「隆法は愚痴っぽく、いつもネガティブな話ばかりしていた。それは幸福の科学の『総裁先生』になった後も変わらない」
【貴重写真】大川隆法の人生を支えた「元妻(58歳)」と「最後の妻(38歳)」
実の息子だから語れる「幸福の科学」創始者・大川隆法(1956~2023)の素顔とは――。大川隆法氏を間近に見てきた長男の宏洋氏の新刊『神になりたかった男 回想の父・大川隆法』(幻冬舎)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
「幸福の科学」創始者・大川隆法氏の素顔とは 文藝春秋
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隆法が失恋をしたのは、彼が大学3年生の夏のことだった。
そのとき隆法は東京大学の法学部に通う学生で、どうやら好きになった相手も東大生だったらしい。後に隆法は彼女のことを「都会育ちの才気煥発な女性」と書いているから、たぶん、あか抜けた方だったんだろう。
そういう女性が当時の隆法の目にまぶしく映ったことは間違いない。なぜなら隆法は上京したばかりの田舎者で、しかも自分が田舎者であることに強い劣等感を持つ田舎者だったからだ。
若き大川隆法(本名・中川隆)は18歳の春、東大を受験するために生まれ故郷の四国から上京する。新興宗教「幸福の科学」を立ち上げる10年以上も前の話だ。
だが、隆法は1回目の東大受験には失敗してしまう。その後の隆法はこの事実を隠すようになったので知らない方も多そうだが、隆法が東大に受かるのは1浪してからのことだ。
秀才だったらしい隆法が東大に落ちた原因のひとつは、ひとりぼっちで勉強していたことかもしれない。隆法は、現役のときは予備校には一切行かず、孤独に勉強していたと言っていた。
僕にはその理由がよくわかる。プライドが高い隆法は、人に頭を下げて教えを乞うことができなかったのだろう。
だけど、実は隆法はあまり要領が良いタイプではない。勉強をするときは、教科書を隅から隅まで頭に叩き込むと言っていた。そんな隆法が浪人したのは無理もないと思う。
予備校に通った浪人時代を経て、翌春、隆法はめでたく東大に合格する。しかし、大変だったのはその後だ。
東大法学部といえば、全国から超・優秀な学生たちが集まるところだ。麻布や開成といった東京のエリート高校出身者たちも多い。そんなところに田舎のガリ勉が入っていったらどうなるだろうか?
しかも、隆法は田舎者であるだけではなく、内気で暗い性格だった。人間嫌いといってもいい。
隆法は愚痴っぽく、いつもネガティブな話ばかりしていた。それは幸福の科学の「総裁先生」になった後も変わらない。
彼は口を開くと、だいたいは他人の悪口を言うか、上手くいかなかったことに文句を言うかだった。隆法には過去の失敗を忘れない才能(?)があったようで、たとえば僕は彼から、サラリーマンとして過ごした数年間がいかに辛かったか、会社がどんなにひどい場所だったのかという話を繰り返し、繰り返し聞かされた。
友達がいなかったのも、他人のネガティブな面ばかりが目に付くせいかもしれない。たとえば目の前で話している女性から変な臭いがしたら「ちょっと臭いですねえ」と何も考えないで言ってしまうのが隆法だ。
彼は、他人の気持ちを想像することができなかった。
そして人の話をまったく聞かず、ひたすらに自分の話ばかりをしまくる。何時間も休まずにしゃべり続けることができるのは、隆法の特殊能力のひとつだと思う。
そのくせ隆法は、自分が傷つくことには人一倍、敏感だ。だから幸福の科学で隆法を取り巻く多くの秘書たちは、いかにして隆法を傷つけずに事を進めるかに腐心していた。
たとえば、昔は講演会のたびに信者さんたちから集めた感想を隆法に届けていたけれど、そのうち批判的な感想は秘書たちのところで止め、隆法には見せないようにな った。隆法がそういう意見を目にすると、落ち込んだり不機嫌になったりするからだ。 そんな付き合いにくい性格の隆法だが、さらにまずいことに特に美男子ではなく、身長は高くない(163センチ)。しかも、若いころはとても太っていた。 つまり、「非モテ」が服を着て歩いているような若者が東大生・大川隆法だったわけだ。東京の大学生活を楽しめなかったのも無理はない。けれど、そんな隆法でも恋をすることはある。 隆法が惚れてしまった彼女は、東京のエリートだったらしい。家柄も非常に良いらしく、彼女のお父さんやお兄さんも判事だか弁護士だかだったと言っていた。隆法からしたら雲の上の存在だったはずだ。大川隆法の失恋 そんな彼女に惚れてしまった隆法はどうしたか? ……手紙を送りまくった。 本人いわく、半年間、ひたすら手紙を送り続けたという。しかも、便せんではなく小包で! これはもう、ラブレターではなく脅迫状というべきではないだろうか。 もっとも、田舎出身の不器用な青年にできるのはそのくらいだったのかもしれない。実に隆法らしいアプローチだと僕は思うけれど、もちろんそんな恋が実るはずはない。手紙を送りはじめてから半年後、ようやく隆法のもとに届いた彼女からの返信は便せん1枚だけの短いものだった。内容はもちろん、お断りだっただろう。 若い女性が苦手だった隆法は結局、彼女と一言しか話せなかったという。彼の恋はこうして終わった。 隆法は深く落ち込んだ。 彼は後に著書『太陽の法』(土屋書店)の初版でこのエピソードに触れているし、僕が隆法役を演じた彼の自伝的映画『さらば青春、されど青春。』にも例の彼女は登場する。そして僕にも、繰り返しこの話をした。 還暦の男が、何度も何度も、さまざまな形で学生時代の失恋を反芻する。隆法がどれほど傷ついたかがよくわかるだろう。〈「さまざまな偶然が、彼を怪物にした」大川隆法の長男(34)が語る「『幸福の科学』誕生のきっかけを作った【2人の女性】の正体」〉へ続く(宏洋/Webオリジナル(外部転載))
たとえば、昔は講演会のたびに信者さんたちから集めた感想を隆法に届けていたけれど、そのうち批判的な感想は秘書たちのところで止め、隆法には見せないようにな った。隆法がそういう意見を目にすると、落ち込んだり不機嫌になったりするからだ。
そんな付き合いにくい性格の隆法だが、さらにまずいことに特に美男子ではなく、身長は高くない(163センチ)。しかも、若いころはとても太っていた。
つまり、「非モテ」が服を着て歩いているような若者が東大生・大川隆法だったわけだ。東京の大学生活を楽しめなかったのも無理はない。けれど、そんな隆法でも恋をすることはある。
隆法が惚れてしまった彼女は、東京のエリートだったらしい。家柄も非常に良いらしく、彼女のお父さんやお兄さんも判事だか弁護士だかだったと言っていた。隆法からしたら雲の上の存在だったはずだ。
そんな彼女に惚れてしまった隆法はどうしたか?
……手紙を送りまくった。
本人いわく、半年間、ひたすら手紙を送り続けたという。しかも、便せんではなく小包で! これはもう、ラブレターではなく脅迫状というべきではないだろうか。
もっとも、田舎出身の不器用な青年にできるのはそのくらいだったのかもしれない。実に隆法らしいアプローチだと僕は思うけれど、もちろんそんな恋が実るはずはない。手紙を送りはじめてから半年後、ようやく隆法のもとに届いた彼女からの返信は便せん1枚だけの短いものだった。内容はもちろん、お断りだっただろう。
若い女性が苦手だった隆法は結局、彼女と一言しか話せなかったという。彼の恋はこうして終わった。
隆法は深く落ち込んだ。
彼は後に著書『太陽の法』(土屋書店)の初版でこのエピソードに触れているし、僕が隆法役を演じた彼の自伝的映画『さらば青春、されど青春。』にも例の彼女は登場する。そして僕にも、繰り返しこの話をした。
還暦の男が、何度も何度も、さまざまな形で学生時代の失恋を反芻する。隆法がどれほど傷ついたかがよくわかるだろう。
〈「さまざまな偶然が、彼を怪物にした」大川隆法の長男(34)が語る「『幸福の科学』誕生のきっかけを作った【2人の女性】の正体」〉へ続く
(宏洋/Webオリジナル(外部転載))