突然だが、読者の皆さんにある歴史の問題を見ていただきたい。
こちらは2022年8月16日に山梨県民のツイッターユーザー・カンカンのパパ(@naiacin1)さんが投稿した、娘さんの夏休みの宿題の一部。郷土の歴史についての設問だ。
この問い対して用意された選択肢は、(1)武田勝頼、(2)武田信虎、(3)武田信玄の3つ。
……さて、みなさんはこの問題を見て、どれが正解だと考えるだろう。多くの人は「(3)武田信玄」を選ぶのではなかろうか。
しかし、カンカンのパパさんは設問自体に疑問を投じる。
まさに戦国時代に生き、名将として有名で、山梨県のみならず日本中で大人気の戦国大名(3)武田信玄を選ぶことの、何がおかしいのか。
Jタウンネット記者が19日、カンカンのパパさんに「炎上間違いなし」と思った理由を聞いてみると……。
つまり、(3)武田信玄は当然ながら「正解」である。しかし、あの問いならば(1)武田勝頼、(2)武田信虎も「正解」になるべきだ、という考えなのだ。カンカンのパパさんと同じ意見を持つ人はツイッター上にも少なくない。
正直、歴史ファンではなく、埼玉県民で武田氏に特別な思い入れもない筆者にとっては、ピンとこない感覚だ。
カンカンのパパさんは記者に、(1)も(2)も(3)も正解だと思う理由を熱弁する。
前提として、室町時代とは室町幕府が成立した1336年(あるいは1338年)から足利義昭が織田信長に追放された1573年までと言われる。その後半から戦国時代が始まるが、いつからいつまでを戦国時代とするのかは、様々な説がある。
とはいえ甲斐国主になった年はそれぞれ、(1)武田勝頼が1573年、(2)武田信虎が1507年、(3)武田信玄が1541年で、(1)勝頼が家督を継いだのも足利義昭の追放より数か月前で、いずれも室町時代後期の話だ。
(3)武田信玄の父で、甲斐を統一し、甲府を造った功績を持つ(2)武田信虎には、近年再評価の動きもある。18年にはJR甲府駅北口に信虎公の像が建てられ、21年11月には彼を描いた映画「信虎」が公開された。
(1)武田勝頼は、設楽原(長篠)合戦で織田・徳川連合軍に大敗して勢力が衰え、甲州征伐で滅亡したが印象が強い。しかしその一方で、父である(3)武田信玄でさえ攻略できなかった高天神城を攻略。武田氏の領土を最大にした功績も持っている。そして、JR甲斐大和駅前に像もある。
全国的な知名度だけで考えれば、カンカンのパパさんがツイートした問題の正解は(3)武田信玄を選びたくなる。
ただ、選択肢に入っていた他の2人もまた山梨の有力な大名であるということも確かで、全員正解であるという意見も納得できるものだった。
カンカンのパパさんが議題にあげたこの設問には、専門家も首をかしげる。
「武田氏滅亡」(角川学芸出版)、「武田三代」(PHP研究所)などの著者である歴史学者・平山優さんは16日、自身のツイッターアカウント(@HIRAYAMAYUUKAIN)で「これはダメですね」とつぶやき、3人とも正解であると述べたのだ。
武田氏研究の第一人者である平山さんがそういうのなら、この設問は答えようがなさそうだ。