元プロ野球選手の清原和博氏が2月6日、知人の社長らと共に那覇署から感謝状を送られた。清原氏は昨年2月23日、キャンプ取材で訪れた那覇市内の国道でバイクと乗用車が絡む事故現場に遭遇。足を怪我した男性を歩道まで運ぶなどの救助活動に協力していた。当時は「当然のことをしただけ」と固辞していたが、1年越しの贈呈式が実現。清原氏は「まさか自分が警察から表彰されるとは」と笑顔を見せた。この報道にSNSでは、〈素晴らしい!〉など勇気ある行動を賞賛する声が多数上がっている。
【写真】清原氏と、「135億円社長」の笑顔ツーショット 実はこの事故現場に清原氏とともに遭遇し、今回、感謝状を受けとった「友人」のひとりは清原氏に負けず劣らずの“大物”だ。名古屋で自動車販売業を営む三和サービス代表取締役社長の水野守道氏(49)。同社の2020年の売上高は135億円超を誇る。一体、清原氏とはどのような関係なのか――。当時の救助活動の様子も含めて話を聞いた。「行くしかないだろ!」「助けにいくぞ」「去年2月、清原和博さんと僕とで沖縄でゴルフをした後、中日ドラゴンズの片岡篤史・二軍監督の沖縄キャンプ地に激励に行く途中で事故に遭遇しました。信号待ちしていた時に、目の前の車が何かを避けて前に進んだので、見てみるとビッグスクーターに乗った50代くらいの男性が倒れていました。さらに男性と接触したらしい若い女性が、車に乗ったまま呆然としている様子でした」(水野社長) その時は大雨で視界も悪く、風も強い状況だった。ほかの車のようにそのまま通過することもできたが、水野社長は「この悪天候のなかでは二次被害が起こるかもしれない」と咄嗟に思ったのだという。「僕が『これは危ないよ!』と言うと、清原さんも『行くしかないだろ!』『助けに行くぞ』と言って外に飛び出しました。男性が痛がっていたので、まずはバイクの下敷きになっている男性を清原さんと一緒に引き上げて、バイクを道路の端に寄せました。車に乗った女性は呆然としたままだったので、僕は『運転して端に寄せるから、一瞬降りて』と言って女性の車を路肩に寄せました。清原さんは男性を背負う形で運び、女性の車のハッチバックを開けて座らせました。まずはなんとか痛がる男性を雨宿りさせようと考えたのですが、それは我ながら素早く対応できたと思います」(水野社長) この時、救助をしながら水野社長の頭のなかには別の“危惧”があった。道ゆく人のなかには、スマホで写真を撮っている人がいる。彼らがこの状況を見て、「清原が事故を起こした」と根も葉もないことを書き込むのではないか、という心配だった。「それこそSNSの全盛時代ですから、事実を間違って捉えられて拡散される恐れもあった。ですが、そんなことは少しも気にせず救助にあたった清原さんの勇気は、友人として讃えたいと思いますね」(水野社長) その後まもなく現場に到着した救急車やパトカーに引き継いだため、救助にあたった時間は10分ほどだったという。翌日、沖縄県警から水野社長の元に「感謝状を送りたい」と連絡があったが、表彰は断わったという。それから1年後、再び沖縄キャンプに訪れると、その情報をどこからからか聞きつけた県警から再び、表彰の話を受けたという。「電話があって『1年前の件で感謝状を送りたい』と言われました。光栄なことでもあったので感謝状はありがたくいただくことにしまして、一方で交通安全への取り組みを進めていただきたいという思いを込めて、交通安全協会に愛知県の会社代表として30万円の寄付をしました」(水野社長)「清原さんは後遺症と闘っている」 清原氏と水野氏の付き合いは約8年になるという。水野社長が語る。「名古屋で20年ビジネスをやっていますから、そりゃ色々と付き合いはございます。元々は僕も小学生の頃からずっと野球をやっていて、清原選手のようになりたくてバットを振っていましたから、そんな方と親しくなれたことは本当に嬉しいことです。ただ、僕は清原さんに対して一切遠慮もしないし忖度もしません。そんな僕のスタンスを気に入ってくださったんだと思います。 僕がお願いして、会社のイベントに協力してもらったこともあります。去年のクリスマスには赤いサンタの格好をした清原さんが赤いフェラーリに乗って登場し、ショッピングモールに来る子供たちにお菓子を配るイベントに出てもらいました」 清原氏も水野社長を慕って東京から名古屋に出向くこともあるようだ。「清原さんは今、薬物の後遺症もあってうつ病と闘っています。ゴルフや食事などで遊ぶことが多いですが、うつ病で辛くなった時は清原さんが東京から名古屋にやってきて、じっくり彼の悩みを聞くこともあります。 清原さんは『悪いなあ、こんな話に付き合ってもらっちゃって』なんて言うので、そういう時は『そんなの当たり前だ!しっかりしろよ』なんて軽口で返しています。清原さんも『調子に乗るなよ、年上に対してそんな口聞くな』と笑ってくれますよ(笑)」「これからも付き合っていきたい」 清原氏は過去の栄光はもちろん、薬物についてメディアで大々的に取りあげられた時期もあった。企業の代表として、清原氏と付き合うことにためらいを感じたことはないのかと問うと水野社長はこうキッパリと答えた。「まったくありません。もちろん企業の代表として、薬物に関わった人間と付き合うとリスクがあると考える人もいるでしょう。でも僕にとってそんなことは関係ない。人間は何歳でもやり直せると思っているし、そういう社会であってほしい。悪いことをしたのは本人が一番わかっているので、その気持ちを大事にしてあげたい。だから長年付き合わせていただいていますし、これからも友人として一緒にいたいです」 清原氏の表彰の陰には、社会復帰を支えてきた “135億円社長”との知られざる友情があった。取材・文/河合桃子(ライター)※週刊ポスト2023年3月10・17日号
実はこの事故現場に清原氏とともに遭遇し、今回、感謝状を受けとった「友人」のひとりは清原氏に負けず劣らずの“大物”だ。名古屋で自動車販売業を営む三和サービス代表取締役社長の水野守道氏(49)。同社の2020年の売上高は135億円超を誇る。一体、清原氏とはどのような関係なのか――。当時の救助活動の様子も含めて話を聞いた。
「去年2月、清原和博さんと僕とで沖縄でゴルフをした後、中日ドラゴンズの片岡篤史・二軍監督の沖縄キャンプ地に激励に行く途中で事故に遭遇しました。信号待ちしていた時に、目の前の車が何かを避けて前に進んだので、見てみるとビッグスクーターに乗った50代くらいの男性が倒れていました。さらに男性と接触したらしい若い女性が、車に乗ったまま呆然としている様子でした」(水野社長)
その時は大雨で視界も悪く、風も強い状況だった。ほかの車のようにそのまま通過することもできたが、水野社長は「この悪天候のなかでは二次被害が起こるかもしれない」と咄嗟に思ったのだという。
「僕が『これは危ないよ!』と言うと、清原さんも『行くしかないだろ!』『助けに行くぞ』と言って外に飛び出しました。男性が痛がっていたので、まずはバイクの下敷きになっている男性を清原さんと一緒に引き上げて、バイクを道路の端に寄せました。車に乗った女性は呆然としたままだったので、僕は『運転して端に寄せるから、一瞬降りて』と言って女性の車を路肩に寄せました。清原さんは男性を背負う形で運び、女性の車のハッチバックを開けて座らせました。まずはなんとか痛がる男性を雨宿りさせようと考えたのですが、それは我ながら素早く対応できたと思います」(水野社長)
この時、救助をしながら水野社長の頭のなかには別の“危惧”があった。道ゆく人のなかには、スマホで写真を撮っている人がいる。彼らがこの状況を見て、「清原が事故を起こした」と根も葉もないことを書き込むのではないか、という心配だった。
「それこそSNSの全盛時代ですから、事実を間違って捉えられて拡散される恐れもあった。ですが、そんなことは少しも気にせず救助にあたった清原さんの勇気は、友人として讃えたいと思いますね」(水野社長)
その後まもなく現場に到着した救急車やパトカーに引き継いだため、救助にあたった時間は10分ほどだったという。翌日、沖縄県警から水野社長の元に「感謝状を送りたい」と連絡があったが、表彰は断わったという。それから1年後、再び沖縄キャンプに訪れると、その情報をどこからからか聞きつけた県警から再び、表彰の話を受けたという。
「電話があって『1年前の件で感謝状を送りたい』と言われました。光栄なことでもあったので感謝状はありがたくいただくことにしまして、一方で交通安全への取り組みを進めていただきたいという思いを込めて、交通安全協会に愛知県の会社代表として30万円の寄付をしました」(水野社長)
清原氏と水野氏の付き合いは約8年になるという。水野社長が語る。
「名古屋で20年ビジネスをやっていますから、そりゃ色々と付き合いはございます。元々は僕も小学生の頃からずっと野球をやっていて、清原選手のようになりたくてバットを振っていましたから、そんな方と親しくなれたことは本当に嬉しいことです。ただ、僕は清原さんに対して一切遠慮もしないし忖度もしません。そんな僕のスタンスを気に入ってくださったんだと思います。
僕がお願いして、会社のイベントに協力してもらったこともあります。去年のクリスマスには赤いサンタの格好をした清原さんが赤いフェラーリに乗って登場し、ショッピングモールに来る子供たちにお菓子を配るイベントに出てもらいました」
清原氏も水野社長を慕って東京から名古屋に出向くこともあるようだ。
「清原さんは今、薬物の後遺症もあってうつ病と闘っています。ゴルフや食事などで遊ぶことが多いですが、うつ病で辛くなった時は清原さんが東京から名古屋にやってきて、じっくり彼の悩みを聞くこともあります。
清原さんは『悪いなあ、こんな話に付き合ってもらっちゃって』なんて言うので、そういう時は『そんなの当たり前だ!しっかりしろよ』なんて軽口で返しています。清原さんも『調子に乗るなよ、年上に対してそんな口聞くな』と笑ってくれますよ(笑)」
清原氏は過去の栄光はもちろん、薬物についてメディアで大々的に取りあげられた時期もあった。企業の代表として、清原氏と付き合うことにためらいを感じたことはないのかと問うと水野社長はこうキッパリと答えた。
「まったくありません。もちろん企業の代表として、薬物に関わった人間と付き合うとリスクがあると考える人もいるでしょう。でも僕にとってそんなことは関係ない。人間は何歳でもやり直せると思っているし、そういう社会であってほしい。悪いことをしたのは本人が一番わかっているので、その気持ちを大事にしてあげたい。だから長年付き合わせていただいていますし、これからも友人として一緒にいたいです」
清原氏の表彰の陰には、社会復帰を支えてきた “135億円社長”との知られざる友情があった。
取材・文/河合桃子(ライター)
※週刊ポスト2023年3月10・17日号