中村芝翫の不倫同棲に「僕のことかと…」2年に及ぶ浮気生活を続ける50歳夫の告白“妻が変貌した瞬間”

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【前後編の前編/後編を読む】イクメン夫が一転、中学時代の同級生と不倫→同棲 それでも50歳夫が「自分の居るべき場所がよく分からない」と漏らしたワケ
四十にして惑わずというが、五十にしても惑い続ける人が多いのが現実。つい先日、歌舞伎役者の中村芝翫さんが、実家で不倫相手と同棲中であると報じられた。そこへ妻の三田寛子さんが乗り込み、怒鳴り声が近隣に響いていたこともあるという。まさに修羅場なのだろうが、当事者たちがどう思っているのかはわからない。
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「あの記事、僕のことかと思いましたよ」
そう苦笑するのは、笠井博喜さん(50歳・仮名=以下同)だ。彼自身、2年ほど前から空き家だったマンションで、不倫相手の佑香さんと半同棲しているのだという。妻がやってきたこともある。
そもそも博喜さんが佑香さんと知り合ったのは、中学生のときだった。転勤族の息子として生まれた彼は、中学を2度転校している。その最初の転校先、中学1年生の2学期から2年生いっぱいまでを過ごした学校での同級生が佑香さんだった。
「転校ばかりしていると、どこの学校の友だちだったか記憶がごっちゃになるんですが、佑香のことだけは忘れらなかった。転校してクラスで紹介され、座った席が彼女の隣だったんです。その日は教科書を見せてもらったり、学校のことをいろいろ教えてもらったり。その日の帰りがけ、『ねえ、どこに住んでるの?』と言われて答えたら、彼女と同じ方向でした」
彼は父親の勤務先が用意した住宅に住んでいた。「あそこに住んでる子は引っ越しが多いんだよね」と佑香さんに言われたのも覚えている。
「転校はいつもいきなりなんですよ。だから次の学校に転校するときも、春休みだったし、友だちに挨拶さえできなかった。でも家財道具をトラックに積んでいるとき、たまたま佑香が家の前を通ったので会えたんです。『そうか、寂しいね』と彼女は言ってくれた。『私たち、きっといつか会えると思う』とも。当時はメールもLINEもありませんでしたから、そのまま彼女のことは淡い初恋として記憶も薄れていきました」
高校ではさすがに転校するのはむずかしいので、彼と2歳年下の弟は関西に住む母方の伯母夫婦の家から登校した。伯母夫婦は子どもに恵まれなかったので、過保護かと思われるほど愛されたという。
「うちの両親は夫婦仲がよすぎたために、僕ら兄弟は伯母に預けられたんです。ふたりで転勤族を続けるのがうれしそうでしたからね。弟と『オレら、どういう存在なんだろう』とよく話していました。でも今思えば、そのせいで自立心が養われたので、かえってよかったかもしれません」
彼は東京の大学へ、2年後には弟が北海道の大学へと旅立った。ふたりとも伯母夫婦には恩も情も感じていて、たびたび伯母夫婦には会いに行った。
大学を卒業後、彼はそのまま東京で小さな商社に就職し、アジアやアフリカなどへの出張をこなしながら仕事に没頭した。その頃にまた両親と暮らし始めたが、彼らを見ていて「夫婦ってめんどうだな」と思っていたのだという。父が母のこまやかな愛情を受け入れているのが不思議にさえ思えた。自分だけを見つめている人がいるのはうっとうしいのではないかと彼は考えていた。
「母は父に毎日、何時に帰ってくる? 今日は何食べたい? と聞く。父はそのたびに何時頃だよとか、今日は肉がいいなあとか、ちゃんと答えてる。僕には無理ですね。何時に帰るかなんてわかりゃしないし、ランチに何を食べるかもわからないのに夕食なんてわかるわけがない。うるせーよと言いたくなりそう。でも父が誠意をもって答えていることじたいが、父の愛情なんだなと今は思いますね」
だから結婚にはあまり熱心になれなかった。いつしか30歳になったが、まだ独身でいいやと思っていた。恋愛も特に欲することはなかった。ときどき男女問わず旧友と会って飲んだり、職場の同僚と食事に行ったりするのが楽しみだったし、週末は好きなフットサルの仲間が待っていた。
「充実した独身生活だと感じていました。特定の恋人を作って縛られるのは嫌だと思っていたんです」
弟はそのまま北海道で就職し、28歳のときに地元の女性と結婚した。家族3人でスキーをしている写真が送られてきたこともある。弟はすっかり北海道の人間になっていて、幸せそうに見えた。
「35歳のときに70代前半だった伯父が病気で亡くなりました。伯母はひとりきりになったけど元気そうだった。四十九日のときだったかなあ、『今度、紹介したい人がいるの』と言いだして。結婚はしないよと言ったんですが、伯母が『とりあえず食事だけしましょ』と連れてきたのが10歳年下の瑠璃でした。知り合いの娘さんだということで。わざわざ東京までふたりで来たんですよ。25歳の女の子が10歳も年上の、しかも金持ちでもイケメンでもない僕と会うなんて、冗談だと思ったんです。もしくは伯母に強要されたか。でもなぜか彼女は僕の写真を見て会いたいと思ったって。変わった女性だなと思いました」
見合いのように会ってみても何を話したらいいかわからなかった。だが、瑠璃さんのほうが会話をリードし、気づいたら彼は気持ちよく話していたという。瑠璃さんは7歳のときに父親を亡くし、その後、母親の再婚相手と養子縁組をしていた。継父は優しい人ではあったが、実父の記憶が鮮明にあるだけに内心、比べたり遠慮したりしてしまう。結果、継父に心の内を明かすことがないままに高校を卒業、地元から離れた大学へと進学した。博喜さんの伯母は、たまたま公園で犬を散歩させていた瑠璃さんの母親と知り合ったそうだ。
「なぜかあの子のおかあさんとは気が合ってね。うちの人が亡くなったときも瑠璃の母親は毎日うちに来て私を慰めてくれたのと伯母は言っていました。たまたま僕のことを話したら、瑠璃に合いそうだということになったみたいです。どうしてそういうマッチングをしようと思うのかが不思議ですが、ふたりの妙なカンが働いたんでしょうか」
何かに導かれるように博喜さんは瑠璃さんと結婚した。瑠璃さんは仕事を辞めたくないと言い張り、勤務先に東京への転勤を申し出た。それが認められるまでの半年間、ふたりは遠距離結婚となったが、その間にかえってふたりの絆は深まったという。
「瑠璃はしっかりしているんです。これからのふたりの短期ビジョン、中期ビジョン、長期ビジョンなどもメールやLINEで送ってきて意見を求める。それがけっこう冗談半分というか自由な発想でおもしろかった。僕が定年になったら、ふたりでキッチンカーをやるのが彼女の夢だったんですよ。理由は自分の職場近くにおいしいランチの店がないから。彼女はいつも楽しそうだった。そしてそういう彼女を見ているのが楽しかった。夫と妻という関係性ではなく、自由で楽しい女の子を見守る兄みたいな感じでしたね、最初は」
なぜかなかなか子どもには恵まれなかった。だがふたりとも、子どもを授かるための治療を受ける気にはなれず、週末はそれぞれ好きなことをしながら、時間が合えば一緒に過ごした。
「瑠璃はなぜか古い映画が好きでしたね。モノクロのフランス映画とか。彼女、写真を撮るのも好きだったけど、いつもモノクロで撮ってた。写真の腕は勤務先でも重宝されていて、念願の広報に異動してからはよく撮影に駆り出されるって言ってました。ふたりとも仕事が充実していたから、特に子どもがほしいとも思わなかったんでしょうね」
ふたりとも情熱的な愛情表現はしなかったが、傍らにお互いがいるのが当然になっていった。博喜さんが出張で家を空けると、瑠璃さんはひどく寂しがった。いつの間にか、なんとなく複雑な思いで見ていた両親と似たような夫婦になっていると博喜さんは感じていたという。そして5年がたったとき、突然、瑠璃さんが言った。
「子ども、できたよって。もうできないものだと思っていたから、ビックリしました。じわじわとうれしいような怖いような気持ちになって……」
だが瑠璃さんをチラリと見ると、彼女はすでに「母親の顔」になってお腹を撫でていた。女性のあまりに早い変貌に「ついていけない何か」を感じたと彼は言う。だが逃げるわけにはいかなかった。結婚したのだから。
【後編】では、幸せな結婚生活を捨て、なぜ博喜さんが不倫相手との同棲生活に踏み切ったのかに迫る。
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部

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