4月9日に投開票が行われた地方選挙で、神奈川県知事選や奈良県知事選といった「注目選挙」とは別のところで、開票後に注目を集めたのが鳥取県議会議員選挙だ。
定員12名に対して立候補者は13人で、最下位で当選したのが平井伸治氏。この平井氏、鳥取県知事と同姓同名。そのことが得票につながったのではとみられている。
平井氏は鳥取と地縁があるわけではない。また過去、詐欺事件で有罪判決も受けた人物である。むろんそうした人物が再起を懸けること自体は否定されるものではないにせよ、県知事の名前を最大限活用しての当選なのは間違いないだろう。この点は本人も認めている。
結果として、地元にほとんど縁がなく、本人すら当選するとは思っていなかった候補者がギリギリのところで議席を獲得するという珍事が起きたわけである。
【写真】“死んだ男”が立候補した都知事選 当時の「候補者一覧」をみる ただ、選挙戦とは候補者たちが人生を懸けた大勝負であり、ある意味では多くの人間の欲望がぶつかり合う場でもある。それだけ珍事件が起きること自体は決して珍しいものではない。 1963年の東京都知事選では立候補した人が書類上、選挙前に「死亡」していたというおかしな事が起きた。そして、この一件でも「同姓同名」がキーワードとなっている。「詐欺」というあたりも奇妙にシンクロするところである。 この不思議な「幽霊候補事件」について、『ヤバい選挙』(宮澤暁・著)を見てみよう。選挙マニアの著者が集めた選挙にまつわる衝撃のエピソード集である(以下は、同書をもとに再構成したものです) ***人造人間を青少年のために造る 1963年の東京都知事選は3月23日告示、投票日は4月17日だった。立候補の締め切り日、4月2日に橋本勝という人物が選挙管理委員会に現れる。2023年4月9日の知事選で5選を果たした鳥取県の平井伸治知事 彼は立候補に必要な書類はそろえていたものの、選挙公報の原稿を用意していなかった。 そこでその場で職員の前で筆を取り出して、さらさらと原稿を作成した。達筆すぎて読み取りづらいものだったが、次のようなことが書かれていた。「政経パトロールプレス社々長 橋本勝 58歳」政見放送で「放送禁止用語」を連呼する候補者がいた。村民200人以上が一斉出馬した村長選があった。「死んだ男」が立候補した都知事選があった。「問題候補者」の真の狙いは何だったのか。そして有権者はどんな判断を下したか。屈指の選挙マニアが、半世紀分の資料から発掘した衝撃のエピソードを明かす。国政選挙、地方選挙から「選挙権が剥奪されていた島」の初投票まで網羅した、「我らが民主主義制度」のヤバい事件簿 『ヤバい選挙』 政策として「愛情都政」を訴えており、「23区」を「市」に格上げすることを掲げているあたりはまだ理解できるのだが、その先がすごかった。「青少年非行防止のため女の人造人間を数万体造って(略)青少年のエネルギーの発散場所を造ってやる」 無茶苦茶な構想なのだが、橋本氏は真剣だった。当時、「週刊新潮」が彼にインタビューをしている。それによると、橋本氏は青少年の性のはけ口を非常に憂慮しているようで、その解決策が「女性型人造人間」なのだという。そして名前は明かせないが、ある技術者に1体20万円で作れると言われた、と。ちなみに当時の国家公務員大卒総合職の初任給が1万7千円ほどなので、いかにこの人形が高価なのかがわかる。死んでいた候補者 これだけでも人々の度肝を抜くには十分だが、橋本氏はさらに世間を驚かせる。都選挙管理委員会が、立候補資格を審査すべく、彼の本籍地、大阪市に問い合わせると、驚くべき回答が返ってきたのだ。「橋本勝は2月17日に病院で死亡している」 慌てて選挙管理委員会は大阪に職員を派遣したが、出てくるのは「橋本勝」は死んでいるという証言や証拠ばかり。いとこの証言によれば、自分の知る橋本勝は「障害を抱えていて、文字がしっかり書けないなど、ひとりでは生活できない」人だったという。 一方で「候補者の橋本勝」は達筆で、妻子(2男2女)を養っていた。「大阪の橋本勝」は生活上の問題を抱えていたので、民生委員の世話にもなっていたが、彼らもまた「候補者の橋本勝」は、自分たちの知る「戸籍上の橋本勝」とは別人だと述べて、戸籍の売買が行われた可能性を指摘した。 これらの事実を突きつけられた「候補者の橋本勝」は、戸籍上死んでいるとは初耳で、驚いている、これは謀略だと言い、さらに自分こそが戸籍上死んだことになっている橋本勝だという主張を崩さなかった。 しかし誰がどう見ても、「候補者の橋本勝」の主張には無理がある。 問題は、だからといって「立候補取り消し」とは簡単にいかないという点だった。 当時、立候補を却下できるのは「法律で定められた資格のない者」「被選挙権のない者」「複数の選挙に同時に立候補した者」の三つのケースに限られていた。 今回の場合、その三つには当てはまらない、と当初選挙管理委員会は解釈していたのだ。そうなると取り消しは不可能になってしまう。 しかし、選挙管理委員会は、次のような結論を出して、「候補者の橋本勝」に伝える。 ――あなたの戸籍が不明である状態では、被選挙権は認められない。つまり立候補はできない。投票当日までに被選挙権を有すると公証しない限りは、「橋本勝」への投票は無効票とする―― 戸籍の主が自分であり、我こそが本物の橋本勝である、と証明するには裁判を起こす必要がある。あるいはまったく別の戸籍を提出する必要がある。しかしいずれも投票日までにできるはずもなく、結局、橋本勝への投票はすべて無効票にカウントされることになった。そのため彼の得票数は「0」となっている。 ただし、実は無効票の中に「被選挙権のない候補者の氏名を記載したもの」が2万票以上あった。これが有効票であれば、全体で4位という立派な結果だったのだ。選挙妨害の作戦 それにしてもなぜ「候補者の橋本勝」はこのような振る舞いに出たのだろうか。ここでも実は「名前」が謎を解くカギになってくる。 この選挙で自民党が推していたのは東龍太郎という候補者だった。これに対抗して野党が共闘して立てたのが、阪本勝候補である。 野党が結集した革新勢力にはそれなりの勢いがあり、前回、前々回の都知事選でも健闘をしていた。が、自民党側は今回ばかりは絶対に負けられないと考えていた。というのも翌年に東京オリンピックを控えていたからだ。 自民党側の「革新勢力潰し」は今では考えられないほどひどいものだった。なにせ右翼系の泡沫候補を立てるということまでしたのだ。 これら泡沫候補やその運動員が、街頭演説や立ち合い演説会の場で、阪本候補の妨害を露骨に行う。時には暴れて暴力沙汰も起こす。 阪本陣営によれば、立会演説会63回のうち、まともに話せたのは1,2回だったというからすさまじい。 さて、そして「橋本勝」である。「阪本勝」と名前がかなり似ていることは一目瞭然だろう。 このように妨害したい候補と名前がよく似ている人を立候補させて、有権者を混乱させるという戦法はまれに見られるものだったという。実際、この都知事選にはもうひとり、「中山勝」という候補者も出ている。中山は1万8千票を獲得した。 このように阪本勝と間違える人が多ければ多いほど、東候補には有利になる。そんな計算がこの一件の裏側にはあったのだ。 このようなことは選挙後に、選挙違反で逮捕された人物の取り調べから見えてきた。が、この人物は公判途中で死亡してしまったため、その背後の黒幕は不明なままになっている。正体は不明なまま ところで、「候補者の橋本勝」はどうなったか。実は彼も選挙後に逮捕されている。 彼は投票日当日、居住していた目黒区の投票所で投票をした。これが彼の命運を決めることとなった。 彼は「戸籍上の橋本勝」ではないにもかかわらず、その立場で投票したことが「詐偽投票」にあたるという容疑で逮捕されたのだ。 結果、わかった事実は以下の通りである。・1938年に上京した時点で「橋本勝」を名乗っていた・1939年に結婚、4人の子どもが生まれたが、すぐに婚姻届や出生届は出さず、1955年に「大阪の橋本勝」の戸籍に届出を出した・1949年に目黒区議選に出馬して落選・1939年から横領、選挙違反、恐喝等で10回検挙され、2回裁判を受けているが、いずれも「橋本勝」で通している。 都知事選への立候補が阪本候補の妨害目的であることは確定的だったものの、今回のためにどこからか戸籍を流用した可能性は薄いこともわかった。 そして検察は、この人物が何者なのかを特定することはできないままだった。本人は有罪判決を受けてもなお、自分が本物だという主張を崩さなかったのだ。 そのため、驚くべきことに、検察も最後までその正体はおろか、そもそも日本国籍を有しているのかすら、突き止められなかったという。 このように前代未聞の幽霊候補は、正体を明らかにすることなく、歴史の闇へと消えていったのである。※『ヤバい選挙』より一部抜粋・再構成。デイリー新潮編集部
ただ、選挙戦とは候補者たちが人生を懸けた大勝負であり、ある意味では多くの人間の欲望がぶつかり合う場でもある。それだけ珍事件が起きること自体は決して珍しいものではない。
1963年の東京都知事選では立候補した人が書類上、選挙前に「死亡」していたというおかしな事が起きた。そして、この一件でも「同姓同名」がキーワードとなっている。「詐欺」というあたりも奇妙にシンクロするところである。
この不思議な「幽霊候補事件」について、『ヤバい選挙』(宮澤暁・著)を見てみよう。選挙マニアの著者が集めた選挙にまつわる衝撃のエピソード集である(以下は、同書をもとに再構成したものです)
***
1963年の東京都知事選は3月23日告示、投票日は4月17日だった。立候補の締め切り日、4月2日に橋本勝という人物が選挙管理委員会に現れる。
彼は立候補に必要な書類はそろえていたものの、選挙公報の原稿を用意していなかった。
そこでその場で職員の前で筆を取り出して、さらさらと原稿を作成した。達筆すぎて読み取りづらいものだったが、次のようなことが書かれていた。
「政経パトロールプレス社々長 橋本勝 58歳」
政策として「愛情都政」を訴えており、「23区」を「市」に格上げすることを掲げているあたりはまだ理解できるのだが、その先がすごかった。
「青少年非行防止のため女の人造人間を数万体造って(略)青少年のエネルギーの発散場所を造ってやる」
無茶苦茶な構想なのだが、橋本氏は真剣だった。当時、「週刊新潮」が彼にインタビューをしている。それによると、橋本氏は青少年の性のはけ口を非常に憂慮しているようで、その解決策が「女性型人造人間」なのだという。そして名前は明かせないが、ある技術者に1体20万円で作れると言われた、と。ちなみに当時の国家公務員大卒総合職の初任給が1万7千円ほどなので、いかにこの人形が高価なのかがわかる。
これだけでも人々の度肝を抜くには十分だが、橋本氏はさらに世間を驚かせる。都選挙管理委員会が、立候補資格を審査すべく、彼の本籍地、大阪市に問い合わせると、驚くべき回答が返ってきたのだ。
「橋本勝は2月17日に病院で死亡している」
慌てて選挙管理委員会は大阪に職員を派遣したが、出てくるのは「橋本勝」は死んでいるという証言や証拠ばかり。いとこの証言によれば、自分の知る橋本勝は「障害を抱えていて、文字がしっかり書けないなど、ひとりでは生活できない」人だったという。
一方で「候補者の橋本勝」は達筆で、妻子(2男2女)を養っていた。
「大阪の橋本勝」は生活上の問題を抱えていたので、民生委員の世話にもなっていたが、彼らもまた「候補者の橋本勝」は、自分たちの知る「戸籍上の橋本勝」とは別人だと述べて、戸籍の売買が行われた可能性を指摘した。
これらの事実を突きつけられた「候補者の橋本勝」は、戸籍上死んでいるとは初耳で、驚いている、これは謀略だと言い、さらに自分こそが戸籍上死んだことになっている橋本勝だという主張を崩さなかった。
しかし誰がどう見ても、「候補者の橋本勝」の主張には無理がある。
問題は、だからといって「立候補取り消し」とは簡単にいかないという点だった。
当時、立候補を却下できるのは「法律で定められた資格のない者」「被選挙権のない者」「複数の選挙に同時に立候補した者」の三つのケースに限られていた。
今回の場合、その三つには当てはまらない、と当初選挙管理委員会は解釈していたのだ。そうなると取り消しは不可能になってしまう。
しかし、選挙管理委員会は、次のような結論を出して、「候補者の橋本勝」に伝える。
――あなたの戸籍が不明である状態では、被選挙権は認められない。つまり立候補はできない。投票当日までに被選挙権を有すると公証しない限りは、「橋本勝」への投票は無効票とする――
戸籍の主が自分であり、我こそが本物の橋本勝である、と証明するには裁判を起こす必要がある。あるいはまったく別の戸籍を提出する必要がある。しかしいずれも投票日までにできるはずもなく、結局、橋本勝への投票はすべて無効票にカウントされることになった。そのため彼の得票数は「0」となっている。
ただし、実は無効票の中に「被選挙権のない候補者の氏名を記載したもの」が2万票以上あった。これが有効票であれば、全体で4位という立派な結果だったのだ。
それにしてもなぜ「候補者の橋本勝」はこのような振る舞いに出たのだろうか。ここでも実は「名前」が謎を解くカギになってくる。
この選挙で自民党が推していたのは東龍太郎という候補者だった。これに対抗して野党が共闘して立てたのが、阪本勝候補である。
野党が結集した革新勢力にはそれなりの勢いがあり、前回、前々回の都知事選でも健闘をしていた。が、自民党側は今回ばかりは絶対に負けられないと考えていた。というのも翌年に東京オリンピックを控えていたからだ。
自民党側の「革新勢力潰し」は今では考えられないほどひどいものだった。なにせ右翼系の泡沫候補を立てるということまでしたのだ。
これら泡沫候補やその運動員が、街頭演説や立ち合い演説会の場で、阪本候補の妨害を露骨に行う。時には暴れて暴力沙汰も起こす。
阪本陣営によれば、立会演説会63回のうち、まともに話せたのは1,2回だったというからすさまじい。
さて、そして「橋本勝」である。「阪本勝」と名前がかなり似ていることは一目瞭然だろう。
このように妨害したい候補と名前がよく似ている人を立候補させて、有権者を混乱させるという戦法はまれに見られるものだったという。実際、この都知事選にはもうひとり、「中山勝」という候補者も出ている。中山は1万8千票を獲得した。
このように阪本勝と間違える人が多ければ多いほど、東候補には有利になる。そんな計算がこの一件の裏側にはあったのだ。
このようなことは選挙後に、選挙違反で逮捕された人物の取り調べから見えてきた。が、この人物は公判途中で死亡してしまったため、その背後の黒幕は不明なままになっている。
ところで、「候補者の橋本勝」はどうなったか。実は彼も選挙後に逮捕されている。
彼は投票日当日、居住していた目黒区の投票所で投票をした。これが彼の命運を決めることとなった。
彼は「戸籍上の橋本勝」ではないにもかかわらず、その立場で投票したことが「詐偽投票」にあたるという容疑で逮捕されたのだ。
結果、わかった事実は以下の通りである。
・1938年に上京した時点で「橋本勝」を名乗っていた
・1939年に結婚、4人の子どもが生まれたが、すぐに婚姻届や出生届は出さず、1955年に「大阪の橋本勝」の戸籍に届出を出した
・1949年に目黒区議選に出馬して落選
・1939年から横領、選挙違反、恐喝等で10回検挙され、2回裁判を受けているが、いずれも「橋本勝」で通している。
都知事選への立候補が阪本候補の妨害目的であることは確定的だったものの、今回のためにどこからか戸籍を流用した可能性は薄いこともわかった。
そして検察は、この人物が何者なのかを特定することはできないままだった。本人は有罪判決を受けてもなお、自分が本物だという主張を崩さなかったのだ。
そのため、驚くべきことに、検察も最後までその正体はおろか、そもそも日本国籍を有しているのかすら、突き止められなかったという。
このように前代未聞の幽霊候補は、正体を明らかにすることなく、歴史の闇へと消えていったのである。
※『ヤバい選挙』より一部抜粋・再構成。
デイリー新潮編集部