6400人あまりの死者を出した「阪神・淡路大震災」から28年。この地震で、当時、神戸大学2年生だった息子を亡くした広島市在住の女性の思いに迫る。28年が経った今でも変わらないこと、逆に変わったことは…。
最大震度7の強い揺れによって、6434人の尊い命が失われた阪神・淡路大震災。
2023年1月17日で発生から28年が経った。この地震で1人息子を亡くした女性が広島にいる。広島市安佐北区に住む加藤りつこさん(74)。
当時、神戸大学法学部2年生だった息子の貴光さん(故21)を震災で亡くした。
加藤りつこさん:数字を見ると28年。もう、とてつもなく信じられない年数になっています。でも、私の中では28年経ったとは思えないんですね。つねに昨日のことであり、今のことであり
兵庫県西宮市のマンションに住んでいた貴光さん。
加藤りつこさん:地震の後にテレビをつけて、どんどん明るくなってきた神戸の街・西宮の街が映されたときに高速道路が壊れていたんですね。それを見て、私は心臓が飛び出すくらい心配になりました
電話もつながらない中、奇跡的に関西方面へ行く航空券を入手し、翌日、貴光さんのマンションへ向かった。
加藤りつこさん:地震で線路が崩壊して、電車が走っていなかった。仕方なく歩いて、どこを歩いたのか分からないぐらい歩きました

やっとの思いでマンションにたどり着いた加藤さん。待っていたのは目を覆う光景だった。
加藤りつこさん:男の人が2人、私のそばに寄ってきて「加藤さんですか?」って聞かれました。「はい、そうです」って言ったら「奥さん、気をお確かに」って言われたんです

地震によって無残に変わり果ててしまった貴光さんのマンション…
加藤りつこさん:きれいに片付けられた場所があって、息子は敷布団の上にうつぶせに寝かされていた。息子の右手にさわったんですよ。パッとさわったあの冷たさが、忘れられないんです
貴光さんは常に高く大きな目標を持ち、それを達成するために努力を惜しまない人だったという。
加藤りつこさん:息子は、国連の内部に入って国際法を確立する一員でありたいという目標がありました
大学入学後もサークル仲間などと切磋琢磨しながら目標に突き進んでいた。その矢先に起きた震災…
加藤りつこさん:深い友情の絆をたった1年間で作っていたと思うと、それもまた残念でたまらない

それでも加藤さんは息子の死と懸命に向き合いながら、今日まで28年間、1日1日を歩んできた。
(Q:28年経って変わったことと変わらないことは?)加藤りつこさん:変わってないのは、息子の命が志半ばで断たれてしまったことの無念。あの子の命がこの世にないという悲しみ。それは私が人生を終えるまで一生消えることはない。変わったことは、人に対する思いですね。いろんな出会いが出会いを生んで、とんでもないご縁がそこに生まれてくる
これまで加藤さんは被災者を支援する団体を立ち上げたり、震災を知らない世代に自身の経験を語り継ぐなど「少しでも震災のことに意識を向けてもらいたい」という思いで活動を続けてきた。
加藤りつこさん:自分の体験談によって「地震は怖いんだ」ということを再認識してもらって、意識を持っていただければいいなって思っています
1月17日の早朝、鎮魂の祈りは広島でも…。
原爆ドームそばの元安川親水テラス。加藤さんと共に活動する仲間などが、犠牲者を追悼する集いを開いた。
加藤さんも参加する予定が、体調を崩し参加できなかった。それでも電話で自身の思いを伝えた。
加藤りつこさん(電話):みなさんの思いを胸に、私も心強く5時46分に黙とうしてお祈りしようと思います

加藤さんの願いは震災を知らない若い世代にもしっかり伝わっている。
中高生の時に加藤さんと活動した大学生・池田風雅さん:どうしても記憶は薄れていくし、経験していない分、実感も薄くなる。「震災があった」という事実に触れて、自分の中で忘れないことが1番だと思います
自宅で夫と午前5時46分を迎えた加藤さん。その後、貴光さんの墓へ参り、手を合わせた。
(Q:貴光さんにどんな言葉をかけましたか?)加藤りつこさん:21年間ありがとう。そして、亡くなってからもありがとう。ここに来たら「ありがとう」の言葉しか出てこないんです
貴光さんが友人との”つながり”を大切にしていたように、震災後、人との”出会い”を大切にしてきた加藤さん。2023年、神戸市で開かれた追悼行事では、灯籠の光が「1.17」と「むすぶ」の文字を照らし出した。
加藤りつこさん:結ばれていることを強く感じた年でした。1人1人の出会いを大事にして、語り合って、心を紡ぎ合って初めて「阪神・淡路大震災でこんな悲惨なことがあったんだ」と…。自然に心に刻んでいただくことが、最も深く確実に伝わっていくんじゃないかなと思います
震災から28年…後世へと記憶を”むすぶ”ために、過去の教訓に意識を向けて互いに語り合うことが求められている。
(テレビ新広島)