ペットボトルの水が880円、美術館の日本語ガイドは消滅 欧米で痛感する日本が最貧国という劣等感

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インバウンドが絶好調で、各地で消費が伸びているというニュースを頻繁に目にする。実際、訪日外国人旅行者数は、3月から5月まで3カ月連続で300万人を超え、とくに5月は、この月として過去最高になった。東京や京都はむろんのこと、東京に行こうが、九州に行こうが、外国人だらけなのも当然である。
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来日した外国人の声を時おり聞くが、日本ではなにからなにまで安いのだという。欧米から来た観光客は、だれもが口をそろえたように「宿泊費も、飲食費も、自国の半額以下」だと話す。最近、ルーマニア出身の来日客に東京で寿司をご馳走になり、恐縮していると、「いつも食べているものよりはるかに美味いが、値段は数分の一なので、気にするな」といわれてしまった。
新幹線で名古屋に行く際、普通車が満席だったのでやむなくグリーン車に乗ったときは、半分以上が欧米人だった。「こんなに安いのならグリーン車でもいいのでは」という判断なのではあるまいか。一方、インバウンドの中身に変化がみられ、富裕層の比率が減って、かつて日本人バックパッカーが東南アジアを旅行したように、お金をかけずに旅行ができる国として、日本を選ぶ旅行者も増えていると聞く。
こうした状況を受けて、観光庁の高橋一郎長官は6月19日、記者会見の場で、「力強い成長軌道に乗ってきている」「このままのペースで行けば、2024年は旅行者数、消費額ともに、過去最高を実現できる見通しだ」などと、ポジティブに語った。それを聞けば、現状を歓迎する人も増えるかもしれないが、われわれ日本人が海外を訪れたときには、まったく逆の状況が待ち受けていることを、忘れてはならない。
6月上旬にヨーロッパに行ったが、コロナ前までは1泊2万円未満で泊まっていたミラノ中央駅前のホテルが、1泊300ユーロした。日本円で約5万1,000円である。私が国内出張時に宿泊するホテルと比較すると、グレードは日本なら1泊1万5,000円前後のホテルと同程度だと思う。インフレで価格が高騰したうえに、ユーロがはじまって以来の円高で、どうということのないホテルが、日本人には高嶺の花となっている。
また、ミラノ市内のリナーテ空港から中央駅までは、6キロほどと比較的近いが、タクシーに乗ると約4,800円もした。だが、公共交通機関を選んでも、地下鉄の料金は1駅乗るだけでも370円超。自動販売機でオレンジジュースやスポーツドリンクを買うと、約270円から320円もする。むろん、特急電車で都市間を移動すれば、新幹線より割高である。
そんな状況だから、市内を歩いていても、日本人を見かけることが滅多にない。アジア人はそれなりにいるが、みな韓国語や中国語を喋っている。ほかの言語も聞こえるが、日本語だけは聞こえない。そんな状況は、観光客でごった返し、オーバーツーリズムが問題になっているフィレンツェに行っても変わらない。
かつては、フィレンツェをはじめイタリア各地の美術館や教会を訪れると、日本語のガイドが売られていることが多かった。キオスクのような売店でも、日本語の町案内は普通に販売されていた。しかし、いまではどこに行っても、そんなものはない。日本人が激減しているのだから、日本語のガイドなど、置いたところでまったく売れないのだろう。
いうまでもないが、高級ブランド店を除いても、日本人の姿はない。かつては、ブランド品を買いあさる日本人観光客が必ずといっていいほど目に入り、彼らに応対すべく配置された日本人の定員が接客していることが多かったが、そんな光景はすっかり過去のものとなった。
日本人の購買力の低下ぶりは、もはや戦慄を覚えるほどだが、スイスに行くと、イタリアはまだマシだと思えるほどの物価高だった。
ジュネーブのバーでグラスワインを頼むと、どうということのないハウスワインなのに、1杯が日本円で約3,200円もした。日本ではボトルが頼める金額で1杯しか飲めない、ということである。また、エビのリゾットにいたっては、1皿約1万800円であった。庶民的なカフェでエスプレッソを頼めば、薄くて不味い液体が提供され、それが1杯約900円もする。
だが、いちばん驚いたのは、売店で500ミリリットルのペットボトルに入ったガス入りの水を買おうとしたら、880円もしたことである。熱中症になってはいけない、という考えが頭をよぎったが、どうしても買う気になれなかった。
欧米ではコロナ後のインフレにともない、最低賃金も引き上げられた。一方、低金利政策から抜け出せない日本では、円安の影響で物価高は深刻だが、いくら岸田文雄総理が音頭をとったところで、大企業から中小企業までが足並みをそろえて賃上げを行うような余裕は生まれていない。その結果、物価の影響を考慮した実質賃金は、2年続けて前年を割り込んでいる。
つまり、ただでさえコロナ後に、欧米との物価や賃金の格差が拡大したところに、歴史的な円安に見舞われているのだから、日本人の購買力が低下するわけである。事実、今回もヨーロッパを訪れて、自分が最貧国からやってきたかのような劣等感を覚えたが、それが「錯覚」とはいい切れないほど、日本が、そして日本の国力が、深刻な状況に追い込まれているといわざるをえない。
この円安を受け、日本人の海外旅行者数が減少するだけならまだいい。しかし、現在、経済的な理由で留学をあきらめる学生も急増している。それはすなわち、世界に伍する人材が育たないことを意味する。また、訪日外国人旅行者は増えても、円の購買力が低下している以上、日本で働こうと考える外国人は増えない。少子高齢化を補うために、外国人労働力を導入することが議論されているが、その是非を問う前に、そもそも外国人に働いてもらうのは難しい。
いま挙げたのはほんの一例にすぎないが、この異常な円安が続くかぎり、日本が浮上する見込みはかぎりなく失われる、ということには気づくのではないだろうか。
現在の円安は畢竟、日本と欧米との金利差が開きすぎていることに起因している。したがって、日銀が金利を上げれば、円安も一定程度は解消すると思われる。そうすると、住宅ローンの金利が上昇して困る人が少なくない、という声があるが、局所に配慮をしすぎた意見だというほかない。ゼロ金利が異常なのであって、一定期間、その恩恵にあずかった人は、その後、相応の負担をする必要があるのは当然だろう。
異常な低金利を守るために、日本がもう浮上できないほど痛められてもいいのか――。考えるべきは、そのことである。海外における日本人の購買力低下を目の当たりにすると、われわれがすでに瀕死の状態であることを痛感する。そこから目を逸らさず、この屈辱的な状況を出発点にしないかぎり、日本の再浮上はないのではないだろうか。
香原斗志(かはら・とし)音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。
デイリー新潮編集部

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