こんな皮肉はあるまい。国が総力を挙げて子どもたちの「英語力」を上げようとした結果、逆に学力テストでの英語の成績は下がってしまったのだ。何かが根本的かつ決定的に間違っている。そもそも小学生に英語を教える必要があるのか。専門家による憂国の警鐘。【江利川春雄/和歌山大学名誉教授】
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【写真を見る】「早期英語教育」に警鐘を鳴らす江利川名誉教授 宮崎駿監督の映画「魔女の宅急便」には、こんなシーンがあります。 小さな“魔女”である主人公のキキが、いよいよ本格的な魔女になるための修業に向けて遠い町へ旅立とうとする場面です。
父「どれ、私の小さな魔女を見せておくれ」「いい町が見つかるといいね」キキ「うん」子どもたちの挫折感をどうするのか これから離れ離れになる切なさと同時に、立派な魔女に成長してほしい、成長したいという期待が入り混じった親子の別れの名シーンです。 英語に直訳すると「魔女」は「witch」で、キキの返答である「うん」は「Yes」です。AI(人工知能)であればこう訳すでしょう。 しかし、キリスト教圏で「witch」といえば、魔女狩りから連想されるようにまさに悪魔的な存在であり、かわいらしいキキとは正反対の「醜い悪女」ということになってしまいます。 また、これから親と幼い娘が離れて暮らそうというのに、「いい町が見つかるといいね」と父に見送られる娘が「Yes」だけでは何とも淡泊であり、「成長を遂げるためのやむを得ない別れ」というニュアンスが英語圏の人には全く伝わらない。それを受け入れてしまう父親は、幼い子どもを無責任に放り出す「児童虐待親」とすら受け取られかねません。 なぜ機械的な直訳では“誤訳”になるのでしょう。外国語を学ぶ意義とは〈こう問いかけるのは、英語教育学・英語教育史を専門とし、長らく学生たちに英語を教え、英語教員の育成にも携わってきた江利川春雄・和歌山大学名誉教授だ。 いま政府・文部科学省は早期英語教育に躍起になっている。2020年度から実施されている学習指導要領では、小学校3・4年生で週1コマの外国語活動が行われ、5・6年生で週2コマの外国語(実質は英語)が正式教科となり成績もつけられている。 だが、「人間の基礎」「学びの土台」を作る小学校において、国語や算数に加えて英語まで教える必要があるのか。それで本当に英語が身に付くのだろうか……。まずは外国語である英語を学ぶ「意義」に関して、『英語と日本人』『英語教育論争史』の著書がある江利川氏が説明する。〉「英語嫌い」を増やす恐れも“誤訳”が生まれる理由、それは、あらゆる言語は単なる記号ではなく、それぞれが異なる文化を背負っているからです。この異文化理解、「魔女の宅急便」の話でいえば“魔女”に対する歴史的・宗教的な理解なくして、真の意味での異言語間コミュニケーションは成り立ちません。その大前提として、英語であれば英語に興味を持ち、英語圏の文化を理解したいという思いが欠かせないはずです。 では、いまの日本の英語教育はどうでしょうか。「グローバル人材」なるものを求める財界や、彼らの後押しも受けた政治家は「使える英語」を身に付けさせようと、小学校からの英語授業を推進しています。ですが、小学生に週2時間程度の英語を教えても、英語を学ばなかった子との差は中学生になるとなくなってしまいます。まして異文化理解が深まる年齢ではありません。それどころか、むしろ表層的に英単語を教え込むことで、「英語嫌い」を増やしてしまう恐れがあります。 母語(日本語)でさえ「文化」という抽象的な概念を理解できない小学生が、英語の「culture」を理解できるはずもありません。小学生に「ハワーユー? アイムファイン、センキュー」なんて教えたところで、そこから異文化への敬意が生まれるわけがない。意味も分からず英語の口まねをさせられるのは苦痛でしかないでしょう。 したがって、小学生への週に1~2時間の英語授業は、じょうろで砂漠に水をまいているに等しく、壮大な無駄です。財界や政治家は、異言語間の「コミュニケーション」というものをナメていると指弾されても仕方がないでしょう。学力テストの悲惨な結果 実際、小学校の英語を教科化した弊害は数字としても表れています。文科省の調査では、「英語の学習が好きではない」と答えた小学6年生の割合は、13年度は23.7%でしたが、教科化後の21年度は31.5%と、約8ポイントも増えています。 今年の7月31日に発表された、文科省の国立教育政策研究所が問題を作成して行われた全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果もひどいものでした。4年ぶりの実施となった中学3年生の「英語4技能」の平均正答率は以下の通りです。なお、カッコ内は4年前の結果です。・聞く58.9%(68.3%)・読む51.7%(56.2%)・書く24.1%(46.4%)・話す12.4%(30.8%) 単純な比較はできませんが、いずれも前回より下がっています。これが企業の業績だったら、確実に倒産の危機を迎える惨状です。全問不正解が6割以上 とりわけすさまじいのが「話す」で、12.4%という極めて低い正答率です。それにも増して問題なのが5問のうち1問も正解できなかった生徒が6割以上もいたことです。 これでは、学力調査の意味をなしません。生徒たちの成績を見極め、課題を探ることを目的とする試験の体をなしていないのです。そんなひどい問題を文科省は作ってしまった。 このことから明らかなように、政府・文科省が掲げている「理想」と、生徒たちの「現実」が乖離してしまっている。客観的に考えれば、目標の設定が間違っていると言わざるをえません。 しかし、それを認めず、理想に到達できていない生徒や指導が悪いという方向に話が進もうとしている。これでは、大和魂が足りないからB29を撃ち落とせないんだと言っているに等しい。これぞまさに、大本営発表で事実を隠し、主観的願望で無謀な作戦を強いる軍参謀そのものです。ブラック企業のノルマ そして、今回の学力テストが犯罪的だと感じるのは、「話す」技能において6割以上の生徒に「全く英語が話せない」という挫折体験をさせてしまったことです。 数年に1回の学力テストで0点を取ってしまった。普通の子であれば、とてつもない挫折感を味わうはずです。そして、その挫折感は「英語は難しい、僕にはできない」「もう私には無理」という諦めを生み出します。この先、高校も大学も控えている中学生に、英語への忌避感を植え付けることを、犯罪的と言わずして何と表現すべきでしょうか。 実は、こうなるのは目に見えていたことなのです。20年度までは、中学校卒業時までに覚える英単語は約1200語でした。ところがそれ以降は、小学校で600~700の英単語を覚え、中学校では1600~1800の英単語を覚えなければいけなくなりました。中学卒業時点で比較すると、1200から最大で2500へと、覚える英単語は倍増している。これでは、まるでブラック企業のノルマです。1~2割増ならまだしも倍増ですから、当然、その負荷に生徒はもちろん、教師も耐えられません。「英語が分からない」「英語嫌い」な子どもが増加 こんな無理を続けていたら潰れてしまう子どもが必ず出てくると危惧した通り、「話す」技能では「6割以上が0点」です。とりわけ書く力が未熟な小学生が、600~700の英単語を覚えるのはとても難しい。どんな中学生だって、覚えるべき英単語がいきなり2倍になった教科書が目の前に現れたら尻込みしてしまうのは当然の話です。 現に4年前の調査で、「英語の授業内容はよく分かります」と答えた中学3年生は64.4%、「英語の勉強は好きです」との回答は52.3%、「将来、積極的に英語を使うような生活をしたり職業に就いたりしたい」と答えたのは37.2%でしたが、今回の調査ではそれぞれ4年前より2ポイント、4ポイント、5ポイントも減っています。ノルマを重くした結果、政府・文科省は「英語が分からない」「英語嫌い」という子どもを増やしてしまったのです。 なぜ日本の英語教育はこんなことになってしまったのでしょうか。どうすればいいのでしょうか。次回では、明治以来140年の歴史を踏まえた「最終結論」をお話ししたいと思います。 なお、冒頭で紹介した「魔女の宅急便」の会話の、英語圏の人向けの適切な英訳は「魔女」が「princess」で、「うん」は「Oh, I love you, dad!」。これが、AIにはできない異文化理解に基づいた英語力です。そして異言語を学ぶ神髄といえるのではないでしょうか。少なくとも、英語嫌いになってしまっては「魔女」を「princess」と訳すことはできません。江利川春雄(えりかわはるお)和歌山大学名誉教授。1956年生まれ。大阪市立大学経済学部卒業、神戸大学大学院教育学研究科修士課程修了。広島大学で博士(教育学)取得。専攻は英語教育学・英語教育史。『英語と日本人』『英語教育論争史』『受験英語と日本人』等、著書多数。「週刊新潮」2023年10月12日号 掲載
宮崎駿監督の映画「魔女の宅急便」には、こんなシーンがあります。
小さな“魔女”である主人公のキキが、いよいよ本格的な魔女になるための修業に向けて遠い町へ旅立とうとする場面です。
父「どれ、私の小さな魔女を見せておくれ」
「いい町が見つかるといいね」
キキ「うん」
これから離れ離れになる切なさと同時に、立派な魔女に成長してほしい、成長したいという期待が入り混じった親子の別れの名シーンです。
英語に直訳すると「魔女」は「witch」で、キキの返答である「うん」は「Yes」です。AI(人工知能)であればこう訳すでしょう。
しかし、キリスト教圏で「witch」といえば、魔女狩りから連想されるようにまさに悪魔的な存在であり、かわいらしいキキとは正反対の「醜い悪女」ということになってしまいます。
また、これから親と幼い娘が離れて暮らそうというのに、「いい町が見つかるといいね」と父に見送られる娘が「Yes」だけでは何とも淡泊であり、「成長を遂げるためのやむを得ない別れ」というニュアンスが英語圏の人には全く伝わらない。それを受け入れてしまう父親は、幼い子どもを無責任に放り出す「児童虐待親」とすら受け取られかねません。
なぜ機械的な直訳では“誤訳”になるのでしょう。
〈こう問いかけるのは、英語教育学・英語教育史を専門とし、長らく学生たちに英語を教え、英語教員の育成にも携わってきた江利川春雄・和歌山大学名誉教授だ。
いま政府・文部科学省は早期英語教育に躍起になっている。2020年度から実施されている学習指導要領では、小学校3・4年生で週1コマの外国語活動が行われ、5・6年生で週2コマの外国語(実質は英語)が正式教科となり成績もつけられている。
だが、「人間の基礎」「学びの土台」を作る小学校において、国語や算数に加えて英語まで教える必要があるのか。それで本当に英語が身に付くのだろうか……。まずは外国語である英語を学ぶ「意義」に関して、『英語と日本人』『英語教育論争史』の著書がある江利川氏が説明する。〉
“誤訳”が生まれる理由、それは、あらゆる言語は単なる記号ではなく、それぞれが異なる文化を背負っているからです。この異文化理解、「魔女の宅急便」の話でいえば“魔女”に対する歴史的・宗教的な理解なくして、真の意味での異言語間コミュニケーションは成り立ちません。その大前提として、英語であれば英語に興味を持ち、英語圏の文化を理解したいという思いが欠かせないはずです。
では、いまの日本の英語教育はどうでしょうか。「グローバル人材」なるものを求める財界や、彼らの後押しも受けた政治家は「使える英語」を身に付けさせようと、小学校からの英語授業を推進しています。ですが、小学生に週2時間程度の英語を教えても、英語を学ばなかった子との差は中学生になるとなくなってしまいます。まして異文化理解が深まる年齢ではありません。それどころか、むしろ表層的に英単語を教え込むことで、「英語嫌い」を増やしてしまう恐れがあります。
母語(日本語)でさえ「文化」という抽象的な概念を理解できない小学生が、英語の「culture」を理解できるはずもありません。小学生に「ハワーユー? アイムファイン、センキュー」なんて教えたところで、そこから異文化への敬意が生まれるわけがない。意味も分からず英語の口まねをさせられるのは苦痛でしかないでしょう。
したがって、小学生への週に1~2時間の英語授業は、じょうろで砂漠に水をまいているに等しく、壮大な無駄です。財界や政治家は、異言語間の「コミュニケーション」というものをナメていると指弾されても仕方がないでしょう。
実際、小学校の英語を教科化した弊害は数字としても表れています。文科省の調査では、「英語の学習が好きではない」と答えた小学6年生の割合は、13年度は23.7%でしたが、教科化後の21年度は31.5%と、約8ポイントも増えています。
今年の7月31日に発表された、文科省の国立教育政策研究所が問題を作成して行われた全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果もひどいものでした。4年ぶりの実施となった中学3年生の「英語4技能」の平均正答率は以下の通りです。なお、カッコ内は4年前の結果です。
・聞く58.9%(68.3%)
・読む51.7%(56.2%)
・書く24.1%(46.4%)
・話す12.4%(30.8%)
単純な比較はできませんが、いずれも前回より下がっています。これが企業の業績だったら、確実に倒産の危機を迎える惨状です。
とりわけすさまじいのが「話す」で、12.4%という極めて低い正答率です。それにも増して問題なのが5問のうち1問も正解できなかった生徒が6割以上もいたことです。
これでは、学力調査の意味をなしません。生徒たちの成績を見極め、課題を探ることを目的とする試験の体をなしていないのです。そんなひどい問題を文科省は作ってしまった。
このことから明らかなように、政府・文科省が掲げている「理想」と、生徒たちの「現実」が乖離してしまっている。客観的に考えれば、目標の設定が間違っていると言わざるをえません。
しかし、それを認めず、理想に到達できていない生徒や指導が悪いという方向に話が進もうとしている。これでは、大和魂が足りないからB29を撃ち落とせないんだと言っているに等しい。これぞまさに、大本営発表で事実を隠し、主観的願望で無謀な作戦を強いる軍参謀そのものです。
そして、今回の学力テストが犯罪的だと感じるのは、「話す」技能において6割以上の生徒に「全く英語が話せない」という挫折体験をさせてしまったことです。
数年に1回の学力テストで0点を取ってしまった。普通の子であれば、とてつもない挫折感を味わうはずです。そして、その挫折感は「英語は難しい、僕にはできない」「もう私には無理」という諦めを生み出します。この先、高校も大学も控えている中学生に、英語への忌避感を植え付けることを、犯罪的と言わずして何と表現すべきでしょうか。
実は、こうなるのは目に見えていたことなのです。20年度までは、中学校卒業時までに覚える英単語は約1200語でした。ところがそれ以降は、小学校で600~700の英単語を覚え、中学校では1600~1800の英単語を覚えなければいけなくなりました。中学卒業時点で比較すると、1200から最大で2500へと、覚える英単語は倍増している。これでは、まるでブラック企業のノルマです。1~2割増ならまだしも倍増ですから、当然、その負荷に生徒はもちろん、教師も耐えられません。
こんな無理を続けていたら潰れてしまう子どもが必ず出てくると危惧した通り、「話す」技能では「6割以上が0点」です。とりわけ書く力が未熟な小学生が、600~700の英単語を覚えるのはとても難しい。どんな中学生だって、覚えるべき英単語がいきなり2倍になった教科書が目の前に現れたら尻込みしてしまうのは当然の話です。
現に4年前の調査で、「英語の授業内容はよく分かります」と答えた中学3年生は64.4%、「英語の勉強は好きです」との回答は52.3%、「将来、積極的に英語を使うような生活をしたり職業に就いたりしたい」と答えたのは37.2%でしたが、今回の調査ではそれぞれ4年前より2ポイント、4ポイント、5ポイントも減っています。ノルマを重くした結果、政府・文科省は「英語が分からない」「英語嫌い」という子どもを増やしてしまったのです。
なぜ日本の英語教育はこんなことになってしまったのでしょうか。どうすればいいのでしょうか。次回では、明治以来140年の歴史を踏まえた「最終結論」をお話ししたいと思います。
なお、冒頭で紹介した「魔女の宅急便」の会話の、英語圏の人向けの適切な英訳は「魔女」が「princess」で、「うん」は「Oh, I love you, dad!」。これが、AIにはできない異文化理解に基づいた英語力です。そして異言語を学ぶ神髄といえるのではないでしょうか。少なくとも、英語嫌いになってしまっては「魔女」を「princess」と訳すことはできません。
江利川春雄(えりかわはるお)和歌山大学名誉教授。1956年生まれ。大阪市立大学経済学部卒業、神戸大学大学院教育学研究科修士課程修了。広島大学で博士(教育学)取得。専攻は英語教育学・英語教育史。『英語と日本人』『英語教育論争史』『受験英語と日本人』等、著書多数。
「週刊新潮」2023年10月12日号 掲載