88歳の老婆から9歳の少女まで、5人が死亡した「青森放火殺人事件」。4月13日の未明に青森県六戸(ろくのへ)町で起きたこの事件では、火災翌日、青森県警が容疑者不詳のまま現住建造物等放火容疑で、亡くなった5人のうちの一人、砂渡好彦(すなわたりよしひこ)さん(92)の自宅を家宅捜索した。新聞は「土地をめぐるトラブル」として報じているが、事件の背景には何十年にもわたる怨念が潜んでいる可能性があるのだった。
***
【写真を見る】幸せそのものに見えたが… 亡くなった抄知さん親子 火災で焼け焦げた六戸町のその家では8人が暮らしていた。十文字利美さん(68)、妻の弘子さん(67)、次女の抄知さん(39)と夫、次女夫婦の長男(16)、次男(13)、長女の弥羽さん(9)、それから弘子さんの母親の和子さん(88)。火災発生当時、在宅していた利美さんと次女の長男、次男は逃げ出して助かり、次女の夫は仕事で不在だった。現場からは和子さん、弘子さん、抄知さん、弥羽さんの他、亡くなった和子さんの兄、好彦さんの遺体も発見された。骨組みだけになった十文字さん宅 火災当日、消火活動に加わった地元消防団員の一人が語る。「私が見た遺体は最後に運ばれてきた分だから、和子さんと弘子さんではないか。ちなみに、最初に見つかったのは玄関付近にあった好彦の遺体だったそう。好彦は足が悪いし、“自分も死のう”なんて思うタイプでは絶対にないから、逃げ切れなかったんだろう」 全焼した十文字家の付近には好彦さんの車が停まっていて、後部座席には灯油が入っていたとみられる赤いポリタンクがあり、県警による好彦さん宅の家宅捜索へと至る。 十文字家と好彦さん宅は170メートルほどしか離れていない。だが、十文字家は旧家の大邸宅、一方の好彦さん宅は小ぢんまりとした平屋で、敷地内に業務用焼酎の4リットルボトルや廃材、鍋のふたが転がるなど荒れ放題。両家の差は一目瞭然だった。 近所の老婆は、「好彦宅の裏にビニールハウスや小屋などがあるが、その半分くらいは十文字家も使っており、使うタイミングがかぶると、よく好彦が相手を怒鳴りつけていた」 と話すし、別の近隣住民もこう証言する。「自分の土地を取られたと恨んでいて、十文字家を焼き殺してやると言っていた」複雑な家系図 そのため、事件の背景として「土地トラブル」が報じられているわけだが、十文字家のことを知る近隣の古老によると、確執の発端は数十年以上前にまで遡る。 今回亡くなった和子さんの義父にあたる十文字(杉山)三五郎という人物がいた。問題は、この三五郎さんのもとに、好彦さんの母親である、砂渡ヨシエさんが嫁いできたことにあるという。 三五郎さんには当時、正妻のA子さんと息子・政吉さんがすでにいたのだが……。 事情を知る古老は当時のことをこう語る。「ヨシエは、コレ(性的なこと)がしたいからって三五郎のところに来たみたいなのよ。A子もまだ嫁さんとして居るんだから、不倫だよ。だから、俺から言えば、あの人(ヨシエ)が十文字家に呪いばかけてしまったんだかな……」「なんでお前につがれなきゃならないんだ!」 三五郎さんとA子さんとの間に生まれた政吉さんは当時、まだ幼かった。そのうち、ヨシエさんは連れ子とともに十文字家に入り込んできた。A子さんはヨシエさんに追い出されたのである。この連れ子の一人が今回亡くなり、家宅捜索を受けた好彦さんである。そして今回亡くなった和子さんも連れ子の一人だ。 この後、政吉さんと和子さんは結婚して夫婦となる。これはヨシエさんが進めた話だという。つまりヨシエさんは実の娘と、事実上の夫の息子との縁談を決めたことになる。血のつながりはない者同士なので問題はないとはいえ、先の老婆によると、この件が好彦さんの恨みの原点となったのではないか、というのだ。「ヨシエは自分の連れ子の和子を政吉とくっつけた。この時、好彦をかまど(分家)に出した。十文字家からいくらか土地などをもらったが、不本意に分家にされた形だ。十文字家に入り、自分が後継者になって資産を相続できると思っていたのにできなくなったというのも恨む要因だろう。和子さんは好彦と仲が悪く、“もう話したくない”と言っていたよ」 同じ連れ子として十文字家に入ったはずが、妹は本家の嫁となった。一方で自分は十文字家の資産を相続する資格を失った。そんな思いから妹とすら仲が悪くなったということのようだ。もちろん、それ以外の本家の人たちとの関係は推して知るべしだろう。 好彦さんの知人はこう証言する。「利美さんと好彦が集落の酒の席で一緒になった際、利美さんがお酌したら、好彦が“なんでお前につがれなきゃならないんだ!”と言って、コップのお酒をバシャッと利美さんにかけた」 十文字家本家に対する「かまど」の激しい憎悪は、その後、「狂気の炎」と化してしまったのだろうか――。 4月20日発売の「週刊新潮」では、青森放火殺人事件の背後に潜む十文字家をめぐる積年の怨念について詳しく報じる。「週刊新潮」2023年4月27日号 掲載
火災で焼け焦げた六戸町のその家では8人が暮らしていた。十文字利美さん(68)、妻の弘子さん(67)、次女の抄知さん(39)と夫、次女夫婦の長男(16)、次男(13)、長女の弥羽さん(9)、それから弘子さんの母親の和子さん(88)。火災発生当時、在宅していた利美さんと次女の長男、次男は逃げ出して助かり、次女の夫は仕事で不在だった。現場からは和子さん、弘子さん、抄知さん、弥羽さんの他、亡くなった和子さんの兄、好彦さんの遺体も発見された。
火災当日、消火活動に加わった地元消防団員の一人が語る。
「私が見た遺体は最後に運ばれてきた分だから、和子さんと弘子さんではないか。ちなみに、最初に見つかったのは玄関付近にあった好彦の遺体だったそう。好彦は足が悪いし、“自分も死のう”なんて思うタイプでは絶対にないから、逃げ切れなかったんだろう」
全焼した十文字家の付近には好彦さんの車が停まっていて、後部座席には灯油が入っていたとみられる赤いポリタンクがあり、県警による好彦さん宅の家宅捜索へと至る。
十文字家と好彦さん宅は170メートルほどしか離れていない。だが、十文字家は旧家の大邸宅、一方の好彦さん宅は小ぢんまりとした平屋で、敷地内に業務用焼酎の4リットルボトルや廃材、鍋のふたが転がるなど荒れ放題。両家の差は一目瞭然だった。
近所の老婆は、
「好彦宅の裏にビニールハウスや小屋などがあるが、その半分くらいは十文字家も使っており、使うタイミングがかぶると、よく好彦が相手を怒鳴りつけていた」
と話すし、別の近隣住民もこう証言する。
「自分の土地を取られたと恨んでいて、十文字家を焼き殺してやると言っていた」
そのため、事件の背景として「土地トラブル」が報じられているわけだが、十文字家のことを知る近隣の古老によると、確執の発端は数十年以上前にまで遡る。
今回亡くなった和子さんの義父にあたる十文字(杉山)三五郎という人物がいた。問題は、この三五郎さんのもとに、好彦さんの母親である、砂渡ヨシエさんが嫁いできたことにあるという。
三五郎さんには当時、正妻のA子さんと息子・政吉さんがすでにいたのだが……。
事情を知る古老は当時のことをこう語る。
「ヨシエは、コレ(性的なこと)がしたいからって三五郎のところに来たみたいなのよ。A子もまだ嫁さんとして居るんだから、不倫だよ。だから、俺から言えば、あの人(ヨシエ)が十文字家に呪いばかけてしまったんだかな……」
三五郎さんとA子さんとの間に生まれた政吉さんは当時、まだ幼かった。そのうち、ヨシエさんは連れ子とともに十文字家に入り込んできた。A子さんはヨシエさんに追い出されたのである。この連れ子の一人が今回亡くなり、家宅捜索を受けた好彦さんである。そして今回亡くなった和子さんも連れ子の一人だ。
この後、政吉さんと和子さんは結婚して夫婦となる。これはヨシエさんが進めた話だという。つまりヨシエさんは実の娘と、事実上の夫の息子との縁談を決めたことになる。血のつながりはない者同士なので問題はないとはいえ、先の老婆によると、この件が好彦さんの恨みの原点となったのではないか、というのだ。
「ヨシエは自分の連れ子の和子を政吉とくっつけた。この時、好彦をかまど(分家)に出した。十文字家からいくらか土地などをもらったが、不本意に分家にされた形だ。十文字家に入り、自分が後継者になって資産を相続できると思っていたのにできなくなったというのも恨む要因だろう。和子さんは好彦と仲が悪く、“もう話したくない”と言っていたよ」
同じ連れ子として十文字家に入ったはずが、妹は本家の嫁となった。一方で自分は十文字家の資産を相続する資格を失った。そんな思いから妹とすら仲が悪くなったということのようだ。もちろん、それ以外の本家の人たちとの関係は推して知るべしだろう。
好彦さんの知人はこう証言する。
「利美さんと好彦が集落の酒の席で一緒になった際、利美さんがお酌したら、好彦が“なんでお前につがれなきゃならないんだ!”と言って、コップのお酒をバシャッと利美さんにかけた」
十文字家本家に対する「かまど」の激しい憎悪は、その後、「狂気の炎」と化してしまったのだろうか――。
4月20日発売の「週刊新潮」では、青森放火殺人事件の背後に潜む十文字家をめぐる積年の怨念について詳しく報じる。
「週刊新潮」2023年4月27日号 掲載