「平成以降いちばんヒットした駅弁」が売上97%減に…ホームで見かける“ナゾのツボ入りたこ飯”のヒミツ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

〈新大阪から約45分…JR“ナゾの途中駅”「明石」には何がある?〉から続く
だいたい旅に出るときは、駅弁を食べる。コンビニもエキナカも充実しているいまのご時世、わざわざ駅弁でもなかろうと思う人もいるかもしれないが、新幹線などに乗っていると駅弁を食べている人はなかなか多い。
【これが全ての始まり…】今や伝説となった「金色のたこ飯」
東京駅にある全国の駅弁が売られているコーナーは絶えずお客で溢れているし、新横浜駅では崎陽軒のシウマイ弁当が飛ぶように売れている。
それに何より、定期的に行われる百貨店での駅弁フェア。そのときばかりは、まるでフィーバーのようにたくさんのお客が押し寄せるビッグイベントだ。百貨店で買ったものを駅弁といっていいのかどうかはともかく、少なくとも日本人は駅弁が大好きだということは間違いないようだ。
そんな駅弁の特徴は、地域の個性をみごとに織り込んでいることだ。流通が発展したいまとなっては全国どこでも手に入れることができるが、やはり訪れた地でその土地の駅弁を買い求めるのがいい。東京から新幹線に乗るときばかりが、駅弁の楽しみではない。
そんな楽しみな駅弁のひとつが、兵庫県は西明石駅の「ひっぱりだこ飯」だ。蛸壺を模した陶製の容器にご飯とタコとそのほか諸々の具材が入ったお弁当。蛸壺に入っていることで、普通のたこ飯とは違ってタコの存在感が際立つしかけになっている。
平成でいちばんヒットした駅弁「ひっぱりたこ飯」(淡路屋提供)
販売がはじまったのは明石海峡大橋が開通した1998年。以来、1500万個以上も売れている平成以降の駅弁では最大のヒット商品だ。調製しているのは、神戸や明石を中心に広く駅弁を製造・販売している淡路屋さんである。
「西明石で駅弁を売り始めたのは、1996年から。それまでの明石の駅弁屋さんが駅弁製造を撤退するということで、我々が引き継ぐことになりました。
『ひっぱりだこ飯』は、当時の常務、いまの社長が思いつきました。1998年は阪神・淡路大震災から3年、そして明石海峡大橋ができる節目の年。そのタイミングで、旅客の印象に残る商品を考えていたのがきっかけです。
最初はタコ尽くしの弁当をつくろうとしていたのですが、社長が『たこつぼに入った弁当なんて他にないんやから!』と。陶製の容器を使うから量産も難しいのですが、思い切って発売してみれば生産が追いつかないくらいのヒットになりました」
こう話してくれたのは、淡路屋の柳本雄基代表取締役副社長だ。定番の駅弁というと長い歴史を持っているものだと思いがちだが、淡路屋の「ひっぱりだこ飯」は実は平成生まれの駅弁だったのだ。ただし、淡路屋そのものは戦前から続く老舗の駅弁業者である。
「歴史の話をすると、ウチはもともと大阪の北新地で料亭をやっていたそうです。資料が残っていないので確かなことは言えないですが、おおよそ江戸時代からやっていたんでしょう。
で、鉄道が延びてきてビジネスになるぞ、ということで1903年に、阪鶴鉄道から鉄道構内営業の許可を得て、大阪駅を拠点に、車内販売を始めたんです」
柳本さんの言葉によれば、淡路屋の駅弁製造が本格的にはじまったのは、いまの神戸や明石ではなく、生瀬駅からだという。
「池田駅(現・川西池田駅)に構内食堂を出すも、場所が悪くて1年で撤退」(柳本さん)した。そうして移った先は、池田駅の3駅先の生瀬駅。ここには蒸気機関車の給水施設があり、列車が長時間停車していた。その停車時間に弁当を売ったところみごとに成功し、営業範囲を広げていくことになる。
「そのころの弁当は、鮎寿司がメインでした。阪鶴鉄道、福知山線は武庫川沿いを走る路線で、当時の武庫川ではよく鮎がとれたとか。
駅弁の地域ごとの特色というのは、流通や保存技術がまだまだ発達していなかった時代に地場のものを使ってつくるしかない、ということから生まれたのでしょうね」(柳本さん)
拠点が神戸に移ったのは戦時中。神戸の駅弁業者が廃業したことを受けて、国鉄から声をかけられたのがきっかけだ。戦争末期の空襲も乗り越えて、戦後の淡路屋は神戸で営業を継続する。1965年には、「肉めし」というロングセラー商品も発売している。

「当時の駅弁は幕の内弁当がほとんど。並弁当、上弁当といった区分があるくらい。そこで、神戸らしいユニークな商品を作れないかとなりまして、『肉めし』を。
関西では肉といったら牛肉なんです。神戸といえば牛肉ですからね。そういうわけで、当時にしてはシンプルな『肉めし』がヒットして、看板商品になりました」(柳本さん)
料亭からはじまって鉄道に進出、池田から生瀬、神戸へと拠点を変えつつ営業を続け、「肉めし」というヒット商品も生み出した。
ちなみに、1987年には紐を引っ張ると加熱するタイプの弁当の発売も始めている。関東の人にとっては仙台の牛たん弁当でおなじみだが、実はこれを開発してはじめて採用したのは淡路屋だ。老舗の駅弁屋というと、昔ながらの伝統を守る保守的なイメージがあるが、チャレンジ精神の塊だったのである。
「これはオーナーの寺本家の気質なんでしょうかね。だから『ひっぱりだこ飯』も生まれたんだと思います。いまでもいろいろチャレンジは続いていますよ。
『ひっぱりだこ飯』のコラボもそのひとつ。最初は販売1000万個を突破したときに、金色の『ひっぱりだこ飯』を売ったのがきっかけでした。

これがめちゃくちゃ売れて、そのあとに机の上でゴジラのフィギュアとたこつぼが並んでいるのを見たときに、ゴジラ対ひっぱりだこ飯のアイデアが浮かびました。すぐに東宝さんに相談させていただいて、実現することができました」(柳本さん)
ゴジラ対ひっぱりだこ飯。たこつぼはゴジラの熱線で焼かれて真っ黒で、中に入っているタコも焼きダコを使う。ただ、これでは防戦一方なので、具材のひとつにゴジラの卵に見立てたウズラの卵の燻製を入れた。「焼きすぎたらお前の卵も焼けるぞ、という精一杯の抵抗です(笑)」(柳本さん)

いまではハローキティから兵庫県警、自衛隊など硬軟織り交ぜてさまざまなところとコラボした「ひっぱりだこ飯」を世に送り出している。容器のたこつぼもまさに色とりどり。期間限定の商品も多く、“たこつぼコレクター”もいるのだとか。

「もうたこつぼ依存症ですわ(笑)。もちろん『ひっぱりだこ飯』以外でも、JR貨物コンテナ弁当を出したり、いろいろなチャレンジをやっています。
うちの会社では、誰がやってもいいんです。みんなが新しい弁当を考えて、それにみんなでやいやい言うて商品化する。売れないものもありますよ。でも、しゃあないやん(笑)。失敗を活かして、またチャレンジすればいいだけのことです」(柳本さん)
そんなイケイケにも思える淡路屋さん。だが、もちろんこれまですべてが順風満帆だったわけではない。
たとえば、国鉄が分割民営化されてJRが発足した時代。それまで、鉄道構内での営業活動は許可を得た日本鉄道構内営業中央会に加盟している業者に限定されていた。しかし、国鉄民営化以降はコンビニや町場の業者が進出してきた。いまや、ターミナル駅の構内にはチェーン店から地域の名店まで、あらゆる店が揃っている。
「とくにウチは都市部にありますから、常にそういうライバルと戦っていかないといけない。コンビニ弁当が駅の中に入ってくるなんて、脅威でしかない。
でも、いまとなってはわかるんですけど、コンビニ弁当と駅弁って、同じじゃないんです。駅弁を買う人は、コンビニ弁当は買わない。実はそういう棲み分けが成立しているんです」(柳本さん)
コンビニやエキナカ飲食店の弁当は、いわば町中にも店舗を持つ、“どこでも食べられる”もの。その点、駅弁は“その駅でしか買えない”という大きな特徴を持っている。つまり、同じ駅の中で食品を扱っていても、駅弁とそれ以外では、見えない線が引かれているというわけだ。
また、「ひっぱりだこ飯」販売開始以来使ってきた明石のタコの不漁という問題にも直面した。そのため、最近では味をキープするために“マダコ”にはこだわった上で、世界中からタコを集めているという。
それでも円安や物流コストの上昇など、ハードルは多い。販売開始時は980円だった「ひっぱりだこ飯」は、いまでは1300円。それでも淡路屋の利益は増えているわけではないというから、経営環境は厳しい。
そして、コロナ禍も経営に大きな打撃を与えた。1日1万個つくっていた弁当は、わずか300個。97%も売り上げが減少した。行政からの補助金などがあったものの、もちろん充分とはいえない。まったく文字通りの倒産の危機である。
「だから、とにかく話題作りですよね。近くの酒蔵さんと一緒にドライブスルーをやったり、たむけんさんのお店の焼き肉弁当をつくったり。
ちょうど運良く2020年3月にオンライン注文のシステムをリニューアルして、力を入れていこうとしていたところだったので、送料無料にしてええからとにかく全国の人に食べてもらえ、と。
なんでもやって、メディアにも取りあげてもらって。最終的にNHKのニュースウオッチ9にまで取り上げてもらって、おかげさまで出荷しきれないくらいの注文が来ました」(柳本さん)
これが2020年前半の最初の緊急事態宣言下。しかし、それがあけても世情は二転三転する。秋になるとGoToトラベルがはじまり、売り上げも回復してくると思いきや、2021年に入ると再び緊急事態宣言へ。
4月の駅弁の日にあわせて開発していた「ひっぱりだこの蓋」を繰り上げて販売したり、壺の色をいろいろ変えてみたり、「忘れられたら終わり」(柳本さん)とあの手この手。そうこうしているうちに、足元の売り上げも回復し、危機を乗り切った。
「なんとかなった理由はいろいろあるんでしょうが、ひとつは動いた結果ですよね。
そして、それもこれも『ひっぱりだこ飯』が1000万個も売れて、多くの人に知っていただいていたおかげ。いまではもうコロナ禍前を超えています。
価格の値上げもありますが、コロナ禍前は年間売り上げが42億円だったところ、昨年の決算では52億円までいきました。特に去年の春はリベンジ消費が大きすぎて、今年はそれを超えるのが大変で苦労しているくらいです(笑)」(柳本さん)
もちろん、これからも攻めの姿勢は失わない。5月11日には、神戸大阪鉄道開業150周年の記念弁当を発売する予定だ。神戸と大阪で、別々の商品をひとつずつ。また、2020年に完成していた東京の工場もコロナ禍を経て稼働しており、ラゾーナ川崎プラザにも出店している。いまや、「ひっぱりだこ飯」をはじめとする淡路屋の駅弁は、駅弁の範疇を超えつつあるということか。

だが、柳本さんは「鉄道に対する思いは強い」と話す。
「国鉄時代から鉄道とともにずっと歩んできたということは自負しています。だから、鉄道文化については特別な思いを持っています。
どこかの駅が何周年ということであれば、採算どうこうではなく記念弁当を出しますし、もしも列車が立ち往生してお客さんが困っているというのであれば、それが何時であっても我々は弁当を調製してお届けする覚悟も持っています。
ただ商売でやっているのではなくて、駅弁を食べてもらってそれを通じて鉄道を好きになってもらいたい。これまでも鉄道と歩んできたのだから、これからも鉄道とともに歩む。この気持ちだけは、誰にも負けないと思っています」(柳本さん)
駅に並んでいるありとあらゆる弁当や軽食。駅弁というのはいったいどこからどこまでを含めるのか、曖昧になっているといっていい。
厳密な意味では、駅弁マークの入った日本鉄道構内営業中央会加盟業者の弁当が駅弁、ということになるのだろう。それをもう少し観念的に捉えれば、鉄道文化に対する思いがスパイスになっている弁当こそが、駅弁といっていいのかもしれない。
(鼠入 昌史)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。