神戸市北区の路上で2010年10月、堤将太さん(当時16歳・高校2年)を殺害したとして、殺人罪に問われた元少年(30・事件当時17歳 記事上は「男」と表記)の裁判員裁判で、神戸地裁は23日、懲役18年の実刑判決を言い渡した(求刑・懲役20年)。 男は犯行当時17歳だったことから、少年法に基づき、審理では実名などを伏せる措置が取られた。開廷前の神戸地裁・法廷<2023年6月23日 午後2時9分 ※代表撮影>■判決で「殺意」「責任能力」いずれも認定

判決で神戸地裁は、争点となった▼男の責任能力▼殺意のいずれも認定、証人尋問で出廷した精神鑑定医の「統合失調症を装った“詐病”で、逮捕直後になかった『幻聴』や『妄想』という言葉を用いて供述するようになるなどの変遷もあった」という見解は明解で合理的、信用性も高いとした。検察側は懲役20年を求刑、殺意は強固で責任能力はあるとした弁護側は、事件当時統合失調症などの精神疾患があり、「心神耗弱」状態だったと主張■「自身の犯行、冷静に認識」 また殺意について、「将太さんへの刺し傷が首付近や背中、頭など、身体の中でも重要な部位に多くあり、深さが約10センチにも達し、将太さんを見かけるや、(散歩のために)連れていた犬をいったん自宅に戻して、改めて現場に戻り、将太さんから少し離れた場所で様子をうかがい犯行に及んでおり、自身の犯行を冷静に認識していた」と指摘した。 そのうえで、「16歳だった将太さんの、かけがいのない命を奪われたという結果が、この上なく重大であるのは言うまでもなく、恐怖や苦痛、無念さは計り知れない」と述べた。 男は「(将太さんに対する)殺意はなかった」として、起訴状の内容を否認しており、弁護側は善悪の判断が著しく低下する「心神耗弱」状態だったとして刑の減軽を求めていた。しかし神戸地裁は、精神障害はないと断定、完全責任能力を認めた。 さらに、「もっとも、人を殺してはならないことは犯行時17歳の少年であっても理解できないはずはなく、この事件を未熟さゆえの犯行などとみることはできない」と刑事責任の重さを指摘した。しかし懲役18年という量刑については、「犯行当時の被告人が前科のない17歳の少年であったという事情は、非難の程度を考えるにあたって無視できない」と述べ、「大きく刑を減ずることはできないが、一定の考慮は必要だ」とした。 男は2010年10月4日夜、神戸市北区筑紫が丘の歩道上などで将太さんを折り畳みナイフで複数回刺し、失血死させた。10年10か月後の2021年8月4日、逃亡・潜伏先の愛知県豊山町で兵庫県警に逮捕された。・・・・・・・・・・・・・・・・亡くなった堤将太さん<2010年8月撮影>■「18年、本心は…」「でも家族の力感じた」将太さん父親・堤敏さん語る判決を終え会見する将太さんの父親・堤敏さん<2023年6月23日 午後4時01分 神戸市中央区> 将太さんの父親・敏さんは被害者参加制度のもと、家族5人で検察官の後ろに座り、すべての審理を見守った。 判決を終え、「懲役18年で(被告の男が)許されるものではないし、子どもを殺されてこの判決、とうてい納得できない。しかし、遺族としての気持ちは裁判員、裁判官に十分汲み取っていただけたと思う。男に、どういう判決が言い渡されるか、とても心配だった。法律上、ぎりぎりの決断だったのかも知れない。現状の法制度では最大限だと思う。この判決をどう評価するか、将太本人に聞いてみないとわからない」と話した。 敏さんは「捜査技術の向上で、これから先、未解決とされた事件が解決するケースが増えると思う。犯行時は未成年でも、長期逃亡の末に成人で逮捕される場合もある。最大限の刑罰を与えることがどういう意味を持つのか、(今回の判決が)一石を投じることができたのではないか」と振り返った。 法廷で述べるための意見陳述の準備に、家族は相当な時間を割いた。男が検挙されるまでの10年10か月、必死の思いで情報提供を呼び掛けた。気の遠くなる思いだったが、決して心が折れることはなかった。敏さんは「私がびっくりするほど、家族愛、家族力を見せてくれた」と話した。堤敏さんと河瀬真弁護士(右)<2023年6月23日 午後4時21分 神戸市中央区> 遺族代理人の河瀬真弁護士は、司法に携わる立場として、法に則った結論を下す部分と、遺族の悲痛な思いに接するはざまで、もどかしさをぬぐえない。「18年という刑罰が、将太さんの死という重大な結果を少しでも償うことができる期間なのか。決してそうではない。ただ単に少年だから、未熟だから、という理由でむげに刑が減軽されることがなかったのは、ひとつの成果だったと思う」と述べた。
神戸市北区の路上で2010年10月、堤将太さん(当時16歳・高校2年)を殺害したとして、殺人罪に問われた元少年(30・事件当時17歳 記事上は「男」と表記)の裁判員裁判で、神戸地裁は23日、懲役18年の実刑判決を言い渡した(求刑・懲役20年)。
男は犯行当時17歳だったことから、少年法に基づき、審理では実名などを伏せる措置が取られた。
■判決で「殺意」「責任能力」いずれも認定
判決で神戸地裁は、争点となった▼男の責任能力▼殺意のいずれも認定、証人尋問で出廷した精神鑑定医の「統合失調症を装った“詐病”で、逮捕直後になかった『幻聴』や『妄想』という言葉を用いて供述するようになるなどの変遷もあった」という見解は明解で合理的、信用性も高いとした。
■「自身の犯行、冷静に認識」
また殺意について、「将太さんへの刺し傷が首付近や背中、頭など、身体の中でも重要な部位に多くあり、深さが約10センチにも達し、将太さんを見かけるや、(散歩のために)連れていた犬をいったん自宅に戻して、改めて現場に戻り、将太さんから少し離れた場所で様子をうかがい犯行に及んでおり、自身の犯行を冷静に認識していた」と指摘した。 そのうえで、「16歳だった将太さんの、かけがいのない命を奪われたという結果が、この上なく重大であるのは言うまでもなく、恐怖や苦痛、無念さは計り知れない」と述べた。
男は「(将太さんに対する)殺意はなかった」として、起訴状の内容を否認しており、弁護側は善悪の判断が著しく低下する「心神耗弱」状態だったとして刑の減軽を求めていた。しかし神戸地裁は、精神障害はないと断定、完全責任能力を認めた。
さらに、「もっとも、人を殺してはならないことは犯行時17歳の少年であっても理解できないはずはなく、この事件を未熟さゆえの犯行などとみることはできない」と刑事責任の重さを指摘した。しかし懲役18年という量刑については、「犯行当時の被告人が前科のない17歳の少年であったという事情は、非難の程度を考えるにあたって無視できない」と述べ、「大きく刑を減ずることはできないが、一定の考慮は必要だ」とした。
男は2010年10月4日夜、神戸市北区筑紫が丘の歩道上などで将太さんを折り畳みナイフで複数回刺し、失血死させた。10年10か月後の2021年8月4日、逃亡・潜伏先の愛知県豊山町で兵庫県警に逮捕された。
・・・・・・・・・・・・・・・・亡くなった堤将太さん<2010年8月撮影>■「18年、本心は…」「でも家族の力感じた」将太さん父親・堤敏さん語る判決を終え会見する将太さんの父親・堤敏さん<2023年6月23日 午後4時01分 神戸市中央区> 将太さんの父親・敏さんは被害者参加制度のもと、家族5人で検察官の後ろに座り、すべての審理を見守った。 判決を終え、「懲役18年で(被告の男が)許されるものではないし、子どもを殺されてこの判決、とうてい納得できない。しかし、遺族としての気持ちは裁判員、裁判官に十分汲み取っていただけたと思う。男に、どういう判決が言い渡されるか、とても心配だった。法律上、ぎりぎりの決断だったのかも知れない。現状の法制度では最大限だと思う。この判決をどう評価するか、将太本人に聞いてみないとわからない」と話した。 敏さんは「捜査技術の向上で、これから先、未解決とされた事件が解決するケースが増えると思う。犯行時は未成年でも、長期逃亡の末に成人で逮捕される場合もある。最大限の刑罰を与えることがどういう意味を持つのか、(今回の判決が)一石を投じることができたのではないか」と振り返った。 法廷で述べるための意見陳述の準備に、家族は相当な時間を割いた。男が検挙されるまでの10年10か月、必死の思いで情報提供を呼び掛けた。気の遠くなる思いだったが、決して心が折れることはなかった。敏さんは「私がびっくりするほど、家族愛、家族力を見せてくれた」と話した。堤敏さんと河瀬真弁護士(右)<2023年6月23日 午後4時21分 神戸市中央区> 遺族代理人の河瀬真弁護士は、司法に携わる立場として、法に則った結論を下す部分と、遺族の悲痛な思いに接するはざまで、もどかしさをぬぐえない。「18年という刑罰が、将太さんの死という重大な結果を少しでも償うことができる期間なのか。決してそうではない。ただ単に少年だから、未熟だから、という理由でむげに刑が減軽されることがなかったのは、ひとつの成果だったと思う」と述べた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
■「18年、本心は…」「でも家族の力感じた」将太さん父親・堤敏さん語る
将太さんの父親・敏さんは被害者参加制度のもと、家族5人で検察官の後ろに座り、すべての審理を見守った。
敏さんは「捜査技術の向上で、これから先、未解決とされた事件が解決するケースが増えると思う。犯行時は未成年でも、長期逃亡の末に成人で逮捕される場合もある。最大限の刑罰を与えることがどういう意味を持つのか、(今回の判決が)一石を投じることができたのではないか」と振り返った。 法廷で述べるための意見陳述の準備に、家族は相当な時間を割いた。男が検挙されるまでの10年10か月、必死の思いで情報提供を呼び掛けた。気の遠くなる思いだったが、決して心が折れることはなかった。敏さんは「私がびっくりするほど、家族愛、家族力を見せてくれた」と話した。
遺族代理人の河瀬真弁護士は、司法に携わる立場として、法に則った結論を下す部分と、遺族の悲痛な思いに接するはざまで、もどかしさをぬぐえない。「18年という刑罰が、将太さんの死という重大な結果を少しでも償うことができる期間なのか。決してそうではない。ただ単に少年だから、未熟だから、という理由でむげに刑が減軽されることがなかったのは、ひとつの成果だったと思う」と述べた。