【全2回(前編/後編)の前編】
誰もが虚を突かれた高市早苗氏(64)の自民党総裁選勝利。党員票には強くとも議員票の広がりに欠け、勝利は至難とみられていた。その下馬評を覆したのが、麻生太郎氏(85)の策謀と暗躍。党の解体的出直しというかけ声いずこ。新政権を牛耳る“怪物”の実相とは。
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東京・永田町にある自民党本部8階の大ホール。10月4日午後、295名の党所属国会議員は歴史的な場面に立ち会った。
「高市早苗君185票、小泉進次郎君156票であります」
総裁選の決選投票の結果が読み上げられ、第29代党総裁となった高市氏は自席から立ち上がると、緊張した面持ちで周囲に何度も頭を下げた。現場から中継するテレビ画面に映し出されたのは、敗れた小泉進次郎農水相(44)が目に涙をにじませる姿。対照的に党本部からの立ち去り際、晴れやかな表情を見せたのが麻生太郎元首相だ。
記者団に向かって、
「お前らはなめてるようだったけど、ちゃんと選挙になったろ」
そう言い放ち、満面の笑みを浮かべたのである。
翌日、読売新聞の朝刊1面、政治部長が〈事前の予想を覆す、想定外の展開だった〉と記したように、大方の永田町関係者は議員票で有利とみられた小泉氏の勝利を疑わなかった。
「総裁選が始まると旧派閥の垣根を越えて多くの議員がわれ先にと小泉支持を表明。麻生派からも小泉陣営に加わる議員が現れるなど、小泉氏優位は揺るがないと目されました。前回総裁選で麻生氏は高市氏を支援して一敗地にまみれ、非主流派に転じた。党内で唯一となった派閥を維持し、影響力を保つには“勝ち馬”に乗る必要がある。麻生氏は最後、派閥丸ごと小泉氏に票を乗っけるのではないか。そう予想されていたわけです」(政治部デスク)
選挙になったろ――。麻生氏の弁は、選挙は投票箱のフタが閉まる時までが戦いだという本義を改めて告げてみせたものだった。
「一対一の決勝戦に残ることを前提に、どうやって議員票を積み上げるかの一点に注力しました。各議員へのアプローチの仕方もいろいろと工夫しました」
と言うのは、高市氏の推薦人代表を務め、7日に党四役の選対委員長に就任した古屋圭司氏(72)だ。
「高市さんは個別訪問ではなく、各議員への丁寧な電話がけを重視しました。もちろん携帯電話に出ない人もいますので、留守録にもメールにもメッセージを入れる。これを何回もやる。すると、相手はいずれ電話に出てくれる。私たちは電話をかける相手に関して、その人が何を一生懸命やってきたか、相手に響くキーワードは何なのかなども全部調べ、高市さんにレクチャーしていました」(同)
投票日の前日も、深夜11時まで高市氏は携帯電話を手放さなかったという。
前回、高市氏は決選投票前の演説で熱が入り、持ち時間の5分を超過した。その失敗を念頭に、今回は古屋氏や官僚出身の若手議員らからなる「政策班」がスピーチの原案を作成。それは、登壇やお辞儀に要する時間まで緻密に計算されたものだった。
中でも切り札となった要素がある。高市陣営の選対本部長に中曽根弘文参院議員(79)が就いたことだ。狙いは「麻生対策」。古屋氏が明かす。
「中曽根家と麻生家は70年以上にわたる深い関係があります。家の格が大事なんです。そうした背景を踏まえて中曽根さんに麻生さんへのアプローチをお願いしました」
吉田茂元首相を祖父に持ち、皇族とも縁戚関係にある麻生氏は「血筋」や「家柄」を重んじるとされる。その琴線に触れる存在として「大勲位」こと故・中曽根康弘元首相の長男である弘文氏に、交渉役という白羽の矢を立てたわけだ。
一方、小泉陣営には菅義偉元首相(76)をはじめ、加藤勝信財務相(69)、木原誠二前選挙対策委員長(55)ら、党内実力者が結集していた。小泉氏優位とみられたゆえんでもある。が、これが麻生氏には面白くなかった。
「選挙戦の終盤、麻生氏は“小泉を担いでも、うま味がねえな”とボヤくようになっていました」
とは、先の政治部デスク。
「つまり、仮に麻生氏が決選で小泉氏を支持しても、麻生派より先に論功行賞にあずかる連中が大勢いると考えたわけです。一方、高市陣営は“総裁になったら人事を麻生氏に任せる”という趣旨のメッセージを発していた。これもまた決め手になったのではないかと思われます」(同)
政治ジャーナリストの青山和弘氏が言う。
「麻生氏は投票日前々日の2日、都内で岸田文雄前首相(68)と会談。その後、岸田氏は周囲に“麻生さんがすごいことを考えている”と漏らしていました。岸田氏自身は今回、小泉陣営に加わったとみられますが、会談の中で麻生氏から“作戦”を聞かされたのでしょう。岸田氏は“まさかこれで(小泉氏が)逆転されたりしねえよな”などと不安げな様子を見せていたそうです」
岸田氏の懸念は的中した。麻生氏が局面を変える一手を放ったのだ。すでに各陣営に加わった議員を除く、フリーな立場で動ける約20名の麻生派議員がカギとなる役目を果たした。青山氏が続ける。
「まず1回目の投票で、茂木敏充氏(70)・小林鷹之氏(50)の両陣営に麻生派の議員を振り分けて“貸し”を作りました。これが決選投票の段階で、茂木・小林両氏に投じられた票を高市支持へと引き入れる布石となったのです。麻生氏は、限られた手駒で、茂木・小林両氏の支持議員を含む約80名もの動きをまとめてコントロールすることに成功したといえます」
前出のデスクが補足する。
「麻生氏は投開票日の前夜、自派議員の一部には高市支持の意向を伝えていたものの、全体にお触れを出したのは投開票当日の午前中でした。麻生氏はその段階で、高市氏が党員票で小泉氏を大きく引き離すだろうと確信していた。そこで自派議員に“党員票は高市がトップだ”と伝え、支持を促したのです」
同様に、茂木・小林両陣営でも「決選では党員票の多い候補に投じる」との考えが共有されたそうだ。
もっとも、高市氏を勝利に導いたのは麻生氏の動きだけではない。ライバルの小泉陣営は、事前の各種情勢調査で議員票では優勢を維持。皮肉にも、これが気の緩みをもたらした。
自民党関係者が言う。
「小泉陣営は選挙戦終盤の10月1日夜に飲み会の開催を予定し、3次会のカラオケまで組み込んでいた。さすがに“選挙中にまずい”との判断で取りやめたそうですが、投開票前夜、赤坂にある衆院議員宿舎の一室で事実上の“祝勝会”を開催。陣営議員らで盛り上がったと聞きます」
小泉選対の大岡敏孝衆院議員(53)も敗戦の弁をこう口にする。
「1回目の投票を前にして“議員票が100票いった”“110票が見えた”と捕らぬ狸の皮算用をしてしまいました。ところが、フタを開ければ1回目の議員票は80票。全然集まらなかったわけです。小泉陣営は、高市陣営に比べると決選投票を見据えた動きもできていませんでした」
林芳正官房長官(64)の陣営はといえば保守穏健派の旧宏池会(旧岸田派)議員が中心で、保守強硬派の高市陣営にはくみしないとみられていた。が、林陣営は予想に反し、一枚岩になれなかった。林氏の地元の自民党山口県連に身を置きながら旧安倍派に属した面々が高市氏に投票し、あろうことか旧宏池会からも高市支持に回った者がいた。
旧宏池会の議員が打ち明ける。
「林陣営は決選に際して、投票先に関するサインを設けました。陣営内で最初に投票する石田真敏元総務相(73)が用紙を右手で箱に入れれば小泉氏、左手なら高市氏と取り決めたのです。石田氏が投票したのは右手、すなわち“後に続く議員は小泉に入れよ”だったのですが、少なからぬメンバーが第1回投票で党員票トップに立った高市氏に票を入れました」
林陣営を率いた選対幹部の中からも決選で高市氏に入れた議員がいた。
当の議員が語る。
「自民党が参院選で負け、広く国民のみなさまの話を聞かなきゃいけない中で総裁選に臨んだわけです。高市先生があれだけ党員からの支持を得たというのに、国会議員がそれを覆せるのか。(林陣営の議員には)そんな思いもあったのではないでしょうか」
政治部記者が言う。
「旧宏池会では、岸田氏や木原氏が旧宏池会の林氏ではなく小泉氏の支持に回ったことに反発する向きもありました。もはや旧宏池会は“林派”と少数の“木原グループ”に分裂した状態で、岸田氏の求心力は急速に低下しています」
ここで見えてくるのは、旧派閥がいずれも死屍累々の惨状を呈する中、麻生氏が権力闘争にほぼ独り勝ちしたということだ。
後編【「麻生さんに引退する考えはなく、次の総選挙にも出馬する意向」 総裁選の知られざる舞台裏 「第2次麻生内閣の誕生」の声も】では、連立交渉相手の本命など、今後の政界の動向について詳しく報じる。
「週刊新潮」2025年10月16日号 掲載