「娘の結婚で、手足をもがれる思いです」と泣きながら語る母…日本で「アダルト・チルドレン」が広がった“独自の事情”とは

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依存症の第一人者・信田さよ子さんが女性の依存症に焦点を当てる連載が『週刊文春WOMAN』でスタート。
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日本にACの概念を紹介する上で大きな役割を果たしてきた信田さよ子さんが、アルコール依存症者の家庭を通じて見た、日本の核家族の「典型」とは。『週刊文春WOMAN創刊5周年記念号』から一部を抜粋し掲載します。
AFLO
数年前のことだ。
あるカルチャーセンターで「母と娘」というテーマの連続講座を担当した。この15年、このテーマで講演するたびに、参加者の8割方は女性で占められるのが通例だったし、年齢層は娘世代である20代から40代までが中心だった。彼女たちのほとんどが母との関係で苦しんでいた。
最後の質問コーナーでひとりの女性が手を挙げた。60歳近い風貌の彼女は、参加者の中で少し目立っていた。
「結婚して以来、夫とはいろいろなことがありました。でもここまで離婚しないでこれたのは娘がいたからです。その娘が結婚することになりました。私は、まるで……自分の手足がもがれる思いなんです。娘にはもちろん幸せになってほしいです、本当に。でも、ほんとにつらくて……正直言うと、娘の結婚相手と私は張り合ってるんです」
発言しながら、彼女は涙を流した。
会場は少しざわついた。他の女性たちからすれば、まさに自分の母と同じことを語っていると思えたのかもしれない。
「どうしてこの講座を聞きにいらっしゃったんでしょうか?」
私は彼女に尋ねた。
「先生ならわかってくださると思ったんです。娘の幸せを踏みにじるような思いをこのままじゃ娘にぶつけてしまう。それだけはしてはならない、少しでも聞いてもらえば、なんとか自分を保てるかもしれないって」
質問した女性のような例は稀だ。多くの母は、自分の思いをそのまま娘にぶつける。それが問題だと考えもしない。最大の理解者である娘なら私の気持ちをわかるはずだ、とばかりに。彼女のように、それだけはしたくないと踏みとどまる母は、珍しい。
このカルチャーセンターの講座がきっかけで、彼女はカウンセリングに訪れた。ひそかに想像していたが、やはり彼女の生育歴は、アルコール依存症抜きには語れないものだった。
アルコール依存症者の平均死亡年齢は52歳だ。彼女の父も52歳で亡くなった。
日々どんな父親の姿を見ながら育ったのか、両親のどんな光景を見せつけられたのか、どうやって母を支えてきたのか。そのディテールは、AC(アダルト・チルドレン)の解説書そのままだった。アルコール依存症の家族の仕組みは、それほどバラエティに富んでいるわけではない。経済的格差や社会的地位にかかわらず、どれも似通っている。
父のような男性だけは避けたい、母のような不幸な人生は送りたくない、できれば結婚などしないで一生終わりたい。そう思っていたが、職場で出会った、一途で強引な男性と結婚した。
両親のもとから自分を引き離してくれる、そう思えたのも理由のひとつだった。ところが、仕事熱心な夫は娘が生まれてから酒量が増え、酔うと暴力もふるうようになった。
なぜ母のようになりたくないと思った自分が、父と同じ飲酒問題のある男性と結婚し、母と同じ嘆きの結婚生活を送っているのだろう、そう思いながら娘を育てた。
「繰り返したくない、娘だけには同じ苦しみを味わうことをさせない」、そんな思いが、カルチャーセンターでの質問と、あの涙につながっていたのである。
ここでアルコール依存症について簡単に説明しておこう。「依存症」という言葉自体が1970年代半ばに誕生したものである。それまでは「アルコール中毒」、略して「アル中」と呼ばれていた。
アルコール中毒には急性と慢性があり、イッキ飲みで大量飲酒した結果意識不明になってしまうのは急性アルコール中毒である。慢性とは習慣的な飲酒の結果さまざまな問題が生じてしまうことを指す。
なぜ「依存症」という言葉が誕生したかと言えば、中毒はあくまで受動的に生じた症状を指すのだが、依存というのは本人から進んで行われる状態のことを指すからである。
つまり前者には本人の責任は生じないが、後者には本人の責任が生じる。酒の問題ではなく、それを求める(依存する)本人の問題にするために、依存症という言葉がWHOで用いられるようになったのだ。
今でも「あの人、アル中じゃないの?」のように、病気というより半ば蔑視のまなざしを含んだ言葉としてアルコール中毒という言葉は根強く残っている。それがスティグマをもたらすことは言うまでもない。
多くの人たちが「アル中」という言葉に反発し、自らの飲酒問題を否認する理由に使うことも多かったが、「依存症」という言葉ができても結果はそれほど変わらなかった。つまりさまざまな依存症は、本人はそれを認めようとしないのがふつうなのだ。
ガンや糖尿だったらどうだろう。うれしくはないけど認めざるを得ないはずだ。でも依存症は違う。認めるくらいなら死んだほうがましというくらい、もっと切実なのだ。
私が精神科病院でアルコール依存症の患者さんと出会ったころから50年近くが経ったが、変わらないのは飲酒に対する日本社会の寛容さだ。酒の失敗に対しても、酔ってのことだと大目に見られ、性犯罪に至っては当の加害者が「酔ってのことで記憶にありません」という言い訳が、つい最近まで容認されたのである。
アルコール依存症の父親は、家族がいっしょに食卓を囲む楽しいはずの食事場面を暗転させてしまう。酔った人格としらふの人格を交互に見せることは、いったいどちらが「ほんとうの」父なのだろうと幼い子どもに思わせる。すでに人生早期に、「世界への不信」を感じさせてしまうのだ。何を信じればいいのかという子どもの混乱について、おとなはあまりに想像力に乏しい。
まして妻や子どもたちに絡んだり、怒りを露わにして暴言・暴力に及んだ場合、それは虐待であり、妻へのDVである。家庭にしか居場所のない子どもが、夕食のたびにそのような危険にさらされるなんて、どんなに残酷なことだろう。
ACという言葉は、70年代末にアメリカのアルコール依存症治療の現場で「親にアルコール問題がある家庭で育った人」を指す言葉として誕生し、1989年に日本にも広がった。
親にアルコール問題があって成長した人たちが、成人後に特有の生きづらさを抱えるようになる。このことはアメリカでも日本でもほとんど変わらなかった。親のアルコール問題は子どもに大きな影響を与えるのである。
日本でACという言葉が広がるきっかけは、1995年の阪神淡路大震災だった。建物や交通機関といった物理的被害だけでなく、災害は人間の心にも大きな被害の爪痕を残すことが、PTSDやトラウマという言葉とともにメディアで報じられた。
「心の傷」というわかりやすい表現は、当時広がりつつあったインターネットで共有されるようになり、多くの人たちが自らの被害を自覚するようになった。災害の被害は、家族(なかでも親)からの被害の自覚へと連動した。このことがACという言葉が一種の流行語のように広がる背景となったのである。
ACに関する著作『「アダルト・チルドレン」完全理解』(1996、三五館)の中で、私はACを次のように定義した。
「現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人」
アメリカでの定義と異なるのは、アルコール依存症だけでなく、ギャンブルや浮気、DVといった親の問題も含まれる点、そして、客観的な診断名ではなく「自己定義」「自認」がACの基本だとした点である。
ACという言葉の現在までの広がりは、日本独自の定義によるものではないかと思う。

さて、私の母娘関係への関心の原点はACにある。ACのカウンセリングにおいて冒頭のようなエピソードは、決して珍しいものではない。
私が設立した原宿カウンセリングセンターでは、95年から、ACと自認する女性たちのグループカウンセリングを開始した。来談する35歳以上の女性たちが、金曜の夜に実施されるグループに参加した。
開始当時、父親がアルコール依存症だった女性たちが多かったので、グループで語られる内容は、父にまつわるもの、父の記憶が多いだろうと想像していた。
しかし10年近く実施してはっきりしたのは、彼女たちが一番苦しんでいたのは母との関係だったということだ。酔った父からの虐待はもちろん彼女たちの苦しい記憶だったが、その傍らで父の暴力を受け、不幸な姿を娘に晒し続けた母こそ、彼女たちにとって言語化しづらい存在だった。
泣きながら言葉にならない、母のことを語るそばから深い罪悪感を覚える、といった参加者の姿に接しながら、私の中で「母」という存在、母娘の関係について関心が深まっていったのである。
※2008年の「母娘ブーム」や団塊世代の母たちの葛藤、息の詰まる母娘関係から抜け出す方法などについて書かれた全文は、『週刊文春WOMAN創刊5周年記念号』でお読みください。
のぶたさよこ/1946年岐阜県生まれ。お茶の水女子大学文教育学部哲学科卒業、同大学院修士課程家政学研究科児童学専攻修了。駒木野病院勤務、CIAP原宿相談室勤務を経て1995年原宿カウンセリングセンター設立、現在は顧問。
(信田 さよ子/週刊文春WOMAN 2024創刊5周年記念号)

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