電車内で大声を出したり、ぶつぶつと独り言をつぶやいたり、うろうろと歩き続けたりする人に遭遇した経験はないだろうか。そういった行動の背景には、知的障害による特性が考えられる。山陽電気鉄道株式会社(山陽電車)が、それらの行為に理解を求める啓発ポスターを製作し、反響を呼んでいる。
【写真6枚】「電車内でぶつぶつ独り言を言うのはなぜ?」知的障害によって取りやすい5つの行動とその理由が書かれたポスター電車内で大声を出すのはなぜか 兵庫県南部の瀬戸内海に沿って姫路と神戸をつないで走る山陽電車は、2021年6月から「私のこと知って下さい」と題したポスターを全49駅や各車両、系列のバス車内などに掲示している。

山陽電車の車両(提供・山陽電気鉄道株式会社) ポスターでは知的障害がある人が電車内で取りやすい5つの行動を挙げ、その背景にどのような理由があるのかが書かれている。《「おおごえ」…不安などで、聴覚が過敏になって耳をふさいだり自分の声で落ち着こうとしていることもあります。》《「うろうろ」…不安で飛びはねたり気持ちが落ち着かないとき歩き回って平静を保とうとすることもあります。》《「いつもの場所」…気に入った場所だと安心します。》《「ぶつぶつ」…嬉しくて独り言で趣味の世界を楽しんだり出来事を繰り返し思い浮かべ気持ちの整理をしていることもあります。》《「あつめる」…コレクションのようにチラシ等を集めることにこだわる人もいます。》 このポスターを作るきっかけとなったのは、乗客同士のトラブルだった。「2018年の夏頃、車内で障害のある男性の体が女性客に当たったことがありました。後日、女性のご家族から『奇声を上げた男性にぶつかられて怖い思いをした。迷惑行為である』と山陽姫路駅に申し出がありました。ですが、トラブルがあった当日ではなかったので、駅としてもどうしようもありませんでした」(山陽電車鉄道営業部の担当者、以下同) その数日後、今度は障害のある男性の家族が姫路駅を訪れた。「知的障害があって電車内で声を上げたりするが、迷惑行為などしない」と駅員に事情を説明したという。行動の背景を知る これまで山陽電車には、知的障害・精神障害がある方への理解を求めるポスター掲出はなく、具体的な対応方法について教習も実施されていなかった。姫路駅に勤めていた社員2名が提案し、その後、全社的な取り組みとなった。 ポスター製作にあたっては、沿線の「明石地区手をつなぐ育成会」の協力を仰いだ。「まずは、現状を把握するため現場係員に日々の業務において、知的障害・精神障害がある方への対応で困ったこと等があるかアンケートを実施しました。アンケート結果を踏まえ、知的障害のある方の行動にどのような理由があるのか、私たちが勉強しようということになりました。『手をつなぐ育成会』による講習会に職場代表が参加し、知的障害のある方の行動の背景を知った上で、電車の中や駅で係員はどのように対応したらいいのか考えました」 さらにポスターにある5つの場面について、具体的な対応例を盛り込んだ教材を製作し、全現場係員に教習を実施した。「ポスターを作ってお客様に周知するだけでなく、現場の係員が対応を学ばなければいけませんから」 教習後、把握度をチェックするアンケートを行ったところ、障害のある乗客への対応について「行動しようと思う」と回答した係員は95%にのぼった。「これまでは行動の理由が分からず、対応に躊躇することもあったようです。特にトラブルになっていない限りは見守ることで十分ですが、行動の背景を知ることで前向きな意識を持ちながら見守ることができるようになったと思います」ポスターの効果は? 2021年11月には、全国の鉄道会社が研究発表を行う「第42回運転業務研究発表会」(主催・一般財団法人日本鉄道運転協会)において、会長賞を受賞した。「新聞などでも取り上げられ、SNSを通じて全国から好意的な意見が寄せられています」 ポスターを掲出することでトラブルは減ったのだろうか。「実は、これまでお客様から会社にご意見をいただくことは、年に数件程度でした。ですので、ポスターの効果で減ったのかというのは分からないんです。ポスターを見て『そういう理由があったんや』と好意的に見てくださっている方が大勢いるのだと思います。とはいえ、ポスターが貼られる前からお客様の多くは、知的障害のある方が大きな声を出したり、電車内を歩いているのを見かけても、暗に理解してくださっているといいますか、行動の具体的な理由は分からなくても見守ってくださっていたのだと思います」イラストもデザインも社員の手で ポスター製作の中心を担ったのは、発案者の一人で当時姫路駅に勤めていた車掌の樫原雛乃さん(23)だ。「キャッチフレーズ『私のことを知って下さい』というのは、彼女が考えました。障害のある方と同じ目線に立って、理解を求めるポスターにしたいという思いが込められています」 学生時代にデザインを学んだ経験を活かし、イラストの作成やポスターのデザインも樫原さんが手掛けた。こんな“気づき”もあった。「細かな修正は何度も行いましたが、実は一度、イラストのデザインを大幅に変更しています。最初は、親しみやすいポスターにしようと可愛らしい子どものイラストにしていました。それを『手をつなぐ育成会』のみなさまにお見せしたところ、『実際に電車の中などのトラブルで困っているのは成人が多い。子どもなら親が押さえるなどしてやめさせることができる』と教えていただきました。当事者ならではの視点だと感じました。いただいたアドバイスを反映し、大人のイラストでシャープなタッチに改善した今のデザインが完成しました」 知的障害者の行動に対する理解を啓発する意図ではあるものの、その背景が分かっても不安が残る乗客のことも忘れない。「乗客のみなさまに『障害から来る色々な行動について理解を求める』との思いで作ったポスターではありますが、電車内でお困りごとがあった場合は係員に伝えてください」デイリー新潮編集部
兵庫県南部の瀬戸内海に沿って姫路と神戸をつないで走る山陽電車は、2021年6月から「私のこと知って下さい」と題したポスターを全49駅や各車両、系列のバス車内などに掲示している。
ポスターでは知的障害がある人が電車内で取りやすい5つの行動を挙げ、その背景にどのような理由があるのかが書かれている。
《「おおごえ」…不安などで、聴覚が過敏になって耳をふさいだり自分の声で落ち着こうとしていることもあります。》
《「うろうろ」…不安で飛びはねたり気持ちが落ち着かないとき歩き回って平静を保とうとすることもあります。》
《「いつもの場所」…気に入った場所だと安心します。》
《「ぶつぶつ」…嬉しくて独り言で趣味の世界を楽しんだり出来事を繰り返し思い浮かべ気持ちの整理をしていることもあります。》
《「あつめる」…コレクションのようにチラシ等を集めることにこだわる人もいます。》
このポスターを作るきっかけとなったのは、乗客同士のトラブルだった。
「2018年の夏頃、車内で障害のある男性の体が女性客に当たったことがありました。後日、女性のご家族から『奇声を上げた男性にぶつかられて怖い思いをした。迷惑行為である』と山陽姫路駅に申し出がありました。ですが、トラブルがあった当日ではなかったので、駅としてもどうしようもありませんでした」(山陽電車鉄道営業部の担当者、以下同)
その数日後、今度は障害のある男性の家族が姫路駅を訪れた。「知的障害があって電車内で声を上げたりするが、迷惑行為などしない」と駅員に事情を説明したという。
これまで山陽電車には、知的障害・精神障害がある方への理解を求めるポスター掲出はなく、具体的な対応方法について教習も実施されていなかった。姫路駅に勤めていた社員2名が提案し、その後、全社的な取り組みとなった。
ポスター製作にあたっては、沿線の「明石地区手をつなぐ育成会」の協力を仰いだ。
「まずは、現状を把握するため現場係員に日々の業務において、知的障害・精神障害がある方への対応で困ったこと等があるかアンケートを実施しました。アンケート結果を踏まえ、知的障害のある方の行動にどのような理由があるのか、私たちが勉強しようということになりました。『手をつなぐ育成会』による講習会に職場代表が参加し、知的障害のある方の行動の背景を知った上で、電車の中や駅で係員はどのように対応したらいいのか考えました」
さらにポスターにある5つの場面について、具体的な対応例を盛り込んだ教材を製作し、全現場係員に教習を実施した。
「ポスターを作ってお客様に周知するだけでなく、現場の係員が対応を学ばなければいけませんから」
教習後、把握度をチェックするアンケートを行ったところ、障害のある乗客への対応について「行動しようと思う」と回答した係員は95%にのぼった。
「これまでは行動の理由が分からず、対応に躊躇することもあったようです。特にトラブルになっていない限りは見守ることで十分ですが、行動の背景を知ることで前向きな意識を持ちながら見守ることができるようになったと思います」
2021年11月には、全国の鉄道会社が研究発表を行う「第42回運転業務研究発表会」(主催・一般財団法人日本鉄道運転協会)において、会長賞を受賞した。
「新聞などでも取り上げられ、SNSを通じて全国から好意的な意見が寄せられています」
ポスターを掲出することでトラブルは減ったのだろうか。
「実は、これまでお客様から会社にご意見をいただくことは、年に数件程度でした。ですので、ポスターの効果で減ったのかというのは分からないんです。ポスターを見て『そういう理由があったんや』と好意的に見てくださっている方が大勢いるのだと思います。とはいえ、ポスターが貼られる前からお客様の多くは、知的障害のある方が大きな声を出したり、電車内を歩いているのを見かけても、暗に理解してくださっているといいますか、行動の具体的な理由は分からなくても見守ってくださっていたのだと思います」
ポスター製作の中心を担ったのは、発案者の一人で当時姫路駅に勤めていた車掌の樫原雛乃さん(23)だ。
「キャッチフレーズ『私のことを知って下さい』というのは、彼女が考えました。障害のある方と同じ目線に立って、理解を求めるポスターにしたいという思いが込められています」
学生時代にデザインを学んだ経験を活かし、イラストの作成やポスターのデザインも樫原さんが手掛けた。こんな“気づき”もあった。
「細かな修正は何度も行いましたが、実は一度、イラストのデザインを大幅に変更しています。最初は、親しみやすいポスターにしようと可愛らしい子どものイラストにしていました。それを『手をつなぐ育成会』のみなさまにお見せしたところ、『実際に電車の中などのトラブルで困っているのは成人が多い。子どもなら親が押さえるなどしてやめさせることができる』と教えていただきました。当事者ならではの視点だと感じました。いただいたアドバイスを反映し、大人のイラストでシャープなタッチに改善した今のデザインが完成しました」
知的障害者の行動に対する理解を啓発する意図ではあるものの、その背景が分かっても不安が残る乗客のことも忘れない。
「乗客のみなさまに『障害から来る色々な行動について理解を求める』との思いで作ったポスターではありますが、電車内でお困りごとがあった場合は係員に伝えてください」
デイリー新潮編集部