避難所で寄り添ってくれた看護師に「私もなりたい」…東日本大震災で自宅全壊の20歳、決意新たに

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岩手県立宮古高等看護学院2年の花輪優香さん(20)が7日、宮古市の「20歳のつどい」に臨んだ。
東日本大震災では同市田老地区の自宅が全壊。避難所で声をかけてくれた看護師のおかげで不安な気持ちが和らいだ経験から、看護師を目指して勉強している。節目を迎え、「あの時心の支えになってくれた看護師のようになりたい」と決意を新たにしている。(冨田駿)
2011年3月11日、同市立田老第一小1年だった花輪さんは、昇降口で靴に履き替えて下校しようとした時に大きな揺れに見舞われた。先生の指示で校庭に出たが、「津波だ。逃げろ」という男性の声が聞こえ、裏山まで夢中で走った。
津波が引いた後、同小の体育館で待機。迎えに来てくれた親戚に連れられ、2歳上の兄と旧田老総合事務所まで歩いて避難し、そのまま一夜を明かした。
翌朝、同事務所から目にしたのは信じられない光景だった。「万里の長城」と呼ばれた高さ10メートルの防潮堤を越えて津波が襲った街は原形がなく、一面がれきの山。両親ら家族は無事だったが自宅も全壊し、「この先どうなるんだろう」と不安が募った。
昼頃には、同地区の県立宮古北高校の体育館に移ったが、不安な気持ちは消えなかった。そんな時、被災者の様子を見て回っていた母親より少し年上の女性看護師が、暗い表情をしていた自身の肩や背中をさすり、「学校に行ける日が来るから大丈夫だよ」と優しく声をかけてくれた。
「今を乗り越えればまた日常が戻ってくる」。ようやく安心し、気持ちが落ち着いた。被災者に寄り添う姿がかっこよく、看護師という仕事にもあこがれた。
その後、近くの親戚宅に身を寄せ、学校再開にあわせて4月中旬頃に同地区の仮設住宅に入居。6年生の時に高台に自宅が再建された。自身の進路として、子供の世話が好きだったことから保育士にも興味を持つようになっていた。
同市立田老第一中を卒業後は看護師に出会った宮古北高に進学。授業で仕事内容を調べ、医療関係者の講話を聞く中で、2年生の時に看護師になろうと決めた。震災時を思い出して「自分も同じような声かけをしたい」と思ったことに加え、人に感謝されるやりがいのある仕事だと感じたからだ。
22年4月に同市内の宮古高等看護学院に入学。病気や薬の知識を深めたり、点滴などの実習に取り組んだり、専門的な内容に苦労しながらも必死に学んでいる。
国家試験合格を目標に、来年3月の卒業後は県内での就職を希望する。患者に信頼される看護師を目指しながら、災害が起きれば現場に駆けつけるつもりだ。
この日の式典には、紺色を基調とした振り袖を着て友人と参加した。「災害に備えて勉強をさらに頑張り、被災者が安心できるよう支えたい」。式後、あの時声をかけてくれた看護師の姿を思い浮かべながら力強く語った。

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