夜ごとに無数の札束が飛び交うホストクラブだが、その中でも別格なのは1年間で1億円以上の売り上げがある“1億円プレーヤー”と呼ばれるホストたちだ。彼らは何を武器にしてこの天文学的な数字を叩き上げるのか。そして、「億」を貢ぐ女性たちは一体何者なのか。歌舞伎町の住人たちを取材した著書『ホス狂い~歌舞伎町ネバーランドで女たちは今日も踊る~』を持つノンフィクションライターの宇都宮直子氏がレポートする。
【写真14枚】カリスマホスト・タイキ氏、シャンパン100本で組み上げられた「ロジャーマンション」はお値段1千万円!他、地雷を除去するタイキ氏 * * * 夜な夜な歌舞伎町に通い、ホストクラブで大金を使う「ホス狂い」の取材を進める中でわかったのは、ホストたちの“主戦場”が店だけではないことだった。直接会うのに加えて、LINEで日々連絡を取り合い、TwitterやInstagramをフォローし合う。こうしたSNSは両者のコミュニケーションツールとしてだけではなく、女の子同士が交流を深めたり、ホストたちが店の宣伝や自己アピールを綴る場としての役割も果たしている。それゆえ大手ホストクラブの幹部キャストたちはSNSでも人気者で、中には芸能人やインフルエンサー顔負けのフォロワー数を誇るホストもおり、そこで発信される情報はホス狂いの女の子たちとの会話の糸口になることが多かったため、私自身、定期的にチェックをするようにしていた。 2022年10月27日のこと。いつものように有名ホストやホス狂いのツイートをチェックしていると、あるホストの投稿が目に留まった。 それは「ベルサイユ理事長 タイキ」というTwitterアカウントの《タイキ、ゼクシィマンション男 ベルサイユ 『X』を退店した。》というものだった。(※『X』は歌舞伎町の名門老舗ホストクラブのことで、実際の投稿では実名だったが、ここでは『X』とする) 同店はテレビドラマや映画のロケにも多く使用され、有名ホストを多数輩出している超有名店だ。中でも、「タイキ」氏は、歌舞伎町内でも30人ほどしかいないと言われる「1億円プレーヤー」として店外にも名を馳せる存在だった。 もちろん筆者も彼の存在は以前から知っていた。初めて姿を目にしたのは2021年9月上旬。取材相手に誘われ、『X』を訪れた時のことだ。 漆黒で固められたインテリアの中央には宇宙をイメージしてデザインされたシャンデリアが輝き、鏡張りの店内では照明がキラキラと星のように反射している。店内では、平日の早い時間にもかかわらず、思い思いに着飾った女性たちが、最低でも推定5万以上はするであろう高価なシャンパンをポンポンとあけていく――。嬌声を上げる彼女たちの卓と卓の間を、高級ブランドのロゴが大きく入った服に身を包み、くまなく化粧をほどこした美しい男性たちが、かけまわっている。 その中でもひときわ目を引いたのが、タイキ氏だった。他のホストが、皆一様に中性的で線の細い印象を受ける中、身長185センチで派手な柄のシャツを着こなし、大股でフロアーを闊歩する彼の姿は、サングラス越しで表情もうかがえないこともあり、他のホストたちとは違う独特のミステリアスなオーラを放っていた。当時、タイキ氏はその月のナンバー1で、月間売り上げは2600万円超だ。 同店の公式ホームページを覗いてみると、彼のプロフィールには「前職はカンボジアで地雷撤去 夜はジャングルでハンティング」と異色すぎる経歴が書かれていた。タイキ氏の姿は取材で何軒もホストクラブを回った中でも異彩を放っており、強く印象に残っていた。 そんな彼の突然の退店報告は、歌舞伎町内に大きな衝撃を与えた。 通常、人気ホストが店を辞めるとなれば、「引退セレモニー」が開かれシャンパンが次々に空き、札束も飛び交う中で華々しく見送られることがほとんどだ。しかしタイキ氏はひっそりと店を後にしている。1億円プレーヤーに一体何が起きたのか。 話を聞くべく、タイキ氏にSNSを介して取材を申し込んだ。2時間のインタビューから見えてきたのは、未経験から3年たらずで億を売り上げたホストの「素顔」と女性たちに大金を課金される男性側の偽らざる「本音」だった。ダルビッシュ有投手の後輩だった この11月上旬、20時過ぎ。取材会場である東京・四谷の雑居ビルの会議室に現れたタイキ氏は、モノトーンのアニマル柄シャツに、フェイクレザーのフレアーパンツという姿。トレードマークのサングラスも変わらずだったが『X』店でフロアーを闊歩していた、あのミステリアスかつ近寄りがたい独特のオーラは薄れ、スタイルがいいハンサムではあるが、どこか「気のいいあんちゃん」といった様相でもあった。 タイキ氏は、小さなパイプ椅子に長身を縮めるようにして座り「なんでも聞いてください」と胸襟を開いて話し出すのだった。 タイキ氏は1991年2月15日、関東近郊のベッドタウンで生まれた。両親がともに高齢になってから授かった一人っ子。幼少期の自分のことを「仲がいい友達がサッカーをやるから自分は野球をやる、と母にいうような変わった子供だった」と言う。そんなタイキ氏の幼年期の思い出といえば「父との野球」。「父の教育方針は『やるなら半端なことをするな』。野球に関しても単なる遊びではすまされなかった。小学校では学内の野球チームと掛け持ちでクラブチームに入り、中学では毎日往復2時間以上を自転車で移動してまで学外のクラブチームで活動。ちょっと喧嘩もするけれど、法に触れるような悪さはせず基本的には野球に打ち込む日々でした」努力の結果、タイキ氏は推薦によりダルビッシュ有投手を輩出した野球の名門校である仙台の東北高等学校に特待生として進学し、野球一筋の青春を送ることとなる。そんな彼に大きな転機が訪れたのは高校2年生の時だった。「“プレーヤー”から、“マネジャー”になったんです。僕のポジションはずっとピッチャーだったんですが、同期にどうしても叶わないほどの実力を持った選手がいた。考えた結果、このチームが甲子園に行くためには、ピッチャーは彼だけで充分だ、自分がそこに割って入ろうとしてもチームの底上げにはならないと思った。目的のために自分がやるべきことを考え抜き、選手を辞める決断をしました」 タイキ氏は選手の座を捨て、監督の片腕となり「裏方」として働いた。やがてヘッドコーチという立場になったという。彼に「自分がエースとして輝きたいと思わなかったのか?」と聞くと、不思議なことを聞く、という様子で「僕が投げるのでは甲子園で“上”は目指せませんから」とキッパリと答えた。 裏方としてのタイキ氏の働きもあってか、在学中、チームは甲子園に出場した。大学でも野球のチーム作りに貢献したいと帝京大学に進学し、硬式野球部の門を叩くが、そこでは彼が思い描いていたような活動はできなかった。「大学の野球部では、学生のヘッドコーチは必要とされていなかったんです。監督のカバン持ちみたいなことばかりで、気が付いたらパソコン上でExcelばかり見ていて、野球に関わったという感覚がなかった。なんのために進学したのかと、1年生の半ばで退部しました」 それからはアルバイトの日々だ。タイキ氏の中ではその頃から漠然と「起業したい」という思いが芽生えていた。ガソリンスタンド、大工、庭師、スカウトと様々なバイトを重ね、起業資金を集めた。カンボジアもジャングルも全部本当の経歴だった 21才で大学を辞めたタイキ氏は、起業という夢を叶えるために本格的に舵を切る。「でも、何の会社をやりたいとかいうビジョンはなかった。ただ、ネットの検索窓に『社長見習い』と打ち込んで、求人を検索する日々でした」 そこでみつけたのが、カンボジアでの求人だ。「ある経営者がカンボジアで現地へ進出する日本企業のコンサルティングとレストラン運営、それに農地投資の事業を始めたんです。その中で飲食店部門の責任者の募集があり、軌道に乗ったら飲食部門を独立させ、社長にしますという話があった。応募したらレストランの責任者として採用されて、現地で働いていたのですが、社長から『世界を股にかけて活躍できるよう色々な経験をさせる』といわれて、社長のツテで地雷撤去のチームで一か月ほど働くことになったのです。昼間はジャングルで地雷撤去。夜は狩りに出てサバイバル生活。そういうのをやっていました。地雷を撤去するには、金属探知機で地面をくまなく探索して、反応があれば爆薬をしかけ、バン!です。ハンティングは、夜中ジャングルにいくと真っ暗だから、動物の目が光るんですよ。そこをまたバン!と撃つ。撃った獲物は、その場で絞めて、一緒に狩りをした現地の仲間たちと一緒に、皮を剥ぎ内臓をくり出し、丸焼きにして食べていました」 チームに日本人は彼一人だったが、あっと言う間に馴染み、ジャングルでの“研修期間”を無事終えて帰還した。「その後の仕事は社長の付き人のようなポジション。いろいろな経営者の人たちと関わり、話を聞く中で起業を考えるのであれば、マーケティングを学ぶ必要があると思い、帰国して、ネット広告代理店に勤めました。同じ業界で何度か転職し、最後の会社ではグループ内で新会社を立ち上げ、のちに他の会社に買収してもらおうと交渉を行ったのですが、買収額に折り合いがつかず、独立ができないならば、と退職しました」「億」への一歩は「千円のランチから」 29歳の時だった。広告業界から離れたタイキ氏は、昼は働きながら、週末は歌舞伎町のバーでバイトを始めた。「その時、初めて、仕事を“楽しいな”と思ったんです。それまでは、いかに会社を回すか、売り上げを上げるかということで、達成感はあるものの自分が“楽しい”と思ったことはなかったから」 だが、初めての「夜の仕事」。しかもバーといえどもオーセンティックなものではなく接客も楽しませ、お酒を頼んでもらうことで利益をあげるホストクラブ的な要素もある店だった。先輩たちが毎日のようにシャンパンを開ける中、自分だけがどうしても売り上げを立てることができない。「信じられないかもしれませんが、当時の僕はとにかく女性におごられるのがイヤで、お金を出させたことがなかったから、街でナンパした女性をバーに連れて行っても、払わせることができないんです。 これでは自分の殻を破れない……と、まずは『お金を使ってもらうことに慣れる』ところから始めました。一番最初は1000円のランチをおごってもらい、次は2000円にアップさせ、それから洋服を買って貰ったりと、徐々にステップアップさせていったんです」 まさに、千里の道も一歩から――。タイキ氏は徐々に、バーでも売り上げを上げていくようになった。そんなときに、たまたまバーに来ていた『X』のスタッフから「ホストをやってみないか」と“スカウト”されたという。その誘いに、タイキ氏は即座に乗った。 水商売もこのバーが初めて。ホストとしては完璧な未経験で、太い客がついているわけではない。ましてや相手は天下の有名店。躊躇はなかったのか。「30歳目前で転職は“ギリラスト”って感じでしたね。何かするのであれば、今しかなかった。スポーツマンや芸能人が個人の実力だけでのし上がっていくように、自分の実力だけでどこまで輝けるか、挑戦してみたいという気持ちしかなかったんです」女性に2000万円使わせる「男性側」のホンネとは タイキ氏が『X』に入店したのは、2019年7月のこと。「1か月目の売り上げが30万円。初めて指名してくれた女性とは早々に切れてしまったのですが、入店初月の末に指名してくれたかなり年上の女性がいて、その方が2か月目に200万。初回についたときに気に入ってくれて、普通の主婦の方なのですが、僕のためにお金を用意してくれました」 彼女は他のホストクラブにも通っていたが、初めて大金を使ったのがタイキ氏だったという。他のホストとどう違ったのか。「何ですかね、僕が無理してないというか、嘘をついていなかったからか…?普通のホストがよくするように『好きだよ』とか言っていないし、甘い言葉もかけていない。むしろ辛口。10歳くらい上の方だったのですが、悩みを相談された時、そこに対して僕はごまかすことなく自分なりに真剣に考えた答えを伝えたんです。そこを尊敬してくれていたというのがあったと思う。男女の垣根を越えて本気で向き合ったからだと思います」 入店4か月後の10月に出会った別の女性がタイキ氏を数多ある系列グループの全店舗の中でその年に入店したスタッフでもっとも売上げを上げた新人ホストに与えられる称号である「新人王」にまで上り詰めさせてくれたという。「50才くらいの会社員の女性です。彼女はひと月で1200万円。そこから新人王を獲らせてくれるまでに、3か月で2000万円くらい使ってくれた。なぜ、そこまでしてくれたのか? 理由は、先ほどの方と似ていると思います。やはり、頼ってきてくれるんです。よく『女子は愚痴を言うときはただ聞いてほしいだけ』と言われますし、ホストは基本『ただ聞く』ということがうまい人も多い。僕はそうでなく、愚痴にすべてガチンコで、娯楽の域を超えて向き合って回答してきた。それにより『心の拠り所』として価値を感じてくれているのかな、と思います」 歌舞伎町は狭いエリアの中で、300軒以上のホストクラブがしのぎを削りあう“日本一のホスト激戦区”でもある。そんな町で私は、愛する「担当」のために身を粉にして働き、愛を課金する、所謂「ホス狂い」の女性たちの姿を見てきた。ひと月に100万円を超えるような高額を使う彼女たちは圧倒的に「夜」の仕事の従事者が多かった。主婦や会社員という「昼職」の女性が用意するには、タイキ氏がさらっと言う「2000万円」はあまりにも大きな金額ではないか。 またこれだけの大金を使ってもらうのであれば、その先に色恋や結婚などの見返りを期待させるような言動があったのでは、とも思ってしまう。実際筆者は、女性に「結婚しよう」などと囁き、大金を貢がせるホストの話を数多聞いている。しかしタイキ氏は「そんな言葉をかけたことは一切ない」と言い切る。 見返りなしに彼女たちに「課金」される男性側は一体、どのような思いでその「愛」を受け取るのだろうか。私はずっと、それが疑問でならなかった。タイキ氏に、直球で聞いてみた。「タイキさんは、会社員の50代の女性が、自分に3か月で2000万円払うことに対し、どう思われましたか?」 すると、タイキ氏は、少し考えて、こう言うのだ。「僕もやっぱ必死なんで……。グループの『新人王』がかかっていたので。新人王が取れたら死んでも悔い無しというくらいの気持ちになっていて、その女性も同じくらいの気持ちになってくれていたんですよね」 その結果、タイキ氏は2019年度『新人王』の座に輝く。その時の気持ちを聞くと、一言。「お互いに安堵ですね」という。そうして、こう続けるのだ。「とにかく負けられないんでね……。ここまで高額を出して押し上げてもらって、負けるわけにはいかない。負けたらヤバイ。結局、営業トークではなく、ここで新人王を獲って、将来的に僕がローランド(※カリスマホストのローランド)みたいになったときに、僕が彼女に『一番最初に僕を作ったのは、アンタだよ』という風に言えたら、それは彼女にとって充分に価値があることだと思うんです」 たしかに、彼女たちにとってもまたそれは人生のトロフィーになるのかもしれない。しかし一方で、「ホストに大金を使うことが、そんな美しい話だけで済むものなのだろうか」という疑念も湧いてくる。実際に、取材した「ホス狂い」たちの中には「ホストクラブに通うために実は借金を重ねていました」と打ち明ける女性が何人もいた。ホストたちはその輝かしい称号の裏に彼女たちのどれほどの労力や苦労があるのか、また数千万円の大金を課金することに伴う負担を、どれだけ理解しているのだろうか―― 私の疑問を見透かすかのように、タイキ氏は言う。「これはお金の話にかかわらずですが、どれだけ大きい事態であっても何かひとつのきっかけで人生がダメなってしまう事なんていうのは、犯罪くらいだと僕は思うんです。それ以外は、どれだけの事態であってもその場を乗り越えさえできれば20年後や30年後に失敗を取り返せないことはないし、大金を使ったことを半生にわたって後悔する人はいないと思う。むしろその時『いまテレビに映っているあの彼は、私があそこまで押し上げたんだよ』と人生を賭けたお客様に言わせたい。僕にはそういう風に言わせられる、思わせることができる自信があった。だからこそ、僕が途中で投げ出したり、『もうこれ以上上を目指さなくていい』という妥協をしてはいけないと思ったんです」
* * * 夜な夜な歌舞伎町に通い、ホストクラブで大金を使う「ホス狂い」の取材を進める中でわかったのは、ホストたちの“主戦場”が店だけではないことだった。直接会うのに加えて、LINEで日々連絡を取り合い、TwitterやInstagramをフォローし合う。こうしたSNSは両者のコミュニケーションツールとしてだけではなく、女の子同士が交流を深めたり、ホストたちが店の宣伝や自己アピールを綴る場としての役割も果たしている。それゆえ大手ホストクラブの幹部キャストたちはSNSでも人気者で、中には芸能人やインフルエンサー顔負けのフォロワー数を誇るホストもおり、そこで発信される情報はホス狂いの女の子たちとの会話の糸口になることが多かったため、私自身、定期的にチェックをするようにしていた。
2022年10月27日のこと。いつものように有名ホストやホス狂いのツイートをチェックしていると、あるホストの投稿が目に留まった。
それは「ベルサイユ理事長 タイキ」というTwitterアカウントの《タイキ、ゼクシィマンション男 ベルサイユ 『X』を退店した。》というものだった。(※『X』は歌舞伎町の名門老舗ホストクラブのことで、実際の投稿では実名だったが、ここでは『X』とする)
同店はテレビドラマや映画のロケにも多く使用され、有名ホストを多数輩出している超有名店だ。中でも、「タイキ」氏は、歌舞伎町内でも30人ほどしかいないと言われる「1億円プレーヤー」として店外にも名を馳せる存在だった。
もちろん筆者も彼の存在は以前から知っていた。初めて姿を目にしたのは2021年9月上旬。取材相手に誘われ、『X』を訪れた時のことだ。
漆黒で固められたインテリアの中央には宇宙をイメージしてデザインされたシャンデリアが輝き、鏡張りの店内では照明がキラキラと星のように反射している。店内では、平日の早い時間にもかかわらず、思い思いに着飾った女性たちが、最低でも推定5万以上はするであろう高価なシャンパンをポンポンとあけていく――。嬌声を上げる彼女たちの卓と卓の間を、高級ブランドのロゴが大きく入った服に身を包み、くまなく化粧をほどこした美しい男性たちが、かけまわっている。
その中でもひときわ目を引いたのが、タイキ氏だった。他のホストが、皆一様に中性的で線の細い印象を受ける中、身長185センチで派手な柄のシャツを着こなし、大股でフロアーを闊歩する彼の姿は、サングラス越しで表情もうかがえないこともあり、他のホストたちとは違う独特のミステリアスなオーラを放っていた。当時、タイキ氏はその月のナンバー1で、月間売り上げは2600万円超だ。
同店の公式ホームページを覗いてみると、彼のプロフィールには「前職はカンボジアで地雷撤去 夜はジャングルでハンティング」と異色すぎる経歴が書かれていた。タイキ氏の姿は取材で何軒もホストクラブを回った中でも異彩を放っており、強く印象に残っていた。
そんな彼の突然の退店報告は、歌舞伎町内に大きな衝撃を与えた。
通常、人気ホストが店を辞めるとなれば、「引退セレモニー」が開かれシャンパンが次々に空き、札束も飛び交う中で華々しく見送られることがほとんどだ。しかしタイキ氏はひっそりと店を後にしている。1億円プレーヤーに一体何が起きたのか。
話を聞くべく、タイキ氏にSNSを介して取材を申し込んだ。2時間のインタビューから見えてきたのは、未経験から3年たらずで億を売り上げたホストの「素顔」と女性たちに大金を課金される男性側の偽らざる「本音」だった。
この11月上旬、20時過ぎ。取材会場である東京・四谷の雑居ビルの会議室に現れたタイキ氏は、モノトーンのアニマル柄シャツに、フェイクレザーのフレアーパンツという姿。トレードマークのサングラスも変わらずだったが『X』店でフロアーを闊歩していた、あのミステリアスかつ近寄りがたい独特のオーラは薄れ、スタイルがいいハンサムではあるが、どこか「気のいいあんちゃん」といった様相でもあった。
タイキ氏は、小さなパイプ椅子に長身を縮めるようにして座り「なんでも聞いてください」と胸襟を開いて話し出すのだった。
タイキ氏は1991年2月15日、関東近郊のベッドタウンで生まれた。両親がともに高齢になってから授かった一人っ子。幼少期の自分のことを「仲がいい友達がサッカーをやるから自分は野球をやる、と母にいうような変わった子供だった」と言う。そんなタイキ氏の幼年期の思い出といえば「父との野球」。
「父の教育方針は『やるなら半端なことをするな』。野球に関しても単なる遊びではすまされなかった。小学校では学内の野球チームと掛け持ちでクラブチームに入り、中学では毎日往復2時間以上を自転車で移動してまで学外のクラブチームで活動。ちょっと喧嘩もするけれど、法に触れるような悪さはせず基本的には野球に打ち込む日々でした」
努力の結果、タイキ氏は推薦によりダルビッシュ有投手を輩出した野球の名門校である仙台の東北高等学校に特待生として進学し、野球一筋の青春を送ることとなる。そんな彼に大きな転機が訪れたのは高校2年生の時だった。
「“プレーヤー”から、“マネジャー”になったんです。僕のポジションはずっとピッチャーだったんですが、同期にどうしても叶わないほどの実力を持った選手がいた。考えた結果、このチームが甲子園に行くためには、ピッチャーは彼だけで充分だ、自分がそこに割って入ろうとしてもチームの底上げにはならないと思った。目的のために自分がやるべきことを考え抜き、選手を辞める決断をしました」
タイキ氏は選手の座を捨て、監督の片腕となり「裏方」として働いた。やがてヘッドコーチという立場になったという。彼に「自分がエースとして輝きたいと思わなかったのか?」と聞くと、不思議なことを聞く、という様子で「僕が投げるのでは甲子園で“上”は目指せませんから」とキッパリと答えた。
裏方としてのタイキ氏の働きもあってか、在学中、チームは甲子園に出場した。大学でも野球のチーム作りに貢献したいと帝京大学に進学し、硬式野球部の門を叩くが、そこでは彼が思い描いていたような活動はできなかった。
「大学の野球部では、学生のヘッドコーチは必要とされていなかったんです。監督のカバン持ちみたいなことばかりで、気が付いたらパソコン上でExcelばかり見ていて、野球に関わったという感覚がなかった。なんのために進学したのかと、1年生の半ばで退部しました」
それからはアルバイトの日々だ。タイキ氏の中ではその頃から漠然と「起業したい」という思いが芽生えていた。ガソリンスタンド、大工、庭師、スカウトと様々なバイトを重ね、起業資金を集めた。
21才で大学を辞めたタイキ氏は、起業という夢を叶えるために本格的に舵を切る。
「でも、何の会社をやりたいとかいうビジョンはなかった。ただ、ネットの検索窓に『社長見習い』と打ち込んで、求人を検索する日々でした」
そこでみつけたのが、カンボジアでの求人だ。
「ある経営者がカンボジアで現地へ進出する日本企業のコンサルティングとレストラン運営、それに農地投資の事業を始めたんです。その中で飲食店部門の責任者の募集があり、軌道に乗ったら飲食部門を独立させ、社長にしますという話があった。応募したらレストランの責任者として採用されて、現地で働いていたのですが、社長から『世界を股にかけて活躍できるよう色々な経験をさせる』といわれて、社長のツテで地雷撤去のチームで一か月ほど働くことになったのです。
昼間はジャングルで地雷撤去。夜は狩りに出てサバイバル生活。そういうのをやっていました。地雷を撤去するには、金属探知機で地面をくまなく探索して、反応があれば爆薬をしかけ、バン!です。ハンティングは、夜中ジャングルにいくと真っ暗だから、動物の目が光るんですよ。そこをまたバン!と撃つ。撃った獲物は、その場で絞めて、一緒に狩りをした現地の仲間たちと一緒に、皮を剥ぎ内臓をくり出し、丸焼きにして食べていました」
チームに日本人は彼一人だったが、あっと言う間に馴染み、ジャングルでの“研修期間”を無事終えて帰還した。
「その後の仕事は社長の付き人のようなポジション。いろいろな経営者の人たちと関わり、話を聞く中で起業を考えるのであれば、マーケティングを学ぶ必要があると思い、帰国して、ネット広告代理店に勤めました。同じ業界で何度か転職し、最後の会社ではグループ内で新会社を立ち上げ、のちに他の会社に買収してもらおうと交渉を行ったのですが、買収額に折り合いがつかず、独立ができないならば、と退職しました」
29歳の時だった。広告業界から離れたタイキ氏は、昼は働きながら、週末は歌舞伎町のバーでバイトを始めた。
「その時、初めて、仕事を“楽しいな”と思ったんです。それまでは、いかに会社を回すか、売り上げを上げるかということで、達成感はあるものの自分が“楽しい”と思ったことはなかったから」
だが、初めての「夜の仕事」。しかもバーといえどもオーセンティックなものではなく接客も楽しませ、お酒を頼んでもらうことで利益をあげるホストクラブ的な要素もある店だった。先輩たちが毎日のようにシャンパンを開ける中、自分だけがどうしても売り上げを立てることができない。
「信じられないかもしれませんが、当時の僕はとにかく女性におごられるのがイヤで、お金を出させたことがなかったから、街でナンパした女性をバーに連れて行っても、払わせることができないんです。
これでは自分の殻を破れない……と、まずは『お金を使ってもらうことに慣れる』ところから始めました。一番最初は1000円のランチをおごってもらい、次は2000円にアップさせ、それから洋服を買って貰ったりと、徐々にステップアップさせていったんです」
まさに、千里の道も一歩から――。タイキ氏は徐々に、バーでも売り上げを上げていくようになった。そんなときに、たまたまバーに来ていた『X』のスタッフから「ホストをやってみないか」と“スカウト”されたという。その誘いに、タイキ氏は即座に乗った。
水商売もこのバーが初めて。ホストとしては完璧な未経験で、太い客がついているわけではない。ましてや相手は天下の有名店。躊躇はなかったのか。
「30歳目前で転職は“ギリラスト”って感じでしたね。何かするのであれば、今しかなかった。スポーツマンや芸能人が個人の実力だけでのし上がっていくように、自分の実力だけでどこまで輝けるか、挑戦してみたいという気持ちしかなかったんです」
タイキ氏が『X』に入店したのは、2019年7月のこと。
「1か月目の売り上げが30万円。初めて指名してくれた女性とは早々に切れてしまったのですが、入店初月の末に指名してくれたかなり年上の女性がいて、その方が2か月目に200万。初回についたときに気に入ってくれて、普通の主婦の方なのですが、僕のためにお金を用意してくれました」
彼女は他のホストクラブにも通っていたが、初めて大金を使ったのがタイキ氏だったという。他のホストとどう違ったのか。
「何ですかね、僕が無理してないというか、嘘をついていなかったからか…?普通のホストがよくするように『好きだよ』とか言っていないし、甘い言葉もかけていない。むしろ辛口。10歳くらい上の方だったのですが、悩みを相談された時、そこに対して僕はごまかすことなく自分なりに真剣に考えた答えを伝えたんです。そこを尊敬してくれていたというのがあったと思う。男女の垣根を越えて本気で向き合ったからだと思います」
入店4か月後の10月に出会った別の女性がタイキ氏を数多ある系列グループの全店舗の中でその年に入店したスタッフでもっとも売上げを上げた新人ホストに与えられる称号である「新人王」にまで上り詰めさせてくれたという。
「50才くらいの会社員の女性です。彼女はひと月で1200万円。そこから新人王を獲らせてくれるまでに、3か月で2000万円くらい使ってくれた。なぜ、そこまでしてくれたのか? 理由は、先ほどの方と似ていると思います。やはり、頼ってきてくれるんです。よく『女子は愚痴を言うときはただ聞いてほしいだけ』と言われますし、ホストは基本『ただ聞く』ということがうまい人も多い。僕はそうでなく、愚痴にすべてガチンコで、娯楽の域を超えて向き合って回答してきた。それにより『心の拠り所』として価値を感じてくれているのかな、と思います」
歌舞伎町は狭いエリアの中で、300軒以上のホストクラブがしのぎを削りあう“日本一のホスト激戦区”でもある。そんな町で私は、愛する「担当」のために身を粉にして働き、愛を課金する、所謂「ホス狂い」の女性たちの姿を見てきた。ひと月に100万円を超えるような高額を使う彼女たちは圧倒的に「夜」の仕事の従事者が多かった。主婦や会社員という「昼職」の女性が用意するには、タイキ氏がさらっと言う「2000万円」はあまりにも大きな金額ではないか。
またこれだけの大金を使ってもらうのであれば、その先に色恋や結婚などの見返りを期待させるような言動があったのでは、とも思ってしまう。実際筆者は、女性に「結婚しよう」などと囁き、大金を貢がせるホストの話を数多聞いている。しかしタイキ氏は「そんな言葉をかけたことは一切ない」と言い切る。
見返りなしに彼女たちに「課金」される男性側は一体、どのような思いでその「愛」を受け取るのだろうか。私はずっと、それが疑問でならなかった。タイキ氏に、直球で聞いてみた。「タイキさんは、会社員の50代の女性が、自分に3か月で2000万円払うことに対し、どう思われましたか?」
すると、タイキ氏は、少し考えて、こう言うのだ。
「僕もやっぱ必死なんで……。グループの『新人王』がかかっていたので。新人王が取れたら死んでも悔い無しというくらいの気持ちになっていて、その女性も同じくらいの気持ちになってくれていたんですよね」
その結果、タイキ氏は2019年度『新人王』の座に輝く。その時の気持ちを聞くと、一言。
「お互いに安堵ですね」という。そうして、こう続けるのだ。
「とにかく負けられないんでね……。ここまで高額を出して押し上げてもらって、負けるわけにはいかない。負けたらヤバイ。結局、営業トークではなく、ここで新人王を獲って、将来的に僕がローランド(※カリスマホストのローランド)みたいになったときに、僕が彼女に『一番最初に僕を作ったのは、アンタだよ』という風に言えたら、それは彼女にとって充分に価値があることだと思うんです」 たしかに、彼女たちにとってもまたそれは人生のトロフィーになるのかもしれない。しかし一方で、「ホストに大金を使うことが、そんな美しい話だけで済むものなのだろうか」という疑念も湧いてくる。実際に、取材した「ホス狂い」たちの中には「ホストクラブに通うために実は借金を重ねていました」と打ち明ける女性が何人もいた。ホストたちはその輝かしい称号の裏に彼女たちのどれほどの労力や苦労があるのか、また数千万円の大金を課金することに伴う負担を、どれだけ理解しているのだろうか――
私の疑問を見透かすかのように、タイキ氏は言う。
「これはお金の話にかかわらずですが、どれだけ大きい事態であっても何かひとつのきっかけで人生がダメなってしまう事なんていうのは、犯罪くらいだと僕は思うんです。それ以外は、どれだけの事態であってもその場を乗り越えさえできれば20年後や30年後に失敗を取り返せないことはないし、大金を使ったことを半生にわたって後悔する人はいないと思う。むしろその時『いまテレビに映っているあの彼は、私があそこまで押し上げたんだよ』と人生を賭けたお客様に言わせたい。僕にはそういう風に言わせられる、思わせることができる自信があった。だからこそ、僕が途中で投げ出したり、『もうこれ以上上を目指さなくていい』という妥協をしてはいけないと思ったんです」