その「事件」は菅義偉前首相の感動的な弔辞が終わった直後に起きた。僕から5メートル程離れた席に座っている人がいきなりパチパチと大きな拍手を始めたのだ。僕が良く知っている人だった。
お葬式で拍手?僕も周りの人達も驚いたが、つられて拍手を始め、あっと言う間に会場中に広がった。自分もやっといて言うのはなんだが、お葬式でこれほど盛大な拍手を聞いたのは初めてだ。
安倍晋三元首相の国葬の開始予定は午後2時だったが、僕は抗議活動などトラブルがあったら困ると思って早めに地下鉄で向かい、受付開始の午前11時過ぎには武道館の席に座ってしまい、開始まで3時間待つ羽目になった。
ブツブツ言いながらスマホを見ていたら恥ずかしくなった。一般の献花の人達が武道館の周りを囲むように並んでおり、数時間待ちだという。地方から来た人、高齢者、学校の生徒もいた。しかも皆が静かに礼儀正しく並んでいる。「たとえ何時間でも並ぶのは嬉しい」とSNSに投稿した人もいた。
事前の世論調査では国葬反対がどんどん増えていたが、本当に半数以上の人が国葬に反対しているのなら、僕が喪服を着て武道館に向かったら「お前は国葬に行くのか、けしからん」と叱られるのではないかと実は少し緊張していた。
だが老若男女による長い献花の列を見て、安倍氏を送りたい気持ちはみな同じではないかと少しホッとした。鉦や太鼓を鳴らして抗議する人たちには全く出会わなかった。
午後2時前に遺骨が到着し、19発の弔砲が鳴って国葬が始まった。「君が代」を聴き、黙とうした。岸田首相らに続き、菅氏の友人代表としての弔辞が始まったのだが、最後に山県有朋の本の話を始めた時は驚いた。
実は僕はこの話を別の人から聞いて、本を買ってすでに読んでいた。安倍氏が亡くなる前に最後に読んでいた本を僕も読みたかった。
その本には山県は明治維新の時は「ワキ役」であったと書いてあった。ライバルだった伊藤博文は山県より3歳下だが、英国留学し西洋の国力に圧倒され、尊王攘夷を捨てて新しい日本の国づくりの中心人物になっていくのだが、山県は古い観念から抜けるのが遅れた。
伊藤は初代首相になったが山県はその2代後である。明治維新の「スター」だった伊藤に比べ山県は地味な「ワキ役」だった。
菅氏は伊藤が暗殺された際に詠んだ山県の歌を「私自身の思いをよく読んだ一首」と述べているが、「ワキ役」だった山県に自分を重ね、「スター」だった伊藤に安倍氏を重ねた。
「かたりあひて 尽しし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」
これまで共に語り合いながら国に尽くしてきた人が先に亡くなった。自分はこれからどうすればいいのか、という悲しみの歌である。自分よりはるかに才能がある同志の死を前に絶望しているが、伊藤亡き後は自分がやるという決意の表れでもある。
菅氏の弔辞に対し、最初に大きな拍手をした人は前全国市長会会長の松浦正人氏だった。僕の高校の先輩で安倍氏に非常に近かった人だ。献花に行く途中で声をかけ「お葬式では普通は拍手しないんじゃないですか」と聞いてみた。
松浦氏は「『今より後の世をいかにせむ』なんだよ!安倍さんが亡くなった直後に菅さんに電話して『今はあんたがしっかりせんとだめだ』と伝えた。菅さんに安倍さんの遺志を継いでほしい。岸田首相にちゃんと助言してほしい。だから拍手した」と一気にしゃべった。
松浦氏は亡くなった「スター」である安倍氏(伊藤博文)の後の日本を、「ワキ役」の菅氏(山県有朋)に導いてほしいという期待で、一人だけで大きな拍手をしたのだった。
最後に松浦氏は「平井君、岸田さんはちゃんとやるかね」と聞くので、僕は「岸田さんは例えば原発再稼働に前向きだし、安倍さんと菅さんが作り上げた国の形をきちんと動かす意思はあると思う」と答えたら松浦さんは少し安心したように見えた。
一緒に献花をして式場を後にし、その夜は松浦さんと献杯をし、安倍さんの思い出を遅くまで語り合った。
【執筆:フジテレビ 上席解説委員 平井文夫】