最新の科学技術と呪術を駆使して世の平安を願い、あらゆる病を治した陰陽師。その異能は貴族たちに重んじられ、時に陰陽師同士の呪い合いにまで発展した。日本史を陰で操った彼らの所業を見よ。
前編記事『「天皇の進退や即位日まで決めてしまう」…平安時代に国を支配していた官僚集団「陰陽師」とは何者だったのか』より続く。
前編までで見たように、運命を占うだけではなく、呪いで運命を変える”秘術”が陰陽道だったのである。それを操る晴明は、神格化された。
「晴明自身は日記や記録を残していませんが、道長など当時の日記には晴明の名前が数多く登場します。巧みな自己アピールと相まって名声を高めていたからではないでしょうか」(前出の斎藤氏)
晴明の死後は、賀茂、安倍両家がそれぞれの陰陽道を相伝した。陰陽道は為政者が頼る力として残り続けることとなる。
平清盛の時代には武家に仕え、承久の乱の勝敗を占い、晴明の子孫・安倍有世は足利義満の専属陰陽師となった。
宗教嫌いな信長も軍議に陰陽師を加え、家康は泰山府君祭を行った。他方、秀吉は「陰陽師は田畑をつくらず、国を亡ぼすもの」と忌み嫌った。
江戸時代に入ると、陰陽寮は暦を制作して売る暦師などを監督した。
晴明の子孫が移り住んだ、福井県おおい町にある「暦会館」の学芸員・山田虹太郎氏が語る。
「祭事をいつどのタイミングで行えば良いかを知るカレンダーをつくるのが当時の陰陽寮。江戸ではその日の運勢が書かれた暦の発行が盛んになったため、莫大な利権を持っていたと思われます」
Photo by gettyimages
ところが-明治維新が起きると、四民平等の世となり武士が消えたのと同じく、陰陽師は身分を剥奪されたのである。
「1870年に陰陽寮は廃止され、多くの陰陽師は表舞台から姿を消しました。その2年後には旧暦を廃してグレゴリオ暦が採用されたので、暦をつくる利権まで奪われてしまったのです」(山田氏)
文明開化以来、歴史の表舞台から失われてしまった陰陽道。だが、今もその哲学を受け継ぐ、現役の陰陽師がいる。「ラスト陰陽師」の異名をとる橋本京明氏だ。
その橋本氏が語る。
「私はもともと神道の家系に生まれ、陰陽師だった祖父から魔の祓い方などを教わりました。個人鑑定では陰陽五行説をもとに36億通りの統計を出すことで、これまで最高の的中率と言われた四柱推命を超える占術を行っていると自負しています」
たとえば家の吉凶を占う家相では、玄関の方角や築年数などを参照しながら500枚にも及ぶデータを書き、「盤」を作製する。その「盤」に基づいて物を配置替えするなど「空間を正確に操る」助言を行うという。
「家相にはとくに健康面の指標が出やすい。眠るときは玄関に足を向けると良いのですが、玄関と一直線上ではなく少しずらすとさらに運気が上がるなど、細かなアドバイスまでします」(橋本氏)
企業には陰陽道を使った従業員のメンタルケアサービスも行っている。
Photo by gettyimages
そんな橋本氏には霊感が備わっていた。
「幼い頃、人間だと思って会話していたのが霊だったので、家族が陰陽師としての修行を積ませたのでしょう。霊はいつも100人ほど見えています。調子が悪いときは1割減でしょうか。夜より昼が良く見えて、目や鼻、男女の区別もつきます」
遺族の依頼に応じて、死者の霊と話すと-。
「ある霊が冷蔵庫の中のトマトジュースが飲みたいと言うので、遺族に告げると、『なぜ冷蔵庫に入っていることを知っているの!』と驚かれました。また、お供え物のご飯におかずを添えてほしいという霊もいましたね。それは人……いや霊として当然のリクエストです。私との会話内容を遺族に漏らさないよう、口止めする霊もいました」
橋本氏は陰陽道と霊能力を用いて警察と協力し、これまで4件の事件を解決したという。
古来、橋本氏のような特殊能力を持つ人が陰陽師となり、人々を助け、時には恐ろしい仕事を請け負った。その不思議な世界に想いを馳せてみてはいかがだろうか。
「週刊現代」2024年2月3・10日合併号より