神戸市西区で祖母と母親、叔父、叔母2人の6人で暮らしていた穂坂修くん(6)の遺体がスーツケースに入った状態で草むらで見つかった事件で、死因は外傷性ショックの疑いが強いことが兵庫県警の司法解剖でわかった。背中全体にあざが広がっており、日常的に虐待を受けていたとみられる。県警は祖母を監禁したなどの疑いで母親の沙喜容疑者(34)らきょうだい4人を逮捕しており、修くんの死体遺棄事件との関連を調べている。

リードをつけた理由は「飛び出して事故にあわないように」 一連の事件では、修くんが体にヒモをつけられて外を歩かされたり、大声でしっ責される姿が頻繁に目撃される一方、沙喜容疑者らきょうだい全員が、かつて祖母から虐待を受けて育った可能性を♯1で報じたが、取材を進めるうちにその虐待の連鎖の詳細も浮き彫りになった。 司法解剖では、修くんが亡くなったのは遺体発見3日前の今月19日ごろだったこともわかった。刺し傷や骨折はなく、背中一面に皮下出血が広がっていた。「虐待死」につながるような一家の奇妙な日常の行動を、近くに住む50代の男性は見ていた。 穂坂一家が住んでいた集合住宅(写真/共同通信社) 「何年か前にあの一家が引っ越してきたのですが、最初は女性4人で生活していました。どの方がお母さんかというのは身ごもっていた時期に見て知っていたのでわかりました。生まれた子が小さいころは泣き声が聞こえるたびに、『泣くなっ泣くなっ』とすごい剣幕で怒鳴る女性の声が聞こえてきて、泣き方が疳(かん)の虫とかを通り越したレベルでした」 一時は当局への通報も頭によぎった男性だが、思いとどまった。そして季節は流れ、修くんは元気な男の子に育っていった。 「成長してからの男の子は、声をかけると何回かに一回は『はーい。おはよう』と返してくれました。しっかり育ったんだなと安心したし、可愛い子でしたよ。ところが去年の夏、お母さんが男の子に犬に使うリードのような縄をくくりつけ、本当に犬の散歩のように歩かせてるのを2度ほど見たんです。見かねた近所の方が事情を尋ねたところ、お母さんは『飛び出たりして事故にあわないように』と理由を説明されたそうです」 穂坂一家が住んでいた集合住宅近くには花が供えられている(共同通信社) 修くんは特に嫌がるふうもなく、普通に散歩していたというが、男性は奇異な印象を受けた。 「男の子のおばあちゃんにあたる女性を、双子の若い女性が支えるようにタクシーに乗せるのを何度か見かけたことがあります。その際に双子の女性は帽子を目深に被り、人目を避けるようにしていました。おばあちゃんは、高齢で認知症なのか、足が不自由で歩けないのかわかりませんが、体調が悪そうでした」 給食の余ったパンを持ち帰っていた 女性4人と修くんの5人で暮らしていた穂坂家に異変が起こったのは、大地容疑者がそこに加わった1年ほど前からだったという。 「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」 しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
神戸市西区で祖母と母親、叔父、叔母2人の6人で暮らしていた穂坂修くん(6)の遺体がスーツケースに入った状態で草むらで見つかった事件で、死因は外傷性ショックの疑いが強いことが兵庫県警の司法解剖でわかった。背中全体にあざが広がっており、日常的に虐待を受けていたとみられる。県警は祖母を監禁したなどの疑いで母親の沙喜容疑者(34)らきょうだい4人を逮捕しており、修くんの死体遺棄事件との関連を調べている。
リードをつけた理由は「飛び出して事故にあわないように」 一連の事件では、修くんが体にヒモをつけられて外を歩かされたり、大声でしっ責される姿が頻繁に目撃される一方、沙喜容疑者らきょうだい全員が、かつて祖母から虐待を受けて育った可能性を♯1で報じたが、取材を進めるうちにその虐待の連鎖の詳細も浮き彫りになった。 司法解剖では、修くんが亡くなったのは遺体発見3日前の今月19日ごろだったこともわかった。刺し傷や骨折はなく、背中一面に皮下出血が広がっていた。「虐待死」につながるような一家の奇妙な日常の行動を、近くに住む50代の男性は見ていた。 穂坂一家が住んでいた集合住宅(写真/共同通信社) 「何年か前にあの一家が引っ越してきたのですが、最初は女性4人で生活していました。どの方がお母さんかというのは身ごもっていた時期に見て知っていたのでわかりました。生まれた子が小さいころは泣き声が聞こえるたびに、『泣くなっ泣くなっ』とすごい剣幕で怒鳴る女性の声が聞こえてきて、泣き方が疳(かん)の虫とかを通り越したレベルでした」 一時は当局への通報も頭によぎった男性だが、思いとどまった。そして季節は流れ、修くんは元気な男の子に育っていった。 「成長してからの男の子は、声をかけると何回かに一回は『はーい。おはよう』と返してくれました。しっかり育ったんだなと安心したし、可愛い子でしたよ。ところが去年の夏、お母さんが男の子に犬に使うリードのような縄をくくりつけ、本当に犬の散歩のように歩かせてるのを2度ほど見たんです。見かねた近所の方が事情を尋ねたところ、お母さんは『飛び出たりして事故にあわないように』と理由を説明されたそうです」 穂坂一家が住んでいた集合住宅近くには花が供えられている(共同通信社) 修くんは特に嫌がるふうもなく、普通に散歩していたというが、男性は奇異な印象を受けた。 「男の子のおばあちゃんにあたる女性を、双子の若い女性が支えるようにタクシーに乗せるのを何度か見かけたことがあります。その際に双子の女性は帽子を目深に被り、人目を避けるようにしていました。おばあちゃんは、高齢で認知症なのか、足が不自由で歩けないのかわかりませんが、体調が悪そうでした」 給食の余ったパンを持ち帰っていた 女性4人と修くんの5人で暮らしていた穂坂家に異変が起こったのは、大地容疑者がそこに加わった1年ほど前からだったという。 「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」 しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
リードをつけた理由は「飛び出して事故にあわないように」 一連の事件では、修くんが体にヒモをつけられて外を歩かされたり、大声でしっ責される姿が頻繁に目撃される一方、沙喜容疑者らきょうだい全員が、かつて祖母から虐待を受けて育った可能性を♯1で報じたが、取材を進めるうちにその虐待の連鎖の詳細も浮き彫りになった。 司法解剖では、修くんが亡くなったのは遺体発見3日前の今月19日ごろだったこともわかった。刺し傷や骨折はなく、背中一面に皮下出血が広がっていた。「虐待死」につながるような一家の奇妙な日常の行動を、近くに住む50代の男性は見ていた。 穂坂一家が住んでいた集合住宅(写真/共同通信社) 「何年か前にあの一家が引っ越してきたのですが、最初は女性4人で生活していました。どの方がお母さんかというのは身ごもっていた時期に見て知っていたのでわかりました。生まれた子が小さいころは泣き声が聞こえるたびに、『泣くなっ泣くなっ』とすごい剣幕で怒鳴る女性の声が聞こえてきて、泣き方が疳(かん)の虫とかを通り越したレベルでした」 一時は当局への通報も頭によぎった男性だが、思いとどまった。そして季節は流れ、修くんは元気な男の子に育っていった。 「成長してからの男の子は、声をかけると何回かに一回は『はーい。おはよう』と返してくれました。しっかり育ったんだなと安心したし、可愛い子でしたよ。ところが去年の夏、お母さんが男の子に犬に使うリードのような縄をくくりつけ、本当に犬の散歩のように歩かせてるのを2度ほど見たんです。見かねた近所の方が事情を尋ねたところ、お母さんは『飛び出たりして事故にあわないように』と理由を説明されたそうです」 穂坂一家が住んでいた集合住宅近くには花が供えられている(共同通信社) 修くんは特に嫌がるふうもなく、普通に散歩していたというが、男性は奇異な印象を受けた。 「男の子のおばあちゃんにあたる女性を、双子の若い女性が支えるようにタクシーに乗せるのを何度か見かけたことがあります。その際に双子の女性は帽子を目深に被り、人目を避けるようにしていました。おばあちゃんは、高齢で認知症なのか、足が不自由で歩けないのかわかりませんが、体調が悪そうでした」 給食の余ったパンを持ち帰っていた 女性4人と修くんの5人で暮らしていた穂坂家に異変が起こったのは、大地容疑者がそこに加わった1年ほど前からだったという。 「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」 しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
一連の事件では、修くんが体にヒモをつけられて外を歩かされたり、大声でしっ責される姿が頻繁に目撃される一方、沙喜容疑者らきょうだい全員が、かつて祖母から虐待を受けて育った可能性を♯1で報じたが、取材を進めるうちにその虐待の連鎖の詳細も浮き彫りになった。 司法解剖では、修くんが亡くなったのは遺体発見3日前の今月19日ごろだったこともわかった。刺し傷や骨折はなく、背中一面に皮下出血が広がっていた。「虐待死」につながるような一家の奇妙な日常の行動を、近くに住む50代の男性は見ていた。 穂坂一家が住んでいた集合住宅(写真/共同通信社) 「何年か前にあの一家が引っ越してきたのですが、最初は女性4人で生活していました。どの方がお母さんかというのは身ごもっていた時期に見て知っていたのでわかりました。生まれた子が小さいころは泣き声が聞こえるたびに、『泣くなっ泣くなっ』とすごい剣幕で怒鳴る女性の声が聞こえてきて、泣き方が疳(かん)の虫とかを通り越したレベルでした」 一時は当局への通報も頭によぎった男性だが、思いとどまった。そして季節は流れ、修くんは元気な男の子に育っていった。 「成長してからの男の子は、声をかけると何回かに一回は『はーい。おはよう』と返してくれました。しっかり育ったんだなと安心したし、可愛い子でしたよ。ところが去年の夏、お母さんが男の子に犬に使うリードのような縄をくくりつけ、本当に犬の散歩のように歩かせてるのを2度ほど見たんです。見かねた近所の方が事情を尋ねたところ、お母さんは『飛び出たりして事故にあわないように』と理由を説明されたそうです」 穂坂一家が住んでいた集合住宅近くには花が供えられている(共同通信社) 修くんは特に嫌がるふうもなく、普通に散歩していたというが、男性は奇異な印象を受けた。 「男の子のおばあちゃんにあたる女性を、双子の若い女性が支えるようにタクシーに乗せるのを何度か見かけたことがあります。その際に双子の女性は帽子を目深に被り、人目を避けるようにしていました。おばあちゃんは、高齢で認知症なのか、足が不自由で歩けないのかわかりませんが、体調が悪そうでした」 給食の余ったパンを持ち帰っていた 女性4人と修くんの5人で暮らしていた穂坂家に異変が起こったのは、大地容疑者がそこに加わった1年ほど前からだったという。 「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」 しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
一連の事件では、修くんが体にヒモをつけられて外を歩かされたり、大声でしっ責される姿が頻繁に目撃される一方、沙喜容疑者らきょうだい全員が、かつて祖母から虐待を受けて育った可能性を♯1で報じたが、取材を進めるうちにその虐待の連鎖の詳細も浮き彫りになった。
司法解剖では、修くんが亡くなったのは遺体発見3日前の今月19日ごろだったこともわかった。刺し傷や骨折はなく、背中一面に皮下出血が広がっていた。「虐待死」につながるような一家の奇妙な日常の行動を、近くに住む50代の男性は見ていた。 穂坂一家が住んでいた集合住宅(写真/共同通信社) 「何年か前にあの一家が引っ越してきたのですが、最初は女性4人で生活していました。どの方がお母さんかというのは身ごもっていた時期に見て知っていたのでわかりました。生まれた子が小さいころは泣き声が聞こえるたびに、『泣くなっ泣くなっ』とすごい剣幕で怒鳴る女性の声が聞こえてきて、泣き方が疳(かん)の虫とかを通り越したレベルでした」 一時は当局への通報も頭によぎった男性だが、思いとどまった。そして季節は流れ、修くんは元気な男の子に育っていった。 「成長してからの男の子は、声をかけると何回かに一回は『はーい。おはよう』と返してくれました。しっかり育ったんだなと安心したし、可愛い子でしたよ。ところが去年の夏、お母さんが男の子に犬に使うリードのような縄をくくりつけ、本当に犬の散歩のように歩かせてるのを2度ほど見たんです。見かねた近所の方が事情を尋ねたところ、お母さんは『飛び出たりして事故にあわないように』と理由を説明されたそうです」 穂坂一家が住んでいた集合住宅近くには花が供えられている(共同通信社) 修くんは特に嫌がるふうもなく、普通に散歩していたというが、男性は奇異な印象を受けた。 「男の子のおばあちゃんにあたる女性を、双子の若い女性が支えるようにタクシーに乗せるのを何度か見かけたことがあります。その際に双子の女性は帽子を目深に被り、人目を避けるようにしていました。おばあちゃんは、高齢で認知症なのか、足が不自由で歩けないのかわかりませんが、体調が悪そうでした」 給食の余ったパンを持ち帰っていた 女性4人と修くんの5人で暮らしていた穂坂家に異変が起こったのは、大地容疑者がそこに加わった1年ほど前からだったという。 「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」 しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
司法解剖では、修くんが亡くなったのは遺体発見3日前の今月19日ごろだったこともわかった。刺し傷や骨折はなく、背中一面に皮下出血が広がっていた。「虐待死」につながるような一家の奇妙な日常の行動を、近くに住む50代の男性は見ていた。
穂坂一家が住んでいた集合住宅(写真/共同通信社) 「何年か前にあの一家が引っ越してきたのですが、最初は女性4人で生活していました。どの方がお母さんかというのは身ごもっていた時期に見て知っていたのでわかりました。生まれた子が小さいころは泣き声が聞こえるたびに、『泣くなっ泣くなっ』とすごい剣幕で怒鳴る女性の声が聞こえてきて、泣き方が疳(かん)の虫とかを通り越したレベルでした」 一時は当局への通報も頭によぎった男性だが、思いとどまった。そして季節は流れ、修くんは元気な男の子に育っていった。 「成長してからの男の子は、声をかけると何回かに一回は『はーい。おはよう』と返してくれました。しっかり育ったんだなと安心したし、可愛い子でしたよ。ところが去年の夏、お母さんが男の子に犬に使うリードのような縄をくくりつけ、本当に犬の散歩のように歩かせてるのを2度ほど見たんです。見かねた近所の方が事情を尋ねたところ、お母さんは『飛び出たりして事故にあわないように』と理由を説明されたそうです」 穂坂一家が住んでいた集合住宅近くには花が供えられている(共同通信社) 修くんは特に嫌がるふうもなく、普通に散歩していたというが、男性は奇異な印象を受けた。 「男の子のおばあちゃんにあたる女性を、双子の若い女性が支えるようにタクシーに乗せるのを何度か見かけたことがあります。その際に双子の女性は帽子を目深に被り、人目を避けるようにしていました。おばあちゃんは、高齢で認知症なのか、足が不自由で歩けないのかわかりませんが、体調が悪そうでした」 給食の余ったパンを持ち帰っていた 女性4人と修くんの5人で暮らしていた穂坂家に異変が起こったのは、大地容疑者がそこに加わった1年ほど前からだったという。 「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」 しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
穂坂一家が住んでいた集合住宅(写真/共同通信社) 「何年か前にあの一家が引っ越してきたのですが、最初は女性4人で生活していました。どの方がお母さんかというのは身ごもっていた時期に見て知っていたのでわかりました。生まれた子が小さいころは泣き声が聞こえるたびに、『泣くなっ泣くなっ』とすごい剣幕で怒鳴る女性の声が聞こえてきて、泣き方が疳(かん)の虫とかを通り越したレベルでした」 一時は当局への通報も頭によぎった男性だが、思いとどまった。そして季節は流れ、修くんは元気な男の子に育っていった。 「成長してからの男の子は、声をかけると何回かに一回は『はーい。おはよう』と返してくれました。しっかり育ったんだなと安心したし、可愛い子でしたよ。ところが去年の夏、お母さんが男の子に犬に使うリードのような縄をくくりつけ、本当に犬の散歩のように歩かせてるのを2度ほど見たんです。見かねた近所の方が事情を尋ねたところ、お母さんは『飛び出たりして事故にあわないように』と理由を説明されたそうです」 穂坂一家が住んでいた集合住宅近くには花が供えられている(共同通信社) 修くんは特に嫌がるふうもなく、普通に散歩していたというが、男性は奇異な印象を受けた。 「男の子のおばあちゃんにあたる女性を、双子の若い女性が支えるようにタクシーに乗せるのを何度か見かけたことがあります。その際に双子の女性は帽子を目深に被り、人目を避けるようにしていました。おばあちゃんは、高齢で認知症なのか、足が不自由で歩けないのかわかりませんが、体調が悪そうでした」 給食の余ったパンを持ち帰っていた 女性4人と修くんの5人で暮らしていた穂坂家に異変が起こったのは、大地容疑者がそこに加わった1年ほど前からだったという。 「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」 しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
穂坂一家が住んでいた集合住宅(写真/共同通信社)
穂坂一家が住んでいた集合住宅(写真/共同通信社)

「何年か前にあの一家が引っ越してきたのですが、最初は女性4人で生活していました。どの方がお母さんかというのは身ごもっていた時期に見て知っていたのでわかりました。生まれた子が小さいころは泣き声が聞こえるたびに、『泣くなっ泣くなっ』とすごい剣幕で怒鳴る女性の声が聞こえてきて、泣き方が疳(かん)の虫とかを通り越したレベルでした」 一時は当局への通報も頭によぎった男性だが、思いとどまった。そして季節は流れ、修くんは元気な男の子に育っていった。 「成長してからの男の子は、声をかけると何回かに一回は『はーい。おはよう』と返してくれました。しっかり育ったんだなと安心したし、可愛い子でしたよ。ところが去年の夏、お母さんが男の子に犬に使うリードのような縄をくくりつけ、本当に犬の散歩のように歩かせてるのを2度ほど見たんです。見かねた近所の方が事情を尋ねたところ、お母さんは『飛び出たりして事故にあわないように』と理由を説明されたそうです」 穂坂一家が住んでいた集合住宅近くには花が供えられている(共同通信社) 修くんは特に嫌がるふうもなく、普通に散歩していたというが、男性は奇異な印象を受けた。 「男の子のおばあちゃんにあたる女性を、双子の若い女性が支えるようにタクシーに乗せるのを何度か見かけたことがあります。その際に双子の女性は帽子を目深に被り、人目を避けるようにしていました。おばあちゃんは、高齢で認知症なのか、足が不自由で歩けないのかわかりませんが、体調が悪そうでした」 給食の余ったパンを持ち帰っていた 女性4人と修くんの5人で暮らしていた穂坂家に異変が起こったのは、大地容疑者がそこに加わった1年ほど前からだったという。 「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」 しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「何年か前にあの一家が引っ越してきたのですが、最初は女性4人で生活していました。どの方がお母さんかというのは身ごもっていた時期に見て知っていたのでわかりました。生まれた子が小さいころは泣き声が聞こえるたびに、『泣くなっ泣くなっ』とすごい剣幕で怒鳴る女性の声が聞こえてきて、泣き方が疳(かん)の虫とかを通り越したレベルでした」 一時は当局への通報も頭によぎった男性だが、思いとどまった。そして季節は流れ、修くんは元気な男の子に育っていった。 「成長してからの男の子は、声をかけると何回かに一回は『はーい。おはよう』と返してくれました。しっかり育ったんだなと安心したし、可愛い子でしたよ。ところが去年の夏、お母さんが男の子に犬に使うリードのような縄をくくりつけ、本当に犬の散歩のように歩かせてるのを2度ほど見たんです。見かねた近所の方が事情を尋ねたところ、お母さんは『飛び出たりして事故にあわないように』と理由を説明されたそうです」 穂坂一家が住んでいた集合住宅近くには花が供えられている(共同通信社) 修くんは特に嫌がるふうもなく、普通に散歩していたというが、男性は奇異な印象を受けた。 「男の子のおばあちゃんにあたる女性を、双子の若い女性が支えるようにタクシーに乗せるのを何度か見かけたことがあります。その際に双子の女性は帽子を目深に被り、人目を避けるようにしていました。おばあちゃんは、高齢で認知症なのか、足が不自由で歩けないのかわかりませんが、体調が悪そうでした」 給食の余ったパンを持ち帰っていた 女性4人と修くんの5人で暮らしていた穂坂家に異変が起こったのは、大地容疑者がそこに加わった1年ほど前からだったという。 「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」 しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「何年か前にあの一家が引っ越してきたのですが、最初は女性4人で生活していました。どの方がお母さんかというのは身ごもっていた時期に見て知っていたのでわかりました。生まれた子が小さいころは泣き声が聞こえるたびに、『泣くなっ泣くなっ』とすごい剣幕で怒鳴る女性の声が聞こえてきて、泣き方が疳(かん)の虫とかを通り越したレベルでした」
一時は当局への通報も頭によぎった男性だが、思いとどまった。そして季節は流れ、修くんは元気な男の子に育っていった。 「成長してからの男の子は、声をかけると何回かに一回は『はーい。おはよう』と返してくれました。しっかり育ったんだなと安心したし、可愛い子でしたよ。ところが去年の夏、お母さんが男の子に犬に使うリードのような縄をくくりつけ、本当に犬の散歩のように歩かせてるのを2度ほど見たんです。見かねた近所の方が事情を尋ねたところ、お母さんは『飛び出たりして事故にあわないように』と理由を説明されたそうです」 穂坂一家が住んでいた集合住宅近くには花が供えられている(共同通信社) 修くんは特に嫌がるふうもなく、普通に散歩していたというが、男性は奇異な印象を受けた。 「男の子のおばあちゃんにあたる女性を、双子の若い女性が支えるようにタクシーに乗せるのを何度か見かけたことがあります。その際に双子の女性は帽子を目深に被り、人目を避けるようにしていました。おばあちゃんは、高齢で認知症なのか、足が不自由で歩けないのかわかりませんが、体調が悪そうでした」 給食の余ったパンを持ち帰っていた 女性4人と修くんの5人で暮らしていた穂坂家に異変が起こったのは、大地容疑者がそこに加わった1年ほど前からだったという。 「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」 しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
一時は当局への通報も頭によぎった男性だが、思いとどまった。そして季節は流れ、修くんは元気な男の子に育っていった。
「成長してからの男の子は、声をかけると何回かに一回は『はーい。おはよう』と返してくれました。しっかり育ったんだなと安心したし、可愛い子でしたよ。ところが去年の夏、お母さんが男の子に犬に使うリードのような縄をくくりつけ、本当に犬の散歩のように歩かせてるのを2度ほど見たんです。見かねた近所の方が事情を尋ねたところ、お母さんは『飛び出たりして事故にあわないように』と理由を説明されたそうです」 穂坂一家が住んでいた集合住宅近くには花が供えられている(共同通信社) 修くんは特に嫌がるふうもなく、普通に散歩していたというが、男性は奇異な印象を受けた。 「男の子のおばあちゃんにあたる女性を、双子の若い女性が支えるようにタクシーに乗せるのを何度か見かけたことがあります。その際に双子の女性は帽子を目深に被り、人目を避けるようにしていました。おばあちゃんは、高齢で認知症なのか、足が不自由で歩けないのかわかりませんが、体調が悪そうでした」 給食の余ったパンを持ち帰っていた 女性4人と修くんの5人で暮らしていた穂坂家に異変が起こったのは、大地容疑者がそこに加わった1年ほど前からだったという。 「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」 しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「成長してからの男の子は、声をかけると何回かに一回は『はーい。おはよう』と返してくれました。しっかり育ったんだなと安心したし、可愛い子でしたよ。ところが去年の夏、お母さんが男の子に犬に使うリードのような縄をくくりつけ、本当に犬の散歩のように歩かせてるのを2度ほど見たんです。見かねた近所の方が事情を尋ねたところ、お母さんは『飛び出たりして事故にあわないように』と理由を説明されたそうです」
穂坂一家が住んでいた集合住宅近くには花が供えられている(共同通信社) 修くんは特に嫌がるふうもなく、普通に散歩していたというが、男性は奇異な印象を受けた。 「男の子のおばあちゃんにあたる女性を、双子の若い女性が支えるようにタクシーに乗せるのを何度か見かけたことがあります。その際に双子の女性は帽子を目深に被り、人目を避けるようにしていました。おばあちゃんは、高齢で認知症なのか、足が不自由で歩けないのかわかりませんが、体調が悪そうでした」 給食の余ったパンを持ち帰っていた 女性4人と修くんの5人で暮らしていた穂坂家に異変が起こったのは、大地容疑者がそこに加わった1年ほど前からだったという。 「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」 しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
穂坂一家が住んでいた集合住宅近くには花が供えられている(共同通信社) 修くんは特に嫌がるふうもなく、普通に散歩していたというが、男性は奇異な印象を受けた。 「男の子のおばあちゃんにあたる女性を、双子の若い女性が支えるようにタクシーに乗せるのを何度か見かけたことがあります。その際に双子の女性は帽子を目深に被り、人目を避けるようにしていました。おばあちゃんは、高齢で認知症なのか、足が不自由で歩けないのかわかりませんが、体調が悪そうでした」 給食の余ったパンを持ち帰っていた 女性4人と修くんの5人で暮らしていた穂坂家に異変が起こったのは、大地容疑者がそこに加わった1年ほど前からだったという。 「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」 しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
穂坂一家が住んでいた集合住宅近くには花が供えられている(共同通信社)
穂坂一家が住んでいた集合住宅近くには花が供えられている(共同通信社)

修くんは特に嫌がるふうもなく、普通に散歩していたというが、男性は奇異な印象を受けた。 「男の子のおばあちゃんにあたる女性を、双子の若い女性が支えるようにタクシーに乗せるのを何度か見かけたことがあります。その際に双子の女性は帽子を目深に被り、人目を避けるようにしていました。おばあちゃんは、高齢で認知症なのか、足が不自由で歩けないのかわかりませんが、体調が悪そうでした」 給食の余ったパンを持ち帰っていた 女性4人と修くんの5人で暮らしていた穂坂家に異変が起こったのは、大地容疑者がそこに加わった1年ほど前からだったという。 「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」 しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
修くんは特に嫌がるふうもなく、普通に散歩していたというが、男性は奇異な印象を受けた。
「男の子のおばあちゃんにあたる女性を、双子の若い女性が支えるようにタクシーに乗せるのを何度か見かけたことがあります。その際に双子の女性は帽子を目深に被り、人目を避けるようにしていました。おばあちゃんは、高齢で認知症なのか、足が不自由で歩けないのかわかりませんが、体調が悪そうでした」 給食の余ったパンを持ち帰っていた 女性4人と修くんの5人で暮らしていた穂坂家に異変が起こったのは、大地容疑者がそこに加わった1年ほど前からだったという。 「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」 しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「男の子のおばあちゃんにあたる女性を、双子の若い女性が支えるようにタクシーに乗せるのを何度か見かけたことがあります。その際に双子の女性は帽子を目深に被り、人目を避けるようにしていました。おばあちゃんは、高齢で認知症なのか、足が不自由で歩けないのかわかりませんが、体調が悪そうでした」
給食の余ったパンを持ち帰っていた 女性4人と修くんの5人で暮らしていた穂坂家に異変が起こったのは、大地容疑者がそこに加わった1年ほど前からだったという。 「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」 しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
給食の余ったパンを持ち帰っていた 女性4人と修くんの5人で暮らしていた穂坂家に異変が起こったのは、大地容疑者がそこに加わった1年ほど前からだったという。 「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」 しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
女性4人と修くんの5人で暮らしていた穂坂家に異変が起こったのは、大地容疑者がそこに加わった1年ほど前からだったという。 「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」 しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
女性4人と修くんの5人で暮らしていた穂坂家に異変が起こったのは、大地容疑者がそこに加わった1年ほど前からだったという。
「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」 しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「それまでは子どもの泣き声や階段の上り降りなどの生活音が聞こえていたのに、男性が出入りするようになってから、いっさい生活音がしなくなったんです。それからすぐに男の子を見かけなくなったので、てっきり男性はお母さんの彼氏で、なつかない男の子がどこかに預けられたのかとも思っていました。これまで聞こえていた音は聞こえなくなりました。窓もすべて閉め切っているような状態だったと思います」
しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。 「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
しかし時おり、未明の午前2時ごろや4時ごろ、「コンコン」と壁を叩く小さな音だけが響くことがあったという。
「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」 送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「今思えば、声を出すなとしかられていた男の子からのSOSだったかもしれない。あんな年端もいかない子供が本当にかわいそうだし、自分たちの親に手をあげるなんてね……。男性も含め、4人でどこかに出かけるのは何度か見かけました。先週の土曜日も4人がそろって黒いリュックを背負って、どこかに出かけていましたよ」
送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
送検される大地容疑者(共同通信社) 17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
送検される大地容疑者(共同通信社)
送検される大地容疑者(共同通信社)

17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。 「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
17日の土曜日といえば、修くんの死亡推定の2日前のことだ。このとき4人はスーツケースは持っていなかったという。
「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」 修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「ちょうど出かけるタイミングで見かけたんですが、朝9時ごろ男性が『さぁ行こうか』という感じで声をかけて、女性3人がそれに付き、従うように出発し、みんなで談笑しながら歩いていました。その後にもう一度4人を見かけることになるのですが、歩いて行くにはだいぶ遠いドンキホーテとかあるあたりで見かけたんで、こんなところまで歩いてきたのかと驚きました。車じゃないとちょっと遠いって距離だったので…」
修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。 「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
修くんの母である沙喜容疑者は、小さなころはおとなしく、人と接するのが苦手だったようだ。小、中学校時代の同級生の女性が振り返る。
「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」 私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「小学生時代の沙喜ちゃんは、基本的に静かで自分から誰かに話しかけたりしない、コミュニケーションが苦手な子でした。誰にも害はないかわりに、親しい友達もいませんでした。大人になった今考えると沙喜ちゃんはネグレクトを受けていたと思います」
私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。 「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
私服で通う小学校で、沙喜容疑者は1~2週間同じ服装のままのことがザラだったという。
「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」 中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「同じ服のままもそうですし、お風呂にも満足に入れてもらえてなかったみたいで、男子たちから『クサい』とイジられることもありました。給食ではたくさんおかわりするだけじゃなく、余ったパンを持ち帰ったり机の中に入れておいたりしていました。当時は大食いだなあくらいにしか思ってなかったけど、冷静に考えると家での食事がおろそかだったのかもしれません」
中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
中学時代の沙喜容疑者 虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
中学時代の沙喜容疑者
中学時代の沙喜容疑者

虐待を受けていた兆候もあったという。 「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
虐待を受けていた兆候もあったという。
「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」 大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「夏場なのに長袖のジャージを着てて、頑なに脱ぐことを拒んでいたこともありました。母親から受けた暴力でできたアザを隠すためだったと思います。自宅のベランダに閉め出されているところも、3回は見ました。昔のことなので閉め出されるのくらい珍しくはなかったけど、そういうことを母親にされていた過去があったことは事実です。友達がいなかったこともあり、放課後は団地の公園でよく弟たちと遊んでいたのを見かけました。だから、きょうだい仲はよかったんだと思います」
大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
大人の愛情に飢えていたかもしれない おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。 「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
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おとなしく、服装や体臭のことでいじられることはあっても、イジメに屈するような弱さはなかったという。
「男子からときおりからかわれることはあっても、言われたらちゃんと言い返せる気概のある子でした。しかも、手を出したりは決してしなかった。でも、よく先生にべったり甘えたり、抱っこやおんぶみたいにじゃれてることがあったので、大人からの愛情に飢えていたのかもしれません。 沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」 そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
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沙喜ちゃんのお母さんにも『変だな』と思うところが多々あって、普段は服を着替えさせないのに、林間学校や修学旅行といった大きい行事のときだけ新品で綺麗な私服を着させるんです。小学校の卒業式では化粧までさせていたので、普段との違いが極端でした」
そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。 「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
そして沙喜容疑者はやがて「学習障害」の兆候を見せ始め、中学生時代は支援学級に入ったという。
「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」 今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「沙喜ちゃんは小学生のころから、勉強も何がわからないのかわからないって具合だったし、物事の説明を受けても時間かかるし、文字を書いても相手に伝わらないことがよくありました。だから支援学級に入ったことにまわりは驚かなかったし、支援学級で同じような境遇の友達ができたからか登下校も一緒にしていました。クラスが別になってイジる男子もいなくなったこともあり、沙喜ちゃんは小学生のころより明るくなりました」
今回の監禁事件について、同級生は思うところがあるという。 かつて一家が住んでいた集合住宅 「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
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かつて一家が住んでいた集合住宅
かつて一家が住んでいた集合住宅

「お母さんの監禁に関しては、幼少期に親からひどい仕打ちを受けてた子供が大人になって、力関係が逆転したために起きた事件なのかなと思いますね。幼少期の沙喜ちゃんを見ていたからこそ、あまり母親に同情はできないです。ただ、ネグレクトされていた沙喜ちゃんだけでなく、母親にべったりだった他の子たちまで母親の監禁に関わったということには驚きました」 育児放棄と虐待の連鎖を断ち切ることは、なぜできなかったのか。事件の真相はまだまだ明らかになっていない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] Twitter @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
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