中国の古文に「口是禍之門、舌是斬身刀」という一節がある。直訳すると「口は禍(わざわい)を招く門」で「舌は身を斬る刀」。日本語で言うところの「口は災いの元」を意味する。
現在の日本でもこの教えは変わらないようで、ネット上では匿名の書き込み主による罵詈雑言で溢れ返り、有名人らが法的処置で対抗。実際に開示請求し、賠償金を請求するケースも目立ってきている。
都内で事務員として働くA子さん(40代)もそんな誹謗中傷を受けた末、投稿主の開示請求に奮闘している一人だ。きっかけとなったのは銀座のある有名ママとの出会いだった。以下、A子さんが語る。
「当時、私は銀座の有名ママであるXのファンで、交流会などを通じて彼女と親しくなりました。そのうちに彼女から『他店のママ(Yさん)からSNSでいじめられているので反撃して、私の投稿を応援して欲しい』と頼まれ、当時は同情からXの投稿に“いいね”を押していました。すると彼女は名指しでYさんをネット上で露骨に攻撃するようになったんです」
その暴走は最悪の形でネット上を駆け巡ることとなる。20年3月、志村けんさん(享年70)がコロナ感染により亡くなったという一報が世間にもたらされると、あるデマ投稿がSNSに出現する。
「投稿は、大阪・北新地にあるクラブが“志村さんの感染源”だと特定するようなものでした。しかし、これは真っ赤な嘘です。志村さんが亡くなるとXはその死を利用して、ファンたちにYさんを攻撃するように指示。さすがに私も『それはやめるべきだ』と意見しましたが、聞く耳を持ってもらえず、結局はXの協力者たちによって世に流されてしまったんです」
しかし、嘘を信じたファンの人々の怒りは名指しされたYさんへと向けられ、殺害予告は多い時には1日300件以上も届く事態へと発展する。A子さんはこの異様とも言える光景を目の当たりにし、改めてデマ投稿の恐ろしさを知ることとなった。
「直接的な誹謗中傷を書いていなくてもXに協力したことを激しく後悔し、何度も自分を責めました。そしてデマ被害者の方々に自分からSNSで連絡をし、これまでの経緯をすべてを伝えました。被害者の方々は『責めるつもりは毛頭無い。事実を話してくれて感謝している』と言ってくれました。今でも被害を受けた方々には申し訳ない気持ちでいっぱいです」
志村さんの一件を機にXの元を離れたというA子さん。しかしその後、贖罪の気持ちを抱きながら暮らしていた彼女の身に危機が訪れる。皮肉にも、かつて自身が身を置いていたネット上での誹謗中傷が、突如としてA子さんに襲い掛かってきたのだ。
「20年3月頃、知人から『あなたのことがネットに書かれている』と聞かされました。すぐに確認すると、明らかに私と特定できる内容が連続して書き込まれていたのです。私の容姿についての悪口だけではなく、『A子は近々逮捕される』という根も葉もない嘘まで含まれていました。
投稿では私の名前が一文字だけ〇で隠されていましたが、別の書き込みでは他の箇所が〇にされていて、繋げて読めばすべての名前がわかるような細工までされていました」
こうして突如として始まったA子さんへの誹謗中傷は1日に数十件にものぼり、その内容はエスカレートするばかり。ここから彼女の長く孤独な奮闘劇が幕を開ける。
「最初はもちろん驚きましたが、志村さんの一件があった以上、このまま野放しにしてはいけないとネットで開示請求をお願いできる弁護士さんを探すことにしました。
その中に弁護士費用の一括見積りができるサイトがあり、そこで一番返信が早く、自分の思いに添ってくれると感じた先生に依頼することにしました」
彼女がすぐに冷静に対応できたのもまた、Xの影響だった。
「彼女の言動をみて、私もいつか中傷されるかも知れないと思い、そうなった場合の対処法を調べておいたんです。それが功を奏しました」
A子さんいわく、弁護士選びのコツは誹謗中傷対策への理解度だという。
「私のお願いした先生は経験も豊富で、最初の頃から開示請求という方法を強く提案してくれ、その方に決めました。高名なベテラン弁護士さんも手を挙げてくれていたんですが、話をしてみるとITについてあまり詳しくなく、不安要素が残ったのでお断りしました。
ネット上での誹謗中傷の対策にはウェブの専門知識が欠かせません。弁護士さんもブランド力よりも自分の考えに合う人を優先して選んだ方が良いと思います」
実際、A子さんがすぐに行動へと移したのも、ネットならではの特殊な理由からだった。
「開示請求の為に必要不可欠となるIPアドレスは平均4ヵ月程度で消えてしまいます。つまり一定期間が過ぎた書き込みは、いくら頑張っても特定が難しい。おまけに投稿自体は消えませんから、厄介なんです」
IPアドレスはPCやスマホの識別番号を意味し、いわばIT機器の住所とも呼べる代物。掲示板での書き込みには必ずこのIPアドレスが記録される仕組みとなっているが、通常は数ヵ月経つと削除されてしまう。
「誹謗中傷を見つけたらすぐに動かないとそれこそ泣き寝入り状態に陥ってしまいます。証拠集めも大事ですが、開示請求をしたい場合は積極的に動くのが大切なんです」
かくして始まったA子さんの開示請求バトル。だがその道のりは、まさしく前途多難の連続だった――。
つづく後編記事『「志村けんさんのデマ投稿をきっかけに…」誹謗中傷に襲われた関係者が明かす「開示請求バトル」衝撃の結末』では、A子さんが実際に行った4年間にも及ぶ開示請求の詳しいプロセス、そして明らかになった投稿主たちの正体をお届けする。
「志村けんさんのデマ投稿をきっかけに…」誹謗中傷に襲われた関係者が明かす「開示請求バトル」衝撃の結末