「トー横」と呼ばれる新宿歌舞伎町・新宿東宝ビル横のエリアには、日々行き場のない少年少女らが集まっている。そんな少年少女らにボランティアで炊き出しなどを行う、「歌舞伎町卍会」の総会長を務めていたトー横の「ハウル」こと小川雅朝被告(33)が、東京拘置所で死亡した。
【映像】“トー横のハウル”が残した直筆の手紙 小川被告は今年6月、「トー横」で知り合った16歳の少女にみだらな行為をしたとして、逮捕・起訴。それから約5カ月半後の11月14日、初公判を前に、東京拘置所の部屋で体調が急変して死亡した。警察が司法解剖したが、死因は不明だという。
元埼玉県警刑事の佐々木成三氏らが11月17日、「トー横」を訪れると、飲酒をする若者があふれ、ゴミが散乱していた。小川被告がよく座っていた場所には、献花台が置かれている。佐々木氏は若者たちに、小川被告への思いを聞いた。「ショック。僕がここに迷い込んできた時に『おなかすいてる? ご飯食べた?』と声をかけてきてくれたのが始まりだった」(18歳男性)「(小川被告の逮捕以降)しっかり取り締まる人がいない。(拘置所から)出てくるのをみんな待っていた。またハウルさん(小川被告)のおいしいご飯、食べたかった」(21歳女性)「1人の家族みたいな感じで接してくれて、俺はすごく好き。あの人(小川被告)は心の底から子供たちを助けたかったと思う。男女関係なく助けていたし、生半可な気持ちで絶対にできない」(18歳男性) 歌舞伎町で働く男性は、小川被告の逮捕後は「統制とる人間がいなくなったから無秩序になった」と話す。「小競り合いがあっても誰も止めない。ハウル(小川被告)がいたときは、ゴミ散らかす人がいたら『ちゃんと片付けろ!』(と注意していた)。一般的な常識がない子が増えた」(歌舞伎町で働く男性) 「トー横」に集う人々もまた、治安が悪化して、違法な仕事を紹介したり、盗撮や性的嫌がらせが増えている現状を憂う。 小川被告は、なぜ死に至ったのか。遺志を引き継ぎボランティア活動を続ける「歌舞伎町卍会」元幹部の男性は、弁護士から、8月ごろの時点で「まともに受け答えができる状態ではなかった」と聞いていた。逮捕直後は「トー横」へ戻る意思が強かったが、起訴されて「帰ってくる場所はない」などと言われるうちに、次第に元気が無くなっていったと語る。 元東京拘置所刑務官の坂本敏夫氏は「おそらく独房に入ってるため、殺人とか傷害致死などの恐れはないだろう」とみている。坂本氏によると、受刑者の身柄を確保するため、刑務官は15分に1回、必ず巡回するように指導されているという。 小川被告と逮捕時も交際していた女性、Yさん(21)は、弁護士を通じて、伝言をやりとりしていた。しかし弁護士は当時、しゃべっている内容がモゴモゴしていて聞き取れない、などとYさんに伝えている。原因は、処方されている薬のせいか、ストレスなのか、わからなかったそうだ。 Yさんは「ボランティア活動するよりも、自分のことからちゃんとしてほしい」との思いで、小川被告へ手紙を送り始めた。いつも弁護士からの「罪を認めて反省する」という言葉のみだったが、10月の終わりに本人直筆の手紙が届いた。「東京拘置所に移動になった、移動だ! 残りまだ裁判の結果でてないけど、もう会えると思う!! やっと会える。出た後どうしようかな。一緒に行くよな! マンスリーマンション……高田馬場に訳ありでも貸してくれるとこあるらしい! ちょっと調べてみてほしい! ここまでずっとはげましてくれたYが好きだわ。なんか車でどこかに行こう! まずそうしよう! とりあえず東京拘置所に来たって事は、もう調べることがないってこと! あとは裁判して終わり!! 愛してる」(直筆の手紙より) Yさんは「亡くなる人がこんな前向きなメッセージを書くとは思えない」として、一緒に過ごした日々を振り返りながら、小川被告への感謝を語った。 12月4日の『ABEMA的ニュースショー』では、刑事司法の問題に取り組むNPO法人CrimeInfo代表で、弁護士の田鎖麻衣子氏に話を聞いた。田鎖氏によると、刑事制度は伝統的に密行主義だったが、約20年前に名古屋刑務所で受刑者の死傷があったことから、刑事施設(刑務所や拘置所)での死亡事案を公表するようになった。しかし、第一報を発表した後については、まだ課題が多いという。「刑事施設を管理する側が、施設運営で一番大切にしているのは、逃走や暴動、自殺といった事故を防ぐこと。具体的な情報を明らかにすることで、『内部の規律秩序が揺らぐのではないか』、『それがきっかけで警備上・保安上の問題が起き、さらなる事故につながるのではないか』といった強い警戒心がある。(被収容者のプライバシーもあり、)法律上もなかなか情報が開示されない。つい最近まで、被収容者本人の医療情報も、開示されなかった」(田鎖氏)(『ABEMA的ニュースショー』より)
小川被告は今年6月、「トー横」で知り合った16歳の少女にみだらな行為をしたとして、逮捕・起訴。それから約5カ月半後の11月14日、初公判を前に、東京拘置所の部屋で体調が急変して死亡した。警察が司法解剖したが、死因は不明だという。
元埼玉県警刑事の佐々木成三氏らが11月17日、「トー横」を訪れると、飲酒をする若者があふれ、ゴミが散乱していた。小川被告がよく座っていた場所には、献花台が置かれている。佐々木氏は若者たちに、小川被告への思いを聞いた。
「ショック。僕がここに迷い込んできた時に『おなかすいてる? ご飯食べた?』と声をかけてきてくれたのが始まりだった」(18歳男性)「(小川被告の逮捕以降)しっかり取り締まる人がいない。(拘置所から)出てくるのをみんな待っていた。またハウルさん(小川被告)のおいしいご飯、食べたかった」(21歳女性)「1人の家族みたいな感じで接してくれて、俺はすごく好き。あの人(小川被告)は心の底から子供たちを助けたかったと思う。男女関係なく助けていたし、生半可な気持ちで絶対にできない」(18歳男性)
歌舞伎町で働く男性は、小川被告の逮捕後は「統制とる人間がいなくなったから無秩序になった」と話す。
「小競り合いがあっても誰も止めない。ハウル(小川被告)がいたときは、ゴミ散らかす人がいたら『ちゃんと片付けろ!』(と注意していた)。一般的な常識がない子が増えた」(歌舞伎町で働く男性)
「トー横」に集う人々もまた、治安が悪化して、違法な仕事を紹介したり、盗撮や性的嫌がらせが増えている現状を憂う。
小川被告は、なぜ死に至ったのか。遺志を引き継ぎボランティア活動を続ける「歌舞伎町卍会」元幹部の男性は、弁護士から、8月ごろの時点で「まともに受け答えができる状態ではなかった」と聞いていた。逮捕直後は「トー横」へ戻る意思が強かったが、起訴されて「帰ってくる場所はない」などと言われるうちに、次第に元気が無くなっていったと語る。
元東京拘置所刑務官の坂本敏夫氏は「おそらく独房に入ってるため、殺人とか傷害致死などの恐れはないだろう」とみている。坂本氏によると、受刑者の身柄を確保するため、刑務官は15分に1回、必ず巡回するように指導されているという。
小川被告と逮捕時も交際していた女性、Yさん(21)は、弁護士を通じて、伝言をやりとりしていた。しかし弁護士は当時、しゃべっている内容がモゴモゴしていて聞き取れない、などとYさんに伝えている。原因は、処方されている薬のせいか、ストレスなのか、わからなかったそうだ。
Yさんは「ボランティア活動するよりも、自分のことからちゃんとしてほしい」との思いで、小川被告へ手紙を送り始めた。いつも弁護士からの「罪を認めて反省する」という言葉のみだったが、10月の終わりに本人直筆の手紙が届いた。
「東京拘置所に移動になった、移動だ! 残りまだ裁判の結果でてないけど、もう会えると思う!! やっと会える。出た後どうしようかな。一緒に行くよな! マンスリーマンション……高田馬場に訳ありでも貸してくれるとこあるらしい! ちょっと調べてみてほしい! ここまでずっとはげましてくれたYが好きだわ。なんか車でどこかに行こう! まずそうしよう! とりあえず東京拘置所に来たって事は、もう調べることがないってこと! あとは裁判して終わり!! 愛してる」(直筆の手紙より)
Yさんは「亡くなる人がこんな前向きなメッセージを書くとは思えない」として、一緒に過ごした日々を振り返りながら、小川被告への感謝を語った。
12月4日の『ABEMA的ニュースショー』では、刑事司法の問題に取り組むNPO法人CrimeInfo代表で、弁護士の田鎖麻衣子氏に話を聞いた。田鎖氏によると、刑事制度は伝統的に密行主義だったが、約20年前に名古屋刑務所で受刑者の死傷があったことから、刑事施設(刑務所や拘置所)での死亡事案を公表するようになった。しかし、第一報を発表した後については、まだ課題が多いという。
「刑事施設を管理する側が、施設運営で一番大切にしているのは、逃走や暴動、自殺といった事故を防ぐこと。具体的な情報を明らかにすることで、『内部の規律秩序が揺らぐのではないか』、『それがきっかけで警備上・保安上の問題が起き、さらなる事故につながるのではないか』といった強い警戒心がある。(被収容者のプライバシーもあり、)法律上もなかなか情報が開示されない。つい最近まで、被収容者本人の医療情報も、開示されなかった」(田鎖氏)
(『ABEMA的ニュースショー』より)