人は快楽を感じると脳内で化学物質・ドーパミンを出し、ドーパミンを得たいがために行動する。そこから容易に抜け出せないのは、「脳に仕掛けられたわな」にハマっているからだ。ベストセラーの著作を持つ精神医学の世界的権威二人が依存の仕組みを解き明かす。
***
【写真を見る】スタンフォード大学教授のアンナ・レンブケ氏 人はなぜ、何かに「ハマって」しまうとそこから抜け出せなくなるのか。それは「脳内麻薬」ドーパミンのせいだ、と結論する一冊がある。

『ドーパミン中毒』(新潮新書)である。 全米でベストセラーとなった同書の著者はスタンフォード大学医学部教授のアンナ・レンブケ博士。精神科医であり、依存症医学の世界的第一人者だ。仰ぎ見るような経歴の持ち主で4児の母でもあるが、恋愛小説中毒から抜け出せなくなった経験がおありだという。「脳力」が自分を救う(Stefan Tell) 恋愛小説に限らず、現代社会はわれわれをとりこにする多様な誘惑に満ちている。 恋愛・結婚そっちのけで「推し活」にプライベートを捧げ、「沼」に陥り大金を投じてしまう。課金もいとわずゲームに興じ、SNSに一日の大半を費やす――そんな若者が増加しているという報道を目にするが、いい大人だって大差ない。 男性ならば酒に女にギャンブルに、女性ならばアイドル、韓流、宝塚等々に入れ揚げ、お金と時間に羽が生えて「こんなはずでは」という経験をした人も少なくないだろう。仕事や恋愛、筋トレですら「依存症」になりうると同書は警告する。『ドーパミン中毒』アンナ・レンブケ/著「ドーパミン経済」 人が快楽を感じると、もしくは快楽を“期待する”と放出される脳内化学物質ドーパミン。われわれの行動は理性によらず、脳がより多くのドーパミンを得たいがためになされることがある。これが依存症を引き起こす原因ともなるし、企業もまたこうした脳の反応を利用し客を引き留めているとレンブケ氏は指摘する。わたしたちは「ドーパミン経済」のまっただ中で生きているのだ、と。 こうした現代社会でいかにして生き延びるか、同様の指摘を行ったのが『スマホ脳』(新潮新書)をはじめとする世界的ベストセラーの著者、スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセン氏だ。 一連の著書は日本でも累計100万部を突破、「世界一受けたい授業」(日テレ系)などのテレビ番組でもおなじみかもしれない。『ストレス脳』アンデシュ・ハンセン/著 デジタル機器に適応するようには人間の脳は進化していない、とハンセン氏は「スマホ依存」へ警鐘を鳴らす。レンブケ氏とはハンセン氏がホストを務めるスウェーデンのテレビ番組にゲストとして招いたこともある旧知の仲だ。 二人が「コロナ明け」の今だからこそ、改めて警告する「現代社会のわな」とは。二つのグループに分かれた依存症患者ハンセン 今年、テレビ番組に出演するため初めて日本に行ったんですよ。日本はまだマスクをしている人が多くて驚きました。レンブケ パンデミックの受け止め方は国によってさまざまですね。ハンセン レンブケさんはこのパンデミックの前後ではどんな変化があったと思いますか?レンブケ わたしが興味深かったのは、依存症の患者さんが二つのグループに分かれたように見えたことですね。ひとつは依存がますますひどくなった人たち。もうひとつは家から出なくなったことでトリガー(刺激)が減ったのか、依存がマシになったという人たち。ハンセン なるほど。レンブケ 家から出ず、車を使わなくなればドラッグのディーラーを訪ねたくなる衝動も減ります。そういう形で依存症がマシになった人たちが一定数、見受けられましたね。ハンセン わたしも病院で診療を続けていますが、デジタル依存については進んだ人が増えたように感じました。レンブケさんは「スマホはインターネットにつながれた私たちに24時間、週7日、休みなしにデジタル方式でドーパミンを運んでくる現代の皮下注射針だ」と書いていますよね。「人と対面で会いたい」という欲求に気付いた人々レンブケ 確かに、デジタル依存は増えたように思います。ただその一方で、パンデミックが始まって1年後くらいからでしょうか。人と対面で会いたいという自分の欲求に気付いた人も多かったように思います。ある意味、デジタルのむなしさを悟ったというか。コロナの自粛期間が終わったあと、みんなが家から出てきて、あえて人と会い、そうやってドーパミンを得ている姿を見て、すごく素敵だと思いましたね。特に、オンラインで交流しがちな若い人たちが、人と現実でつながることのすばらしさを感じてくれたのはよかったと思います。ハンセン 同感です。『ストレス脳』(新潮新書)でも紹介しましたが、「グループに属している」という感覚を得るためには、オンラインではなく「物理的接触」が必要だという説があるのですね。レンブケ 脳内物質であるエンドルフィンの話ですね。ハンセン そう、一緒に笑う、歌う、踊る、スポーツをするといったことでエンドルフィンが出るという実験結果で、そもそもエンドルフィンはチンパンジーやゴリラでは毛繕い(グルーミング)をする時に出るホルモンです。レンブケ 相手への友情や親密さを感じて分泌される、多幸感の中心的な役割を果たす物質ですね。ハンセン つまり、人間は文化活動によって「進化型のグルーミング」をしているのではないかというのがその説で、パンデミックによってこうした物理的接触が失われたことは、実は深刻な問題を引き起こしていたのかもしれません。孤独が病気リスクを高めるという驚くべき発見レンブケ 実際、依存が進んだ人もいましたし。ハンセン 「グループに属する」というのは食べ物を手に入れるのと同じくらい脳にとって重要なのだ、とわたしは患者さんに強調しています。わたしたちが相手の表情や感情を読もうとするのは、グループから追い出されないようにするためです。レンブケ それがスクリーン越しだとなかなか伝わらないですよね。ハンセン 仮想空間メタバースやVR(バーチャルリアリティー)ですべてを現実と置き換えられると考える人もいるようですが、それは無理だとわたしは思います。 もうひとつ大きかったのは、レンブケさんも書いていた「孤独」「孤立」の問題です。孤独な状態が続けば病気になるリスクが高まるというのは、この10年で最も驚くべき医学的発見と言ってよいと思います。ですが、コロナ禍はそういった状況も招きました。レンブケ その点でわたしが強調したいのは、ドラッグ=高ドーパミン製品の過剰摂取は、孤立と無関心の悪循環に陥る危険を招くということですね。 脳にとって本来、報酬であったはずの共感や愛着の代わりをスマホやゲーム、薬物が果たしてしまえば、他者とのつながりが不要になってしまう。でも脳は報酬が欲しい。さらに高ドーパミン製品への依存を深める――そういうサイクルができてしまうと、抜け出すのはなかなか難しい。こういった形で孤立を深めるケースがこのパンデミックでは見受けられましたね。 ただし申し上げておきたいのは、依存というのは恥ずかしくはないということです。誰でもなりえますし、社会生活に支障を来すようであれば医師に相談するべきですが、このドーパミン過多の現代社会では、戦略的に自分をコントロールしていくことが肝要です。自分自身を生物学的な観点から見ること、自分に対して思いやりをもつことが大事ではないでしょうか。うつ病患者は「壊れていない」ハンセン 同感です。わたしも先日、うつ症状で初めて受診した60代の患者さんに伝えたのは、「人間を生物学的に見ることは許しにもなる」という話でした。 どうして脳が自分にそう感じさせるのか、その仕組みを知ることは救いになりえます。例えば、人間は不安があることが「普通」です。ない人の方がおかしい。わたしたちの脳は、生き延びるためにそう進化してきたのですから。レンブケ そうですね。そういうことです。ハンセン 人間はその歴史の中で、ティーンエイジャーになるまでに半分が死んできました。こんなに長生きになったのは最近のことで、それまではほとんどが飢餓や殺人、旱魃(かんばつ)や感染症が死因でした。わたしたちはそんな事態に対応でき、生き延びてきた人たちの子孫です。人間がサバンナで暮らしていた頃に警戒すべき事柄を、今も脳が警戒するのはいわば自然ですよね。レンブケ その患者さんにそう伝えたのですね。ハンセン はい。もちろん、うつも不安も原因はさまざまですが、「自分はおかしい」「わたしは壊れてしまった」と自分を責めてしまう患者さんは多い。 わたしがその患者さんに言ったのは「脳はあなたを守ろうとしているだけだ」ということです。「わたしは壊れていない!」と気付くことで、その患者さんはやっと抗うつ剤を受け入れてくれました。レンブケ 「わたしは壊れていない」というのは非常に大事な考え方ですね。 先ほども言ったように、これだけドーパミン依存を助長するものに溢れた今の社会では、誰でも依存症になりえます。『ドーパミン中毒』でも詳しく書きましたが、恥ずかしいと隠すのではなくて、むしろ「徹底的に正直であること」が、依存に限らず、負のサイクルを正に戻すためには重要だと思っているのですね。そうやって人との親密性、属する場所を作ることが癒やしにつながるのだと。 そのためには社会構造をどうやって変えていくのか考えなくてはいけません。精神をデジタルに送ろうとする人々ハンセン 一方でフェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグなどはメタバースの開発に巨額の投資をし、社会構造をも変えかねませんが。レンブケ VRにおける他者との交流は、ドラッグ摂取と同じだと思っています。脳の視覚野や聴覚野を刺激するデジタルドラッグです。わたしにはザッカーバーグが麻薬カルテルの麻薬王みたいに見えてきます(笑)。ハンセン それはまた。レンブケ 彼はドーパミン消費を促す方向にものごとを進めています。今後確実にうつ、不安、自殺が増えていくと思います。非常に悲観的な見方だというのは自分でも分かっていますが、物理的な身体から離れてデジタルの中で暮らしていけば、もう生きていたくないと感じる人が増えるのではないでしょうか。わたしの立場からはそう危惧せざるを得ません。ハンセン 人間は今、身体から精神を切り離してデジタルに送ろうとしていますよね。確かに昔からさまざまな宗教が、身体的苦痛から魂を救うと称してきました。でも身体と精神が切り離せるのでしょうか。この両者は同じひとつのシステムとして働いているのに。偉大なるものの存在を信じたい欲求レンブケ メタバースへの期待を見ていると、人は偉大なるものの存在を信じたい、ひれ伏したいのではないかと感じてしまいます。「願いをかなえたい」という欲求を満たすために人間は昔から宗教やスピリチュアルなものを信じてきたわけです。もちろんいい面も悪い面もありながら、そうしたものの必要性は確実にあった。今、ザッカーバーグがやろうとしているのはそこでしょう。「現実ではできないけれど、ここでならなんでもできる」のがメタバースですよね。でももちろん彼は神ではない。ハンセン 非常に興味深い。レンブケ 例えば雨に降られた後、暖かく安全な家の中で安らぐ――幸せなことですよね。そんなささいなことでも、人は宇宙の偉大さや自身のちっぽけさを知るきっかけになったりします。 そうした“偉大さの前にひれ伏したい”人間の欲望が、リアルと地続きではない仮想空間に向かった時、なにを受け取ることになるのでしょう。実際にはそこは“願いがなんでもかなう場所”でも“真に偉大な場所”でもありません。あくまで人間が創造した危うい虚像でしかない。 わたしはむしろ、世界から逃げ出すのではなく、現実世界の中に没入することで本当の癒やしが見つかる――と思うのですけどね。「知ること」で救われるハンセン ある種の盲信や宗教化に関しては、わたしは「脳科学」にも思うことがあるのです。 脳科学が説く多くの真実は、極端に言えば2千年前から人間が知っていたことです。わたしはギリシャ哲学のストア派が好きで、今でも年に1度はマルクス・アウレリウスを読み返して患者さんに話したりするのですが、あまりピンときてもらえない。でも同じことを“ドーパミン”という言葉を使って説明すると、「なるほど!」となる。レンブケ 現代社会では科学が宗教の役割を果たしているのかもしれませんね。研究者・科学者たちがかつての神官のようになっていて。 効率性重視で、現代の知識レベルに応じた知見を「手っ取り早くわかりたい」、昔ながらの宗教では現在の化学や物理からすれば古すぎる、ということかもしれません。最近のアメリカでは「スピリチュアルは信じるけど無宗教」という人が多いですよ。“究極の真実”を知りたいという欲望自体は残っているのでしょう。ハンセン 確かに。20世紀にはファシズムやコミュニズム、リベラリズムといった「大きな物語」が語られましたが、それらは一つ一つ地に墜ちて、今ではリベラリズムすら息も絶え絶えと言っていいでしょう。宗教離れも進みました。 その結果、真空状態になってしまっていますよね。信じられるものがない状態。そこへ地震や疫病が襲ってくる。そうした“真空状態”に今は脳科学がハマっているのかもしれませんね。だから多くの人がレンブケさんやわたしの本を読む。ただそれは「知ることが救いになる」と知っているからではないでしょうか。世界中で増加する依存症患者レンブケ わたし自身、エロティックな恋愛小説への依存から抜け出せたのは、自分の状態が異常だと気付けたからでした。薬物などの深刻な依存症とは較べ物にならないですが、それでも離脱には本当に苦労しました。ハンセン 依存症は世界的にも増加傾向にありますね。レンブケ 何らかの依存症で亡くなる人は1990年から2017年までで、世界中の全ての年齢集団で増加しています。しかも50歳以下の若い人たちが半分以上です。重要なのはやはり知ること。あとは自分に対しても、他人に対しても正直であること。そういうマインドセットを持てていれば、他者とのつながりを保て、孤立しない。まずはそこが大事なのではないかとわたしは思っています。アンデシュ・ハンセン精神科医。1974年生まれ。スウェーデン・ストックホルム出身。スットックホルム商科大学でMBAを取得し、名門カロリンスカ医科大学で医学を学ぶ。『スマホ脳』『一流の頭脳』が世界的ベストセラーに。アンナ・レンブケ精神科医・医学博士。1967年、米アリゾナ州で生まれ、イエール大学卒業後、スタンフォード大学で医学を修める。依存症医学の第一人者であり、現在スタンフォード大学医学部教授。「週刊新潮」2023年3月30日号 掲載
人はなぜ、何かに「ハマって」しまうとそこから抜け出せなくなるのか。それは「脳内麻薬」ドーパミンのせいだ、と結論する一冊がある。
『ドーパミン中毒』(新潮新書)である。
全米でベストセラーとなった同書の著者はスタンフォード大学医学部教授のアンナ・レンブケ博士。精神科医であり、依存症医学の世界的第一人者だ。仰ぎ見るような経歴の持ち主で4児の母でもあるが、恋愛小説中毒から抜け出せなくなった経験がおありだという。
恋愛小説に限らず、現代社会はわれわれをとりこにする多様な誘惑に満ちている。
恋愛・結婚そっちのけで「推し活」にプライベートを捧げ、「沼」に陥り大金を投じてしまう。課金もいとわずゲームに興じ、SNSに一日の大半を費やす――そんな若者が増加しているという報道を目にするが、いい大人だって大差ない。
男性ならば酒に女にギャンブルに、女性ならばアイドル、韓流、宝塚等々に入れ揚げ、お金と時間に羽が生えて「こんなはずでは」という経験をした人も少なくないだろう。仕事や恋愛、筋トレですら「依存症」になりうると同書は警告する。
人が快楽を感じると、もしくは快楽を“期待する”と放出される脳内化学物質ドーパミン。われわれの行動は理性によらず、脳がより多くのドーパミンを得たいがためになされることがある。これが依存症を引き起こす原因ともなるし、企業もまたこうした脳の反応を利用し客を引き留めているとレンブケ氏は指摘する。わたしたちは「ドーパミン経済」のまっただ中で生きているのだ、と。
こうした現代社会でいかにして生き延びるか、同様の指摘を行ったのが『スマホ脳』(新潮新書)をはじめとする世界的ベストセラーの著者、スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセン氏だ。
一連の著書は日本でも累計100万部を突破、「世界一受けたい授業」(日テレ系)などのテレビ番組でもおなじみかもしれない。
デジタル機器に適応するようには人間の脳は進化していない、とハンセン氏は「スマホ依存」へ警鐘を鳴らす。レンブケ氏とはハンセン氏がホストを務めるスウェーデンのテレビ番組にゲストとして招いたこともある旧知の仲だ。
二人が「コロナ明け」の今だからこそ、改めて警告する「現代社会のわな」とは。
ハンセン 今年、テレビ番組に出演するため初めて日本に行ったんですよ。日本はまだマスクをしている人が多くて驚きました。
レンブケ パンデミックの受け止め方は国によってさまざまですね。
ハンセン レンブケさんはこのパンデミックの前後ではどんな変化があったと思いますか?
レンブケ わたしが興味深かったのは、依存症の患者さんが二つのグループに分かれたように見えたことですね。ひとつは依存がますますひどくなった人たち。もうひとつは家から出なくなったことでトリガー(刺激)が減ったのか、依存がマシになったという人たち。
ハンセン なるほど。
レンブケ 家から出ず、車を使わなくなればドラッグのディーラーを訪ねたくなる衝動も減ります。そういう形で依存症がマシになった人たちが一定数、見受けられましたね。
ハンセン わたしも病院で診療を続けていますが、デジタル依存については進んだ人が増えたように感じました。レンブケさんは「スマホはインターネットにつながれた私たちに24時間、週7日、休みなしにデジタル方式でドーパミンを運んでくる現代の皮下注射針だ」と書いていますよね。
レンブケ 確かに、デジタル依存は増えたように思います。ただその一方で、パンデミックが始まって1年後くらいからでしょうか。人と対面で会いたいという自分の欲求に気付いた人も多かったように思います。ある意味、デジタルのむなしさを悟ったというか。コロナの自粛期間が終わったあと、みんなが家から出てきて、あえて人と会い、そうやってドーパミンを得ている姿を見て、すごく素敵だと思いましたね。特に、オンラインで交流しがちな若い人たちが、人と現実でつながることのすばらしさを感じてくれたのはよかったと思います。
ハンセン 同感です。『ストレス脳』(新潮新書)でも紹介しましたが、「グループに属している」という感覚を得るためには、オンラインではなく「物理的接触」が必要だという説があるのですね。
レンブケ 脳内物質であるエンドルフィンの話ですね。
ハンセン そう、一緒に笑う、歌う、踊る、スポーツをするといったことでエンドルフィンが出るという実験結果で、そもそもエンドルフィンはチンパンジーやゴリラでは毛繕い(グルーミング)をする時に出るホルモンです。
レンブケ 相手への友情や親密さを感じて分泌される、多幸感の中心的な役割を果たす物質ですね。
ハンセン つまり、人間は文化活動によって「進化型のグルーミング」をしているのではないかというのがその説で、パンデミックによってこうした物理的接触が失われたことは、実は深刻な問題を引き起こしていたのかもしれません。
レンブケ 実際、依存が進んだ人もいましたし。
ハンセン 「グループに属する」というのは食べ物を手に入れるのと同じくらい脳にとって重要なのだ、とわたしは患者さんに強調しています。わたしたちが相手の表情や感情を読もうとするのは、グループから追い出されないようにするためです。
レンブケ それがスクリーン越しだとなかなか伝わらないですよね。
ハンセン 仮想空間メタバースやVR(バーチャルリアリティー)ですべてを現実と置き換えられると考える人もいるようですが、それは無理だとわたしは思います。
もうひとつ大きかったのは、レンブケさんも書いていた「孤独」「孤立」の問題です。孤独な状態が続けば病気になるリスクが高まるというのは、この10年で最も驚くべき医学的発見と言ってよいと思います。ですが、コロナ禍はそういった状況も招きました。
レンブケ その点でわたしが強調したいのは、ドラッグ=高ドーパミン製品の過剰摂取は、孤立と無関心の悪循環に陥る危険を招くということですね。
脳にとって本来、報酬であったはずの共感や愛着の代わりをスマホやゲーム、薬物が果たしてしまえば、他者とのつながりが不要になってしまう。でも脳は報酬が欲しい。さらに高ドーパミン製品への依存を深める――そういうサイクルができてしまうと、抜け出すのはなかなか難しい。こういった形で孤立を深めるケースがこのパンデミックでは見受けられましたね。
ただし申し上げておきたいのは、依存というのは恥ずかしくはないということです。誰でもなりえますし、社会生活に支障を来すようであれば医師に相談するべきですが、このドーパミン過多の現代社会では、戦略的に自分をコントロールしていくことが肝要です。自分自身を生物学的な観点から見ること、自分に対して思いやりをもつことが大事ではないでしょうか。
ハンセン 同感です。わたしも先日、うつ症状で初めて受診した60代の患者さんに伝えたのは、「人間を生物学的に見ることは許しにもなる」という話でした。
どうして脳が自分にそう感じさせるのか、その仕組みを知ることは救いになりえます。例えば、人間は不安があることが「普通」です。ない人の方がおかしい。わたしたちの脳は、生き延びるためにそう進化してきたのですから。
レンブケ そうですね。そういうことです。
ハンセン 人間はその歴史の中で、ティーンエイジャーになるまでに半分が死んできました。こんなに長生きになったのは最近のことで、それまではほとんどが飢餓や殺人、旱魃(かんばつ)や感染症が死因でした。わたしたちはそんな事態に対応でき、生き延びてきた人たちの子孫です。人間がサバンナで暮らしていた頃に警戒すべき事柄を、今も脳が警戒するのはいわば自然ですよね。
レンブケ その患者さんにそう伝えたのですね。
ハンセン はい。もちろん、うつも不安も原因はさまざまですが、「自分はおかしい」「わたしは壊れてしまった」と自分を責めてしまう患者さんは多い。
わたしがその患者さんに言ったのは「脳はあなたを守ろうとしているだけだ」ということです。「わたしは壊れていない!」と気付くことで、その患者さんはやっと抗うつ剤を受け入れてくれました。
レンブケ 「わたしは壊れていない」というのは非常に大事な考え方ですね。
先ほども言ったように、これだけドーパミン依存を助長するものに溢れた今の社会では、誰でも依存症になりえます。『ドーパミン中毒』でも詳しく書きましたが、恥ずかしいと隠すのではなくて、むしろ「徹底的に正直であること」が、依存に限らず、負のサイクルを正に戻すためには重要だと思っているのですね。そうやって人との親密性、属する場所を作ることが癒やしにつながるのだと。
そのためには社会構造をどうやって変えていくのか考えなくてはいけません。
ハンセン 一方でフェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグなどはメタバースの開発に巨額の投資をし、社会構造をも変えかねませんが。
レンブケ VRにおける他者との交流は、ドラッグ摂取と同じだと思っています。脳の視覚野や聴覚野を刺激するデジタルドラッグです。わたしにはザッカーバーグが麻薬カルテルの麻薬王みたいに見えてきます(笑)。
ハンセン それはまた。
レンブケ 彼はドーパミン消費を促す方向にものごとを進めています。今後確実にうつ、不安、自殺が増えていくと思います。非常に悲観的な見方だというのは自分でも分かっていますが、物理的な身体から離れてデジタルの中で暮らしていけば、もう生きていたくないと感じる人が増えるのではないでしょうか。わたしの立場からはそう危惧せざるを得ません。
ハンセン 人間は今、身体から精神を切り離してデジタルに送ろうとしていますよね。確かに昔からさまざまな宗教が、身体的苦痛から魂を救うと称してきました。でも身体と精神が切り離せるのでしょうか。この両者は同じひとつのシステムとして働いているのに。
レンブケ メタバースへの期待を見ていると、人は偉大なるものの存在を信じたい、ひれ伏したいのではないかと感じてしまいます。
「願いをかなえたい」という欲求を満たすために人間は昔から宗教やスピリチュアルなものを信じてきたわけです。もちろんいい面も悪い面もありながら、そうしたものの必要性は確実にあった。今、ザッカーバーグがやろうとしているのはそこでしょう。「現実ではできないけれど、ここでならなんでもできる」のがメタバースですよね。でももちろん彼は神ではない。
ハンセン 非常に興味深い。
レンブケ 例えば雨に降られた後、暖かく安全な家の中で安らぐ――幸せなことですよね。そんなささいなことでも、人は宇宙の偉大さや自身のちっぽけさを知るきっかけになったりします。
そうした“偉大さの前にひれ伏したい”人間の欲望が、リアルと地続きではない仮想空間に向かった時、なにを受け取ることになるのでしょう。実際にはそこは“願いがなんでもかなう場所”でも“真に偉大な場所”でもありません。あくまで人間が創造した危うい虚像でしかない。
わたしはむしろ、世界から逃げ出すのではなく、現実世界の中に没入することで本当の癒やしが見つかる――と思うのですけどね。
ハンセン ある種の盲信や宗教化に関しては、わたしは「脳科学」にも思うことがあるのです。
脳科学が説く多くの真実は、極端に言えば2千年前から人間が知っていたことです。わたしはギリシャ哲学のストア派が好きで、今でも年に1度はマルクス・アウレリウスを読み返して患者さんに話したりするのですが、あまりピンときてもらえない。でも同じことを“ドーパミン”という言葉を使って説明すると、「なるほど!」となる。
レンブケ 現代社会では科学が宗教の役割を果たしているのかもしれませんね。研究者・科学者たちがかつての神官のようになっていて。
効率性重視で、現代の知識レベルに応じた知見を「手っ取り早くわかりたい」、昔ながらの宗教では現在の化学や物理からすれば古すぎる、ということかもしれません。最近のアメリカでは「スピリチュアルは信じるけど無宗教」という人が多いですよ。“究極の真実”を知りたいという欲望自体は残っているのでしょう。
ハンセン 確かに。20世紀にはファシズムやコミュニズム、リベラリズムといった「大きな物語」が語られましたが、それらは一つ一つ地に墜ちて、今ではリベラリズムすら息も絶え絶えと言っていいでしょう。宗教離れも進みました。
その結果、真空状態になってしまっていますよね。信じられるものがない状態。そこへ地震や疫病が襲ってくる。そうした“真空状態”に今は脳科学がハマっているのかもしれませんね。だから多くの人がレンブケさんやわたしの本を読む。ただそれは「知ることが救いになる」と知っているからではないでしょうか。
レンブケ わたし自身、エロティックな恋愛小説への依存から抜け出せたのは、自分の状態が異常だと気付けたからでした。薬物などの深刻な依存症とは較べ物にならないですが、それでも離脱には本当に苦労しました。
ハンセン 依存症は世界的にも増加傾向にありますね。
レンブケ 何らかの依存症で亡くなる人は1990年から2017年までで、世界中の全ての年齢集団で増加しています。しかも50歳以下の若い人たちが半分以上です。重要なのはやはり知ること。あとは自分に対しても、他人に対しても正直であること。そういうマインドセットを持てていれば、他者とのつながりを保て、孤立しない。まずはそこが大事なのではないかとわたしは思っています。
アンデシュ・ハンセン精神科医。1974年生まれ。スウェーデン・ストックホルム出身。スットックホルム商科大学でMBAを取得し、名門カロリンスカ医科大学で医学を学ぶ。『スマホ脳』『一流の頭脳』が世界的ベストセラーに。
アンナ・レンブケ精神科医・医学博士。1967年、米アリゾナ州で生まれ、イエール大学卒業後、スタンフォード大学で医学を修める。依存症医学の第一人者であり、現在スタンフォード大学医学部教授。
「週刊新潮」2023年3月30日号 掲載