「人生最高のセックス」を経験した年代は“60代が最多”…医師が明かす“中高年の性生活”が人生において重要であるワケ から続く
Netflixの恋愛リアリティショー「あいの里」が人気を博しているが、本作では50・60代など“熟年の恋愛”にスポットが当てられている斬新さも見所のひとつとなっている。
【写真】この記事の写真を見る(2枚)
中高年の性生活に特化したYouTubeチャンネルで人気の富永喜代氏は、新刊『女医が導く 60歳からのセックス』(扶桑社)のなかで、「熟年には熟年の恋愛やセックスの作法がある」と語るが、一方で、「ソロキャンプ中の女性に執拗につきまとう」「純愛と称してハラスメントを繰り返す」など、異性と適切な距離感を保てない中高年も社会問題化している。
彼らの暴走はなぜ生まれるのか? その理由を、富永氏の著書から抜粋・編集してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
◆◆◆
私の主宰するオンラインコミュニティ「秘密の部屋」では、日夜、中高年の方々によって性にまつわる熱心な議論が交わされていますが、彼ら彼女たちの「性の悩み」の上位にランクインしたのは、「セックスレス」「パートナー探し」、つまり「他者との肌の触れ合い」自体が失われてしまっていること。これは中高年の性にまつわる、ひとつの大きなテーマです。
AFLO
生まれたばかりの赤ちゃんや幼い子どもは、両親や周囲の大人たちから「かわいいね」などと声をかけられながら、いつも誰かに触れられています。神経学的な見方をすれば、赤ちゃんは肌の感覚神経に常に刺激を受けているといえます。
ところが大人になってみると、どうでしょう。恋人やパートナーでもない限り、周囲の人たちから優しく触れられたり、抱きしめてもらう機会はほぼなくなります。社会全体でセクハラの規定も厳しくなってきている昨今では、下心があろうとなかろうと他人に許可なく触れることは憚(はばか)られます。つまり、年齢を重ねるごとに否応なく他者との接触機会は減ってくる、これが現代社会の実情です。
そこで昨今、問題化しているのが「スキンハンガー」(skinhunger)です。英語でskinは「肌」、hungerは「飢え」、つまりスキンハンガーは「肌のぬくもりへの飢餓感」とも和訳されます。
私たちの体では、肌と肌が触れ合うことで愛情ホルモンの異名を持つ「オキシトシン」が分泌され、安らぎや幸福感、相手への信頼、絆を感じるようになります。オキシトシンは心理的なストレスを感じたときに分泌されるストレスホルモン「コルチゾール」の作用を低下させ、このオキシトシンが十分に分泌されていると自律神経が整います。すると今度は、「今日も頑張ろう!」と前向きな気分をもたらしてくれるホルモン「セロトニン」の分泌が促進され、相互に作用することでストレス緩和につながっていきます。
つまり、医学的見地から見ても、人と触れることは、絆を深め、精神的にリラックスできる作用があると考えられます。もちろんこれは、男女を問わずです。
たとえば、セックスの前戯としてマッサージをすることがあります。マッサージといっても、整体のようにぐいぐいと力を込めて揉みほぐすのではなく、フェザータッチで相手の肌に触れながら、血流を促すものです。
このような優しい肌と肌の触れ合いは、オキシトシンを分泌させ、相手の警戒心を解(ほど)いたり、安心や愛着、絆を醸成する効果が期待できます。つまり、前戯におけるマッサージにも、愛情を深める科学的な根拠があるのです。気のおけない相手にマッサージされて、いつもより気持ちよかったという感覚に思い当たる人もいるでしょう。そんな瞬間にも私たちの脳からは、肌と肌の触れ合いによってオキシトシンが分泌されているのです。
コロナ禍では、世界中でソーシャルディスタンスが推奨され、ロックダウンや自粛生活によって、他者との関わりが遮断されました。日本でも、相次ぐ緊急事態宣言下で他者との接触はリスクとされ、一時は対面して会話をすることすら憚られました。
こうして本当は人間にとって必要な肌と肌の触れ合いが強制的に禁止されたことで、「スキンハンガー」に陥る人が急増しました。特に、一人暮らしの中高年の場合、スキンハンガーに陥るとオキシトシンやセロトニンの分泌が滞り、精神的に不穏になって孤立を招き、最悪の場合は孤独死……といった事態も引き起こしかねません。
コロナ禍を経て、私たちの社会では人との触れ合い方が一変しました。
平日はリモートワークで朝から晩までデスクに向かい、休みの日には一日中、自分の見たい動画をYouTubeで観て、お腹がすけば出前サービスを頼む。口うるさい上司や、噂好きな知人との煩わしいコミュニケーションがなくなり「せいせいした」と感じた人もいるでしょうが、同時に懸念されるのが認知機能の低下です。
感染予防の名のもとに、家の中にずっと引きこもっていれば、外界から受ける刺激も減ります。また、運動をする機会も減るので、おのずと筋力は低下してしまいます。運動不足によって肥満リスクも高まり、一時は「コロナ太り」という言葉もよく耳にしました。
近年の研究では、筋肉量が減少し筋力が低下すると、自力で立ち上がったり歩行できなくなったりするだけでなく、認知症や関節疾患、糖尿病、脳卒中、骨折などになりやすくなり、死亡率が上がるといわれています。つまり、社会的な交流が失われたコロナ禍の影響は、身体機能、認知機能にまで及んでいる可能性が非常に高いと考えられます。
自粛生活によって煩わしいコミュニケーションから解放された半面、新しい刺激もなければ、人との出会いもない。自分が好きなコンテンツだけを消費し、食べたいものだけを食べる……そんな状況では、自分とは異なる意見や価値観の存在や世界の広がりを認識することが難しくなってきます。
視野はおのずと狭くなり、人との「距離感」も見失いがちになります。そうなれば、他者と健全なコミュニケーションができなくなります。いわば「社会性の欠如」です。
他人と関わる煩わしさがない自粛生活は、一見ストレスフリーのようにも思えますが、「ストレスがない=刺激がない」ということでもあります。特に中高年にとっては、身体機能や認知機能の低下、および客観性や社会性が失われるリスクをはらんだ好ましくない環境といえるでしょう。
もちろんコロナ禍を通じてすべての中高年がスキンハンガーになり、社会性を欠いたわけではありません。
オンラインコミュニティで行った「あなたの人生最高のセックスはいつですか?」というアンケートでは、「60代が最多」との結果が得られたように、他者と円滑にコミュニケーションを図り、性生活を充実させている人は少なくありません。そして、中高年になってもセックスに前向きな人は、週に何度もセックスをしています(ときに複数のパートナーを含む)。私のクリニックのED外来にも、処方した量から計算するとバイアグラを2日に1回の割合で使用していると思われる60代後半の男性がいます。
セックスの回数だけでは、その人がどんな相手とどのようなセックスをしているかまでは推し量れませんが、中高年においてセックスから疎遠になってしまう人とアクティブな人とで、「性の二極化」が起こっている現実があります。そしてこの傾向は、コロナ禍の強制的なコミュニケーションの遮断によって、より加速したように感じられます。
中高年が喪失しがちな「距離感」 新しい刺激も出会いもないなかでは、多様な他者に触れる機会が減り、放っておくと社会性が失われていきます。特に人間関係における「距離感」は、一度見失うと厄介なものです。 会話のなかで、踏み込んではいけない領域(いわゆる「地雷」)にずかずかと踏み込んで不快にさせてしまう、上から目線で説教をする、自分の優位性を示す「マウンティング」をする、といった行為も距離感を見失ったがゆえの言動です。いずれも相手は不快な思いを抱き、円滑なコミュニケーションが取れなくなってしまいます。 人はコミュニケーションにおいて、「この人は、適切な距離感を保ってくれる」「一定の距離感を見誤らない」とわかっているからこそ、安心してコミュニケーションが取れます。しかし、その距離感が狂っている人には、一転して警戒心を抱きます。地雷を踏んだかと思えば、マウンティングし、果ては説教モードになる……当人は距離感が狂っているとの自覚がないケースが多く、悪気がないのがなおさら厄介です。 この異性との距離感を見失った最たる例が、「ストーカー」です。 学生の頃と比べて、社会に出ると男女ともに仕事や責任が生じるため、恋愛や友人関係以外の人付き合いが増えていきます。同僚、仕事相手、近所付き合いなどさまざまな関係性があり、そのなかで私たちは適切な距離感を学んでいくわけですが、その感覚を喪失し、異性に執拗につきまとうのがストーカー。 医学界でも、大学病院において中高年男性の患者が女性の研修医に「医師と患者」の距離感を喪失してつきまとう……という事案が少なくありません。私の知る限りでも、被害に遭った研修医が別の病院に異動せざるを得なくなったケースがあります。こういった構造は、どの業界にも見られるようです。熟年の男女関係 ストーカーにまでならなくとも、中高年になると異性との距離感を見誤ったり、相手に嫌がられるような空回りした言動を取る人が出てくるのは、なぜでしょうか。 これは、年齢によって異性への向き合い方が変化してくることも一因だと考えられます。 10代や20代の頃は体力があり、出会いの場も少なくないため、積極的にせよ消極的にせよ、ある程度、異性と接する機会がありました。ですから、たとえ失恋したとしても、「まだ次がある」と前を向くことができます。また、そもそも経験が少ないので、失敗して当たり前。失恋の傷も、次に生かす糧(かて)と考えることができたでしょう。 一方、中高年になると、異性との関わりはどのように変化していくのでしょうか。 会社員なら管理職の役割を与えられる時期になります。守るべき家庭がある人も少なくありません。社会的な責任も増し、10代、20代の頃のように恋愛にばかりかまけているわけにはいきません。体力も落ち、出会いの場も限られるので、「あの人がダメでも次がある」と血気盛んに異性と関わることは難しくなります。下手に仕事上で知り合った異性を二人きりで食事に誘えば、セクハラ、パワハラと訴えられて社会的に抹殺される……そんなこともあり得る時代です。 こうした状況では、中高年は異性との出会いに慎重になるものです。よほどのイケメンや美女、大富豪でもない限り、そう簡単には次から次へと目の前に異性が現れることはありません。そのため、時間的、体力的に制限がある中高年は、限られた出会いのなかで、限られた異性とじっくり向き合うことになります。多くの場合、それは夫や妻、パートナーと呼ばれる存在になります。異性との距離感がわからないまま暴走する人も しかし、それまで異性と向き合う経験がないまま、漠然と過ごしてきた人はどうでしょう。いざ「じっくり向き合え」と言われても、異性との向き合い方がわかりません。そして、「女心(男心)が理解できない」「異性との距離感がわからない」まま、暴走してしまいます。 さらにもうひとつ、年齢を重ねると人間性が容姿や雰囲気にまでにじみ出る、つまり、人格が固まります。ですから、失敗してしまった場合、若い頃は糧にできていたものが、柔軟性がなくなり、受け入れづらくなります。ときには、人格を否定されたかのごとく大きなショックを受けることも。 そして、そのような場合、反省するどころか逆ギレしたり、自己の正当化に走ってしまう人もいます。たとえば皆さんも、職場で年配の上司のミスを指摘したり、建設的な意見をしようとしたら、「失礼だ!」と逆ギレされた経験があるのではないでしょうか(もちろん、年齢を重ねても柔軟性を保ち、失敗を糧とすることのできる人もたくさんいますが、そうでない人も少なくないのが悲しいかな現実です)。 異性との距離感がわからないまま暴走し、その結果、うまくいかなかったら自己を正当化してしまう。コロナ禍をきっかけに増加したスキンハンガーも、肌のぬくもりを求めて異性に空気の読めない絡み方をするようになり、悪循環を加速させていきます。前頭葉の機能が低下することで言いたい放題に また、感情のコントロールを担う前頭葉の機能が低下すると、感情的になったり、相手の気持ちを考えない不適切な発言が止められなくなります。 “すけべオヤジ”“オヤジギャグ”という言葉もありますが、なぜ若い頃はあまり耳にしなかったようなどぎつい下ネタや寒いギャグを、中高年になると口にしてしまうのか? 皆さん、疑問に思ったことはあるかと思いますが、これも認知機能の低下が一因と考えられます。 前頭葉の機能が活発な若い頃は、「さすがにこれを言ったらまずいな」と抑制が効いていた部分が、前頭葉の機能低下とともにそのまま発言してしまうようになります。たとえば、髪型や服装を変えてきた女性に「○○ちゃん、彼氏でもできた?」と絡んでしまう。これは、気になるコの興味を引きたくていじわるをしてしまう子どもそのものです。こうした言動も、大人になるにつれ、「そこまで親しくもないのにプライベートを詮索するのは野暮だな」と自分の中で抑制がきくようになり、適切な距離感を保てるようになるのですが、前頭葉の機能が低下すると、まるで赤ちゃん返りしたかのように言いたい放題になってしまいます。異性との向き合い方も年齢とともにアップデート ほかにも、女性の腰回りを見て「元気な赤ちゃんが産めそうだね」と言ってみたり、カラオケの歌声を聞いて「夜もいい声出しそうだね」などと口にする中高年男性も驚くべきことに存在しています。その結果、周囲からは呆れられ、しかも、年齢を重ねているので誰からも注意されない。そして、本人はそのことに気づかないので、呆れられている原因がわからず、異性にしつこくつきまとったり、逆ギレするなどして、どんどん孤独を深めてしまいます。 50代、60代ともなれば体も心も若い頃と同じではありませんから、異性との向き合い方も年齢とともにアップデートしていく必要があります。「熟年には熟年なりの異性との関わり方=熟年の愛の作法」があるのです。この「熟年の愛の作法」について、これまでは「もういい年なのだから自己責任で」と、誰もきちんと教えてはくれませんでした。しかし、健康寿命が70歳を超え、中高年も恋愛やセックスを楽しめるようになった今こそ、私たちに必要な教養であると言えるでしょう。(富永 喜代/Webオリジナル(外部転載))
新しい刺激も出会いもないなかでは、多様な他者に触れる機会が減り、放っておくと社会性が失われていきます。特に人間関係における「距離感」は、一度見失うと厄介なものです。
会話のなかで、踏み込んではいけない領域(いわゆる「地雷」)にずかずかと踏み込んで不快にさせてしまう、上から目線で説教をする、自分の優位性を示す「マウンティング」をする、といった行為も距離感を見失ったがゆえの言動です。いずれも相手は不快な思いを抱き、円滑なコミュニケーションが取れなくなってしまいます。
人はコミュニケーションにおいて、「この人は、適切な距離感を保ってくれる」「一定の距離感を見誤らない」とわかっているからこそ、安心してコミュニケーションが取れます。しかし、その距離感が狂っている人には、一転して警戒心を抱きます。地雷を踏んだかと思えば、マウンティングし、果ては説教モードになる……当人は距離感が狂っているとの自覚がないケースが多く、悪気がないのがなおさら厄介です。
この異性との距離感を見失った最たる例が、「ストーカー」です。
学生の頃と比べて、社会に出ると男女ともに仕事や責任が生じるため、恋愛や友人関係以外の人付き合いが増えていきます。同僚、仕事相手、近所付き合いなどさまざまな関係性があり、そのなかで私たちは適切な距離感を学んでいくわけですが、その感覚を喪失し、異性に執拗につきまとうのがストーカー。
医学界でも、大学病院において中高年男性の患者が女性の研修医に「医師と患者」の距離感を喪失してつきまとう……という事案が少なくありません。私の知る限りでも、被害に遭った研修医が別の病院に異動せざるを得なくなったケースがあります。こういった構造は、どの業界にも見られるようです。
ストーカーにまでならなくとも、中高年になると異性との距離感を見誤ったり、相手に嫌がられるような空回りした言動を取る人が出てくるのは、なぜでしょうか。
これは、年齢によって異性への向き合い方が変化してくることも一因だと考えられます。
10代や20代の頃は体力があり、出会いの場も少なくないため、積極的にせよ消極的にせよ、ある程度、異性と接する機会がありました。ですから、たとえ失恋したとしても、「まだ次がある」と前を向くことができます。また、そもそも経験が少ないので、失敗して当たり前。失恋の傷も、次に生かす糧(かて)と考えることができたでしょう。
一方、中高年になると、異性との関わりはどのように変化していくのでしょうか。
会社員なら管理職の役割を与えられる時期になります。守るべき家庭がある人も少なくありません。社会的な責任も増し、10代、20代の頃のように恋愛にばかりかまけているわけにはいきません。体力も落ち、出会いの場も限られるので、「あの人がダメでも次がある」と血気盛んに異性と関わることは難しくなります。下手に仕事上で知り合った異性を二人きりで食事に誘えば、セクハラ、パワハラと訴えられて社会的に抹殺される……そんなこともあり得る時代です。
こうした状況では、中高年は異性との出会いに慎重になるものです。よほどのイケメンや美女、大富豪でもない限り、そう簡単には次から次へと目の前に異性が現れることはありません。そのため、時間的、体力的に制限がある中高年は、限られた出会いのなかで、限られた異性とじっくり向き合うことになります。多くの場合、それは夫や妻、パートナーと呼ばれる存在になります。
しかし、それまで異性と向き合う経験がないまま、漠然と過ごしてきた人はどうでしょう。いざ「じっくり向き合え」と言われても、異性との向き合い方がわかりません。そして、「女心(男心)が理解できない」「異性との距離感がわからない」まま、暴走してしまいます。
さらにもうひとつ、年齢を重ねると人間性が容姿や雰囲気にまでにじみ出る、つまり、人格が固まります。ですから、失敗してしまった場合、若い頃は糧にできていたものが、柔軟性がなくなり、受け入れづらくなります。ときには、人格を否定されたかのごとく大きなショックを受けることも。
そして、そのような場合、反省するどころか逆ギレしたり、自己の正当化に走ってしまう人もいます。たとえば皆さんも、職場で年配の上司のミスを指摘したり、建設的な意見をしようとしたら、「失礼だ!」と逆ギレされた経験があるのではないでしょうか(もちろん、年齢を重ねても柔軟性を保ち、失敗を糧とすることのできる人もたくさんいますが、そうでない人も少なくないのが悲しいかな現実です)。
異性との距離感がわからないまま暴走し、その結果、うまくいかなかったら自己を正当化してしまう。コロナ禍をきっかけに増加したスキンハンガーも、肌のぬくもりを求めて異性に空気の読めない絡み方をするようになり、悪循環を加速させていきます。
また、感情のコントロールを担う前頭葉の機能が低下すると、感情的になったり、相手の気持ちを考えない不適切な発言が止められなくなります。
“すけべオヤジ”“オヤジギャグ”という言葉もありますが、なぜ若い頃はあまり耳にしなかったようなどぎつい下ネタや寒いギャグを、中高年になると口にしてしまうのか? 皆さん、疑問に思ったことはあるかと思いますが、これも認知機能の低下が一因と考えられます。
前頭葉の機能が活発な若い頃は、「さすがにこれを言ったらまずいな」と抑制が効いていた部分が、前頭葉の機能低下とともにそのまま発言してしまうようになります。たとえば、髪型や服装を変えてきた女性に「○○ちゃん、彼氏でもできた?」と絡んでしまう。これは、気になるコの興味を引きたくていじわるをしてしまう子どもそのものです。こうした言動も、大人になるにつれ、「そこまで親しくもないのにプライベートを詮索するのは野暮だな」と自分の中で抑制がきくようになり、適切な距離感を保てるようになるのですが、前頭葉の機能が低下すると、まるで赤ちゃん返りしたかのように言いたい放題になってしまいます。
ほかにも、女性の腰回りを見て「元気な赤ちゃんが産めそうだね」と言ってみたり、カラオケの歌声を聞いて「夜もいい声出しそうだね」などと口にする中高年男性も驚くべきことに存在しています。その結果、周囲からは呆れられ、しかも、年齢を重ねているので誰からも注意されない。そして、本人はそのことに気づかないので、呆れられている原因がわからず、異性にしつこくつきまとったり、逆ギレするなどして、どんどん孤独を深めてしまいます。
50代、60代ともなれば体も心も若い頃と同じではありませんから、異性との向き合い方も年齢とともにアップデートしていく必要があります。「熟年には熟年なりの異性との関わり方=熟年の愛の作法」があるのです。この「熟年の愛の作法」について、これまでは「もういい年なのだから自己責任で」と、誰もきちんと教えてはくれませんでした。しかし、健康寿命が70歳を超え、中高年も恋愛やセックスを楽しめるようになった今こそ、私たちに必要な教養であると言えるでしょう。
(富永 喜代/Webオリジナル(外部転載))