徳島県の高校でコオロギパウダー入りの給食が登場したことで起きた“コオロギ食騒動”から1カ月。「気持ち悪くて食べたくない」といった意見や安全性に対する疑問、さらには陰謀論めいた主張や誤情報まで出回っている。昆虫食、コオロギ食への世間の拒否反応の強さが露呈したわけだが、研究者はどう受け止めているのだろうか。
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【虫の写真注意】きつね色の衣が付いた「こおろぎの竜田揚げ」やドン・キホーテ で買える「バッタ目ミックス」情報が偏っていた コオロギをはじめとする最近の日本における昆虫食は、「食料問題の解決策」「高たんぱくで栄養豊富」といった華々しいイメージが打ち出されていた。昆虫食を研究する東京農工大学大学院農学研究院の鈴木丈詞准教授(応用昆虫学)は、今回の騒動をこう振り返る。

コオロギ食騒動(写真はイメージ)「2020年に発売された無印良品の『コオロギせんべい』をきっかけに、昆虫食の認知度が一気に上がりました。メディアでも取り上げられ、一般の方でも昆虫食の有用性に関する情報を目にする機会が増えたと思います。ですが、発信される情報は、営利企業であれば当然のことですが、食用昆虫の商品を売るためであったり、企業価値を高めたりする目的のものに偏っていました」 研究者の間では、これまでの姿勢を冷静に分析し、見直していくとの声が上がっているという。「企業や研究者が昆虫食のプロジェクトを推し進める中、一般の方が抱く昆虫食への不安やマイナスイメージとの乖離がどんどん進んでいったように感じます。古くからある昆虫食文化について知る機会や、虫を食用にするための技術的、心理的なハードルを議論する場が不足していました。コロナ禍で対話の機会が減る中、一方的な情報が積み重なってしまったことで、今回の炎上騒動が起きてしまったのだと考えています。給食の報道は端緒の一つであり、遅かれ早かれ起きた問題だとも思います」コオロギ養殖で成功したタイとの違い 改めて“コオロギ食騒動”を振り返ろう。 徳島県の高校が、食用コオロギを養殖する徳島大学発のベンチャー企業 のコオロギパウダーを使った「カボチャコロッケ」などを、昨年11月と今年2月に給食として提供した。希望した生徒だけが食する選択制だったが、批判の声が上がり、学校には問い合わせが殺到したという。 さらに、高崎経済大学発のベンチャー企業と協業で「Korogi Cafe(コオロギカフェ)」シリーズを販売しているPasco(敷島製パン)にも飛び火した。およそ2年前の2020年末から、通常商品とは全く別のラインを新設し、コオロギ入りパウダーを使ったクロワッサンやバームクーヘンなどを通販のみで販売していたのにもかかわらず、Pasco商品全体の不買運動にまで発展してしまった。これを受けて同社は、ホームページなどで《 「超熟」シリーズはじめ、他商品にコオロギパウダーが混入する可能性はなく、本シリーズ以外にコオロギパウダーを使用する予定はございません》と強調することになった。 鈴木氏は「過剰な反発の中で、『人類はコオロギを食べてこなかった』といった明らかに間違っているものが支持を集めています。このような誤解、昆虫を食べてきた人たちへの差別を生まないためには何が必要だったのか。タイの成功例から学ぶことは多いと思います」と言う。 国を挙げて食用昆虫の生産に力を入れているタイでは、生産者向けのガイドラインが整備されている。「タイでは1998年から、コンケン大学の昆虫研究者が開発した養殖技術が基盤となり、小規模農家の所得向上を目的としたコオロギ養殖事業が始まりました。農家が副業として稲作などの傍ら コオロギ養殖を始めたり、ノウハウを持たない人でも参入しやすいようにトレーニングコースが提供されたのです。その結果、養殖技術は全国に普及し、2011年にはコオロギ養殖を行う農家が全国で約2万人に、生産量は年間約7500トンに達しました。伝統的に昆虫を食べる文化がある国ではありますが、重要なことは、既存農業との連携を増やすと同時に、小学校の課外授業の一環で養殖場の見学を実施するなど、昆虫そのものや昆虫養殖に関する認知度の向上に繋がる動きを地道に進めていったことだと思います」 タイ産の食用昆虫は、世界的な昆虫食ブームの波に乗り、欧米をはじめ世界各国への輸出で大きな利益を上げているという。昆虫養殖は大きな可能性を秘めていると言えるだろう。「代替たんぱく質」という誤解を生むメッセージ 今回の炎上騒動では「政府がコオロギ食事業に6兆円の予算を投じている」というデマも拡散された。挑戦的な研究開発を推進する国の「ムーンショット型研究開発事業 」の中に「 農作物残渣(※残りかす)や食品ロス等を利用した昆虫の食料化と飼料化」に関する研究プロジェクトが含まれていることがデマを招いた一つの要因とみられる。鈴木氏は由良敬教授(お茶の水女子大学)がリーダーを務めるこのプロジェクトの研究メンバーのひとりでもある。 鈴木氏が昆虫食の研究に取り組み始めたのは2018年頃だった。「応用昆虫学の分野で学位を取ってから14年間、主に害虫防除に関する研究に従事してきました。昆虫の弱点を探るという害虫防除との共通点がある一方、その弱点をケアする昆虫養殖にも興味を抱き、さらに農作物残渣の活用など既存農業との連携に将来性を感じるようになりました。私はまだまだ新参者ですが、ここ数年は昆虫食が注目を集め、さまざまな研究が行われている勢いのある時代だと身をもって感じています。昆虫食という食文化自体は日本でも古くからあり、また、食用が目的ではないものの、生糸生産のための養蚕という昆虫養殖産業もかつては日本が牽引していました。このような背景のもと、ムーンショット事業の中の一つのプロジェクトとして、これまでは大きく産業化されてこなかった食分野における昆虫養殖の将来性、特に既存農業、畜産業および水産業との互恵的な連携に期待をかけ、研究者らも研究開発に取り組んでいます」 国や企業との連携のもと、大学やベンチャー企業での昆虫食研究がますます勢いに乗る中で、一部の研究者からはかねてから“ある懸念”の声が上がっていた。それは、食用昆虫を牛や豚などの家畜と比較し、「代替たんぱく質」や「食料問題の解決策」として、その利点を強調することへの疑問である。 例えば、無印良品の「コオロギが地球を救う? 」と題するページでは、世界人口が100億人になると予想される2050年には、たんぱく質の供給が足りなくなるとグラフを使って紹介され、《家畜の代替えとしての昆虫食が注目され始めています》と明記されている。Pasco(敷島製パン)のコオロギパンに関するページでも、ほとんど同じ内容が記されている。さらに、ムーンショット事業のページでも食料危機について紹介している。「食料危機の問題と一緒に提示されることで、昆虫食を強制されているようなメッセージを感じてしまう方もいると思います。当然ですが、食べたい人が食べればいいものであって、抵抗や不安を感じる人が昆虫食をする必要はありません。また、昆虫食の利用によってたんぱく質の供給が増えても、食料問題を直接解決できるわけではありません。食料問題の根本的な原因は、発展途上国における貧困、特に小規模農家における待遇改善の遅れです。この点に言及せず、食料問題と昆虫食を安易に結びつけることは正しくはありません。こういった指摘はムーンショット事業のメンバー内でもありましたし、私自身も違和感を覚えていましたが、サイエンスコミュニケーションにおける方針の修正が見過ごされてきてしまいました」昆虫食ビジネスの中で抜け落ちた観点 それでは、どうして「昆虫食は食料問題を解決する」といったイメージになったのか。世界的な昆虫食ブームの起点となった、国際連合食糧農業機関(FAO)が2013年に公開した「食用昆虫類:食料と飼料の安全保障の将来展望」と題する報告書に理由がありそうだ。 報告書では、2050年には人口が90億人を超え、深刻な食料不足や家畜生産による環境負荷の増大を予測。解決策の一つとして昆虫食の有用性が紹介された。ただし、「実はFAOは 、昆虫養殖や採集が小規模農家の生計多様化や所得向上につながるという利点を一貫して主張しています。また栄養豊富な昆虫は、健康的な食材の一つとなるだけではありません。栽培に大規模な土地改良が必要な穀類や、天然資源由来の魚粉だけに依存しない飼料原料の候補として、養鶏や水産養殖で利用できる可能性も持っています 。しかしながら、ビジネスとしての昆虫食が広がる中で、こういった観点がだんだん抜け落ちて、『食料問題の解決策』という点ばかりが強調されるようになってしまいました」 特に、管理しやすい乾燥エサでも飼育できるコオロギは、食用としても飼料用としても大きな可能性を秘めている昆虫の一つだという。「コオロギは雑食ですから、ヒトの食料や家畜の飼料原料との競合が少ない農作物の残渣も餌に利用できます。例えば、農家が副業として昆虫養殖をすれば、育てた作物の残渣をコオロギの餌にし、育ったコオロギを食材としてだけでなく、供給過多になったものはニワトリや魚などの餌として利用すれば、ムダが少ない食料生産が期待できます。他方、昆虫は生物多様性の代表格です。世界では少なくとも数億人が約2000種の昆虫を食材の一つとして伝統的に利用しています。コオロギ以外にも美味しさ、生産性、機能性などの面で大きな可能性を秘めている昆虫は今後複数出てくると思います」収穫物は洗浄後に加熱殺菌 鈴木氏は昆虫養殖のマニュアル化を目指した研究も行っている。「コオロギの養殖では、家庭で使うような蓋つきの衣装ケースを飼育箱として衛生的に使うことができます。紙製の卵トレイなどのシェルターを入れておくと、共食いを軽減することもできます。オスは成虫になると翅(はね)を擦り合わせて音を出しますが、騒音レベルではありません。重要なのは温度管理です。気温30度くらいをキープすれば、種によっては卵から孵化し、成虫になるまで1カ月半ほどです。1年間に8回程度収穫することができるので、気温が低い季節や地域でも、排熱利用や断熱性を高めた空間で飼育すれば、光熱費などのコストを抑え、安定的な利益に繋がる可能性があります」 食用として加工する場合は、どのように処理するのか。「1日くらい絶食させて、消化管内の中の消化物を出し切ります。虫体ごと洗浄・加熱殺菌したのちに、鮮度を保つために冷凍するか、乾燥させて粉にすることで食用になります」 こう聞くと、食欲が失せるという人もいるかもしれないが……繰り返すが、あくまで食べたいと思った人が昆虫食をすればいい。鈴木氏は昆虫に食材としての魅力も感じているという。「研究を始めた当時は、コオロギは生物学分野で昔から使われてきた実験動物という印象で、コオロギパウダーを使った食品を口にしても、おもしろいけど積極的には食べないかな……という気持ちがありました。ところが、新鮮なコオロギとバッタを竜田揚げしたものを食べて、美味しかったんです。コオロギやバッタは油との相性が良く、食感は小エビに似ています。虫の見た目が苦手な人は多いとは思いますが、パウダーにするよりも新鮮な虫体を加熱調理して食べるほうが美味しさを感じられると個人的には思います。歴史的に見ると、日本でも海外でも『美味しいから』という理由で昆虫が採集され、食べられてきたことがわかっています。一方で、食べ物がない時に食べる救荒食物だと実体験から認識されていたり、印象を抱いていたりする方もいると思います。このイメージを改善し、『美味しいから食べる』、つまり食を豊かにする食材の一つとしての可能性を昆虫養殖研究を通して検証していきたいです」11社14事業所がガイドラインを遵守 昆虫研究を行う大学や企業が集まって作った「昆虫ビジネス研究開発プラットフォーム」では、安全性確保のための「コオロギ生産ガイドライン」を作成している。「2022年に発表したこのガイドラインは、昆虫生産者がみずから食品や飼料としてコオロギを生産する際に安全性を確保し、消費者の信頼を築くことを目的に作成されました。食品衛生法や飼料の安全性の確保及び品質の改善に関する法律とも齟齬がない内容です。国内で昆虫生産を行っている業者の数は正確には把握できていませんが、現在、このガイドラインを遵守している業者は全国に11社14事業所あります」(昆虫ビジネス研究開発プラットフォーム事務局プロデューサー補佐・藤谷泰裕氏)「今回、研究者と一般の方との間の認識のずれの大きさを感じました。信頼や理解を得られるように、不安に思われる方に寄り添ったより正確な情報発信や透明性の高いサイエンスコミュニケーションを行っていこうと思います」(鈴木氏)【参考文献】タイの食用昆虫養殖https://www.fao.org/3/i3246e/i3246e.pdf世界の食用昆虫のリストhttps://www.wur.nl/en/research-results/chair-groups/plant-sciences/laboratory-of-entomology/edible-insects/worldwide-species-list.htm食材として昆虫を利用している人口https://www.wageningenacademic.com/doi/10.3920/JIFF2021.x010FAOによる昆虫食の和文解説https://www.fao.org/3/i3264it/i3264it.pdfデイリー新潮編集部
コオロギをはじめとする最近の日本における昆虫食は、「食料問題の解決策」「高たんぱくで栄養豊富」といった華々しいイメージが打ち出されていた。昆虫食を研究する東京農工大学大学院農学研究院の鈴木丈詞准教授(応用昆虫学)は、今回の騒動をこう振り返る。
「2020年に発売された無印良品の『コオロギせんべい』をきっかけに、昆虫食の認知度が一気に上がりました。メディアでも取り上げられ、一般の方でも昆虫食の有用性に関する情報を目にする機会が増えたと思います。ですが、発信される情報は、営利企業であれば当然のことですが、食用昆虫の商品を売るためであったり、企業価値を高めたりする目的のものに偏っていました」
研究者の間では、これまでの姿勢を冷静に分析し、見直していくとの声が上がっているという。
「企業や研究者が昆虫食のプロジェクトを推し進める中、一般の方が抱く昆虫食への不安やマイナスイメージとの乖離がどんどん進んでいったように感じます。古くからある昆虫食文化について知る機会や、虫を食用にするための技術的、心理的なハードルを議論する場が不足していました。コロナ禍で対話の機会が減る中、一方的な情報が積み重なってしまったことで、今回の炎上騒動が起きてしまったのだと考えています。給食の報道は端緒の一つであり、遅かれ早かれ起きた問題だとも思います」
改めて“コオロギ食騒動”を振り返ろう。
徳島県の高校が、食用コオロギを養殖する徳島大学発のベンチャー企業 のコオロギパウダーを使った「カボチャコロッケ」などを、昨年11月と今年2月に給食として提供した。希望した生徒だけが食する選択制だったが、批判の声が上がり、学校には問い合わせが殺到したという。
さらに、高崎経済大学発のベンチャー企業と協業で「Korogi Cafe(コオロギカフェ)」シリーズを販売しているPasco(敷島製パン)にも飛び火した。およそ2年前の2020年末から、通常商品とは全く別のラインを新設し、コオロギ入りパウダーを使ったクロワッサンやバームクーヘンなどを通販のみで販売していたのにもかかわらず、Pasco商品全体の不買運動にまで発展してしまった。これを受けて同社は、ホームページなどで《 「超熟」シリーズはじめ、他商品にコオロギパウダーが混入する可能性はなく、本シリーズ以外にコオロギパウダーを使用する予定はございません》と強調することになった。
鈴木氏は「過剰な反発の中で、『人類はコオロギを食べてこなかった』といった明らかに間違っているものが支持を集めています。このような誤解、昆虫を食べてきた人たちへの差別を生まないためには何が必要だったのか。タイの成功例から学ぶことは多いと思います」と言う。
国を挙げて食用昆虫の生産に力を入れているタイでは、生産者向けのガイドラインが整備されている。
「タイでは1998年から、コンケン大学の昆虫研究者が開発した養殖技術が基盤となり、小規模農家の所得向上を目的としたコオロギ養殖事業が始まりました。農家が副業として稲作などの傍ら コオロギ養殖を始めたり、ノウハウを持たない人でも参入しやすいようにトレーニングコースが提供されたのです。その結果、養殖技術は全国に普及し、2011年にはコオロギ養殖を行う農家が全国で約2万人に、生産量は年間約7500トンに達しました。伝統的に昆虫を食べる文化がある国ではありますが、重要なことは、既存農業との連携を増やすと同時に、小学校の課外授業の一環で養殖場の見学を実施するなど、昆虫そのものや昆虫養殖に関する認知度の向上に繋がる動きを地道に進めていったことだと思います」
タイ産の食用昆虫は、世界的な昆虫食ブームの波に乗り、欧米をはじめ世界各国への輸出で大きな利益を上げているという。昆虫養殖は大きな可能性を秘めていると言えるだろう。
今回の炎上騒動では「政府がコオロギ食事業に6兆円の予算を投じている」というデマも拡散された。挑戦的な研究開発を推進する国の「ムーンショット型研究開発事業 」の中に「 農作物残渣(※残りかす)や食品ロス等を利用した昆虫の食料化と飼料化」に関する研究プロジェクトが含まれていることがデマを招いた一つの要因とみられる。鈴木氏は由良敬教授(お茶の水女子大学)がリーダーを務めるこのプロジェクトの研究メンバーのひとりでもある。
鈴木氏が昆虫食の研究に取り組み始めたのは2018年頃だった。
「応用昆虫学の分野で学位を取ってから14年間、主に害虫防除に関する研究に従事してきました。昆虫の弱点を探るという害虫防除との共通点がある一方、その弱点をケアする昆虫養殖にも興味を抱き、さらに農作物残渣の活用など既存農業との連携に将来性を感じるようになりました。私はまだまだ新参者ですが、ここ数年は昆虫食が注目を集め、さまざまな研究が行われている勢いのある時代だと身をもって感じています。昆虫食という食文化自体は日本でも古くからあり、また、食用が目的ではないものの、生糸生産のための養蚕という昆虫養殖産業もかつては日本が牽引していました。このような背景のもと、ムーンショット事業の中の一つのプロジェクトとして、これまでは大きく産業化されてこなかった食分野における昆虫養殖の将来性、特に既存農業、畜産業および水産業との互恵的な連携に期待をかけ、研究者らも研究開発に取り組んでいます」
国や企業との連携のもと、大学やベンチャー企業での昆虫食研究がますます勢いに乗る中で、一部の研究者からはかねてから“ある懸念”の声が上がっていた。それは、食用昆虫を牛や豚などの家畜と比較し、「代替たんぱく質」や「食料問題の解決策」として、その利点を強調することへの疑問である。
例えば、無印良品の「コオロギが地球を救う? 」と題するページでは、世界人口が100億人になると予想される2050年には、たんぱく質の供給が足りなくなるとグラフを使って紹介され、《家畜の代替えとしての昆虫食が注目され始めています》と明記されている。Pasco(敷島製パン)のコオロギパンに関するページでも、ほとんど同じ内容が記されている。さらに、ムーンショット事業のページでも食料危機について紹介している。
「食料危機の問題と一緒に提示されることで、昆虫食を強制されているようなメッセージを感じてしまう方もいると思います。当然ですが、食べたい人が食べればいいものであって、抵抗や不安を感じる人が昆虫食をする必要はありません。また、昆虫食の利用によってたんぱく質の供給が増えても、食料問題を直接解決できるわけではありません。食料問題の根本的な原因は、発展途上国における貧困、特に小規模農家における待遇改善の遅れです。この点に言及せず、食料問題と昆虫食を安易に結びつけることは正しくはありません。こういった指摘はムーンショット事業のメンバー内でもありましたし、私自身も違和感を覚えていましたが、サイエンスコミュニケーションにおける方針の修正が見過ごされてきてしまいました」
それでは、どうして「昆虫食は食料問題を解決する」といったイメージになったのか。世界的な昆虫食ブームの起点となった、国際連合食糧農業機関(FAO)が2013年に公開した「食用昆虫類:食料と飼料の安全保障の将来展望」と題する報告書に理由がありそうだ。
報告書では、2050年には人口が90億人を超え、深刻な食料不足や家畜生産による環境負荷の増大を予測。解決策の一つとして昆虫食の有用性が紹介された。ただし、
「実はFAOは 、昆虫養殖や採集が小規模農家の生計多様化や所得向上につながるという利点を一貫して主張しています。また栄養豊富な昆虫は、健康的な食材の一つとなるだけではありません。栽培に大規模な土地改良が必要な穀類や、天然資源由来の魚粉だけに依存しない飼料原料の候補として、養鶏や水産養殖で利用できる可能性も持っています 。しかしながら、ビジネスとしての昆虫食が広がる中で、こういった観点がだんだん抜け落ちて、『食料問題の解決策』という点ばかりが強調されるようになってしまいました」
特に、管理しやすい乾燥エサでも飼育できるコオロギは、食用としても飼料用としても大きな可能性を秘めている昆虫の一つだという。
「コオロギは雑食ですから、ヒトの食料や家畜の飼料原料との競合が少ない農作物の残渣も餌に利用できます。例えば、農家が副業として昆虫養殖をすれば、育てた作物の残渣をコオロギの餌にし、育ったコオロギを食材としてだけでなく、供給過多になったものはニワトリや魚などの餌として利用すれば、ムダが少ない食料生産が期待できます。他方、昆虫は生物多様性の代表格です。世界では少なくとも数億人が約2000種の昆虫を食材の一つとして伝統的に利用しています。コオロギ以外にも美味しさ、生産性、機能性などの面で大きな可能性を秘めている昆虫は今後複数出てくると思います」
鈴木氏は昆虫養殖のマニュアル化を目指した研究も行っている。
「コオロギの養殖では、家庭で使うような蓋つきの衣装ケースを飼育箱として衛生的に使うことができます。紙製の卵トレイなどのシェルターを入れておくと、共食いを軽減することもできます。オスは成虫になると翅(はね)を擦り合わせて音を出しますが、騒音レベルではありません。重要なのは温度管理です。気温30度くらいをキープすれば、種によっては卵から孵化し、成虫になるまで1カ月半ほどです。1年間に8回程度収穫することができるので、気温が低い季節や地域でも、排熱利用や断熱性を高めた空間で飼育すれば、光熱費などのコストを抑え、安定的な利益に繋がる可能性があります」
食用として加工する場合は、どのように処理するのか。
「1日くらい絶食させて、消化管内の中の消化物を出し切ります。虫体ごと洗浄・加熱殺菌したのちに、鮮度を保つために冷凍するか、乾燥させて粉にすることで食用になります」
こう聞くと、食欲が失せるという人もいるかもしれないが……繰り返すが、あくまで食べたいと思った人が昆虫食をすればいい。鈴木氏は昆虫に食材としての魅力も感じているという。
「研究を始めた当時は、コオロギは生物学分野で昔から使われてきた実験動物という印象で、コオロギパウダーを使った食品を口にしても、おもしろいけど積極的には食べないかな……という気持ちがありました。ところが、新鮮なコオロギとバッタを竜田揚げしたものを食べて、美味しかったんです。コオロギやバッタは油との相性が良く、食感は小エビに似ています。虫の見た目が苦手な人は多いとは思いますが、パウダーにするよりも新鮮な虫体を加熱調理して食べるほうが美味しさを感じられると個人的には思います。歴史的に見ると、日本でも海外でも『美味しいから』という理由で昆虫が採集され、食べられてきたことがわかっています。一方で、食べ物がない時に食べる救荒食物だと実体験から認識されていたり、印象を抱いていたりする方もいると思います。このイメージを改善し、『美味しいから食べる』、つまり食を豊かにする食材の一つとしての可能性を昆虫養殖研究を通して検証していきたいです」
昆虫研究を行う大学や企業が集まって作った「昆虫ビジネス研究開発プラットフォーム」では、安全性確保のための「コオロギ生産ガイドライン」を作成している。
「2022年に発表したこのガイドラインは、昆虫生産者がみずから食品や飼料としてコオロギを生産する際に安全性を確保し、消費者の信頼を築くことを目的に作成されました。食品衛生法や飼料の安全性の確保及び品質の改善に関する法律とも齟齬がない内容です。国内で昆虫生産を行っている業者の数は正確には把握できていませんが、現在、このガイドラインを遵守している業者は全国に11社14事業所あります」(昆虫ビジネス研究開発プラットフォーム事務局プロデューサー補佐・藤谷泰裕氏)
「今回、研究者と一般の方との間の認識のずれの大きさを感じました。信頼や理解を得られるように、不安に思われる方に寄り添ったより正確な情報発信や透明性の高いサイエンスコミュニケーションを行っていこうと思います」(鈴木氏)
【参考文献】
タイの食用昆虫養殖https://www.fao.org/3/i3246e/i3246e.pdf
世界の食用昆虫のリストhttps://www.wur.nl/en/research-results/chair-groups/plant-sciences/laboratory-of-entomology/edible-insects/worldwide-species-list.htm
食材として昆虫を利用している人口https://www.wageningenacademic.com/doi/10.3920/JIFF2021.x010
FAOによる昆虫食の和文解説https://www.fao.org/3/i3264it/i3264it.pdf
デイリー新潮編集部