「TOEICは実にくだらないですね」国立大の“ギャル准教授”が日本の受験制度を破壊したいシンプルな理由

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〈コロンビア大卒・国立大准教授の“ガチ物理エリート”はなぜギャルルックでTikTokに降臨したのか「よく言われますが、ギャルが何なのかわかってない(笑)」〉から続く
コロンビア大学で天文物理学博士課程を修め、現在は信州大学工学部で准教授を務めるBossB氏。国立大の教員ながら「受験制度を破壊したい」「クソくらえと思って生きている」と、アナーキー精神は今も健在だ。そんな型破りなBossB氏に、日本の教育について聞いた。(全2本の2本目/最初から読む)
【画像】「私は世間から見ると《ギャルのおばちゃん》」
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本人のTikTokより
──BossBさんは信州大学の准教授ですが、受験制度を破壊したいとか?
BossB はい。日本の受験制度は基本的にペーパーテストで、高得点が取れる子供たちを評価して輩出するシステムです。でも「テストで高得点を取る人間が、果たして新しいことを創り出せる人間なのか? 社会をリードしていくべき人間なのか?」ってことですよ。
私は今、大学でアカデミック・イングリッシュという授業を担当してますが、最初に「TOEIC対策みたいなくだらないことは、一切やりません」と言っています。

──TOEICはくだらない?
BossB 実にくだらないですね。TOEICの点数で私たちが必要とする英語力を測る社会が、くだらないです。
だって、TOEICやTOEFLでいい点数を取った学生に、私が「英語で自分らしさをアピールする自己紹介して」と言うと、だいたいウッと詰まっちゃいますよ。「〈自分らしさをアピールする〉という言語と独立したスキルが、コミュニケーションちゃうんか? グローバルで求められるものじゃない?」と言いたい。英語のテストで高得点を取る能力を求めるなら、今の時代、いっそChatGPTをグローバル人材として使ったらどうですか、という話です。
──日本の受験英語は、グローバルを履き違えている?
BossB そう思います。テスト英語でもなければ、英会話でもないですよ。日本全体が勘違いしています。英語が話せるだけでグローバルだったら、アメリカ人全員がグローバル人材になっちゃいますよ。日本の文科省を筆頭にそれがなぜわからないんだろうと。
実際、グローバルのシーンでは、いろんな国の人たちと交流するわけで、実は英語を母国語としない人々が大半です。そこで問われるのは、英語を「ツール」として、共通のゴールに向かって事を成すスキルです。もっと踏み込むと、「あなたがそこで貢献できることって何?」になって、「誰にもない、唯一無二のあなたのカラーは何?」となるわけです。
それを理解してほしいから、私の英語の授業は、他の先生とは違う視点で講義内活動を進めています。
──どんなところが違うんですか?
BossB 日本の大学英語の大きな目標は「論文を書けるようになること」です。私のライティングの指導も厳しいことで有名なようですが(笑)、私は英語よりも、言語とは独立した「論理の立て方」を中心に教えます。英語のスペルや文法などは、ChatGPTに直してもらえばいいのだから。
あと、日本人が不得意とする「発信」のスキル向上にも力を入れています。恥ずかしがらずに自分の意見を言う、自分にしかない自分のよさをアピールする、など。聴衆の前でパフォーマンスをして、自分のストーリーに引き込むにはどうすればいいか、映画を見て学んだり、留学生にインタビューしたり……という具合です。

──大学生は、その授業を楽しんでいますか。
BossB 最初はめちゃくちゃ慎重ですよ。でもこれは、学生だけじゃなくて、日本人全体の特徴かもしれない。「みんなの前で、何のツールにも頼らず、素の自分の力を見せる」ことへの恐怖心が、すごく強いですね。
そもそも、私が日本語で学生に質問しても、手が挙がらない(笑)。指名しても、答える前に「比較されたくない」「変なことを言って間違えたら恥ずかしい、嫌だ」と思ってしまう。そこを破壊したい。

──その壁は厚そうですね。
BossB 簡単には壊せないです。多くの学生は、「AはBである」のような回答はできても、自分の考えを表現するのが下手。それは羞恥心、恐怖心がフタをしてしまっているからです。
だけど、間違うのは当然なんですよ。そして、失敗を重ねるほど、その後は「なりたかった自分」に変わっていきます。私の経験からも周りの学生を見ても、絶対にそう。だから、どんどん失敗して間違えるしかないです。
──受験制度を破壊したいと言いつつ、大学の教員でいることに、窮屈さを感じませんか?
BossB それはないかな。まず、私のような人間を雇っている時点で、信州大学はそこまで保守的ではないと思います(笑)。信大の偉い先生方は寛容ですし、私は自分がやりたい授業や研究ができているので。

受験制度についても、私はいろんなことを「おかしいんじゃないか」「考え直したほうがいいのでは」と言っていますよ。でも、周りの皆さんが私と同じ考えじゃないことはわかっているので、様子を見ながらちょこちょこ……という感じ。
──意外に協調性があるというか、何が何でも反対と言い張るわけじゃないんですね。
BossB はい。日本人は、こちらがワーッとすごいエネルギーでいくと引いてしまうので。それはよくない手法だというのは、私も痛いほどわかってます。
それに、自分が何を大切に生きるかは、人それぞれ違うじゃないですか。私には私の考え方があるように、彼らにも彼らの守りたいものがある。だから、私は自分に正直に生きていれば、別にいいかなと。
──BossBさんも日本文化を尊重しているということですね?
BossB はい。でも、私のBossは私自身なので、自分のルックスや、何をするか、何を大切に生きていくか……行動や信念はすべて、私が決めます。
だから、世間から見ると「ギャルのおばちゃん」の私が、実はアメリカで博士号を取り、国立大学で宇宙や物理、哲学の授業や研究をしている。それが日本の皆さんに新鮮に映るならば、いろんな固定概念や壁を崩すきっかけになるんじゃないかと思います。

──こんな生き方もあるよと。
BossB そう。あと、年齢のことも言いたい。私は今52歳ですが、「だから何?」と。
女は若いほうがいい、という価値観は大昔から、日本だけじゃなく世界中にあります。でもそんなの、本当にクソくらえですよ。私は、どれだけシワが増えてクシャクシャのタレタレになろうが、いつまでも発信してやろうと思ってます。
──女性で、天文物理研究者で、しかも50代というのは、日本ではごく少数でしょうね。そんなことは関係ない?

BossB はい。年齢や、誰にどう見られるかなんて一切関係ない。人に迷惑をかけなければ、誰もが自由に好きなことをやっていいんだよ、ってことです。
──著書では「宇宙は無限、愛も無限」と書いていますね。愛というとフワッと捉えどころがなく、物理の世界とは真逆に思えますが、「愛情」は物理的に説明できるものですか?
BossB わかりません。愛情は、意識が解明できたら説明できるようになるのでしょうかね。意識の解明は、今の人間にはできないけれど、将来的には可能だと思います。

──では、今の物理学研究で、よりミクロな世界を発見できれば、意識の正体がわかる?
BossB おそらく、今の物理学の常識とは全く違う新しい視点で、宇宙と現実の世界を見ることが必要ではないかと思います。哲学的な視点も必要かもしれない。今までにない方向から見ないと、突破口がない気がします。
アインシュタインは「重力は〈時空の歪み〉である」と言って、ニュートン以来の常識を変えてしまった。けれど、彼はより正確で詳細な観測結果から重力の本質を発見したのではなく、「重力場と加速をしている状態は等価である」という概念をつくりだし、そこから発見が始まっています。同じように、まず「意識」を総括した概念が、先に出てくるんじゃないかな。
──意識は今の世界ではまだ、説明できない。では「私の息子たちへの愛は無限」とも書いていますが、これは言い切れる?
BossB 言い切れます。それは、宇宙には意味や意志、目的はないからです。

──この世に起こる物理的な現象も、生命の存在も、実は意味はない……?
BossB はい。実は、私が天文物理学を専攻した理由は、「宇宙を知れば、人間の生きる意味や存在の謎がわかるかも」と思ったからなんです。
物理学の発展によって、宇宙や量子の世界、生命についてもだいぶ説明できるようになったと思います。しかし、宇宙や現実を知れば知るほど、その動きや存在にも、まったく意味は見当たらないんですよ。

となると、そこに意味や価値を与えるのは誰か。それは意識があり、意味や価値を求める人間。つまり、自分自身です。
だから、私が「息子たちへの愛」に「無限の価値」を与えれば、私にとっては「息子たちへの愛は無限」になりうるのではないでしょうか? 私はそう考えます。
──なるほど。
BossB あと、私に愛情が芽生えたきっかけは、私の選択ではなく、もしかすると私のDNAに「遺伝子を継ぐ者を守れ」と刻まれているせい……のような気がします。人間が何十万年と生命を繋ぐ中で、子どもに愛を与えたほうが、親の遺伝子が存続する確率が高かった、という遺伝生物学の論理です。
──人間という動物はそう設計されたというか。
BossB はい。ただ、それはあくまできっかけのみ。私は、愛は努力して築くものだと思っています。「運命的に赤い糸で結ばれている」とか「血のつながりがあれば無条件に愛せる」というのは、違うと思う。実の子を虐待する人も、いっぱいいるじゃないですか。
だから大事なのは、子どもを産んだあと、「愛する」「愛さない」を選ぶのは自分の選択だということです。私は息子たちを「愛する」ほうを選んだし、その思いを日々育てていくことで、愛はもっともっと、無限に、膨らんでいくと思いますよ。これが私の考える愛、です。
(前島 環夏)

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