最近、文藝春秋の編集者に会うと「身辺に気を付けて下さい」と言ってしまう。少し前なら一編集者の不倫や軽犯罪といったスキャンダルなど誰も興味を持たなかったが、このところ事態が変わった。「週刊文春」があまりにも力を持ってしまったからだ。
「週刊文春」文藝春秋が1959年に創刊した週刊誌だ。文藝春秋は文字通り「文芸」に強い出版社である。直木賞などの文学賞を実質主催し、創刊90年を超える文芸誌「文學界」を発行する。また社内では「本誌」と呼ばれる雑誌「文藝春秋」は、時に首相や皇族も原稿を寄せるような一定の権威を持つ媒体だ。
個人の感想だが、ほとんどの文藝春秋社員は文学少年・少女の面持ちを残した善良な人々ばかりである。立原道造の建築に関心を持ったり、古井由吉さんのモノマネで笑ったりと、おおむねおっとりしている。
社内でも「週刊文春」の立ち位置は特異だ。もちろん人事異動はあるが、純文学の担当者が急に「週刊文春」へ行くことはあまりないと思う。また人気ミュージシャンが文藝春秋で本を出版するタイミングで「週刊文春」がスキャンダル記事を出したりと、まるで別会社のような部隊でもある。
だが外から見れば、「文學界」で純文学に向き合う編集者も、「週刊文春」で芸能人を追う編集者も、同じ「文春の人」に見えるだろう。
僕の知るところでは、文藝春秋社内の不倫や軽犯罪などのスキャンダルを積極的に集めているグループが社外にいる。タイミングを見て、どこかで発表やリークするつもりなのだろう。
週刊誌記者は取材という名目で犯罪に手を染めうる。実際にあった事例だが(媒体名は伏せておく)、他の住人と一緒にマンションのオートロックを何食わぬ顔で突破、部屋の前で有名人を待ち構えるという記者がいた。また有名人の行動履歴を把握するため、郵便物を勝手にあさり、クレジットカード会社からの封筒をこっそり開封して明細を確認、行きつけの店を把握、そこで張り込むといった事例もあった。住居侵入罪や信書開封罪に問われる可能性のある行為だ。
かつてなら「しょせん、週刊誌のやることだから」と済まされていたかもしれない。だが特に「週刊文春」は、一つの記事が日本社会を揺るがすまでの存在になった。いくら記事を書かれた本人が否定しても、社会的に糾弾されたり、CMスポンサーが降りたりする場合もある。警察官・検察官・裁判官を兼ねたような存在になってしまったのだ。
そうなってくると「文春の人」に向けられる視線も厳しくなる。当人たちにそのつもりがなくても、裁判官のような機能を果たしている以上、裁判官並みの潔白さが求められる。しかも今や「文春の人」にはそこそこのニュースバリューがある。テレビや雑誌が扱わなくても、とにかく閲覧数を稼ぎたいYouTubeやSNS上の私的メディアが、ハイエナのように飛びついてくるだろう。どうかお気を付けて(もちろん「週刊新潮」の人も)。
古市憲寿(ふるいち・のりとし)1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。
「週刊新潮」2024年2月1日号 掲載