1年の電力消費量は“一般家庭2800世帯分”…「水族館の入場料」が動物園よりも高い納得の理由 から続く
「その研究はどのように役立つのか?」という質問に対し、最近では堂々と「特に役立ちません」とキッパリ答えるのが年間入場者数300万人超えの大人気水族館「沖縄美ら海水族館」だ。
【画像】採血中のジンベエザメ(写真8枚)
なぜ「役に立たない研究」に誇りを持つことができるのか? 同施設の知られざる日常と非日常を綴った一冊『沖縄美ら海水族館はなぜ役に立たない研究をするのか? サメ博士たちの好奇心まみれな毎日』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
美ら海水族館の哲学に迫る(写真提供:(一財)沖縄美ら島財団)
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本著『沖縄美ら海水族館はなぜ役に立たない研究をするのか?』は、正直言って我々にとってかなり挑戦的なタイトルだ。私たちはよく取材やインタビューを受けることがあるが、いつも決まって「その研究はどのように役立つのか?」と聞かれる。
以前は、「将来の研究や保全の基礎になる」とか、「何か有用な物質の発見につながるかもしれない」など、ありふれた理屈をつけて答えていたが、最近では堂々と「特に役立ちません」とキッパリ答えることもある。おそらく、このような経験は、多くの動物学者の方々に共通していると思う。役に立たない研究は、実は広く世界で行われている。他の研究者の例を挙げると失礼なので個別の事例は述べないが、本当に“どうでもよいこと”を真剣に追求した学術的価値の高い、珠玉の研究論文は無数に存在する(その場合は学術の発展に役立っていると言える)。
私たちのサメの研究は、産業に変革をもたらす可能性がゼロに近いと断言できる。本書で冨田さんが書いている「サメやエイの眼がどれだけ引っ込むか?」などの研究は、役に立たない研究の極みで、“誰も気づかなかった不思議を見つけた快感”を得られるだけの逸品だ。
一方で、松本さんのジンベエザメの生態研究や、水族館でのサメ人工子宮の研究などは、保全生物学などの分野で役に立つ可能性を大いに秘めている。しかし、そうであっても産業界に何か大きな貢献をすることはないだろう。その観点において、我々の研究は“役に立たない”し、お金になるものでもない。
そうであれば、役に立たない研究など不要ではないか?と世の中から問われるはずだ。しかし有難いことに、水族館を訪れる多くの人々や、沖縄県民、そして学術界の皆さんからは、多大な評価を受けている。美ら海の“役に立たない研究成果”が紙面やネット上に掲載されると、多くの皆さんからたくさんの激励やコメントをいただく。
研究成果を広く県民や国民に知らせることは、水族館の研究活動を理解してもらう上でも重要で、国際的にも沖縄美ら海水族館の研究レベルを知ってもらう良い材料となる。また、研究の動機や過程・成果・考察を分かりやすく人々に紹介することは、サイエンス・コミュニケーションの重要な機会だ。そして、私たちの研究が導き出した、“より新しい知見”は、生物多様性や種の保全などを考えてもらう上で良い機会となる。
私たちは、それらの機会をできるだけ数多く、そして幅広く設けたいと考え、館内の展示物だけでなく、各種メディアやオンライン体験サイトを最大限活用しているのだ。美ら海の研究は、産業や経済にとっては何の役にも立たないが、人々の意識や社会の変革に役立つ可能性は大いにあるかもしれない。
私たち、沖縄美ら海水族館に勤務するサメ博士たちは、館内での来館者やオンライン上での一般市民との交流が日常となっている。正直に言うと、来館者から疑問や質問をいただくことは我々の活力源になる。
実際に、館内やメールで寄せられた質問が我々サメ博士の面々にも転送されてくることがある。中には、私たちが説明できない素朴な疑問も多く、「申し訳ありませんが、現状では分かりません」とお答えすることもある。 たとえば、「ジンベエザメはプランクトンを吸い込んで食べるのに、どうして歯が何千本も生えているのか?」と聞かれても、正確な答えは見当たらない。実は、こんな質問を受けるたびに、私たちは「来たな」と内心嬉しく思っている。役に立たない研究は美ら海の本分! 水族館は生きた水棲動物を展示し、それらの面白さを分かりやすく紹介する博物館である。当たり前かもしれないが、水族館を訪れる人の多くは、普段見ることのできない珍しい動物の姿や生態を見学するために来館するのだと思う。つまり、好奇心が水族館に足を運ぶ動機になっているのだ。 これは、私たち水族館職員も同じだ。動物を勉強している学生にとって、水族館は就職先として大人気なのも、同じ理由だと思う。好奇心が強いほど、人は目標に向かって邁進するはずだ。沖縄美ら海水族館を役に立たない研究に向かわせるパワーは、我々の好奇心の強さと、沖縄の自然素材の素晴らしさ(=沖縄の生物多様性)にある。 とはいえ、私たちサメ博士は、好奇心を満たすための研究ばかりしているわけではなく、日々の地道な作業や、安全管理、運営にかかわる業務なども行っている。私や松本さんは、むしろそちらが主な仕事であり、人の管理も含めて常に大きな責任を負っている。名誉のために言っておくが、私たちは好き勝手をしているわけではない。 私たちの水族館は、国や県の管理の下に運営されており、常に適正な管理運営ができているか、モニタリングを受けている。けれども、私自身を含めて、職員一人一人の好奇心や自由な発想は大いに大切にするべきだし、ある目標を実現する過程で、寄り道や雑談(あえて議論と言っておこう)、時には失敗することも必要だと思う。人の心を組織がガチガチに縛り付けて管理することは、創造的な仕事の妨げにしかならない。目指すのは「科学と人のはしご役」 私を含めて動物の飼育展示に関わる者にとって、自らの日常業務の中に好奇心の芽を見出すことは、来館者に動物の面白さを伝える大切なきっかけになる。自分が面白いと思っていないのに、相手に楽しいと思わせることはできないだろう。 動物の飼育展示の先にあるものは、私たち自身が本当の生物学を追求することであり、そして研究の実体験を人々に直接伝える機会を作り出すことだ。理系離れが進んでいるといわれる昨今、水族館は海洋リテラシー教育の場として、また海洋科学への入り口としての大事な役割を担っている。 我々が行っている“役に立たないけれど面白い研究”は、人々が科学を身近なものとして理解するための大事なコンテンツになる。沖縄美ら海水族館は、まさに大人から子供まで、そして動物に興味がない人から専門家まで、すべての人々がそれぞれの立場に応じて、「知的好奇心を楽しむ場」でありたいと考えている。何の役にも立たない研究をしている我々サメ博士たちが、その役割の一端を担えるのであれば、心から嬉しく思う。(佐藤 圭一)
実際に、館内やメールで寄せられた質問が我々サメ博士の面々にも転送されてくることがある。中には、私たちが説明できない素朴な疑問も多く、「申し訳ありませんが、現状では分かりません」とお答えすることもある。
たとえば、「ジンベエザメはプランクトンを吸い込んで食べるのに、どうして歯が何千本も生えているのか?」と聞かれても、正確な答えは見当たらない。実は、こんな質問を受けるたびに、私たちは「来たな」と内心嬉しく思っている。
水族館は生きた水棲動物を展示し、それらの面白さを分かりやすく紹介する博物館である。当たり前かもしれないが、水族館を訪れる人の多くは、普段見ることのできない珍しい動物の姿や生態を見学するために来館するのだと思う。つまり、好奇心が水族館に足を運ぶ動機になっているのだ。
これは、私たち水族館職員も同じだ。動物を勉強している学生にとって、水族館は就職先として大人気なのも、同じ理由だと思う。好奇心が強いほど、人は目標に向かって邁進するはずだ。沖縄美ら海水族館を役に立たない研究に向かわせるパワーは、我々の好奇心の強さと、沖縄の自然素材の素晴らしさ(=沖縄の生物多様性)にある。
とはいえ、私たちサメ博士は、好奇心を満たすための研究ばかりしているわけではなく、日々の地道な作業や、安全管理、運営にかかわる業務なども行っている。私や松本さんは、むしろそちらが主な仕事であり、人の管理も含めて常に大きな責任を負っている。名誉のために言っておくが、私たちは好き勝手をしているわけではない。
私たちの水族館は、国や県の管理の下に運営されており、常に適正な管理運営ができているか、モニタリングを受けている。けれども、私自身を含めて、職員一人一人の好奇心や自由な発想は大いに大切にするべきだし、ある目標を実現する過程で、寄り道や雑談(あえて議論と言っておこう)、時には失敗することも必要だと思う。人の心を組織がガチガチに縛り付けて管理することは、創造的な仕事の妨げにしかならない。
私を含めて動物の飼育展示に関わる者にとって、自らの日常業務の中に好奇心の芽を見出すことは、来館者に動物の面白さを伝える大切なきっかけになる。自分が面白いと思っていないのに、相手に楽しいと思わせることはできないだろう。
動物の飼育展示の先にあるものは、私たち自身が本当の生物学を追求することであり、そして研究の実体験を人々に直接伝える機会を作り出すことだ。理系離れが進んでいるといわれる昨今、水族館は海洋リテラシー教育の場として、また海洋科学への入り口としての大事な役割を担っている。
我々が行っている“役に立たないけれど面白い研究”は、人々が科学を身近なものとして理解するための大事なコンテンツになる。沖縄美ら海水族館は、まさに大人から子供まで、そして動物に興味がない人から専門家まで、すべての人々がそれぞれの立場に応じて、「知的好奇心を楽しむ場」でありたいと考えている。何の役にも立たない研究をしている我々サメ博士たちが、その役割の一端を担えるのであれば、心から嬉しく思う。
(佐藤 圭一)