妻の海外転勤で「主夫」になった彼が後悔したこと

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家事や育児、介護などの分担をめぐって、家族間で言い争いが増えて、いつのまにか一緒にいて心地よい存在だったはずの家族が「つかれる存在」になってしまった……そんな話を聞くことがよくあります。
どうして自分の不満が家族に伝わらないの? どうしたら「つかれない家族」になれるの? そんなふうに「つかれる家族」と「つかれない家族」を考察するこの連載。
前回から「妻の海外赴任に夫が帯同する」という形を経験したご家庭の話を紹介しています。その夫であり、ジャーナリストである小西一禎さんは、その形を「駐夫(ちゅうおっと)」と名づけ、発信活動を続けている方です。前回は「駐夫になった経緯と、その生活のジレンマ」(記事はこちら)を伺いました。今回は「駐夫家庭の家事育児分担の変遷」を紹介します。

一禎さんがアメリカ滞在中に作った料理。料理のメイン担当は一禎さんが担い、子どものお弁当作りは真美子さんが担当していたそう。駐夫生活が終わった今、メイン担当は真美子さんに戻っているとか(写真提供:一禎さん)
一禎さんは「駐夫」になったことで、自分のキャリア断絶に落ち込んだり、バリバリ働く男性とのギャップに苦しみました。その経験があったからこそ、女性の立場や気持ちがやっと理解できるようになったのです。
そこに気づいた一禎さんは、真美子さんにも、育休や時短勤務でキャリアが中断したときの気持ちを尋ねたそうです。すると真美子さんは「キャリアを中断するのが嫌で、子どもがほしくないと思ったこともある」「出張ができなかったり、興味ある分野の仕事が蚊帳の外で進んだり、悔しい思いをしたことがある」「でも子どもを言い訳にしたくなかったから、時短時代も効率を重視して、成果を上げてきた」などの思いを初めて吐露したそうです。それは一禎さんにとってはまったく予想外で、衝撃を受けたそう。もし、駐夫経験がなかったら、一禎さんは妻の本音を一生聞くことができなかったかもしれません。
一禎さんは「1年間の男性育休」「3年間の駐夫」と珍しい経験をしたこととで、「家事育児の大変さ」や「キャリア断絶に苦しむ女性の気持ち」がだんだんわかるようになりました。でも、多くの男性は、そういう大きな生活の変化を経験しないため、そこに無自覚なままです。無自覚な人が同僚や上司にいて「悪気ない乱暴な言葉」にさらされながら仕事を続けている。これが働く女性の現実なのです。
さて、次回は、家事育児へ気持ちが変わっても、一禎さんがなかなか脱却できない「マッチョイズム(伝統的な男らしさを重んじる思想)とのジレンマ」について考えてみます。
(ハラユキ : イラストレーター、コミックエッセイスト)

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