2017年7月、本誌の取材で「おニャン子ポーズ」を決めた生稲晃子議員
自民党の生稲晃子参議院議員への逆風が止まない。
選挙戦中は、政策アンケートに“コピペ”回答。当選後は、旧統一教会関連の施設を訪れていたことが明らかになった。自身の後ろ盾である安倍晋三元首相が銃撃を受け、亡くなってから初めて開かれた7月21日の会合では、悲しみに打ちひしがれる昭恵夫人とは対照的に、ゴールドに花柄があしらわれた“ド派手ワンピ”で終始、笑顔を振りまいていた。
さらには、当選直後から運転手つきの高級車「クラウン」で送迎され、早くも“センセイ”気分の生稲議員を本誌は目撃している。
典型的なタレント候補として当選した生稲議員だが、政治家としての能力が早くも問われている。SNSでは多くの声が上がっている。
《出馬表明の時に「出るからにはおニャン子クラブの名前を汚さないように」と言っていたけど当選したら名前を汚したというオチ。辞職された方がいいです。》
こうあるように、生稲議員はアイドルグループ「おニャン子クラブ」の元メンバー。「あのアイドルはいま」というのは週刊誌の“鉄板”人気企画だが、生稲議員はこれまで、少なくとも本誌だけで8回も登場している。
2009年のインタビューでは、こう答えている。
「先日も色紙に『会員番号40番 生稲晃子』って書いてくださいと声をかけられたんですよ。芸能界での私を生んでくれたのはおニャン子なので、今でもそういうふうに接してくれることは嬉しいですね。」
2015年には、自身の「おニャン子」入りが学校で問題になったことを振り返りつつ、こう回想。
「おニャン子があったから、今、こうして笑って幸せに生きている。(芸能活動禁止の学校でアイドル活動と学業を両立してでも続けた)選択は間違ってなかったと思います。」
2017年には、ほかのおニャン子メンバーと座談会に出席。《もちろん恋愛禁止で、午後10時以降は外出禁止。保護者同伴ならOKで。》と、当時の厳しいルールに触れつつ、《(でも)私、電話で話をしてた。(中略)電話番号をね、(息っ子クラブの)Nくんにもらったの。》と、ルールを破って男性と連絡を取り合っていたことを、嬉々として話した。このとき、すでに生稲議員は49歳。
「結局、生稲さんにはおニャン子が芸能活動のすべてなんですよ。工藤静香さんや渡辺満里奈さんには、おニャン子出身ではありますが、それを凌駕する活動の実績があります。ですから『もう、おニャン子の話はいいでしょ』と周囲もなるわけです。しかし生稲さんには、芸能界に30年以上、身を置きながら、おニャン子以外の代表作がありません。アイドル感覚が抜けないまま、まわりに流されて出馬したことで、いまの代償につながったともいえます」(芸能記者)
何を求められて自身が政治家に選ばれたのか、立ち止まって考えるべきだろう。