エリザベス女王の国葬に参列された天皇・皇后両陛下は、さる20日の夜に帰国された。来月初めには、コロナ禍でままならなかった地方行幸啓も再開され、ご活動は本格化する見通しである。が、そうした節目に、悠仁さまの日程がバッティングしてしまい……。
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【写真】ピンクの“チラ見せ”でラフな着こなし アメリカでリラックスした様子の「眞子さん」 列島を切り刻んだ台風14号が去ったのち、両陛下を乗せた政府専用機は羽田空港に無事、到着した。もとより天皇陛下が海外の王室や国家元首の葬儀に参列するのは異例であるのだが、

「当初は慣例に倣って秋篠宮ご夫妻出席の可能性も取り沙汰されましたが、英国王室との縁の深さに鑑み、なにより陛下ご自身の強いご意思もあって、参列が実現したのです」(宮内庁担当記者) イギリスご訪問は今月16日の閣議で決定され、あわせて渡航の間、皇位継承順位1位である秋篠宮さまが、初めて国事行為を臨時代行なさることとなった。天皇皇后両陛下「国葬は現地時間の19日11時からウェストミンスター寺院で営まれました。両陛下は祭壇に向かって左側、王室メンバーと向かい合わせのエリアにマスクを外したまま並んでお座りになり、70年にわたって君臨した女王に、最後のお別れを告げられたのです」(同)東京以外のご公務は2020年1月以来 一方で陛下は、まもなく国内で大きな節目を迎えられる。10月1日から開催される「とちぎ国体」の開会式に出席なさることが先日発表されたばかりである。ウェストミンスター寺院で執り行われた、エリザベス女王の国葬に参列される天皇皇后両陛下「国体は両陛下の『四大行幸啓』のひとつです。陛下はコロナウイルス感染の“第7波”が顕著だった8月から、出席への強いお気持ちを示されていました。東京以外のご公務に出席されるのは一昨年1月、埼玉を訪問されて以来となります」(同) 当初は1泊2日の日程も検討されていたのだが、感染がいまだ収束していない状況を勘案し、車による往復での日帰りスケジュールとなった。「今回のイギリスご弔問は、図らずも両陛下の地方ご公務“解禁”の機運に、拍車をかけることになりました。イギリスではウイズコロナの生活様式が進み、市民はもちろん、国葬でも王室メンバーや各国の出席者はマスクをしていませんでした。日本とは事情が異なりますが、これまで陛下はコロナ感染に対し、やや慎重なご姿勢もうかがえました。それが渡英によって、まさしく“ハードル”が下がったわけです」(同) 来月には同じく四大行幸啓の「国民文化祭」が沖縄で催され、また11月には兵庫での「全国豊かな海づくり大会」が続く。これらの行事でも、オンラインでない両陛下の“リアル”なお出ましが期待されるところである。稲をご覧になる悠仁さま皇室内の「不文律」 前述の通り、10月1日は令和皇室にとって記念すべき“再始動”の日であり、両陛下のご公務が注目を集めるのは必至。が、実は同じ日、皇室ではもうひとつ重要なスケジュールが組み込まれているというのだ。称賛された愛子さまの成年会見「それは悠仁さまの伊勢神宮ご参拝です。現在、秋篠宮家のお世話にあたる皇嗣職が、内々に準備を進めているところです」 とは、先の記者。「皇族方はこれまで、ご入学やご卒業をはじめご成年を迎えられた際、あるいは外国ご訪問の折など、八王子の武蔵野陵や奈良の神武天皇陵、そして皇祖神である天照大神を祭る伊勢神宮などにご奉告なさってきました。悠仁さまもこれまで、2012年11月に神武天皇陵、翌年3月には伊勢神宮をご両親とともに参拝されており、また直近では今年3月、中学ご卒業にあたって武蔵野陵をお一人で参られています」 今回は、高校ご入学の奉告も兼ね伊勢神宮を初めてお一人で参られるわけだが、「せっかくの貴重なご経験が、両陛下のみならず令和皇室にとって重要なご公務と、完全にバッティングしてしまいました。皇室では従来、ご身位が高い方が大事な行事に臨まれる際、他の皇族方は会見などご自身に関する行事を同日に重ねないようにするという不文律があるのですが……」(同)「平日は仕事があるので」 それでも、これを堂々と“無視”したケースがあった。他でもない17年9月、眞子さんと小室圭さんが臨んだ婚約内定会見である。折しもこの日、皇太子ご夫妻(当時)は「国民文化祭」等へのご出席のため、奈良を訪問なさっていた。悠仁さまのご成長に気をもまれる紀子妃 さる皇室ジャーナリストが振り返る。「この時はご体調の波が依然おありだった雅子さまが、ご宿泊を伴うご公務にお出ましになったことで大いに注目が集まりました。当日は日曜日でもあり、本来であればなおさら会見など行われるはずがないのですが、小室さんが皇室のしきたりなどお構いなしに“平日は(パラリーガルの)仕事があるので”と言い出し、これに眞子さんも賛同。あろうことか宮内庁は主張をのんでしまい、日程が重なってしまったのです」 つまりは皇室への無理解がもたらした事態といえよう。また事情は異なれど、最近でも宮内庁で重大なバッティングが生じていたのは記憶に新しい。「今年3月17日、愛子さまの成年会見が行われました。初めての単独会見とは思えない堂々たる落ち着きぶりに称賛の声が上がり、メディアでも大々的に取り上げられたのですが、この日はちょうど悠仁さまが通われる中学校の卒業式の日でもあったのです」(同)紀子妃殿下は「なぜこのようなことに…」 悠仁さまのニュースは、愛子さまに比べると圧倒的に扱いが小さかった。宮内庁関係者が明かすには、「当時、小室さんの問題で世間の批判を浴びていた秋篠宮家としては、この門出のニュースを機に風向きを変えようというお考えもありました。ところがこのバッティングによって、それが水の泡に。当てが外れた紀子妃殿下の落胆は激しく、“なぜこのようなことになってしまったのでしょう”と、お嘆きとともにお怒りを抑えきれないご様子がうかがえました」 結果、その1週間後には宮内庁の西村泰彦長官が定例会見で、〈私のミス〉 と述べ、異例の“陳謝”に追い込まれたのだった。「長官はこの場で“卒業式が頭に思い浮かばなかった”“個人的には別の日がよかったと思う”などと発言、調整不足だったことを認めました。本心はともかく、庁内のミスの責任をトップがあえて背負い込むことで、妃殿下のご不興をはじめとする事態の収拾を図ったわけです」(同) もっとも、同じ日を避けるに越したことはないものの、「悠仁さまの学校行事の日程は変えることができません。となると愛子さまのご日程をどうすべきか、という話になりますが、そもそも天皇家の長女の一度きりの成年会見を、いかに皇位継承権を有するとはいえ、皇嗣家のお子様の卒業式のために変更することが、はたして適切なのかどうか。長官の“陳謝”とは別に、庁内ではそうした声も上がっていました」(同) 皇嗣職の“苦しい説明” が、このたびの日程については、まさしく宮内庁の“不手際”が問われかねない。先の記者は、「両陛下のご意向もあって遠方へのお出ましはかないませんでしたが、本来なら愛子さまがいち早く成年のご奉告で伊勢神宮を参られて然るべきです。それが結果的に、愛子さまを悠仁さまが出し抜く形になってしまいました」 皇嗣職は、悠仁さまのご訪問の目的は伊勢市で開催中の正倉院の特別展をご覧になることで、ご参拝については「その折に」と、あたかも“ついでのお参り”であるかのように説明しているというのだが、「愛子さまに先んじることへのエクスキューズとしか思えません。というのも、秋篠宮家の側近は我々に『この機会に撮影の場所を設けたい』と打診するなど、悠仁さまをアピールしたい狙いが見え見えなのです」(同) さらに続けて、「悠仁さまは『秋の学校のお休みの機会を利用される』とのことですが、この特別展は11月上旬まで開催中で、10月1日でなければならない理由はありません。こうしたことから、3月の卒業式が不本意な結果になってしまった紀子さまによる“意趣返し”なのでは、といった臆測も飛んでいます。実際には皇嗣職と侍従職との連携不足が最大の原因なのですが、世間にはさながら両家に諍いがあるかのように映ってしまいかねません」 「完全に逆効果」 宮内庁報道室に尋ねると、「特別な目的のご参拝ではありません。この度のお成りは、見聞をお広めになるための私的ご旅行であり、公的ご活動ではありません」 肝心の日程は、伊勢神宮の都合もあって10月1日になったというのだが、皇室制度に詳しい小田部雄次・静岡福祉大学名誉教授は、「まだ16歳の悠仁さまが、ご自身で日程をお決めになるはずがありません。段取りは全て宮内庁が行ったのでしょうが、陛下の重要な行事の日に、その弟宮のご子息がメディアを集めるような場を設けるというのは、あるべきお姿ではないと思います」 そして、こう指摘する。「これでは秋篠宮ご夫妻や悠仁さまが、まるで天皇家を差し置いて出しゃばっているかのように捉えられても不思議ではありません。あるいは宮内庁は、秋篠宮家に批判が続いていることに配慮してセッティングしたのかもしれませんが、完全に逆効果です」 令和皇室の発展に、役所が水を差すなどもっての外である。「週刊新潮」2022年9月29日号 掲載
列島を切り刻んだ台風14号が去ったのち、両陛下を乗せた政府専用機は羽田空港に無事、到着した。もとより天皇陛下が海外の王室や国家元首の葬儀に参列するのは異例であるのだが、
「当初は慣例に倣って秋篠宮ご夫妻出席の可能性も取り沙汰されましたが、英国王室との縁の深さに鑑み、なにより陛下ご自身の強いご意思もあって、参列が実現したのです」(宮内庁担当記者)
イギリスご訪問は今月16日の閣議で決定され、あわせて渡航の間、皇位継承順位1位である秋篠宮さまが、初めて国事行為を臨時代行なさることとなった。
「国葬は現地時間の19日11時からウェストミンスター寺院で営まれました。両陛下は祭壇に向かって左側、王室メンバーと向かい合わせのエリアにマスクを外したまま並んでお座りになり、70年にわたって君臨した女王に、最後のお別れを告げられたのです」(同)
一方で陛下は、まもなく国内で大きな節目を迎えられる。10月1日から開催される「とちぎ国体」の開会式に出席なさることが先日発表されたばかりである。
「国体は両陛下の『四大行幸啓』のひとつです。陛下はコロナウイルス感染の“第7波”が顕著だった8月から、出席への強いお気持ちを示されていました。東京以外のご公務に出席されるのは一昨年1月、埼玉を訪問されて以来となります」(同)
当初は1泊2日の日程も検討されていたのだが、感染がいまだ収束していない状況を勘案し、車による往復での日帰りスケジュールとなった。
「今回のイギリスご弔問は、図らずも両陛下の地方ご公務“解禁”の機運に、拍車をかけることになりました。イギリスではウイズコロナの生活様式が進み、市民はもちろん、国葬でも王室メンバーや各国の出席者はマスクをしていませんでした。日本とは事情が異なりますが、これまで陛下はコロナ感染に対し、やや慎重なご姿勢もうかがえました。それが渡英によって、まさしく“ハードル”が下がったわけです」(同)
来月には同じく四大行幸啓の「国民文化祭」が沖縄で催され、また11月には兵庫での「全国豊かな海づくり大会」が続く。これらの行事でも、オンラインでない両陛下の“リアル”なお出ましが期待されるところである。
前述の通り、10月1日は令和皇室にとって記念すべき“再始動”の日であり、両陛下のご公務が注目を集めるのは必至。が、実は同じ日、皇室ではもうひとつ重要なスケジュールが組み込まれているというのだ。
「それは悠仁さまの伊勢神宮ご参拝です。現在、秋篠宮家のお世話にあたる皇嗣職が、内々に準備を進めているところです」
とは、先の記者。
「皇族方はこれまで、ご入学やご卒業をはじめご成年を迎えられた際、あるいは外国ご訪問の折など、八王子の武蔵野陵や奈良の神武天皇陵、そして皇祖神である天照大神を祭る伊勢神宮などにご奉告なさってきました。悠仁さまもこれまで、2012年11月に神武天皇陵、翌年3月には伊勢神宮をご両親とともに参拝されており、また直近では今年3月、中学ご卒業にあたって武蔵野陵をお一人で参られています」
今回は、高校ご入学の奉告も兼ね伊勢神宮を初めてお一人で参られるわけだが、
「せっかくの貴重なご経験が、両陛下のみならず令和皇室にとって重要なご公務と、完全にバッティングしてしまいました。皇室では従来、ご身位が高い方が大事な行事に臨まれる際、他の皇族方は会見などご自身に関する行事を同日に重ねないようにするという不文律があるのですが……」(同)
それでも、これを堂々と“無視”したケースがあった。他でもない17年9月、眞子さんと小室圭さんが臨んだ婚約内定会見である。折しもこの日、皇太子ご夫妻(当時)は「国民文化祭」等へのご出席のため、奈良を訪問なさっていた。
さる皇室ジャーナリストが振り返る。
「この時はご体調の波が依然おありだった雅子さまが、ご宿泊を伴うご公務にお出ましになったことで大いに注目が集まりました。当日は日曜日でもあり、本来であればなおさら会見など行われるはずがないのですが、小室さんが皇室のしきたりなどお構いなしに“平日は(パラリーガルの)仕事があるので”と言い出し、これに眞子さんも賛同。あろうことか宮内庁は主張をのんでしまい、日程が重なってしまったのです」
つまりは皇室への無理解がもたらした事態といえよう。また事情は異なれど、最近でも宮内庁で重大なバッティングが生じていたのは記憶に新しい。
「今年3月17日、愛子さまの成年会見が行われました。初めての単独会見とは思えない堂々たる落ち着きぶりに称賛の声が上がり、メディアでも大々的に取り上げられたのですが、この日はちょうど悠仁さまが通われる中学校の卒業式の日でもあったのです」(同)
悠仁さまのニュースは、愛子さまに比べると圧倒的に扱いが小さかった。宮内庁関係者が明かすには、
「当時、小室さんの問題で世間の批判を浴びていた秋篠宮家としては、この門出のニュースを機に風向きを変えようというお考えもありました。ところがこのバッティングによって、それが水の泡に。当てが外れた紀子妃殿下の落胆は激しく、“なぜこのようなことになってしまったのでしょう”と、お嘆きとともにお怒りを抑えきれないご様子がうかがえました」
結果、その1週間後には宮内庁の西村泰彦長官が定例会見で、
〈私のミス〉
と述べ、異例の“陳謝”に追い込まれたのだった。
「長官はこの場で“卒業式が頭に思い浮かばなかった”“個人的には別の日がよかったと思う”などと発言、調整不足だったことを認めました。本心はともかく、庁内のミスの責任をトップがあえて背負い込むことで、妃殿下のご不興をはじめとする事態の収拾を図ったわけです」(同)
もっとも、同じ日を避けるに越したことはないものの、
「悠仁さまの学校行事の日程は変えることができません。となると愛子さまのご日程をどうすべきか、という話になりますが、そもそも天皇家の長女の一度きりの成年会見を、いかに皇位継承権を有するとはいえ、皇嗣家のお子様の卒業式のために変更することが、はたして適切なのかどうか。長官の“陳謝”とは別に、庁内ではそうした声も上がっていました」(同)
が、このたびの日程については、まさしく宮内庁の“不手際”が問われかねない。先の記者は、
「両陛下のご意向もあって遠方へのお出ましはかないませんでしたが、本来なら愛子さまがいち早く成年のご奉告で伊勢神宮を参られて然るべきです。それが結果的に、愛子さまを悠仁さまが出し抜く形になってしまいました」
皇嗣職は、悠仁さまのご訪問の目的は伊勢市で開催中の正倉院の特別展をご覧になることで、ご参拝については「その折に」と、あたかも“ついでのお参り”であるかのように説明しているというのだが、
「愛子さまに先んじることへのエクスキューズとしか思えません。というのも、秋篠宮家の側近は我々に『この機会に撮影の場所を設けたい』と打診するなど、悠仁さまをアピールしたい狙いが見え見えなのです」(同)
さらに続けて、
「悠仁さまは『秋の学校のお休みの機会を利用される』とのことですが、この特別展は11月上旬まで開催中で、10月1日でなければならない理由はありません。こうしたことから、3月の卒業式が不本意な結果になってしまった紀子さまによる“意趣返し”なのでは、といった臆測も飛んでいます。実際には皇嗣職と侍従職との連携不足が最大の原因なのですが、世間にはさながら両家に諍いがあるかのように映ってしまいかねません」
宮内庁報道室に尋ねると、
「特別な目的のご参拝ではありません。この度のお成りは、見聞をお広めになるための私的ご旅行であり、公的ご活動ではありません」
肝心の日程は、伊勢神宮の都合もあって10月1日になったというのだが、皇室制度に詳しい小田部雄次・静岡福祉大学名誉教授は、
「まだ16歳の悠仁さまが、ご自身で日程をお決めになるはずがありません。段取りは全て宮内庁が行ったのでしょうが、陛下の重要な行事の日に、その弟宮のご子息がメディアを集めるような場を設けるというのは、あるべきお姿ではないと思います」
そして、こう指摘する。
「これでは秋篠宮ご夫妻や悠仁さまが、まるで天皇家を差し置いて出しゃばっているかのように捉えられても不思議ではありません。あるいは宮内庁は、秋篠宮家に批判が続いていることに配慮してセッティングしたのかもしれませんが、完全に逆効果です」
令和皇室の発展に、役所が水を差すなどもっての外である。
「週刊新潮」2022年9月29日号 掲載