンはデートスポットであり、家族連れの休日のお出かけスポットになるほど健全化しているが、かつては不良のたまり場と言われたほど治安が悪かった。 筆者の友人は、中学生の頃、地域の伝統行事のようなお祭りにすら参加してはいけないと言われたという。それは、お祭りが不良のたまり場と化していたためであった(今もそうなっているお祭りはあるが)。神社で堂々といちゃついているカップルもいたし、コンビニの前で堂々とシンナーを吸うヤバい奴までいて、警官がやってきていたと話していた。 筆者が子ども時代を過ごした秋田県の田舎でも、駄菓子屋に行った小学生が高校生からカツアゲされている例があったし、中学時代には近所の河川敷で“決闘”が行われた例もあった。お祭りの時もスーパーの裏側が不良のたまり場になっていて、白昼堂々、行為に及んでいるカップルを見たこともある。近づくなと言われるのは当然だろう。 筆者は、当時保護者や教師から問題視されたお祭りの運営にボランティアで関わっているが、そんな不良はまったく見かけない。問題行動を起こす青少年など、ゼロである。タバコをふかすような10代など、どこにもいない。今や人口減少が進みすぎて子どもの姿が少なくなってしまい、過疎化、高齢化、少子化という別の社会問題が発生している。 また、保護者や地域住民も、学校に無理な要求をしてくる。本来なら家庭で指導すべきことまで学校に押し付ける。これが、教員の職場環境がブラック化している最大の原因である。ブラック校則は、そういった保護者や地域住民のクレーム対策のために制定された一面もあるのではないだろうか。今だったらX(旧Twitter)に載せれば炎上するようなことを子どもたちは平気で行っていたし、とにかくマナーが悪かった時代があったのである。一度決まったものを変えられない日本 そういった時代遅れの校則を一切変えようとしないのも、いかにも日本らしい。日本という国は、一度決まったものを変えるのには莫大な手間と労力がかかる国なのである。 戦前の愚かな戦争も、日本はミッドウェー海戦で主力空母が4隻失われ、サイパン島を落とされた時点で詰んでいるのに、最後まで損切りができなかった結果、東京大空襲や原爆投下の悲劇を招いた。今年まで3年半も続いたコロナ感染対策も、世界中の国が次々と取りやめる中で、日本は撤廃まで時間を要してしまった。 日本には、何か起こった時に責任をとりたくないという風潮がある。校則は法律や条例でもないのだから、特に私立などは理事長や校長が決めれば変わるのに、それができない。公立校は教育委員会などで何回にもわたる審議が必要だったりするため、なおさら変えることができない。「髪型を自由化したら学生がリーゼントにするのではないか」「制服を撤廃したらコスプレをして学校に来るのではないか」など、どう考えても起こりようがないリスクまで心配してしまうのが、教育関係者である。そんな心配をする人なんているのかと突っ込まれそうだが、実際にいるからタチが悪いのだ。リスクに怯えて決断できない大人の存在が、ブラック校則を令和の時代まで維持させている根源である。令和の子どもは理想の生徒像か では、当の生徒たちはブラック校則をどう思っているのだろう。識者の間ではネットでブラック校則を問題視する声が上がっているのに、生徒が授業をボイコットしたり、学生運動を起こす気配はまったくない。一昔前なら、学校の制服を撤廃して自由化しようなどという運動もあったが、今ではさっぱり聞かなくなった。意識高い系の学生からあれだけ嫌われた制服は、敢えて制服を着ておでかけする“制服ディズニー”のように青春の象徴として親しまれるようになっている。 結局、生徒側も今の校則に、特段の不自由を感じていないのだ。そして、生徒は教員の言うことを聞く、いい子になったのである。3年間に及んだコロナ騒動を思い出して欲しい。不良ですら社会のルールに従順だったし、若年層はコロナに感染しても重症化しにくいと言われていたにもかかわらず、高齢者に感染させないためにせっせとワクチンを何発も打ち続け(そうした対策に効果があったのかは不明)、高熱などの副作用で寝込みながらも、周りに迷惑をかけないようにと子どもたちは規律正しく行動したではないか。 規律正しく、美しい。子どもが大人や高齢者に歯向かわず、言うことをよく聞く。高齢者をコロナから守るためには、自分たちの貴重なアオハルの行事がなくなっても我慢する。こうした令和の学生こそが、戦後の日本の教育者や大人が夢見た理想の生徒像だと筆者は考える。こうした社会に反逆せず、大人の命令に忠実に従う現代の子どもたちが、大人になった時に創り出す社会はどのようなものになるのだろうか。それは誰にもわからないのである。デイリー新潮編集部
結論から言えば、「昔は必要だったから」なのである。制定された当時は保護者や学校関係者、地域住民などから歓迎されていたルールを、日本国憲法のように何十年も一字一句たりとも変えていないせいで、現代の感覚に合わなくなっている。ただそれだけなのだ。
そもそも、校則は何のために必要なのだろうか。学校という集団生活において、学校側が生徒を合理的かつ都合よく動かすため欠かせないからである。そして、ブラック校則が制定された理由を探るうえで知らねばならないのは、現代とは違う、昭和の時代背景だ。筆者の知り合いで、今年で85歳になる元教員はこう話す。
「80~90年代の校内暴力全盛期には、厳しい校則が必要だったと思いますよ。だって今では想像ができないくらい、学校が荒れに荒れていたんですから(笑)。たぶん、ブラック校則の記事を書いているライターなんて、真面目な生徒しかいない偏差値の高い学校にしか通ってないじゃないの。だから、ブラック校則が必要だった理由がそもそもわからないんだと思うよ(笑)」
『戦前の少年犯罪』を執筆した管賀江留郎は、戦前に修身という科目が必要だったことについて、あの時代は必要だったからだ、と説いている。天皇制の維持のために必要、という意味ではない。戦前は、現代では考えられないような凄惨な少年犯罪が頻発し、親殺しも絶えず、兄弟で殺し合う例もあった。したがって、家族の大切さを説く修身は重要な科目であったというのである。
ブラック校則もそういった一面もあったのだろう。そして、校則が不要ではないかと思われるのは、それだけ学校が平和になったからである。今の学校ではネットいじめなどは存在するかもしれないが、校内暴力の件数などは劇的に減っているし、生徒がバットでガラスを割って暴れただけでニュースになる時代だ。もはや校則は、昭和という時代がいかにヤバかったのかを物語る文化財であり、古文書のような存在であるといえよう。
校則は管理型社会の象徴として批判の対象になっている。確かに、茶色い地毛を黒く染めろなどというのは明らかに人権侵害だし、やりすぎだろう。しかし、髪型や髪の色まで細かい規定があるのは、むしろ生徒を犯罪から守るための一種の親心だったのではないか、と筆者は考える。
元暴走族の構成員を取材したときに聞いた話だが、90年代のある関東地方の町では、早朝の駅に地域を仕切る不良の手下が立っていて、登校する生徒を一人一人監視していた。そして、髪を茶髪にして“調子に乗っている”生徒がいようものなら、坊主にするように脅していたという。先の教員はこう話す。
「下着はどうだかわからないけれど、昔はちょっと派手な服装をしているだけで目をつける不良が、そこらじゅうにいたんだから。だから、生徒にとっても坊主頭のようにとことん無難な見た目の方が、都合がよかったんだと思うよ」
昔の不良は、鞄の厚さとか、歩き方がガニ股だとか、1年生のくせに長髪だとか、今からすれば実にしょうもないことで難癖をつけ、喧嘩をしていた。確かに、当たり障りない髪型にしておいた方が喧嘩に巻き込まれるリスクも減るだろう、それが生徒個人のためなのだ、と大人が考えるのも自然な流れかもしれない。
「学校帰りにゲーセンに立ち寄ってはいけない」という校則も、子どもを守るためのものだろう。今やゲーセンはデートスポットであり、家族連れの休日のお出かけスポットになるほど健全化しているが、かつては不良のたまり場と言われたほど治安が悪かった。
筆者の友人は、中学生の頃、地域の伝統行事のようなお祭りにすら参加してはいけないと言われたという。それは、お祭りが不良のたまり場と化していたためであった(今もそうなっているお祭りはあるが)。神社で堂々といちゃついているカップルもいたし、コンビニの前で堂々とシンナーを吸うヤバい奴までいて、警官がやってきていたと話していた。
筆者が子ども時代を過ごした秋田県の田舎でも、駄菓子屋に行った小学生が高校生からカツアゲされている例があったし、中学時代には近所の河川敷で“決闘”が行われた例もあった。お祭りの時もスーパーの裏側が不良のたまり場になっていて、白昼堂々、行為に及んでいるカップルを見たこともある。近づくなと言われるのは当然だろう。
筆者は、当時保護者や教師から問題視されたお祭りの運営にボランティアで関わっているが、そんな不良はまったく見かけない。問題行動を起こす青少年など、ゼロである。タバコをふかすような10代など、どこにもいない。今や人口減少が進みすぎて子どもの姿が少なくなってしまい、過疎化、高齢化、少子化という別の社会問題が発生している。
また、保護者や地域住民も、学校に無理な要求をしてくる。本来なら家庭で指導すべきことまで学校に押し付ける。これが、教員の職場環境がブラック化している最大の原因である。ブラック校則は、そういった保護者や地域住民のクレーム対策のために制定された一面もあるのではないだろうか。今だったらX(旧Twitter)に載せれば炎上するようなことを子どもたちは平気で行っていたし、とにかくマナーが悪かった時代があったのである。
そういった時代遅れの校則を一切変えようとしないのも、いかにも日本らしい。日本という国は、一度決まったものを変えるのには莫大な手間と労力がかかる国なのである。
戦前の愚かな戦争も、日本はミッドウェー海戦で主力空母が4隻失われ、サイパン島を落とされた時点で詰んでいるのに、最後まで損切りができなかった結果、東京大空襲や原爆投下の悲劇を招いた。今年まで3年半も続いたコロナ感染対策も、世界中の国が次々と取りやめる中で、日本は撤廃まで時間を要してしまった。
日本には、何か起こった時に責任をとりたくないという風潮がある。校則は法律や条例でもないのだから、特に私立などは理事長や校長が決めれば変わるのに、それができない。公立校は教育委員会などで何回にもわたる審議が必要だったりするため、なおさら変えることができない。
「髪型を自由化したら学生がリーゼントにするのではないか」「制服を撤廃したらコスプレをして学校に来るのではないか」など、どう考えても起こりようがないリスクまで心配してしまうのが、教育関係者である。そんな心配をする人なんているのかと突っ込まれそうだが、実際にいるからタチが悪いのだ。リスクに怯えて決断できない大人の存在が、ブラック校則を令和の時代まで維持させている根源である。
では、当の生徒たちはブラック校則をどう思っているのだろう。識者の間ではネットでブラック校則を問題視する声が上がっているのに、生徒が授業をボイコットしたり、学生運動を起こす気配はまったくない。一昔前なら、学校の制服を撤廃して自由化しようなどという運動もあったが、今ではさっぱり聞かなくなった。意識高い系の学生からあれだけ嫌われた制服は、敢えて制服を着ておでかけする“制服ディズニー”のように青春の象徴として親しまれるようになっている。
結局、生徒側も今の校則に、特段の不自由を感じていないのだ。そして、生徒は教員の言うことを聞く、いい子になったのである。3年間に及んだコロナ騒動を思い出して欲しい。不良ですら社会のルールに従順だったし、若年層はコロナに感染しても重症化しにくいと言われていたにもかかわらず、高齢者に感染させないためにせっせとワクチンを何発も打ち続け(そうした対策に効果があったのかは不明)、高熱などの副作用で寝込みながらも、周りに迷惑をかけないようにと子どもたちは規律正しく行動したではないか。
規律正しく、美しい。子どもが大人や高齢者に歯向かわず、言うことをよく聞く。高齢者をコロナから守るためには、自分たちの貴重なアオハルの行事がなくなっても我慢する。こうした令和の学生こそが、戦後の日本の教育者や大人が夢見た理想の生徒像だと筆者は考える。こうした社会に反逆せず、大人の命令に忠実に従う現代の子どもたちが、大人になった時に創り出す社会はどのようなものになるのだろうか。それは誰にもわからないのである。
デイリー新潮編集部