「暴力団でのあだ名は“宝塚”」ケンカ、恐喝、監禁、管理売春…悪いことは何でもやった「日本初の女ヤクザ・西村まこ(57)」の現在地

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〈「お恥ずかしいことに、指の先はありません」初めてのシノギは「知り合いの女の子を“沈めた”」こと…日本初の女ヤクザ・西村まこ(57)の壮絶人生〉から続く
「私たちも、非力ではありますが、裏街道を卒業したい人たちのための居場所づくりができればと考えました」
【あだ名は”宝塚”】「美しすぎる女ヤクザ」はその後どうなったのか…西村まこ(57)さんの現在のお姿
ケンカ、恐喝、監禁、管理売春……かつて「日本初の女ヤクザ」と名を馳せた西村まこさん(57)。ヤクザを引退した今、彼女は何をしているのか? 初の著書『「女ヤクザ」とよばれて ヤクザも恐れた「悪魔の子」の一代記』(清談社Publico)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
かつて「日本初の女ヤクザ」と呼ばれた西村さん。彼女は今、何をしているのか?(写真:本人提供)
◆◆◆
男が女をソープに沈めるのはよくある構図ですが、女の私が同類の女性をソープに沈めるのは、なんとも変な塩梅です。しかし、借りたカネを返せないのなら、己の身体で返すというのは江戸時代から続く裏社会のしきたりです。時代劇などで描かれる吉原の遊郭と同じですよね。
とはいえ、私はヤクザですから、日常的に交渉したり、詰めたりする相手は男性でした。ですから、不良債権の回収依頼があれば、私が債務者の事務所なり家に乗り込み、直談判でカネを回収してきたものです。
ほかの組のヤクザを拉致して脅迫したこともあります。とくに記憶に残っている事件は、私が若い時分にやっていたデートクラブ時代の恨みがあった西田というヤクザを、とことん追い込んだことです。
あるとき、腐れ縁のある西田が「女を紹介してくれ」と言ってきました。まったくどの口が言っているのかと驚きましたが、うまい話を聞き出したのです。それは西田が45口径の拳銃(チャカ)を持っているという話でした。当時、チャカの値段が高かったので、私は「これを奪ってやろう」と考え、絵図(ヤクザや不良が使うスラング。相手を陥れる方法などを画策することを指す)を描きました。
女とホテルに入ったころあいを見計らって、私は手下の二人を連れて西田の部屋を急襲したのです。
部屋に入ると、ベッドサイドにポン中セットが置かれ、二人ともスッポンポンです。男は裸だと抵抗する気も起きないようで、必死に股間を隠してバンザイしています。
私は銃口を西田に向け、若い衆が身柄を確保しました。服を着せて車に押し込むと、ヤクザ渡世をしている大の男が「まこ~、助けてくれ。命だけは取らんといてくれ」と泣きを入れ始めました。
驚いたのは、西田をおびき出すエサとして送り込んだサオリが、このカッコ悪い男を本気で好きになったみたいで、「まこさん、この人、許してやってください」などと寝ぼけたことを言っています。「お前は黙っとれ」と一喝し、西田の顔に私の顔をキスできるくらいまで近づけ、「あんたの命は助けたるけど、条件がある。あんたが自慢の45口径を子分に持って来させろよ。簡単だろ」とスゴみました。
ヤクザの稼業とは、一寸先は闇なのです。少しでも油断したら、反目(対立している)の人間や恨みを持っている人間にやられます。私は若いころから男相手にケンカの場数を踏んでいましたから、相手がどのような人間でも、決して引くことはありませんでした。
私はヤクザとしての稼業を性別の意識なくやっていたのですが、あるとき、「女のヤクザっていないんだ」という事実を知ります。少なくとも当局が認めた女ヤクザがいなかったと表現するほうが正しいかもしれません。
これは刑務所内で「ヤクザの脱退届」を書いたときのことです。独居房から連れ出されて調べの部屋に入ると、金筋(制服に金筋が入っている刑務官の幹部を指す)が待っており、一枚の紙が机に置いてあります。
「あなたは暴力団組員なので、脱退届を書かないと仮釈(仮釈放)もらえないけど、どうするね」と聞いてきました。
私は親分が「仮釈もらって早く帰れ」と言ってくれたのを思い出し、ひと言、「はい、書きます」と応じました。じつは、ここで応じたため、この金筋を慌てさせてしまったのです。脱退届は、たかだかA4一枚の用紙です。そこに簡単なことを記入するのです。
金筋が「そこはそう書いて、こう書いて」と指導しますが、すぐに戻ってきて、「ここ書き直して」と何度もやり直しをさせられました。最後には「あんたが日本初だから、こんなに時間かかるんよ」と、いやみを言われました。
結局、刑務所内で素行が悪かった私は懲罰の常連でしたから、「仮釈」ではなく「満期」で出所することになったわけですが、そこでも女ヤクザであったばかりに刑務所長を驚かせてしまったのです。
釈放のとき、女性の所長が「なんだ、あれは。こんな光景、初めて見る」と慌てていました。男子刑務所ではよくあるヤクザの放免風景かもしれませんが、ここは女子刑務所です。なるほど、官が言うところの日本初の女ヤクザの出所ですから、所長が見たことないのも当然でした。
刑務所の門前に杉野組組員が二列に並んでいました。私が出てくると、一斉に「お疲れさまでした」と頭を下げます。
部屋住み(ヤクザの下積み修業の期間を指す。この期間にヤクザ稼業のイロハを学習する)の組員がドアを開けているベンツの後部座席に乗り込み、本部長の横に座りました。ベンツはゆっくり笠松刑務所(岐阜県羽島郡笠松町)をあとにしました。
事務所に到着したら、本部長から「風呂に入って垢を洗い流せ」と言われました。風呂上がりでスーツに着替えて義理場(組事務所のなかにある広間)に行くと、豪勢な食べ物が並んでいます。その場に参集した親分、幹部、若中(役職がない組員)は、みんなスーツを着てネクタイを締めていました。
そんななかで小柄な私がブラックスーツを着て交じっていますから、珍妙です。誰が言い出したか知りませんが、それから組内では「宝塚」と呼ばれるようになりました。
ケンカ、恐喝、拉致監禁、管理売春、シャブ屋(覚せい剤販売)などなど、ありとあらゆる悪事を重ね、更生不可能と思っていた私も、出産や子育てを経験し、徐々に丸くなっていきました。特定非営利活動法人「五仁會」の竹垣悟会長に出会うことで、法に触れる行いから更生し、人の役に立ちたいという思いにいたりました。これには私も驚いています。
そして何より、ヤクザの社会も時代とともに変化していきました。いま、ヤクザは、かつての暴力や威力を背景にした「脅し」のシノギから、振り込め詐欺に代表される詐欺など騙しをシノギにしている者もいます。
私は暴力団排除条例施行後のヤクザ氷河期に再びヤクザの世界に戻りましたが、絶望を覚えました。そこに見たのは昔のファミリーとは異なる別の組織でした。私は、ヤクザはやっても、詐欺師に落ちてまで不良道を歩もうとは思いません。
このような思いを抱くヤクザは、これから増えるのではないでしょうか。あるいは、ヤクザを続けたくとも、コンプライアンス社会のなかで組が立ち行かなくなるかもしれません。任道を求めれば求めるほど食えない時代になっています。そうして行き場をなくした人たちのために、私は五仁會岐阜支局を、同じ志を持つ仲間たちと一緒に立ち上げました。
不良で荒んだ私を受け入れ、居場所をくれたのは杉野親分と杉野組です。そのヤクザ組織を社会になじめない私たちの居場所として存続させてくれたのは、私の不良人生における郷里ともいえる岐阜県です。今度は私がお返しをすべきときが来たと考えました。

私は人が居場所を求めるのは、社会的動物である人間として当然のことと思います。ですから、社会のために働く企業家は会社という社員の居場所をつくります。私たちも、非力ではありますが、裏街道を卒業したい人たちのための居場所づくりができればと考えました。
本書を読んでくださった方が五仁會岐阜支局、あるいは兵庫県姫路市の五仁會本部の門をたたき、更生への道を進んでくださることを願っております。
(西村 まこ/Webオリジナル(外部転載))

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