〈3位は楽天、2位はソニー、では1位は…? 東大生が就職先に選んだ意外な企業とは〈官僚志望者は激減〉〉から続く
大学生の「休学」というと、一般的にはネガティブなイメージで受け止められることが多い。しかし、受験エリートが集まる東京大学において、ここ10年あまりで休学を選択する生徒は約2倍に増えているのだという。いったい、その背景にはどんな事情が隠されているのだろうか。
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ここでは、教育・大学問題を長年取材し続けてきた中村正史氏の著書『東大生のジレンマ エリートと最高学府の変容』(光文社新書)の一部を抜粋。実際に休学を選択した学生の言葉とともに、休学生が増えている理由に迫っていく。(全2回の2回目/前編を読む)
東京大学・赤門 AFLO
◆◆◆
学生団体や会社を立ち上げた東大生に会っていると、複数の学生から興味深いことを聞いた。
「最近は休学して自分のやりたいことをする人が増えているんですよ」
受験エリートである東大生と休学のイメージとは、すぐには結びつかない。本当だろうか。
気になって、公表されている教育情報からその端緒がつかめないかと思い、東大のホームページを調べてみた。すると「学生数の詳細について」のなかに、在籍者数に続いて、内数として外国人学生数と休学者数が、学部や大学院研究科ごとに載っていた。データは2009年まで遡って掲載されている。
2022年までの休学者の数字を学部ごとに抜き出し、見ているうちに驚いた。学部生の休学者は年を追って増え、2022年の休学者(5月1日現在)は387人。2009年の209人に比べて、85%も増えていた。休学者は2016年に300人を超え、2019年には375人になった。新型コロナウイルスの感染が拡大した2020年以降は、行動が制限されたことで減っているのではないかと思ったが、それまでと同程度の増加傾向が続いていた(表5参照)。
学部別に見ると、文学部や工学部、1~2年次の教養学部前期課程の休学者が多い。一方で、大学院生は2009年以降でほとんど変化がない。大学院に進学すると、将来の方向性がはっきりするからではないか、学部生に何らかの変化が起きているのは間違いなさそうだ、と思った。 後でわかることだが、東大の休学者がこの10年余りで2倍近くに急増していることは、東大の教職員や学生たちもほとんど知らないことだった。広報課に取材を申し込んでみたものの データを書き写した後、2008年以前のデータはないか、休学者が増えた理由をどうとらえているのか、広報課に取材を申し込んだ。だが、返事は期待外れだった。「2008年以前の休学者数は保存年限(10年)を過ぎているため、対外的に提示できる正確なデータはない」、休学者が増えている理由についても「大学としてその点を分析してはおらず、申し上げられる見解がない」ということだった。要は、休学者が急増していることやその背景について、把握、分析していないのだ。学生の動向やメディアへの発信に鋭敏な私立大学なら、気の利いたコメントを出すだろうに、と思った。 一般的に、大学生の休学はネガティブにとらえられることが多い。病気やメンタル面の不調、経済的な事情などによるケースが多く、退学につながりかねないからだろう。確かに、東大でもこうした理由による休学もあるだろうが、これだけの増加傾向の背景には、何か他の要因があるに違いない。 かつての東大には、優秀な学生ほど早く結果を出して卒業する風潮があった。在学中に司法試験に受かったり、法学部を卒業してすぐに助手になったり、あるいは3年生で外交官試験に合格し、中退して外務省に入るケースもあった。 卒業を延ばす休学者の急増は、「早く結果を出す」という、これまでの風潮とは逆行する動きである。こうなると、実際に休学した学生に聞いてみるほかない。1年休学して漁村へ、「人間が変わった」と言われる体験味わう/岩永淳志さんの場合「僕は、都会の生活しか知りませんでした」 取材で知り合った学内情報集約サイト「UT-BASE」の代表者に、休学者の知り合いがいないか尋ねてみた。すると紹介してくれたのが、大学院農学生命科学研究科修士課程1年の岩永淳志さん(23)だった(学年、年齢は2022年の取材時。以下同)。会ったのは、本郷キャンパスのラウンジ。岩永さんはリュックを背負い、スーツケースを引いて、待ち合わせ場所に現れた。聞くと、活動している和歌山県美浜町から帰ってきたところだと言う。 岩永さんは、日比谷高校から文科二類に入学。経済学部3年だった2019年8月から1年2か月休学し、和歌山県の漁村にあるゲストハウスに住み込みで仕事を手伝いながら、地元NPOの町おこし活動に携わった。「僕は大阪府で生まれ、幼稚園のときに東京に来たので、都会の生活しか知りませんでした。田舎の生活がいかに大変で、いかに楽しいか。その実感を得たいと思っていました」 1年時の文化人類学の授業で中国・南京市にフィールドワークに行ったことが、自分を見つめ直す大きなきっかけになった。南京大学の学生と一緒に市内のスラムを歩き、興味を持った人に頼み込んで生活を共にするという内容だった。岩永さんは小さな商店街で麺をつくっている男性の家で2日間過ごした。「ぼろぼろの家で衛生状態は悪く、最初はかわいそうな家族だと思いました。でも、食事はおいしく、困ったときには近所の人と助け合う。自分の東京での暮らしより、毎日が充実している様子でした。自分が豊かな生活に慣れきっていて、上から目線の偏った見方をしていたことを痛感し、価値観が変わりました。そこに住んでいる人にしか見えないことがあり、そこで暮らしてみて物事を見ることがいかに大事かを知りました」 2年時には、東大の様々な国際プログラムを活用して、タイやインドネシアに1週間~1か月間、短期留学した。現地の学生に日本の豊かな自然や、都市と地方の格差などについて話そうとしてもうまくいかず、自分が日本のことをいかに知らないか痛感した。生きる技術を学ぶ 休学して向かった先は、和歌山県西部にある美浜町三尾(みお)地区。選んだのには2つの理由がある。一つは、高校卒業時に図書室の司書から「読んでみなさい」と『カナダ移民排斥史』(新保満著、未来社)を贈られたこと。美浜町の西端にある三尾地区は、明治時代に多くの住民がカナダに出稼ぎ移民した地域で、同書は三尾地区出身者の一生を描いた本だった。もう一つは、岩永さんが好きなアニメ『AIR』の舞台が三尾地区だったこと。2年の夏に「聖地巡礼」の旅として同地を訪ね、贈られた本とも結びついたことに縁を感じた。 三尾地区で生活した1年余りは、ゲストハウスの部屋の清掃や寝具の洗濯などをする代わりに宿泊料を免除してもらった。そのうえで、町おこしを進める地元NPOの活動に参加してアルバイト料をもらって生活費に充てた。三尾地区の歴史を伝える博物館「カナダミュージアム」の資料整理をしたり、地域の人々に聞き取り調査をしたりもした。空き時間には、なるべく地元の住民に話しかけ、輪に入っていくようにした。「三尾地区の住民は500人弱ですが、半分くらいの人とは話しました。お年寄りが多く、『自分の孫みたいだよ』と言ってかわいがってもらいました。田舎での生活は楽しく、都会で見ていたものがいかに狭かったのか実感しました。僕は必死に勉強して東大に入りましたが、最初はゲストハウスの皿洗いもうまくできませんでした。地元の人は梅酒を漬けたり、家の修繕をしたりと、いろんなことができます。勉強ができる自負はありましたが、生きるうえで必要なことがたくさんあり、それを全然できないことを知りました。そして生きていくための基本的なことを、地域のおじいちゃん、おばあちゃんが教えてくれました。地域の人と一緒に生活した1年間が、僕の人生をガラリと変えました」田舎で見つけた「グローバルリーダー」像 東大に入ったときは官僚になりたかったという。あるいは外資系の企業で働くことも考えていた。高校では「グローバルリーダーになれ」と言われてきた。しかし、三尾地区での体験を経て、考え方が変わった。「外資系や名だたる大企業に入ってエリートコースを歩むのが“グローバルリーダー”と思われていますが、喫緊の社会課題である限界集落といかに向き合うのかという問題は、全世界に共通する大きなテーマです。東大生の多くが考えがちな限られた将来像を目指さなくても生きていけるという確信を、田舎暮らしを通じて持てました」 2020年10月に復学すると、産直通販アプリ「ポケットマルシェ」を運営する高橋博之(たかはしひろゆき)代表と知り合い、全国の学生を農村や漁村に派遣する「青空留学」の企画、運営に関わった。 官僚への未練はあったが、自分がやりたいことは三尾地区にあり、三尾で新しいことにチャレンジしようと決意した。経済学部から大学院農学生命科学研究科に進学し、三尾の農村の歴史を研究した。安定と挑戦のはざまで 休学が終わってからも3か月に一度は三尾に通った。話を聞いたときは、約40日後にカナダミュージアムで始まる企画展「日系移民の歴史展」の準備で忙しそうだった。 これから先のことをどう考えているのだろうか。「いずれ三尾に移住したいと思います。古民家を活用して町づくりに取り組んだり、たくさんある空き家をリノベーションして店や宿にしたりしたいです。博士課程に在籍しながらになるのか、まだわかりませんが、自分が大切と思うことをするのが大事だと考えています」 岩永さんの周りには、休学経験のある東大生が十数人はいる。スタートアップでインターンしたり、地域おこし協力隊で1年半活動したり、1年かけて国内の農村を回ったり、と様々だ。休学する東大生がこの10年余りでほぼ倍増しているというデータを教えると、「へえー、そうなんですか」と言った後、こう語った。「多くの東大生の頭のなかには、従来通りのエリートコースに乗りたい気持ちと、みんなと一緒ではいけない、周りとは違う何かをしようと焦る気持ちがあって、後者が休学するモチベーションになります。僕も美浜町に行ったときは、和歌山県内でたった一人の現役東大生だろうと気負っていました。けれど3年間通い続けると、滞在時に知り合った高齢者が3か月後に再訪したときには亡くなっていた、ということもあります。そうした経験を重ねて、自分も周りからの評価ではなく、自分が大切だと思ったことを一番にして生きようと思うようになりました。周りからも『人間が変わった。丸くなった』と言われます」短期間の腰掛けではなく「本気」「エリートコースに乗りたい気持ち」と「周りとは違う何かをしようと焦る気持ち」との葛藤。これは、休学を選択していない東大生でも、心のどこかに潜んでいる感情かもしれない。しかし驚くのは、岩永さんが「三尾地区に移住したい」と思っていたことだ。短期間の腰掛けではなく、本気なのである。 取材から半年経った2023年初めに近況を聞いてみると、「本気度」はさらに増していた。三尾地区には通い続けていて、最近は1か月に1週間は三尾にいると言う。「現地で古民家を購入し、住民票も移して本格的に移住することにしました。就職はせず、自分の行けるところまで自分で切り開いてみます」と今の心境を明かす。 休学期間の経験が「自分を変えた」と言う岩永さん。これからどういう人生を歩むにしても、貴重な経験を血肉にして、どこでもたくましくやっていけるだろうと思った。「今までとは違い、自分の意志で動いてみたかった」(中村 正史/Webオリジナル(外部転載))
学部別に見ると、文学部や工学部、1~2年次の教養学部前期課程の休学者が多い。一方で、大学院生は2009年以降でほとんど変化がない。大学院に進学すると、将来の方向性がはっきりするからではないか、学部生に何らかの変化が起きているのは間違いなさそうだ、と思った。
後でわかることだが、東大の休学者がこの10年余りで2倍近くに急増していることは、東大の教職員や学生たちもほとんど知らないことだった。
データを書き写した後、2008年以前のデータはないか、休学者が増えた理由をどうとらえているのか、広報課に取材を申し込んだ。だが、返事は期待外れだった。「2008年以前の休学者数は保存年限(10年)を過ぎているため、対外的に提示できる正確なデータはない」、休学者が増えている理由についても「大学としてその点を分析してはおらず、申し上げられる見解がない」ということだった。要は、休学者が急増していることやその背景について、把握、分析していないのだ。学生の動向やメディアへの発信に鋭敏な私立大学なら、気の利いたコメントを出すだろうに、と思った。
一般的に、大学生の休学はネガティブにとらえられることが多い。病気やメンタル面の不調、経済的な事情などによるケースが多く、退学につながりかねないからだろう。確かに、東大でもこうした理由による休学もあるだろうが、これだけの増加傾向の背景には、何か他の要因があるに違いない。
かつての東大には、優秀な学生ほど早く結果を出して卒業する風潮があった。在学中に司法試験に受かったり、法学部を卒業してすぐに助手になったり、あるいは3年生で外交官試験に合格し、中退して外務省に入るケースもあった。
卒業を延ばす休学者の急増は、「早く結果を出す」という、これまでの風潮とは逆行する動きである。こうなると、実際に休学した学生に聞いてみるほかない。
「僕は、都会の生活しか知りませんでした」
取材で知り合った学内情報集約サイト「UT-BASE」の代表者に、休学者の知り合いがいないか尋ねてみた。すると紹介してくれたのが、大学院農学生命科学研究科修士課程1年の岩永淳志さん(23)だった(学年、年齢は2022年の取材時。以下同)。会ったのは、本郷キャンパスのラウンジ。岩永さんはリュックを背負い、スーツケースを引いて、待ち合わせ場所に現れた。聞くと、活動している和歌山県美浜町から帰ってきたところだと言う。
岩永さんは、日比谷高校から文科二類に入学。経済学部3年だった2019年8月から1年2か月休学し、和歌山県の漁村にあるゲストハウスに住み込みで仕事を手伝いながら、地元NPOの町おこし活動に携わった。
「僕は大阪府で生まれ、幼稚園のときに東京に来たので、都会の生活しか知りませんでした。田舎の生活がいかに大変で、いかに楽しいか。その実感を得たいと思っていました」
1年時の文化人類学の授業で中国・南京市にフィールドワークに行ったことが、自分を見つめ直す大きなきっかけになった。南京大学の学生と一緒に市内のスラムを歩き、興味を持った人に頼み込んで生活を共にするという内容だった。岩永さんは小さな商店街で麺をつくっている男性の家で2日間過ごした。「ぼろぼろの家で衛生状態は悪く、最初はかわいそうな家族だと思いました。でも、食事はおいしく、困ったときには近所の人と助け合う。自分の東京での暮らしより、毎日が充実している様子でした。自分が豊かな生活に慣れきっていて、上から目線の偏った見方をしていたことを痛感し、価値観が変わりました。そこに住んでいる人にしか見えないことがあり、そこで暮らしてみて物事を見ることがいかに大事かを知りました」 2年時には、東大の様々な国際プログラムを活用して、タイやインドネシアに1週間~1か月間、短期留学した。現地の学生に日本の豊かな自然や、都市と地方の格差などについて話そうとしてもうまくいかず、自分が日本のことをいかに知らないか痛感した。生きる技術を学ぶ 休学して向かった先は、和歌山県西部にある美浜町三尾(みお)地区。選んだのには2つの理由がある。一つは、高校卒業時に図書室の司書から「読んでみなさい」と『カナダ移民排斥史』(新保満著、未来社)を贈られたこと。美浜町の西端にある三尾地区は、明治時代に多くの住民がカナダに出稼ぎ移民した地域で、同書は三尾地区出身者の一生を描いた本だった。もう一つは、岩永さんが好きなアニメ『AIR』の舞台が三尾地区だったこと。2年の夏に「聖地巡礼」の旅として同地を訪ね、贈られた本とも結びついたことに縁を感じた。 三尾地区で生活した1年余りは、ゲストハウスの部屋の清掃や寝具の洗濯などをする代わりに宿泊料を免除してもらった。そのうえで、町おこしを進める地元NPOの活動に参加してアルバイト料をもらって生活費に充てた。三尾地区の歴史を伝える博物館「カナダミュージアム」の資料整理をしたり、地域の人々に聞き取り調査をしたりもした。空き時間には、なるべく地元の住民に話しかけ、輪に入っていくようにした。「三尾地区の住民は500人弱ですが、半分くらいの人とは話しました。お年寄りが多く、『自分の孫みたいだよ』と言ってかわいがってもらいました。田舎での生活は楽しく、都会で見ていたものがいかに狭かったのか実感しました。僕は必死に勉強して東大に入りましたが、最初はゲストハウスの皿洗いもうまくできませんでした。地元の人は梅酒を漬けたり、家の修繕をしたりと、いろんなことができます。勉強ができる自負はありましたが、生きるうえで必要なことがたくさんあり、それを全然できないことを知りました。そして生きていくための基本的なことを、地域のおじいちゃん、おばあちゃんが教えてくれました。地域の人と一緒に生活した1年間が、僕の人生をガラリと変えました」田舎で見つけた「グローバルリーダー」像 東大に入ったときは官僚になりたかったという。あるいは外資系の企業で働くことも考えていた。高校では「グローバルリーダーになれ」と言われてきた。しかし、三尾地区での体験を経て、考え方が変わった。「外資系や名だたる大企業に入ってエリートコースを歩むのが“グローバルリーダー”と思われていますが、喫緊の社会課題である限界集落といかに向き合うのかという問題は、全世界に共通する大きなテーマです。東大生の多くが考えがちな限られた将来像を目指さなくても生きていけるという確信を、田舎暮らしを通じて持てました」 2020年10月に復学すると、産直通販アプリ「ポケットマルシェ」を運営する高橋博之(たかはしひろゆき)代表と知り合い、全国の学生を農村や漁村に派遣する「青空留学」の企画、運営に関わった。 官僚への未練はあったが、自分がやりたいことは三尾地区にあり、三尾で新しいことにチャレンジしようと決意した。経済学部から大学院農学生命科学研究科に進学し、三尾の農村の歴史を研究した。安定と挑戦のはざまで 休学が終わってからも3か月に一度は三尾に通った。話を聞いたときは、約40日後にカナダミュージアムで始まる企画展「日系移民の歴史展」の準備で忙しそうだった。 これから先のことをどう考えているのだろうか。「いずれ三尾に移住したいと思います。古民家を活用して町づくりに取り組んだり、たくさんある空き家をリノベーションして店や宿にしたりしたいです。博士課程に在籍しながらになるのか、まだわかりませんが、自分が大切と思うことをするのが大事だと考えています」 岩永さんの周りには、休学経験のある東大生が十数人はいる。スタートアップでインターンしたり、地域おこし協力隊で1年半活動したり、1年かけて国内の農村を回ったり、と様々だ。休学する東大生がこの10年余りでほぼ倍増しているというデータを教えると、「へえー、そうなんですか」と言った後、こう語った。「多くの東大生の頭のなかには、従来通りのエリートコースに乗りたい気持ちと、みんなと一緒ではいけない、周りとは違う何かをしようと焦る気持ちがあって、後者が休学するモチベーションになります。僕も美浜町に行ったときは、和歌山県内でたった一人の現役東大生だろうと気負っていました。けれど3年間通い続けると、滞在時に知り合った高齢者が3か月後に再訪したときには亡くなっていた、ということもあります。そうした経験を重ねて、自分も周りからの評価ではなく、自分が大切だと思ったことを一番にして生きようと思うようになりました。周りからも『人間が変わった。丸くなった』と言われます」短期間の腰掛けではなく「本気」「エリートコースに乗りたい気持ち」と「周りとは違う何かをしようと焦る気持ち」との葛藤。これは、休学を選択していない東大生でも、心のどこかに潜んでいる感情かもしれない。しかし驚くのは、岩永さんが「三尾地区に移住したい」と思っていたことだ。短期間の腰掛けではなく、本気なのである。 取材から半年経った2023年初めに近況を聞いてみると、「本気度」はさらに増していた。三尾地区には通い続けていて、最近は1か月に1週間は三尾にいると言う。「現地で古民家を購入し、住民票も移して本格的に移住することにしました。就職はせず、自分の行けるところまで自分で切り開いてみます」と今の心境を明かす。 休学期間の経験が「自分を変えた」と言う岩永さん。これからどういう人生を歩むにしても、貴重な経験を血肉にして、どこでもたくましくやっていけるだろうと思った。「今までとは違い、自分の意志で動いてみたかった」(中村 正史/Webオリジナル(外部転載))
1年時の文化人類学の授業で中国・南京市にフィールドワークに行ったことが、自分を見つめ直す大きなきっかけになった。南京大学の学生と一緒に市内のスラムを歩き、興味を持った人に頼み込んで生活を共にするという内容だった。岩永さんは小さな商店街で麺をつくっている男性の家で2日間過ごした。
「ぼろぼろの家で衛生状態は悪く、最初はかわいそうな家族だと思いました。でも、食事はおいしく、困ったときには近所の人と助け合う。自分の東京での暮らしより、毎日が充実している様子でした。自分が豊かな生活に慣れきっていて、上から目線の偏った見方をしていたことを痛感し、価値観が変わりました。そこに住んでいる人にしか見えないことがあり、そこで暮らしてみて物事を見ることがいかに大事かを知りました」
2年時には、東大の様々な国際プログラムを活用して、タイやインドネシアに1週間~1か月間、短期留学した。現地の学生に日本の豊かな自然や、都市と地方の格差などについて話そうとしてもうまくいかず、自分が日本のことをいかに知らないか痛感した。
休学して向かった先は、和歌山県西部にある美浜町三尾(みお)地区。選んだのには2つの理由がある。一つは、高校卒業時に図書室の司書から「読んでみなさい」と『カナダ移民排斥史』(新保満著、未来社)を贈られたこと。美浜町の西端にある三尾地区は、明治時代に多くの住民がカナダに出稼ぎ移民した地域で、同書は三尾地区出身者の一生を描いた本だった。もう一つは、岩永さんが好きなアニメ『AIR』の舞台が三尾地区だったこと。2年の夏に「聖地巡礼」の旅として同地を訪ね、贈られた本とも結びついたことに縁を感じた。
三尾地区で生活した1年余りは、ゲストハウスの部屋の清掃や寝具の洗濯などをする代わりに宿泊料を免除してもらった。そのうえで、町おこしを進める地元NPOの活動に参加してアルバイト料をもらって生活費に充てた。三尾地区の歴史を伝える博物館「カナダミュージアム」の資料整理をしたり、地域の人々に聞き取り調査をしたりもした。空き時間には、なるべく地元の住民に話しかけ、輪に入っていくようにした。
「三尾地区の住民は500人弱ですが、半分くらいの人とは話しました。お年寄りが多く、『自分の孫みたいだよ』と言ってかわいがってもらいました。田舎での生活は楽しく、都会で見ていたものがいかに狭かったのか実感しました。僕は必死に勉強して東大に入りましたが、最初はゲストハウスの皿洗いもうまくできませんでした。地元の人は梅酒を漬けたり、家の修繕をしたりと、いろんなことができます。勉強ができる自負はありましたが、生きるうえで必要なことがたくさんあり、それを全然できないことを知りました。そして生きていくための基本的なことを、地域のおじいちゃん、おばあちゃんが教えてくれました。地域の人と一緒に生活した1年間が、僕の人生をガラリと変えました」
田舎で見つけた「グローバルリーダー」像 東大に入ったときは官僚になりたかったという。あるいは外資系の企業で働くことも考えていた。高校では「グローバルリーダーになれ」と言われてきた。しかし、三尾地区での体験を経て、考え方が変わった。「外資系や名だたる大企業に入ってエリートコースを歩むのが“グローバルリーダー”と思われていますが、喫緊の社会課題である限界集落といかに向き合うのかという問題は、全世界に共通する大きなテーマです。東大生の多くが考えがちな限られた将来像を目指さなくても生きていけるという確信を、田舎暮らしを通じて持てました」 2020年10月に復学すると、産直通販アプリ「ポケットマルシェ」を運営する高橋博之(たかはしひろゆき)代表と知り合い、全国の学生を農村や漁村に派遣する「青空留学」の企画、運営に関わった。 官僚への未練はあったが、自分がやりたいことは三尾地区にあり、三尾で新しいことにチャレンジしようと決意した。経済学部から大学院農学生命科学研究科に進学し、三尾の農村の歴史を研究した。安定と挑戦のはざまで 休学が終わってからも3か月に一度は三尾に通った。話を聞いたときは、約40日後にカナダミュージアムで始まる企画展「日系移民の歴史展」の準備で忙しそうだった。 これから先のことをどう考えているのだろうか。「いずれ三尾に移住したいと思います。古民家を活用して町づくりに取り組んだり、たくさんある空き家をリノベーションして店や宿にしたりしたいです。博士課程に在籍しながらになるのか、まだわかりませんが、自分が大切と思うことをするのが大事だと考えています」 岩永さんの周りには、休学経験のある東大生が十数人はいる。スタートアップでインターンしたり、地域おこし協力隊で1年半活動したり、1年かけて国内の農村を回ったり、と様々だ。休学する東大生がこの10年余りでほぼ倍増しているというデータを教えると、「へえー、そうなんですか」と言った後、こう語った。「多くの東大生の頭のなかには、従来通りのエリートコースに乗りたい気持ちと、みんなと一緒ではいけない、周りとは違う何かをしようと焦る気持ちがあって、後者が休学するモチベーションになります。僕も美浜町に行ったときは、和歌山県内でたった一人の現役東大生だろうと気負っていました。けれど3年間通い続けると、滞在時に知り合った高齢者が3か月後に再訪したときには亡くなっていた、ということもあります。そうした経験を重ねて、自分も周りからの評価ではなく、自分が大切だと思ったことを一番にして生きようと思うようになりました。周りからも『人間が変わった。丸くなった』と言われます」短期間の腰掛けではなく「本気」「エリートコースに乗りたい気持ち」と「周りとは違う何かをしようと焦る気持ち」との葛藤。これは、休学を選択していない東大生でも、心のどこかに潜んでいる感情かもしれない。しかし驚くのは、岩永さんが「三尾地区に移住したい」と思っていたことだ。短期間の腰掛けではなく、本気なのである。 取材から半年経った2023年初めに近況を聞いてみると、「本気度」はさらに増していた。三尾地区には通い続けていて、最近は1か月に1週間は三尾にいると言う。「現地で古民家を購入し、住民票も移して本格的に移住することにしました。就職はせず、自分の行けるところまで自分で切り開いてみます」と今の心境を明かす。 休学期間の経験が「自分を変えた」と言う岩永さん。これからどういう人生を歩むにしても、貴重な経験を血肉にして、どこでもたくましくやっていけるだろうと思った。「今までとは違い、自分の意志で動いてみたかった」(中村 正史/Webオリジナル(外部転載))
東大に入ったときは官僚になりたかったという。あるいは外資系の企業で働くことも考えていた。高校では「グローバルリーダーになれ」と言われてきた。しかし、三尾地区での体験を経て、考え方が変わった。
「外資系や名だたる大企業に入ってエリートコースを歩むのが“グローバルリーダー”と思われていますが、喫緊の社会課題である限界集落といかに向き合うのかという問題は、全世界に共通する大きなテーマです。東大生の多くが考えがちな限られた将来像を目指さなくても生きていけるという確信を、田舎暮らしを通じて持てました」
2020年10月に復学すると、産直通販アプリ「ポケットマルシェ」を運営する高橋博之(たかはしひろゆき)代表と知り合い、全国の学生を農村や漁村に派遣する「青空留学」の企画、運営に関わった。
官僚への未練はあったが、自分がやりたいことは三尾地区にあり、三尾で新しいことにチャレンジしようと決意した。経済学部から大学院農学生命科学研究科に進学し、三尾の農村の歴史を研究した。
休学が終わってからも3か月に一度は三尾に通った。話を聞いたときは、約40日後にカナダミュージアムで始まる企画展「日系移民の歴史展」の準備で忙しそうだった。
これから先のことをどう考えているのだろうか。
「いずれ三尾に移住したいと思います。古民家を活用して町づくりに取り組んだり、たくさんある空き家をリノベーションして店や宿にしたりしたいです。博士課程に在籍しながらになるのか、まだわかりませんが、自分が大切と思うことをするのが大事だと考えています」
岩永さんの周りには、休学経験のある東大生が十数人はいる。スタートアップでインターンしたり、地域おこし協力隊で1年半活動したり、1年かけて国内の農村を回ったり、と様々だ。休学する東大生がこの10年余りでほぼ倍増しているというデータを教えると、「へえー、そうなんですか」と言った後、こう語った。
「多くの東大生の頭のなかには、従来通りのエリートコースに乗りたい気持ちと、みんなと一緒ではいけない、周りとは違う何かをしようと焦る気持ちがあって、後者が休学するモチベーションになります。僕も美浜町に行ったときは、和歌山県内でたった一人の現役東大生だろうと気負っていました。けれど3年間通い続けると、滞在時に知り合った高齢者が3か月後に再訪したときには亡くなっていた、ということもあります。そうした経験を重ねて、自分も周りからの評価ではなく、自分が大切だと思ったことを一番にして生きようと思うようになりました。周りからも『人間が変わった。丸くなった』と言われます」
「エリートコースに乗りたい気持ち」と「周りとは違う何かをしようと焦る気持ち」との葛藤。これは、休学を選択していない東大生でも、心のどこかに潜んでいる感情かもしれない。しかし驚くのは、岩永さんが「三尾地区に移住したい」と思っていたことだ。短期間の腰掛けではなく、本気なのである。
取材から半年経った2023年初めに近況を聞いてみると、「本気度」はさらに増していた。三尾地区には通い続けていて、最近は1か月に1週間は三尾にいると言う。「現地で古民家を購入し、住民票も移して本格的に移住することにしました。就職はせず、自分の行けるところまで自分で切り開いてみます」と今の心境を明かす。
休学期間の経験が「自分を変えた」と言う岩永さん。これからどういう人生を歩むにしても、貴重な経験を血肉にして、どこでもたくましくやっていけるだろうと思った。
「今までとは違い、自分の意志で動いてみたかった」
(中村 正史/Webオリジナル(外部転載))