脳死と判定された人からの臓器提供が可能となった臓器移植法の施行から今年で25年が経過したが、国内では今も移植を待つ患者に比べ臓器提供者(ドナー)の数が圧倒的に少ない状況が続いている。
ドナーを待ち続ける患者と家族が厳しい現実を突きつけられることも少なくない。米国に渡航して移植を目指すケースもある中、幼い息子の心臓移植を国内で待ち続けた女性が、今の思いを語った。
繰り返した「ごめんね」
悪化する体調と過酷な運命にあらがい続けた小さな命は、静かに天国へと旅立った。重い心臓病を患い、心臓移植を待っていた玉井芳和(よしかず)ちゃん(4)が4月、その短い生涯を終えた。小児用補助人工心臓を装着しての待機期間は国内最長(当時)の3年4カ月に及び、人生のほとんどを病院のベッドで過ごした。しかし待ち望んだ移植は、かなわなかった。
「ごめんね」
4月29日朝、大阪府吹田市の国立循環器病研究センター。息を引き取った芳和ちゃんに、母の敬子さん(36)は何度もその言葉を繰り返した。
3人きょうだいの末っ子だった芳和ちゃん。離乳食が食べられず生後8カ月の平成30年秋に検査入院し、心筋が薄くなって収縮力が落ち、心不全症状が起きる「拡張型心筋症」と診断された。国内で心臓移植を目指すことを決め、同年12月27日にドイツ・ベルリンハート社の小児用補助人工心臓「EXCOR(エクスコア)」を装着。長い入院生活が始まった。
体には何本も管がつながれ、ベッドの上で動けるのはエクスコアから半径約2メートルの範囲だけ。少しずつ大人びた顔立ちになり、言葉も覚えていったが、芳和ちゃんにとって成長は、それだけ心臓への負担が大きくなることを意味する。鼻のチューブから取る栄養は制限され、小さいままの体で闘病する姿に、敬子さんは「拷問じゃないかと思うこともあった」と吐露する。
望んだ日常と現実
補助人工心臓は本来、移植までの期間、弱った心機能を助け、命をつなぐためのものだ。しかし機会はなかなか巡ってこず、令和2年以降は新型コロナウイルスの影響で家族との面会も制限されるように。「あと何回会えるかな」。歳月だけが流れる中、いつしかそんなことを考えるようになった。
体調の悪化が続き、移植を断念したのは集中治療室に入っていた今年3月。家族で最期をみとると決め、ずっと会えなかった2人のきょうだいとも顔を合わせた。4月26日に脳出血を起こし、その3日後にこの世を去った。
家族一緒に、当たり前の日常を過ごせる日を迎えたいと、移植の道を選んだ。それでも今は「(芳和ちゃんが)まだ自分の気持ちを話せない時に決めたこと。親のエゴを押し付けてしまったのかもしれない」とも思う。
あの時、移植をしないことを選んでいれば。海外での移植を目指していれば。苦しいだけの人生だったのではないか-。今もそんな思いが拭えずにいる。
移植考えるきっかけに
「元気だったら、これが(臓器提供が可能となる)脳死の状態だよ」。芳和ちゃんが息を引き取る直前、医師が説明した。その言葉に、敬子さんは臓器提供という決断の重さを改めて感じた。
日本臓器移植ネットワークのまとめでは、11月末時点で移植を待つ10歳未満の子供は43人。芳和ちゃんのように移植にたどり着けないまま亡くなるケースも少なくない。
移植を待つ苦しみ、臓器提供の覚悟。多くの人はそのいずれとも無縁だ。敬子さん自身もかつては「ドラマの中の話だと思っていた」と明かす。
だからこそ、芳和ちゃんの死を「まずは心臓移植について考えるきっかけにしてほしい」と願う。それが大きな一歩になることを信じて。(鈴木俊輔)
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限られる国内での移植
重い心臓病を患う子供たちが、国内で心臓移植を受けられる機会は限られている。
移植医らによる日本心臓移植研究会のまとめでは、今年9月末までに103人の子供が小児用補助人工心臓「エクスコア」を装着。うち42人は心臓移植にたどり着いたが、玉井芳和ちゃんを含め10人は移植にたどり着けず亡くなった。装着期間は年々のびており、9月末時点の平均は428日。最長の患者は芳和ちゃんの装着日数を超え、今も待機を続けているという。
一方、心臓移植にたどり着きさえすれば子供たちは元気を取り戻すことができる。国内で心臓移植を受けた18歳未満の子供の10年生存率は92・4%。新たな心臓を受け取った子供たちの多くは社会に復帰し、学校へ通ったり就職したりして、日々を暮らしている。
だが、国内では移植医療への理解は深まっているとはいえない。人口100万人当たりの臓器提供数は日本は0・62人。米国(41・88人)やスペイン(40・20人)などと比べると、その少なさは際立つ。子供を中心に、海外での心臓移植を目指すケースが後を絶たない状況も存在している。