夫が浮気をしているサインのひとつに「急に妻に優しくなった」というものがある。妻に対して後ろめたさを感じているゆえだろう。「不倫と罪悪感」は切っても切り離せないテーマかもしれない。
先日訃報が伝えられた俳優の古谷一行さん(享年78(は、かつて自身の不倫騒動が持ち上がった際に「関係を持ったことに後悔はないが、表沙汰になったことは後悔している」と謝罪会見で言い切った。罪悪感はゼロである。
ここまでの対応ができる例は珍しい。東出昌大は会見で「妻には、直接謝罪の気持ちを伝えてまいりたいと思います」と述べていたし、アンジャッシュの渡部建は「バカなことをした」と何度も繰り返した。世間に向けたポーズという面は少なからずあるにせよ、大なり小なり罪悪感に苛まれてはいたことは間違いない。
その点、男女問題を30年近く取材してきたライターの亀山早苗氏が今回話をきいた男性は、結果的に不倫がバレて悩んではいるが、どうも罪悪感とは異なる感情を抱いているようだ。古谷さん的な境地ともまた違う。そこには彼なりの“被害者意識”も透けて見える。
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自分では「妻とはいつでも平等」だと思っているし、妻を傷つけようと思ったこともない。だが結果的には傷つけてしまった。謝罪しても許してくれない。だが、そもそも許してもらわなければいけないようなことをしたのだろうか。そう悩んでいる男性がいる。はたから見たら「クズな男」として片づけられてしまうのかもしれないが、よく聞いてみれば彼の苦悩もわからないでもない。
「人間、いつどうなるかわからない。だからこそ自分の納得のいくような毎日を過ごさなければいけない。そう思うんです」
岸本晶一さん(48歳・仮名=以下同(は穏やかな表情でそう言った。彼がいつからそう思うようになったのか尋ねると、「記憶にないくらい遠い昔」だという。
「小学校2年生のときに朝、一緒に家を出た父が夕方には死んでいたんです。出勤途中に倒れてそのまま息を引き取った。それから母は僕と3歳下の妹を女手ひとつで育ててくれました。母は口癖のように『今日を精一杯生きるのよ』と言っていましたね」
高校時代、仲良くしていた友人が自ら命を絶ったこともある。その日、一緒に帰ったのに。受験を前にして成績が伸びず、悩んでいた友人に「大丈夫だよ、まだ時間はある」と励ましたのが最後だった。
「もっと何か言えばよかった。その後悔は今も残っています」
周りの人が唐突にいなくなる経験は、彼の心に大きな影響を与えたのかもしれない。
「結婚しようと思っていた人も、急に去られたんです」
それは27歳のときだった。同期の美香さんと社内恋愛に発展し、そろそろ結婚することを発表しようかと話し合っていた矢先、彼女は交通事故で亡くなった。
「親しい人の死にあまり接した経験がない人もいるんですよね。でも僕は大事な人を何人も失っている。彼女が亡くなったときは後を追おうとも思った。彼女との関係はみんな知っていましたから、葬儀が終わってから職場の人たちがものすごく心配して、ひとりにしないようにしてくれた。毎日、誰かが『今日はうちに泊まれよ』と声をかけてくれて。自分のアパートに帰ってひとりで寝たのは、1ヶ月ほどたってからでした」
表面上は日常を取り戻したが、日々、寂しさは募っていった。同期会で少しずつ仲良くなっていった美香さんとの思い出がよみがえる。彼女と意見が合わず、みんなの前で大ゲンカになったこともあった。そのとき別の同期が「おまえら、仲いいな」とつぶやいた。その一言で晶一さんは自分が美香さんに惹かれていることに気づいたのだ。
「3年ほどつきあいました。彼女とはいつも丁々発止というか。全然、人に同意しないんですよ。たまには同意してよと言ったら、『あなたが私に同意すればいいでしょ』って。そういう気の強さが好きだった。一緒にいて楽しかった」
美香さんは晶一さんの永遠のマドンナなのかもしれない。添えなかっただけに気持ちを残しているのではないだろうか。
その後、彼が結婚したのはやはり気の強い春乃さんだった。春乃さんは取引先の企業に勤務しており、一時期一緒に仕事をしたことで親しくなった。
「大変な仕事でしたけど、彼女の発想の柔軟さや理論武装に助けられたところが多々ありました。敬意が恋に変わったという感じでしたね。仕事が終わったとき、今度、食事に行きましょうと誘って、そこからつきあうようになりました」
32歳のとき、1歳年上の春乃さんと結婚した。過去、大事な人を失ってきたことを話したとき、気の強い春乃さんが涙を浮かべたのがうれしかったと彼は言う。
結婚してすぐ春乃さんは妊娠、翌年、娘が産まれた。
「子どもが産まれたとき、やっと自分の人生が始まったような気がしました。もう過去にとらわれるのはやめよう、前だけを見つめて3人で歩いていこうと思えた。共働きでの子育ては大変だったけど楽しかった」
どうしても時間がとれないときは、近所に住む晶一さんの母が助けてくれた。妻が仕事をすることに大賛成の母に、春乃さんも敬意を抱いていたのでふたりの仲は良好だった。
娘が小学校に上がり、子どもには子どもの人生が始まっているのだと実感すると、彼にはまた心境の変化があった。
「守りに入ってないか? と。今の職場での立ち位置、家庭の維持。そんなことばかり考えている気がしたんです。今日を精一杯生きているのか。母に言われ続けた一言が、僕のなかでよみがえった。ここで立ち止まっていてはいけない」
ちょうど職場で配置転換があり、彼は営業部から、突然、慣れない宣伝部に行くことになった。そこで彼は積極的にPR関係のセミナーに参加、さまざまな部署と連携しながら自社商品をどうしたらPRできるかを考え、挑戦しつづけた。
「40歳を過ぎてからのチャレンジでした。短期間でいろいろなことを勉強して詰め込んで。うちのPRを一手に担っていた優秀な先輩が急に退職したので、そういうことになってしまったんですが、世の中、何があるかわかりませんよね」
春乃さんにも毎日、会社であったことを話した。彼女もよく聞いてくれた。ふたりはどんなに忙しくても会話が絶えない夫婦関係を築いていた。
「僕は春乃で、春乃は僕。ずっとそう思っていました。信頼していたし、何かあったときいちばん最初に伝えたいのは春乃だった。もちろん、意見されることも多かったけど、彼女の意見は傾聴に値すると思っていました。その意見を取り入れるかどうかはまた別の話ですが、それはお互いさまです」
絶対的な信頼感と同時に、何があっても味方がいることへの安心感で、彼は仕事に全力で向かうことができた。
それなのに今から3年ほど前、彼は「落とし穴に落ちたように、他の女性を好きになっていた」と言う。絶対的な信頼感を持った妻がいる彼でさえ、他の女性に心が移ることがあるのだろうか。
「妻がいるのに他の女性に……という言い方がよくわからないんです。妻と比べて誰かを好きになるわけではないでしょう。こっちはこっち、あっちはあっち。たまたまタイミングが合って関係ができてしまった。そういうことなんだと思います」
その女性は結婚しようと思っていた美香さんの妹だ。本当に偶然、空港で出会ってしまったのだという。
「春乃と結婚するとき、美香の妹の絵理には連絡しました。当時、七回忌がすんだと絵里から報告を受けていました。三回忌のとき、ご両親から『もう来なくていいから。あなたはあなたの人生を歩いていって』と言われたんです。だから絵里には、結婚することにしたとだけ伝えました」
もう会うこともないだろうけど、絵里ちゃんも元気でと彼は言った。それから10年後の再会だった。
「西日本のとある町に出張するため羽田空港に行ったら、向こうから歩いてきた女性が目の前で立ち止まって『晶一さん?』と。彼女も西のほうへ出張だと。今度連絡していいかと言われてもちろんと答えました。話しながら少し首をかしげる様子が美香にそっくりで、美香のことを思い出してしまいました」
もう封印したつもりの過去だったのに。晶一さんは複雑な思いで日々を過ごした。
一週間後、絵里さんから連絡があった。その日に「善は急げだ、今日会おう」と彼は言い、言ったあとで「善なのか」と思ったという。美香さんと絵里さんを同一視しそうな自分に気づいていたのだろう。
「残業で遅くなると春乃に連絡を入れると、『私も残業』という返事。あわてて近所に住む母親に連絡をすると『うちでご飯食べさせるから大丈夫』って。保育園時代より小学校に上がってからのほうが母には手数をかけていたかもしれません。そういうときは春乃が母の好物をもって迎えに行くから、母も楽しみにしていましたね。あのふたりは実の母娘のように仲がいいので」
ときどき行く和食店の個室を予約し、絵里さんに会った。その時点では、とにかく懐かしかった、話したかったというだけだと彼は言う。
「美香が亡くなって16年くらいたっていましたね。美香のことも話したけれど、目の前にいる絵里のこれまでにも興味が尽きなかった。絵里は最後に会ったときに勤めていた外資系の会社を辞めて、3年ほど留学していたんだそうです。七回忌のころはすでに戻っていて、また別の外資系へ。今はさらに別の会社にヘッドハンティングされたそう。ハードだけど仕事が楽しいと言っていました。美香に比べると絵里はおとなしい印象があったけど、話してみると美香に生き写しのようでした」
しばらく話してから、絵里さんがふと言った。「お姉ちゃんに似てるでしょ」と。晶一さんはドキッとしたという。
「両親はお姉ちゃんが大好きだった。私はお姉ちゃんに比べると、成績も性格もパッとしなくて。でもお姉ちゃんが亡くなってから、両親がやっと私を正面から見てくれるようになった。最初はうれしかったけど、それはそれで負担にもなった。私、お姉ちゃんの分までふたり分、生きないといけないんだなと思って……と、絵里は心のうちを見せてくれました。その負担もあって留学してしまったそうです。今は両親とは別に住んでいるけど、関係も悪くないと。期待の長女がいなくなった両親の気持ちも、絵里の気持ちもわかるような気がして、しみじみと美香を偲びました」
姉の不在や両親の気持ちを背負い、打ちのめされながらも自力で道を切り開いてきた絵里さんに、晶一さんは心からの敬意を抱いた。
「僕は結局、美香を失ったやりきれなさを封印したんです。そうしなければ生きられなかった。それも絵里に白状しました。絵里は笑って『いいのよ、それで。お姉ちゃんもそう望んでいたと思うよ』って。初めて泣きました。そういえば僕は美香を失ってから泣けなかった。16年ぶりに流した涙を、絵里は『尊いよっ』と笑ってくれた。泣き始めたら止まらなくなりました」
喪失感や、心のどこかでくすぶっていた罪悪感のようなものが一挙に押し寄せてきた。店を出たものの、絵里さんと別れがたくなっていた。
「絵里を見ると、彼女の瞳がぬめっと濡れている感じがしました。しばらく見つめあったあと、絵里が小声で『行こう』と。タクシーを拾って絵里のひとり暮らしの部屋に行きました」
リビングに美香さんの小さな写真が飾られていた。目の前の絵里さんが美香さんに見えた。そこから先のことはふわふわしすぎて記憶が鮮明ではないと彼は言う。
「絵里と一緒に天国の美香に会ったような感じでした。とはいえ、現実に結ばれたのは絵里です。絵里は魅力的でした」
帰り際、絵里さんが彼の背中に「またね」と言った。彼は振り返って頷いた。
最初は美香さんへの思慕から始まった関係かもしれないが、その後は絵里さんの魅力にはまっていった。
「深くつきあうと、もちろん美香と絵里は違う。僕も一応、一般常識はあるつもりなので、このまま関係が続くのは家庭的にヤバいなあとは思っていました。ただ、万が一、バレたとしても春乃はわかってくれる、きっと許してくれるとも思っていた。結婚と恋愛が違うこと、春乃への愛情や信頼は1ミリたりとも失われていないことを説明すればいい。でももちろん愉快なことではないだろうから、バレないようにしなくてはとも思っていた」
ここに不倫をする男の本音が見える。バレたらヤバい、でもきっと妻は許してくれるはず。晶一さんの場合は、妻を下に見て言っているわけではない。それだけの信頼関係があるはずだと固く信じていたのである。
案の定、1年後にバレた。意外なことにバラしたのは絵里さんだった。ある日、家に帰ったら絵里さんがいたのだ。娘は晶一さんの母の家にいるという。
「帰宅してリビングに入ると、春乃と絵里が話していた。ひっくり返りそうになりましたよ。ど、ど、どうしたのと焦りまくって。すると絵里が『春乃さんだけ何も知らないのは、よくないと思うの』と。春乃は春乃で、『私、あなたに誰か好きな人がいるのかなとぼんやり感じてはいた。でも真実を知る必要もないかと思っていたの。そうしたら絵里さんが訪ねてきた。まあ、知ってよかったわ』と。何を話したらいいかわからなかった。ふたりとも怒ってないから怖いんですよ」
当時を思い出したのか、晶一さんの目に怯えが走る。絵里さんは「私は晶一さんとつきあっていきたいけど、世間的には許される話じゃないですよね」と言った。
「すると春乃は、『世間はどうでもいいでしょ。あなたたちのことはあなたたちで話し合って。私は夫の行為をどうこう言える立場ではない。ただ、他の女性とつきあっている人を夫として受け入れられるかどうかは私の問題』って。そして『あなたの気持ちはどうなの』とふたりが僕を見ました。息が止まりそうでした」
晶一さんは、ええっとええっとと意味のない声を出しながら、自分の本音を探ろうとしていた。だが、どうしたいのかがわからなかった。家庭と絵里さんのことは別と考えていたので、いきなり目の前にふたつのまったく違う絵を出されて、どちらかを選べと言われても無理だと感じていた。
次の瞬間、晶一さんは膝からくずおれてしまった。そして「わからない」とつぶやいた。
「私はどちらかを選んでほしいわけじゃなかった。ただ、奥さんが知らないところでこそこそしたくなかっただけ」
半年後、絵里さんはそう言って去って行った。
「さて、そういうあなたを受け入れるかどうかは私の問題ね、と今度は春乃が言い出した。この話は僕の母親も知ってしまい、母は烈火のごとく怒って春乃に謝った。でも春乃は『お義母さんが怒る話でも謝る話でもないから』と冷静でした。僕は離婚はしたくなかった。そう言うと、『じゃあ、私の疑問に答えてくれる? これから何年続くかわからないけど』って。わかったと答えました。彼女は僕に謝れとは言わない。だけどあれから時間がたった今でも、『絵里さんは、こういうときなんて言うかしら』『絵里さんと連絡とれるとしたらとりたい?』など、不意に質問をしてくるんです。家庭にいても気持ちが休まることがない」
とはいえ逃げられない。彼女の質問に答えて誠意を見せなければいけないからだ。
「たびたび質問されているうちに、これは春乃が傷を癒やすために必要なことなんだと最近、ようやくわかってきました。春乃は、僕の行為に二重に傷ついた。絵里と関係をもつことは、美香との関係の復活でもあったんですね。先日、『傷つけてごめん』と言ったら、春乃はいつものように『私はそんなに簡単に傷つくほどやわじゃないわよ』と言ったけど、そうじゃない、自分が傷ついていることを認めるべきだと言いました。彼女は気が強い自分を演じているんじゃないか……。そんな気がするんです。そう言ったら、わかったふうなこと言わないでよと怒られましたけど」
この状態は続いていくのだろう。ときおり執拗な質問をぶつけてくる妻の気持ちが、いつかおさまるのだろうか。そう思いながら、実は晶一さん自身も、「絵里に去られたのは、美香にも去られたこと」だと感じて傷ついている。
目の前の家庭を大事にしなければいけない。それはわかっていながらも、人はふと道を踏み外すことがある。善悪ではない判断が働いてしまうこともある。人の気持ちには、一般論をあてはめてもどうにもならないことがある。
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晶一さんは悩んでいる。だが、それは妻を傷つけたことへの贖罪ではない。恋人を失い辛い思いをしてきた自分が、またも苦しい目に会ってしまっていることに対する悩みのように見える。晶一さんの半生は、ある種の被害者意識に貫かれている。
「バレたらヤバい、でもきっと妻は許してくれるはず」というのが、不倫する男にありがちな思いこみだと亀山氏は分析していた。そこに被害者意識が加わったことで、より、晶一さんは妻を裏切ることに抵抗をおぼえなかったのだろう。
唯一、晶一さんが罪悪感をおぼえているらしい場面があった。それは「恋人の美香さんを失ったやりきれなさを封印した」ことに対してだった。
妻の春乃さんはもちろんのこと、絵里さんや、家族を支えてくれている母までをも傷つけた。しかし、晶一さんが罪悪感をおぼえるのは、いまは亡き人に対してのみ。自分が招いた状況にも「家庭にいても気持ちが休まることがない」と愚痴るだけ……。
ただの「クズな男」か、いつまでも過去にとらわれる悲しき男か。あなたの目には、晶一さんがどう映るだろうか。
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部