「オピオイドを打つと、すごく心穏やかになって、働けるし、冷静になれるし、ということで手を出した。手を出してみた」
【映像】元医師が語る“依存の壮絶さ” 主にがん患者などに使用される鎮痛薬、オピオイド。元医師のAさんは、その中でも、医療用麻薬として指定され、病院で治療用に保管されていた薬を自らに使用したと話す。背景にあったのが、過酷な労働環境だった――。「昼ごはんも食べずにずっと夜中の2時くらいまで働く。次の日の朝、無理だなというときは職場に泊まる。帰りたいのだが、帰ると何がよくないかというと、結局電話で起こされる。起こされると行かなきゃいけない。それが365日続く」

Aさんの専門とする分野の医師は病院に1人だけで、応援の医師の派遣を病院に要請しても、とりあってもらえない状況だったという。さらに、労働時間や給与面などの契約もずさんで、Aさんの病院に対する不信感は高まる。「契約書も契約書みたいな書式じゃなくて、メモみたいな感じ。ちょっと怪しいよなとは思ったが、口約束で入った後は、1000万円くらい違った。ますます頭にくるね、こんなに働いてなんなんだと」 なんとかその感情を抑えるために手を伸ばしたのがオピオイドだった。「我々は麻薬の施用者免許証を持っているので、自由に使うことができる。ただし、鎮静のために使うことはできるのだが、がんの末期の鎮静のためという条件がついている。そうすると私は、がんじゃないので違法使用になる」 使い始める前は、「いつでも使用をやめる自信があった」というAさん。「身体が依存しだすまでは1カ月もかからなかった。すごく早い。精神的には欲しくない、断ち切りたい、そんな薬はいらない。ところがあっという間に身体依存が形成されてしまって、身体がもうそれがないとやっていけなくなる。依存しだしてから『やめなきゃ』というのが1年間続く。それで逮捕」 逮捕後に待っていたのが、身体依存から抜け出す際の壮絶な苦しみ。「逮捕と同時に断薬されたので、もうとにかく座ってもいられず、寝てても苦しかった。1週間くらいはのたうち回っていて。ようやく座れるようになって、普通の体調に戻ったのは2週間目くらい。ものすごく依存性が高かった。そんなのは知らない、知らないというと変だが、授業で習わないので。それを知っているのは専門の先生くらいで、非専門の先生は知らない」 オピオイドにどんな作用があるのかの知識はあったものの、依存性についての教育は不十分だったと振り返るAさん。麻薬・向精神薬取締法違反で起訴され、懲役3年の実刑判決を受けた。「医道審議会というのがあって、審議にかけられるのだが、これも薬物の初犯では初めて(医師免許の)取り消し。再犯は薬物依存がとれていないということで再犯者は取り消しになるのだが、初犯で取り消しになったのは私が初めて。それまでの間6年かかっている。6年間身分が不安定な状態なので働けなかった」 逮捕されれば、その事実はニュース記事としてインターネット上に残り続ける今、名前を検索すれば、過去の逮捕歴はすぐに知られてしまう。そのため、経歴や身分を明かして他の仕事を探しても、理解を得られず断られてしまう状況が続いているという。「やっぱり(職場を)辞めるべきだった。判断を誤った。人間が追い込まれた状況下で選ぶ方法は、自殺するか、薬物に走るか、辞めるか。でも多くの人は辞めない、責任感のある人は。私の場合は側に薬物があった、すぐ使えた。だからそっちに走った。使えない人たちはみんなどうしているかというと、自殺したりしている。薬物依存から脱却させるために、自助グループでもいいが、状況が悪ければ、薬物依存の精神科に入院させるとか、まずは薬を絶ってその人を助ける。原因は労働環境にあったわけだから、その人が薬物から脱却して戻ってきて、二度と手を出さないようにその間インターバルあるわけで、その間に労働環境を改めて見直して、労働環境を整えてやろうというのが私は正しい方法だと思う」 ニュース番組『ABEMAヒルズ』では、元医師のAさんの話をもとに薬物問題への向き合い方を、国立精神・神経医療研究センター薬物依存研究部の松本俊彦先生に聞いた。――Aさんは勤務先の病院でオピオイドを自己注射し、依存症になった。逮捕で強制的に断薬できても、のたうち回るほど苦しかったと話していたが、オピオイドはそれほど依存性が強いのか?「よく海外の映画などで禁断症状でベッドに括り付けられて、何日間ももがき苦しむような場面が描写されていることがあるが、まさにあれがオピオイドの離脱の状況。覚せい剤ではそんな激しい離脱の症状はない。オピオイドは非常に強力で、アメリカあるいはカナダ、北米を中心に“オピオイド・クライシス”と言われているような乱用の拡大が出ている」――Aさんの場合は勤務先が「ブラック職場」だったことが背景にあるが、法律上は許されず、初犯では重い懲役3年の実刑となった。この判決をどうみている?「初回からいきなり3年というのは非常に厳しい。医師や薬剤師には厳罰が下される傾向がある」――厳罰は本人の回復につながるのか?「全く繋がらない。3年間、いきなり実刑で刑務所に入って、いろんな形で前科がついてしまい、社会での居場所を見つけることができなくなる。回復した向こう側の希望が見えていない以上、プログラムをやるモチベーションを維持することが難しくなる」 医師が麻薬を乱用・依存してしまうケースについて、松本医師は時々相談受けることがあるという。Aさんも「「先輩医師がオピオイドを自分に注射した話も聞いた」と話していたことから、医師に対する依存症教育の問題点について聞いた。「医学部は6年間教育を受けるのだが、薬物依存について学ぶのは、精神医学の中の一コマ90分だけ。しかもアルコールや覚せい剤等の依存症と一緒に学ぶ。そもそも大学の教員の中で、オピオイドの依存症についてきちんと実感を持って講義をできる人材がいない。なので、ほとんど教育を受けないままオピオイドの使用や管理を任されている現状だ」――Aさんは、逮捕時の報道が「デジタルタトゥー」となって、今も職が見つからない。「デジタルタトゥーは、何年もまとわりつく。刑罰で社会的な責任を果たしてきたにもかかわらず、その後も社会から排除されるというのは、法律で定められていない社会的な制裁で、とても深刻」――薬物依存から回復した人と社会が向き合う上で必要なことは?「きちんとプログラムを受け、長いこと薬物をやめているという実態がある、メンテナンスのために専門医と会っている、ということであれば、積極的に社会に居場所を与えるべき。それが、薬物の問題で苦しんでいる人たちに希望を与えると思う。薬物の再使用を防ぐという意味でも必要。 『一回(薬物を)やったらやめられない』『一回やったら人生破滅』ということが、色々な啓発で言われているが、それが正しい啓発ではないと思っている」(『ABEMAヒルズ』より)
主にがん患者などに使用される鎮痛薬、オピオイド。元医師のAさんは、その中でも、医療用麻薬として指定され、病院で治療用に保管されていた薬を自らに使用したと話す。背景にあったのが、過酷な労働環境だった――。
「昼ごはんも食べずにずっと夜中の2時くらいまで働く。次の日の朝、無理だなというときは職場に泊まる。帰りたいのだが、帰ると何がよくないかというと、結局電話で起こされる。起こされると行かなきゃいけない。それが365日続く」
Aさんの専門とする分野の医師は病院に1人だけで、応援の医師の派遣を病院に要請しても、とりあってもらえない状況だったという。さらに、労働時間や給与面などの契約もずさんで、Aさんの病院に対する不信感は高まる。
「契約書も契約書みたいな書式じゃなくて、メモみたいな感じ。ちょっと怪しいよなとは思ったが、口約束で入った後は、1000万円くらい違った。ますます頭にくるね、こんなに働いてなんなんだと」
なんとかその感情を抑えるために手を伸ばしたのがオピオイドだった。
「我々は麻薬の施用者免許証を持っているので、自由に使うことができる。ただし、鎮静のために使うことはできるのだが、がんの末期の鎮静のためという条件がついている。そうすると私は、がんじゃないので違法使用になる」
使い始める前は、「いつでも使用をやめる自信があった」というAさん。
「身体が依存しだすまでは1カ月もかからなかった。すごく早い。精神的には欲しくない、断ち切りたい、そんな薬はいらない。ところがあっという間に身体依存が形成されてしまって、身体がもうそれがないとやっていけなくなる。依存しだしてから『やめなきゃ』というのが1年間続く。それで逮捕」
逮捕後に待っていたのが、身体依存から抜け出す際の壮絶な苦しみ。
「逮捕と同時に断薬されたので、もうとにかく座ってもいられず、寝てても苦しかった。1週間くらいはのたうち回っていて。ようやく座れるようになって、普通の体調に戻ったのは2週間目くらい。ものすごく依存性が高かった。そんなのは知らない、知らないというと変だが、授業で習わないので。それを知っているのは専門の先生くらいで、非専門の先生は知らない」
オピオイドにどんな作用があるのかの知識はあったものの、依存性についての教育は不十分だったと振り返るAさん。麻薬・向精神薬取締法違反で起訴され、懲役3年の実刑判決を受けた。
「医道審議会というのがあって、審議にかけられるのだが、これも薬物の初犯では初めて(医師免許の)取り消し。再犯は薬物依存がとれていないということで再犯者は取り消しになるのだが、初犯で取り消しになったのは私が初めて。それまでの間6年かかっている。6年間身分が不安定な状態なので働けなかった」
逮捕されれば、その事実はニュース記事としてインターネット上に残り続ける今、名前を検索すれば、過去の逮捕歴はすぐに知られてしまう。そのため、経歴や身分を明かして他の仕事を探しても、理解を得られず断られてしまう状況が続いているという。
「やっぱり(職場を)辞めるべきだった。判断を誤った。人間が追い込まれた状況下で選ぶ方法は、自殺するか、薬物に走るか、辞めるか。でも多くの人は辞めない、責任感のある人は。私の場合は側に薬物があった、すぐ使えた。だからそっちに走った。使えない人たちはみんなどうしているかというと、自殺したりしている。薬物依存から脱却させるために、自助グループでもいいが、状況が悪ければ、薬物依存の精神科に入院させるとか、まずは薬を絶ってその人を助ける。原因は労働環境にあったわけだから、その人が薬物から脱却して戻ってきて、二度と手を出さないようにその間インターバルあるわけで、その間に労働環境を改めて見直して、労働環境を整えてやろうというのが私は正しい方法だと思う」
ニュース番組『ABEMAヒルズ』では、元医師のAさんの話をもとに薬物問題への向き合い方を、国立精神・神経医療研究センター薬物依存研究部の松本俊彦先生に聞いた。
――Aさんは勤務先の病院でオピオイドを自己注射し、依存症になった。逮捕で強制的に断薬できても、のたうち回るほど苦しかったと話していたが、オピオイドはそれほど依存性が強いのか?
「よく海外の映画などで禁断症状でベッドに括り付けられて、何日間ももがき苦しむような場面が描写されていることがあるが、まさにあれがオピオイドの離脱の状況。覚せい剤ではそんな激しい離脱の症状はない。オピオイドは非常に強力で、アメリカあるいはカナダ、北米を中心に“オピオイド・クライシス”と言われているような乱用の拡大が出ている」
――Aさんの場合は勤務先が「ブラック職場」だったことが背景にあるが、法律上は許されず、初犯では重い懲役3年の実刑となった。この判決をどうみている?
「初回からいきなり3年というのは非常に厳しい。医師や薬剤師には厳罰が下される傾向がある」
――厳罰は本人の回復につながるのか?
「全く繋がらない。3年間、いきなり実刑で刑務所に入って、いろんな形で前科がついてしまい、社会での居場所を見つけることができなくなる。回復した向こう側の希望が見えていない以上、プログラムをやるモチベーションを維持することが難しくなる」
医師が麻薬を乱用・依存してしまうケースについて、松本医師は時々相談受けることがあるという。Aさんも「「先輩医師がオピオイドを自分に注射した話も聞いた」と話していたことから、医師に対する依存症教育の問題点について聞いた。
「医学部は6年間教育を受けるのだが、薬物依存について学ぶのは、精神医学の中の一コマ90分だけ。しかもアルコールや覚せい剤等の依存症と一緒に学ぶ。そもそも大学の教員の中で、オピオイドの依存症についてきちんと実感を持って講義をできる人材がいない。なので、ほとんど教育を受けないままオピオイドの使用や管理を任されている現状だ」
――Aさんは、逮捕時の報道が「デジタルタトゥー」となって、今も職が見つからない。
「デジタルタトゥーは、何年もまとわりつく。刑罰で社会的な責任を果たしてきたにもかかわらず、その後も社会から排除されるというのは、法律で定められていない社会的な制裁で、とても深刻」
――薬物依存から回復した人と社会が向き合う上で必要なことは?
「きちんとプログラムを受け、長いこと薬物をやめているという実態がある、メンテナンスのために専門医と会っている、ということであれば、積極的に社会に居場所を与えるべき。それが、薬物の問題で苦しんでいる人たちに希望を与えると思う。薬物の再使用を防ぐという意味でも必要。
『一回(薬物を)やったらやめられない』『一回やったら人生破滅』ということが、色々な啓発で言われているが、それが正しい啓発ではないと思っている」
(『ABEMAヒルズ』より)