自民党の高市早苗総裁(64)が誕生した。首相になる可能性が高い。NHKは戦々恐々としているはず。高市氏は同局の改革に最も積極的な政治家なのだ。しかも同局は、高市氏が総務相時代の2020年に送り込んだ前田晃伸前会長(80)による改革の多くを覆してしまった。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】
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前田前会長が行った改革の多くを白紙にしたのは現在のNHK会長・稲葉延雄氏(74)=元日本銀行理事=。岸田文雄元首相(68)と近い人である。だが、稲葉氏の任期は来年1月に切れる。後任人事に高市氏の影響力が及ぶのは必至だ。
NHKは「公平・公正」、「不偏不党」で、視聴者のために存在するはずだが、自民党に首根っこを押さえ付けられている。会長の任免権を持つ経営委員が、衆参両院の同意によって決まり、首相が任命するからだ。
そのうえ会長はいずれも歴代首相や党有力者と関係が近い。2012年に発足した第2次安倍晋三政権以降、その傾向が強まった。
「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」などの発言で物議を醸し続けた2014~17年の会長・籾井勝人氏(82)=元三井物産副社長=もそう。当時の首相である安倍氏のお墨付きを得ていた。それがあったから、舌禍続きだったにもかかわらず、3年間の任期を満了できたのだろう。
2017~20年の会長は上田良一氏(76)=元三菱商事副社長=。上田氏は自民党に近いNHK関連会社社長を同局本体に専務理事として戻した。自民党の意向があったというのが定説だ。自民党は同局の執行部人事まで動かしてしまう。上田氏も安倍氏に近かった。
2020~23年まで会長を務めたのが前田晃伸氏(80)=元みずほフィナンシャルグループ社長・会長=。安倍氏色が濃厚な人だった。財界人による安倍氏の応援団「四季の会」のメンバーだった。
四季の会の中心人物は元JR東海代表取締役名誉会長の故・葛西敬之氏。安倍氏の盟友で、NHKの会長選定に強い影響力を持っていた。前田氏は安倍氏、葛西氏というこれ以上ない強力な後ろ盾を得て会長に就いた。
葛西氏は保守系政治団体「日本会議」の中核メンバーでもあった。保守色の強い日本会議の会員がNHKの会長人事に力を持っていたというのは驚きである。葛西氏は靖国神社(東京・九段北)の総代も務めていた。また高市氏を評価していたとされる。これは安倍氏も一緒だ。
前田氏の会長就任時の総務相が高市氏である。高市氏は総務族で、2回、総務相をやっている。前田氏をNHKに送りだす際には「業務、受信料、ガバナンス(組織統治)の三位一体改革」を求めた。
前田氏は高市氏の言葉に従い、受信料値下げの準備を進めた。一方で職員の管理職昇進の際に試験を課すことにした。若手職員の抜擢などが狙いだった。
また、職員がある年齢に達したら、管理職ではなくなる役職定年制を設けた。これも若手の登用などを目的とした。さらに早期退職制度を導入した。民放など一般企業では当たり前の人事制度改革だった。
その結果、受信料は下がった。2023年10月から1割安くなった(衛星プラス地上契約月2220円が1950円に)。稲葉氏の時代になってからのことだが、前田氏の置き土産である。一方で人事制度改革には職員や反前田派の幹部が猛反発した。
前田氏の在任中だった2022年5月、月刊誌『文藝春秋』にNHKの職員有志一同による「前田会長よ、NHKを壊すな」と題された寄稿文が載った。そこには「前田会長のもとではもはやこの先の未来が描けない」などと過激な前田批判が書かれていた。
会長が事実上、自民党の意思で決まるという異常性が前提にあるにせよ、特殊法人の職員たちが雑誌を使い、匿名でトップを批判するというのは尋常ではない。高市氏が懸念した通り、ガバナンスに問題があったのか。
結局、前田改革は多くが白紙に戻された。2023年に会長に就任した現在の稲葉氏が、前田改革見直しの指揮を執った。これにより、管理職試験は白紙になった。役職定年制度も見直された。
稲葉氏の会長就任時、首相は岸田氏だった。稲葉氏については、岸田氏の師匠に当たる故・宮沢喜一元首相が、日銀の若手行員時代から高く評価していた。
そのうえ、稲葉氏は岸田氏の従兄弟である宮沢洋一氏(75)の旧友だった。稲葉氏と宮沢氏は東京教育大(現筑波大)付属中高の同級生なのだ。
一方、前田氏の屈辱は月刊誌上での批判や改革の白紙化だけではなかった。前田氏は会長在任中、BS番組をネット配信するため、9億円の設備購入費の予算を付けた。だが、BS番組は権利処理や費用の問題などから、ネット配信できない。この事実は稲葉体制になってからの2023年5月、NHKから発表された。
この際、稲葉氏は「違法な支払いは未然に防いだが、(予算が執行されていたら)放送法違反になった恐れがあった」と発言。放送法違反に問われるのは放送人にとって大きな屈辱である。
これにより前田氏は退職金が10%減額された。稲葉氏の判断は当時の松本剛明総務相(66)も後押し。松本氏を総務相に任命したのも岸田氏だった。
一方、前田氏は納得しなかった。2024年1月、経営委員会あてに意見書を送る。その文面にはBS番組のネット配信問題については「冤罪デッチ上げ事件」と書かれていた。激烈な抗議だった。
「(予算計上は)新しいサービスの提供をするための準備」(前田氏)
どちらの言い分もうなずける。分からなかったのは新旧の会長が激しく対立したこと。前田氏と稲葉氏では自民党の後ろ盾が違うことが理由の1つなのだろう。
NHKの会長は2008年から11年まで務めた故・福地茂雄氏=元アサヒビール社長=以降、6人連続で外部の財界人が招かれている。だから、どの会長にも同局内に強い基盤がない。自民党の後ろ盾に頼る部分が大きくなる。
月刊誌で匿名職員たちに批判されるなど、前田氏の立場が在任中から弱くなったのはうなずける。安倍氏は前田氏の就任から約半年後の2020年9月に健康上のことなどを理由に首相を退任した。また前田氏が在任中の2022年7月には暗殺されてしまった。
葛西氏も2022年5月に病死した。高市氏も安倍氏が首相を退いた2020年9月に総務相を退任した。前田氏は頼る人を失っていたのである。
総務相退任後、NHKに甘く見られているフシがあった高市氏。首相になったら、反撃するだろう。なにしろ高市氏にとって放送は本籍地なのだ。
まず次期会長人事に威力を発揮するのは確実。稲葉氏は複数の理由から続投は難しいと見られる。
まず外部から招かれた財界人の会長で続投した例はない。さらに健康上の理由もある。稲葉氏は2025年5月に初期の肺がんであることを公表し、治療を開始した。
高市氏が特に気にするガバナンスの問題もあった。2024年8月、ラジオの国際放送やAM第2の中国語ニュースで、中国籍の男性外部スタッフが、「(尖閣諸島は)古くから中国の領土」「南京大虐殺を忘れるな」などと勝手に話した。
電波ジャックである。信じがたい不祥事だった。中国側のプロパガンダがNHKで流れてしまった。対中問題で強硬姿勢を見せる高市氏は許せないのではないか。
そのほか、受信料の再度の値下げも考えられる。総務相時代の高市氏のNHKに関する第一の関心事は受信料の値下げだった。首相としての有権者へのアピールにもつながる。そもそも自民党内には2006年の段階で「下げるなら2割」という考え方があった。前回の値下げは1割である。
もう1割の値下げを強いられたら、NHKの台所事情はかなり厳しくなる。前回の値下げを受け、2023年度決算の赤字は約136億円に達した。
2024年度の赤字は約449億円。2025年度も400億円の赤字が見込まれ、来年度も赤字になる見通し。現在は巨額の内部留保で穴を埋めているが、補填できる金額にも限界がある。だから制作費の1割程度の削減が始まっている。
受信料収入を増やす方法はある。以前から自民党が提案している受信料の支払い義務化だ。それで収入は確実にアップする。なにしろ現在の支払率は全国平均で77.3%しかないのだから。東京は66.2%ともっと低い。
イギリスのBBCもドイツの公共放送も受信料支払いは義務。ただし、日本でなじむかどうかは未知数だ。
さらに高市氏は反故にされた前田改革を再び動かそうとするのではないか。前田氏がやろうとしたことは突飛なことではないからだ。
2016年、総務相だった高市氏は放送局が政治的公平性を欠くと判断した場合、電波停止を命じる可能性に言及した。根拠は放送に政治的公平を求めた放送法4条である。
放送界は猛反発したが、世間には高市発言を支持する人も見受けられた。放送批判が以前より高まる中、今はどうなるか。民放も油断できない。
高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。前放送批評懇談会出版編集委員。
デイリー新潮編集部