〈中2で初めてタトゥー〉全身にタトゥーを彫った男性(45)が語る、大企業の会社員だった父の反応と老後の不安「僕みたいのを介護するのは…」

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〈全身にタトゥーを彫った男性(45)が明かす、心療内科に通った過去と周囲の意外な反応「彫っていないのは歯茎や陰茎。死んだら標本に…」〉から続く
ファッションブランド「NISHIMOTO IS THE MOUTH」のディレクターを務める西本克利(45)。
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全身タトゥーでも注目される彼に、地元である西川口での思い出、高校生からハマったドラッグ、「NISHIMOTO IS THE MOUTH」発足の経緯などについて、話を聞いた。(全2回の2回目/最初から読む)
◆ ◆ ◆
ーー無地だった頃のお話も聞かせてください。生まれは、どちらに。
西本克利(以下、西本) 埼玉ですね。西川口と蕨の間ぐらいに家があって、どっちの駅も最寄りって感じで使ってました。
西本克利
ーーお父さんは、勤め人でしたか?
西本 大企業の社員ですね。勤続何十年とかいう賞状が部屋に貼ってありました。母親とのほうがコミュニケーションは多かったので、あんま詳しくないんですけど。
ーーお母さんは、どんな方ですか。
西本 専業主婦です。働くのが好きな人だったので、たまにパートに出たりしてました。中間層の家庭って感じでしたけど、その母親がちょっと変わっていて、レンタルビデオ屋に行くとスプラッターを借りてくるんですよ。だから、普通に『ギニーピッグ』とかが流れているような家でしたね。
ーー『ギニーピッグ』って、ひたすら女性を解体するシリーズですよね。
西本 母親が見てたのは『ギニーピッグ3 戦慄! 死なない男』(1986年)とか『ギニーピッグ4 ピーターの悪魔の女医さん』(1986)とか、久本(雅美)さんや柴田(理恵)さんが出てたやつ。普通に「コロコロコミック」や「コミックボンボン」を読んでるような小学生だったんですけど、わりとそういったグロテスクなものは小学生ぐらいの頃から目に付いていたのかなというか。
で、怖いもの見たさもあって見るようになって、サブカルにも興味を持つようになって。中学生になってからはジャスコの本屋に行っては、「BURST」なんかの雑誌を読むようになってという感じです。

ーー80年代、90年代の西川口って。
西本 結構荒れていましたね。その時代は、プッシャー(売人)が公園にいっぱいいたりして。
ーーYouTubeの某チャンネルに出演した際に、「中学生の時、チャリンコに乗ってたら顔面にレンガを投げつけられた」と話してましたけど。
西本 そうです。そんな感じの街だから、14歳ぐらいでわりといろんなことを経験してましたね。
ーーでは、中学あたりからグレるように?
西本 ヤンキーはダサいと思ってたので、そっち系には行かなかったですね。ファッション寄りのグレるほうというか。地元の先輩でパーティーやってるみたいな人たちがいて、暴走族上がりなんだけど、ファッションも音楽も好き、みたいな。で、パーティーとか連れてってもらうようになって、いろんなことを学んでいった感じですね。
高校からは、東京の先輩たちと遊ぶことが多かったですね。あの頃、アンダーカバーとか裏原のカルチャーが流行ってたじゃないですか。服が好きだったので、原宿とかに通ったりするうちに、東京のほうでも先輩ができて。
ーー14歳で、初めてタトゥーを入れたそうですね。
西本 中3に上がる、ちょっと前に入れました。中学生じゃタトゥーはダメなので、年上の人に身分証を借りて、竹下通りにある店で象のやつを手首に入れて。それは記念に残してあるんですけど。
ーー学校では、タトゥーを隠して。
西本 リストバンドしてましたし、冬だったから長袖のワイシャツだったんで、バレなかったですね。友達に見せたりはしましたけど、チクられることもなく。
親にはバレましたね。でも、そんなに言われなくて。ほんと、ちっちゃい象だったんで。
ーーご両親の反応は。
西本 わりと緩い家庭というか。特に母親は、「自分で責任取ればいいんじゃない」みたいなノリの人だったので。父親は顔面に入れてから会った時は怒られたというか、「どうした?」って聞かれましたけど。でも「自分の人生だし、ケツを拭くのは自分なんで」と言ったら、とりあえず理解してましたね。だから、理解ある親だとは思いますけどね。

ーー14歳で、ドラッグにも手を出したそうですね。
西本 いや、15歳ぐらいかな。暴走族上がりの先輩に「腕出せ」って言われて、腕を出したらペンペン叩かれてから打たれて。あの気持ち良さを超える気持ち良さは、いまだに味わったことがないなって感じ。
ポンプ(注射器)で2回くらいやって。その後は東急ハンズかどこかでビーカーを買って、ストローで吸引してましたけど、高校生ながらに「これは、もうやらないほうがいいだろうな」と思ってやめましたね。
で、高校でダンサーやってる友達ができて、そこからマジックマッシュルームですね。その頃はまだ合法だったので、大量に買って、それを食っては家に帰ってました。
ーーマジックマッシュルームはどのように調理して。
西本 僕は味噌汁に入れて。臭いが嫌いだったんで。でも、最初「これヤバいから」って言われて、噛んでたら超マズいんですけど、15分20分したらムズムズしてきて、恋愛した時の感じみたくなってきて「ウワッ」て。

竹下通りにマジックマッシュルームを売ってる店があったんですよ。竹下通りのコンビニでバイトしてた時は、買って食べて、キマりながら仕事してましたね。
ーーそのコンビニが、YouTubeの某チャンネルで話していた「原宿で一番ヤバいコンビニ」ですか。
西本 高校を出て、恵比寿にあるエスモード学校っていう服飾学級に入ったんですけど、途中でフェードアウトして。で、竹下通りにあったそのコンビニでバイトを始めました。
そこは店長が雇われだったんですけど、その店長も他のバイトもメチャクチャなヤツばっかでした。自分の電話代を空打ちしたり。それやった人はバレてクビになってましたけど、ほんとバカな人しかいなくて。2階が小屋みたいになってたんで、そこで捕まえたネズミに火を付けたり。
あと、自分の態度が悪すぎましたね。コンビニの店員なのに「はあ?」とか、ガンギマリの時にコンビニの本社の偉い人が来て。僕の態度とか様子が気に食わなくて、「こいつクビにしたほうがいい」と言ってクビになって、そこは終了になりましたね。

ーー竹下通りだと、お客さんも多いから接客は重要ですよね。
西本 メチャメチャ怖い方たちの事務所が近所にあって。
そのコンビニって、バイクで配達をやってたんですよ。本来、近すぎて配達エリアじゃないんですよ。でも、誰かがポストに「配達します」みたいなチラシを入れちゃって、ガンガン電話が来るようになっちゃって。
電話が鳴ると、そこからだってわかるんですよ。怖いから誰も出ないんで、僕がよく行ってましたけど。行くと「なんで、電話に出ねえんだよ。お前、マジで殺すぞ!」とか怒鳴られて。
ーーメチャメチャ怖いですね。
西本 受け取りに出るのは、下の人だと思うんですけどね。でも「お釣り全部あげるね」とか「オイ、これ」なんて1万円くれたりして。普通にシャブ打ちながら出てくる人もいて「ああ、やっぱりな。ほんとにそっち系の人なんだな」って。
ーーどんなものを配達していましたか。
西本 下の方がまとめて頼むんですけど、タルトとかチーズケーキとか結構かわいいのを頼んでくるんですよ。でも、もらったお釣りで帰りにマジックマッシュルームを買ってたんで、助かってましたね。

ーーコンビニをクビになって、アパレルの世界へ。
西本 25歳ぐらいで入りました。某ブランドが2005年にお店を立ち上げるってんで、スタッフを募集していたんですよ。その募集が「とらばーゆ」に載ってて、応募したら受かったという。
当時、付き合ってた彼女の実家に居候していて。土日は彼女の実家、平日は西川口の僕の実家みたいな感じで。そしたら社長が「一人暮らししたほうがいいよ」と。
給料もボーナスも良かったので、初台に部屋を借りたら、ちょっと警察沙汰になっちゃって。それで懲りたので、ドラッグを一切断ち切りました。今度は33歳あたりまで酒を飲むようになりましたけどね。
ーーそのアパレルショップの敏腕店員だったそうですね。
西本 僕は芸能人担当というか、お金持ってる方担当というか。なんかアンテナがあるのか、うまく接客できたんですよね。吉本興業の元会長だった大崎(洋)さんとか、仲良くさせてもらって。後に会社をクビになるんですけど、それを話したら「うちで働けば?」なんてことを言ってくれて。
大崎さん、今は忙しそうでお会いしてないですけど、たまにインスタでコメントを入れてくれたりしますね。
ーーご自身のブランド「NISHIMOTO IS THE MOUTH」を立ち上げたのは、会社員の時ですか。
西本 そうです。アメリカでデザイナーやってる人と画家の中村譲二さん、僕の3人で2017年に立ち上げました。デザイナーから「なんか立ち上げたい」って言われて、「カルトって面白くない?」となって、「赤ん坊は神であり、西本はその声を聴ける唯一の存在。西本は口である」というコンセプトで「NISHIMOTO IS THE MOUTH」になって。で、僕の写真をプリントしたTシャツを作って、友達に配ったんです。

ーー会社員を辞めたきっかけはあったのでしょうか。
西本 いろいろありますけど、顔にタトゥーを入れたのも理由になりましたね。YASさんに全部入れてもらって半年ぐらいで、「顔は駄目だって言ったじゃん」と言われてクビになりましたね。
ーーその一方で、大物ラッパーのドレイクが「NISHIMOTO IS THE MOUTH」のTシャツを着て話題に。
西本 一緒に立ち上げたデザイナーがTシャツを着ていて、それをドレイクが目にして、「そのTシャツ俺にもくれ」って言われて渡したらしいんですよ。そうしたら、なんかのパーティーでドレイクが着てて。
そのタイミングで商品として売ってればよかったと思うんですけど、身内に配ってただけなんで。そもそも3人ともそんなにお金を儲けるつもりもなかったから、「ドレイクに着てもらえてよかったね」みたいな感じで。で、デザイナーの彼が忙しくなって、「ちょっともう僕は手伝えないから、お前に任すからやってくれ」ってことになって、僕が引き継いで現在にいたるという。

ーー今後の展望は?
西本 50歳で隠居したいっていうのは決めてます。44歳なので、あと6年ですけど、まあ頑張ります。50歳になったら、ダブルのスーツを着るっていうのは決めてるので。
ただ、早めに認知症になるとは思ってます。かなりドラッグでキマってたので、なりますね。でも、その時は楽しかったんで。
ーー認知症になったら、なにがなんだかわからないでしょうしね。
西本 そうなんですけど、介護するにも周りが大変じゃないですかね。僕みたいなのを介護するんですから。
写真=佐藤亘/文藝春秋
(平田 裕介)

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