有利子負債450億円以上--。
00年4月、大東隆行氏(享年72)が「餃子の王将(以下、王将)」の4代目社長に就任した際に直面したのは巨額の負債だった。
「創業者の加藤朝雄氏(故人)が、京都・四条大宮に1号店をオープンさせたのは67年12月です。経営に暗雲がたちこめ始めたのは、約10年後の77年ごろからでした。加藤氏が、同じ福岡県出身の企業グループ経営者A氏と知り合ったことがキッカケです。A氏の兄はある同和団体のドンと呼ばれ、彼自身も政財界に顔が広かったとか。『王将』が全国チェーンへ成長する過程で、加藤氏はA氏にトラブル処理や建築の認可手続きで頼っていたと聞いています。
93年6月に加藤氏が亡くなると、A氏は友人代表として社葬に参列しました。雇われ社長を経て3代目のトップに就任した加藤氏の長男や専務だった次男は、さらにA氏との関係を深めます。A氏の企業グループへの不正取引は260億円にのぼり、そのうち約170億円が回収不能になっていたんです」(全国紙社会部記者)
16年3月に公開された第三者委員会の報告書によると、「王将」はA氏の企業グループから以下のような不動産を次々に購入していたという。
・ハワイの土地:約18億2000万円
・福岡市中央区のビル:約12億3700万円
・京都市祇園のビル:約5億3000万円……etc。
「いずれも、適正な評価額とは大きくかけ離れた金額です。『王将』が購入した不動産は、A氏の企業グループが3分の1ほどの価格で買い戻していました。『王将』の経営は、どんどん悪化していったんです」(同前)
経営を立て直すべく00年4月に4代目社長に就任したのが、創業者・加藤氏の妻を姉にもつ大東氏だ。加藤氏の長男と次男は、責任をとって辞任。大東氏は「ウミを出し切る」と、自らA氏側との交渉にあたった。
「しかし、なかなかA氏との関係を断ち切れなかったようです。創業家と対立を深めた大東氏は、交渉役としてA氏を頼った。大東氏は『王将』の東証1部上場を目指していましたが、こうした経緯を問題視され申請直前の12年11月に断念しました」(全国紙経済部記者)
大東氏が不適切取引に関する報告書の原案を、臨時取締役会で示したのは13年9月だ。報告書は同年11月に完成するが、さまざまな反発にあい非公開となる。大東氏が何者かに銃撃され命を落としたのは、その1ヵ月後だった。
「大東氏は社員が出社する前の早朝に、長靴姿で本社周辺に水をまき掃除するのを日課にしていました。犯人は、そこを狙ったようです。事件が起きたのは、早朝6時前。目撃者や発砲音を聞いた人がおらず、捜査は難航しました。
現場近くの路上に落ちていたタバコの吸い殻に付着していたDNAなどから、容疑者が逮捕されたのは今年10月28日。事件発生から、実に8年10ヵ月が経っていました」(前出・社会部記者)
殺人や銃刀法違反の疑いで逮捕されたのは、別の銃撃事件で服役中だった特定危険指定暴力団「工藤会」幹部の田中幸雄容疑者(56)だ。工藤会の本拠地は、A氏の出身地と同じ福岡県。田中容疑者の「素顔」は、暴力団員としては異例だという。
「都内の大学を中退し、旅行会社に勤務。関西地方を中心に働いていました。その後、工藤会傘下の組織を紹介され構成員になったようですが、暴力団員としては異色の経歴です。田中容疑者は工藤会系の石田組に所属し、中核ポストの本部長を担っていました。
田中容疑者は、ヒットマンとして相当優秀だったのでしょう。凶器に使われたのは25口径の自動式拳銃ですが、手のひらサイズで殺傷能力が低い。かなりのスキルを身につけていないと、使いこなせません。普段は寡黙で、どんな仕事もいとわずにこなしていたようです」(同前)
10月30日現在、田中容疑者は取調官との雑談には応じても事件に関しては黙秘を続けているという。大東氏やA氏との接点については、確たることはわかっていない。