「早くドア開けろ!」怒鳴る人、泣き叫ぶ子ども、ファーストクラスでも…乗客が伝える“戦慄の機内“…それでも全員退避の奇跡の脱出劇、元CAが語る”魔の11分“の恐怖とは〈羽田JAL機衝突事故〉

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なんという正月なのか。Uターン客などでごった返す羽田空港(東京国際空港)で1月2日午後5時55分ごろ、北海道・新千歳から379人(乗員12、乗客367)を乗せて着陸したJAL(日本航空)516便(エアバスA350)が滑走路で海上保安庁の航空機に衝突、爆発、炎上した。JAL機からは全員が脱出に成功したが17人が負傷、乗員6人の海保機は機長を除く5人が死亡した。海保機は前日発生した能登半島地震の被災地に支援物資を輸送するため、離陸を待っているところだった。事故なのか、事件なのか。警視庁捜査1課は羽田署に捜査本部を設置した。

「開いた扉は1つだけだったように思います」 衝突が起きたのは、羽田空港の4本ある滑走路のうちのC滑走路。海保の機体はボンバルディアDHC8型機の「MA722みずなぎ1号」(全長25.68メートル、幅27.43メートル、高さ7.49メートル)という中型機で、新潟航空基地への物資輸送に向けて離陸するために滑走路を走行中だった。同じ滑走路を離陸と着陸の航空機が同時に走行することは通常あり得ず、事故ならば管制ミスもしくは両機のパイロットの人為的ミスなのか、あるいはシステム上のトラブルが原因なのかが捜査の焦点になる。羽田空港は3日も大規模な欠航が見込まれ、甚大な影響を受けそうだ。 炎上するJAL516便 炎上したJAL機からの脱出は、想像を絶する凄まじさだった。 彼女と一緒に年末年始を旅行先の札幌で過ごしたという澤田翼さん(28)は、興奮冷めやらぬ口調で語った。 「僕は機体の真ん中ぐらいの51Aという窓側の席で、彼女は隣の51Bでした。着陸して滑走路を走っている最中にお尻が『ボンッ』という感じで跳ね上がり、窓から火花が見えたので『なんだなんだ』と思ってるうちに炎があがったんです。ちょうど翼が見える席だったんですが、その羽から勢いよく火があがっていました」 間もなく白い煙が機内に充満し、機内があっという間に熱くなった。 「最初はヘラヘラ笑ってたけど、熱さで危険を察知しました。機体はすぐに止まったけど、なかなか扉を開けてくれず、CAさんが『○番、開きません!』と絶叫口調だったので余計に不安が募りました。酸素マスクは降りてこなくて、でも息苦しくて、普通のマスクをしてたけど、苦しかった。CAさんたちが口々に『大丈夫です! 安心してください』声をかけてくれたけど、それどころじゃなかった。乗客のなかには『早く開けろ』と怒鳴る人や、逆に『CAの言うことを聞いたほうがいい』と諌める人がいたり、小さい女の子が泣き叫ぶ声なども聞こえて、混乱の渦でした」 澤田さんの体感では、機体後部が跳ねて煙が充満、無事に外に出られるまで、ずいぶんと時間がかかったように感じたという。安心させてあげようと、彼女の手をしっかりと握り続けるしかなかった。 やがて、前方2か所、後方1か所の非常ドアが開けられた。 澤田さんが撮影した着陸後の機内の様子 「そこからは白い布の滑り台で降りました。そこでは一人ずつ順番で、押したりする人はいなかったんですが、それ以前に荷棚から自分の荷物を取り出そうとする人に『何してるんだ』と怒る人はいました。外に出てからは燃えさかる機体から100メートルくらい離れたところでCAさんに『10人ずつ円になってください』と指示され、その状態で30分くらい待ちました」 薄着だった彼女に上着を羽織らせた。澤田さんたちがバスに案内され、バスターミナルに移動できたのは、事故発生から約4時間経った午後10時ごろだったという。 「手荷物以外の荷物は全て燃えてしまいました。旅行中だったこともあり、服は高価なものばかりで15万円分くらいでしょうか。アクセサリーも5万円分くらいはあったので、合わせて20万円くらいの損失を被ったと思います。JALの説明では、10日から20日以内に連絡があるそうですが、もう飛行機は乗りたくない。旅行も車で行ける範囲にしたいです」 「翼から炎が出ていて。『え? ヤバイな』と思っているうちに…」 群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。 「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
なんという正月なのか。Uターン客などでごった返す羽田空港(東京国際空港)で1月2日午後5時55分ごろ、北海道・新千歳から379人(乗員12、乗客367)を乗せて着陸したJAL(日本航空)516便(エアバスA350)が滑走路で海上保安庁の航空機に衝突、爆発、炎上した。JAL機からは全員が脱出に成功したが17人が負傷、乗員6人の海保機は機長を除く5人が死亡した。海保機は前日発生した能登半島地震の被災地に支援物資を輸送するため、離陸を待っているところだった。事故なのか、事件なのか。警視庁捜査1課は羽田署に捜査本部を設置した。
「開いた扉は1つだけだったように思います」 衝突が起きたのは、羽田空港の4本ある滑走路のうちのC滑走路。海保の機体はボンバルディアDHC8型機の「MA722みずなぎ1号」(全長25.68メートル、幅27.43メートル、高さ7.49メートル)という中型機で、新潟航空基地への物資輸送に向けて離陸するために滑走路を走行中だった。同じ滑走路を離陸と着陸の航空機が同時に走行することは通常あり得ず、事故ならば管制ミスもしくは両機のパイロットの人為的ミスなのか、あるいはシステム上のトラブルが原因なのかが捜査の焦点になる。羽田空港は3日も大規模な欠航が見込まれ、甚大な影響を受けそうだ。 炎上するJAL516便 炎上したJAL機からの脱出は、想像を絶する凄まじさだった。 彼女と一緒に年末年始を旅行先の札幌で過ごしたという澤田翼さん(28)は、興奮冷めやらぬ口調で語った。 「僕は機体の真ん中ぐらいの51Aという窓側の席で、彼女は隣の51Bでした。着陸して滑走路を走っている最中にお尻が『ボンッ』という感じで跳ね上がり、窓から火花が見えたので『なんだなんだ』と思ってるうちに炎があがったんです。ちょうど翼が見える席だったんですが、その羽から勢いよく火があがっていました」 間もなく白い煙が機内に充満し、機内があっという間に熱くなった。 「最初はヘラヘラ笑ってたけど、熱さで危険を察知しました。機体はすぐに止まったけど、なかなか扉を開けてくれず、CAさんが『○番、開きません!』と絶叫口調だったので余計に不安が募りました。酸素マスクは降りてこなくて、でも息苦しくて、普通のマスクをしてたけど、苦しかった。CAさんたちが口々に『大丈夫です! 安心してください』声をかけてくれたけど、それどころじゃなかった。乗客のなかには『早く開けろ』と怒鳴る人や、逆に『CAの言うことを聞いたほうがいい』と諌める人がいたり、小さい女の子が泣き叫ぶ声なども聞こえて、混乱の渦でした」 澤田さんの体感では、機体後部が跳ねて煙が充満、無事に外に出られるまで、ずいぶんと時間がかかったように感じたという。安心させてあげようと、彼女の手をしっかりと握り続けるしかなかった。 やがて、前方2か所、後方1か所の非常ドアが開けられた。 澤田さんが撮影した着陸後の機内の様子 「そこからは白い布の滑り台で降りました。そこでは一人ずつ順番で、押したりする人はいなかったんですが、それ以前に荷棚から自分の荷物を取り出そうとする人に『何してるんだ』と怒る人はいました。外に出てからは燃えさかる機体から100メートルくらい離れたところでCAさんに『10人ずつ円になってください』と指示され、その状態で30分くらい待ちました」 薄着だった彼女に上着を羽織らせた。澤田さんたちがバスに案内され、バスターミナルに移動できたのは、事故発生から約4時間経った午後10時ごろだったという。 「手荷物以外の荷物は全て燃えてしまいました。旅行中だったこともあり、服は高価なものばかりで15万円分くらいでしょうか。アクセサリーも5万円分くらいはあったので、合わせて20万円くらいの損失を被ったと思います。JALの説明では、10日から20日以内に連絡があるそうですが、もう飛行機は乗りたくない。旅行も車で行ける範囲にしたいです」 「翼から炎が出ていて。『え? ヤバイな』と思っているうちに…」 群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。 「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
「開いた扉は1つだけだったように思います」 衝突が起きたのは、羽田空港の4本ある滑走路のうちのC滑走路。海保の機体はボンバルディアDHC8型機の「MA722みずなぎ1号」(全長25.68メートル、幅27.43メートル、高さ7.49メートル)という中型機で、新潟航空基地への物資輸送に向けて離陸するために滑走路を走行中だった。同じ滑走路を離陸と着陸の航空機が同時に走行することは通常あり得ず、事故ならば管制ミスもしくは両機のパイロットの人為的ミスなのか、あるいはシステム上のトラブルが原因なのかが捜査の焦点になる。羽田空港は3日も大規模な欠航が見込まれ、甚大な影響を受けそうだ。 炎上するJAL516便 炎上したJAL機からの脱出は、想像を絶する凄まじさだった。 彼女と一緒に年末年始を旅行先の札幌で過ごしたという澤田翼さん(28)は、興奮冷めやらぬ口調で語った。 「僕は機体の真ん中ぐらいの51Aという窓側の席で、彼女は隣の51Bでした。着陸して滑走路を走っている最中にお尻が『ボンッ』という感じで跳ね上がり、窓から火花が見えたので『なんだなんだ』と思ってるうちに炎があがったんです。ちょうど翼が見える席だったんですが、その羽から勢いよく火があがっていました」 間もなく白い煙が機内に充満し、機内があっという間に熱くなった。 「最初はヘラヘラ笑ってたけど、熱さで危険を察知しました。機体はすぐに止まったけど、なかなか扉を開けてくれず、CAさんが『○番、開きません!』と絶叫口調だったので余計に不安が募りました。酸素マスクは降りてこなくて、でも息苦しくて、普通のマスクをしてたけど、苦しかった。CAさんたちが口々に『大丈夫です! 安心してください』声をかけてくれたけど、それどころじゃなかった。乗客のなかには『早く開けろ』と怒鳴る人や、逆に『CAの言うことを聞いたほうがいい』と諌める人がいたり、小さい女の子が泣き叫ぶ声なども聞こえて、混乱の渦でした」 澤田さんの体感では、機体後部が跳ねて煙が充満、無事に外に出られるまで、ずいぶんと時間がかかったように感じたという。安心させてあげようと、彼女の手をしっかりと握り続けるしかなかった。 やがて、前方2か所、後方1か所の非常ドアが開けられた。 澤田さんが撮影した着陸後の機内の様子 「そこからは白い布の滑り台で降りました。そこでは一人ずつ順番で、押したりする人はいなかったんですが、それ以前に荷棚から自分の荷物を取り出そうとする人に『何してるんだ』と怒る人はいました。外に出てからは燃えさかる機体から100メートルくらい離れたところでCAさんに『10人ずつ円になってください』と指示され、その状態で30分くらい待ちました」 薄着だった彼女に上着を羽織らせた。澤田さんたちがバスに案内され、バスターミナルに移動できたのは、事故発生から約4時間経った午後10時ごろだったという。 「手荷物以外の荷物は全て燃えてしまいました。旅行中だったこともあり、服は高価なものばかりで15万円分くらいでしょうか。アクセサリーも5万円分くらいはあったので、合わせて20万円くらいの損失を被ったと思います。JALの説明では、10日から20日以内に連絡があるそうですが、もう飛行機は乗りたくない。旅行も車で行ける範囲にしたいです」 「翼から炎が出ていて。『え? ヤバイな』と思っているうちに…」 群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。 「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
衝突が起きたのは、羽田空港の4本ある滑走路のうちのC滑走路。海保の機体はボンバルディアDHC8型機の「MA722みずなぎ1号」(全長25.68メートル、幅27.43メートル、高さ7.49メートル)という中型機で、新潟航空基地への物資輸送に向けて離陸するために滑走路を走行中だった。同じ滑走路を離陸と着陸の航空機が同時に走行することは通常あり得ず、事故ならば管制ミスもしくは両機のパイロットの人為的ミスなのか、あるいはシステム上のトラブルが原因なのかが捜査の焦点になる。羽田空港は3日も大規模な欠航が見込まれ、甚大な影響を受けそうだ。 炎上するJAL516便 炎上したJAL機からの脱出は、想像を絶する凄まじさだった。 彼女と一緒に年末年始を旅行先の札幌で過ごしたという澤田翼さん(28)は、興奮冷めやらぬ口調で語った。 「僕は機体の真ん中ぐらいの51Aという窓側の席で、彼女は隣の51Bでした。着陸して滑走路を走っている最中にお尻が『ボンッ』という感じで跳ね上がり、窓から火花が見えたので『なんだなんだ』と思ってるうちに炎があがったんです。ちょうど翼が見える席だったんですが、その羽から勢いよく火があがっていました」 間もなく白い煙が機内に充満し、機内があっという間に熱くなった。 「最初はヘラヘラ笑ってたけど、熱さで危険を察知しました。機体はすぐに止まったけど、なかなか扉を開けてくれず、CAさんが『○番、開きません!』と絶叫口調だったので余計に不安が募りました。酸素マスクは降りてこなくて、でも息苦しくて、普通のマスクをしてたけど、苦しかった。CAさんたちが口々に『大丈夫です! 安心してください』声をかけてくれたけど、それどころじゃなかった。乗客のなかには『早く開けろ』と怒鳴る人や、逆に『CAの言うことを聞いたほうがいい』と諌める人がいたり、小さい女の子が泣き叫ぶ声なども聞こえて、混乱の渦でした」 澤田さんの体感では、機体後部が跳ねて煙が充満、無事に外に出られるまで、ずいぶんと時間がかかったように感じたという。安心させてあげようと、彼女の手をしっかりと握り続けるしかなかった。 やがて、前方2か所、後方1か所の非常ドアが開けられた。 澤田さんが撮影した着陸後の機内の様子 「そこからは白い布の滑り台で降りました。そこでは一人ずつ順番で、押したりする人はいなかったんですが、それ以前に荷棚から自分の荷物を取り出そうとする人に『何してるんだ』と怒る人はいました。外に出てからは燃えさかる機体から100メートルくらい離れたところでCAさんに『10人ずつ円になってください』と指示され、その状態で30分くらい待ちました」 薄着だった彼女に上着を羽織らせた。澤田さんたちがバスに案内され、バスターミナルに移動できたのは、事故発生から約4時間経った午後10時ごろだったという。 「手荷物以外の荷物は全て燃えてしまいました。旅行中だったこともあり、服は高価なものばかりで15万円分くらいでしょうか。アクセサリーも5万円分くらいはあったので、合わせて20万円くらいの損失を被ったと思います。JALの説明では、10日から20日以内に連絡があるそうですが、もう飛行機は乗りたくない。旅行も車で行ける範囲にしたいです」 「翼から炎が出ていて。『え? ヤバイな』と思っているうちに…」 群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。 「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
衝突が起きたのは、羽田空港の4本ある滑走路のうちのC滑走路。海保の機体はボンバルディアDHC8型機の「MA722みずなぎ1号」(全長25.68メートル、幅27.43メートル、高さ7.49メートル)という中型機で、新潟航空基地への物資輸送に向けて離陸するために滑走路を走行中だった。同じ滑走路を離陸と着陸の航空機が同時に走行することは通常あり得ず、事故ならば管制ミスもしくは両機のパイロットの人為的ミスなのか、あるいはシステム上のトラブルが原因なのかが捜査の焦点になる。羽田空港は3日も大規模な欠航が見込まれ、甚大な影響を受けそうだ。
炎上するJAL516便 炎上したJAL機からの脱出は、想像を絶する凄まじさだった。 彼女と一緒に年末年始を旅行先の札幌で過ごしたという澤田翼さん(28)は、興奮冷めやらぬ口調で語った。 「僕は機体の真ん中ぐらいの51Aという窓側の席で、彼女は隣の51Bでした。着陸して滑走路を走っている最中にお尻が『ボンッ』という感じで跳ね上がり、窓から火花が見えたので『なんだなんだ』と思ってるうちに炎があがったんです。ちょうど翼が見える席だったんですが、その羽から勢いよく火があがっていました」 間もなく白い煙が機内に充満し、機内があっという間に熱くなった。 「最初はヘラヘラ笑ってたけど、熱さで危険を察知しました。機体はすぐに止まったけど、なかなか扉を開けてくれず、CAさんが『○番、開きません!』と絶叫口調だったので余計に不安が募りました。酸素マスクは降りてこなくて、でも息苦しくて、普通のマスクをしてたけど、苦しかった。CAさんたちが口々に『大丈夫です! 安心してください』声をかけてくれたけど、それどころじゃなかった。乗客のなかには『早く開けろ』と怒鳴る人や、逆に『CAの言うことを聞いたほうがいい』と諌める人がいたり、小さい女の子が泣き叫ぶ声なども聞こえて、混乱の渦でした」 澤田さんの体感では、機体後部が跳ねて煙が充満、無事に外に出られるまで、ずいぶんと時間がかかったように感じたという。安心させてあげようと、彼女の手をしっかりと握り続けるしかなかった。 やがて、前方2か所、後方1か所の非常ドアが開けられた。 澤田さんが撮影した着陸後の機内の様子 「そこからは白い布の滑り台で降りました。そこでは一人ずつ順番で、押したりする人はいなかったんですが、それ以前に荷棚から自分の荷物を取り出そうとする人に『何してるんだ』と怒る人はいました。外に出てからは燃えさかる機体から100メートルくらい離れたところでCAさんに『10人ずつ円になってください』と指示され、その状態で30分くらい待ちました」 薄着だった彼女に上着を羽織らせた。澤田さんたちがバスに案内され、バスターミナルに移動できたのは、事故発生から約4時間経った午後10時ごろだったという。 「手荷物以外の荷物は全て燃えてしまいました。旅行中だったこともあり、服は高価なものばかりで15万円分くらいでしょうか。アクセサリーも5万円分くらいはあったので、合わせて20万円くらいの損失を被ったと思います。JALの説明では、10日から20日以内に連絡があるそうですが、もう飛行機は乗りたくない。旅行も車で行ける範囲にしたいです」 「翼から炎が出ていて。『え? ヤバイな』と思っているうちに…」 群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。 「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
炎上するJAL516便 炎上したJAL機からの脱出は、想像を絶する凄まじさだった。 彼女と一緒に年末年始を旅行先の札幌で過ごしたという澤田翼さん(28)は、興奮冷めやらぬ口調で語った。 「僕は機体の真ん中ぐらいの51Aという窓側の席で、彼女は隣の51Bでした。着陸して滑走路を走っている最中にお尻が『ボンッ』という感じで跳ね上がり、窓から火花が見えたので『なんだなんだ』と思ってるうちに炎があがったんです。ちょうど翼が見える席だったんですが、その羽から勢いよく火があがっていました」 間もなく白い煙が機内に充満し、機内があっという間に熱くなった。 「最初はヘラヘラ笑ってたけど、熱さで危険を察知しました。機体はすぐに止まったけど、なかなか扉を開けてくれず、CAさんが『○番、開きません!』と絶叫口調だったので余計に不安が募りました。酸素マスクは降りてこなくて、でも息苦しくて、普通のマスクをしてたけど、苦しかった。CAさんたちが口々に『大丈夫です! 安心してください』声をかけてくれたけど、それどころじゃなかった。乗客のなかには『早く開けろ』と怒鳴る人や、逆に『CAの言うことを聞いたほうがいい』と諌める人がいたり、小さい女の子が泣き叫ぶ声なども聞こえて、混乱の渦でした」 澤田さんの体感では、機体後部が跳ねて煙が充満、無事に外に出られるまで、ずいぶんと時間がかかったように感じたという。安心させてあげようと、彼女の手をしっかりと握り続けるしかなかった。 やがて、前方2か所、後方1か所の非常ドアが開けられた。 澤田さんが撮影した着陸後の機内の様子 「そこからは白い布の滑り台で降りました。そこでは一人ずつ順番で、押したりする人はいなかったんですが、それ以前に荷棚から自分の荷物を取り出そうとする人に『何してるんだ』と怒る人はいました。外に出てからは燃えさかる機体から100メートルくらい離れたところでCAさんに『10人ずつ円になってください』と指示され、その状態で30分くらい待ちました」 薄着だった彼女に上着を羽織らせた。澤田さんたちがバスに案内され、バスターミナルに移動できたのは、事故発生から約4時間経った午後10時ごろだったという。 「手荷物以外の荷物は全て燃えてしまいました。旅行中だったこともあり、服は高価なものばかりで15万円分くらいでしょうか。アクセサリーも5万円分くらいはあったので、合わせて20万円くらいの損失を被ったと思います。JALの説明では、10日から20日以内に連絡があるそうですが、もう飛行機は乗りたくない。旅行も車で行ける範囲にしたいです」 「翼から炎が出ていて。『え? ヤバイな』と思っているうちに…」 群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。 「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
炎上するJAL516便
炎上するJAL516便

炎上したJAL機からの脱出は、想像を絶する凄まじさだった。 彼女と一緒に年末年始を旅行先の札幌で過ごしたという澤田翼さん(28)は、興奮冷めやらぬ口調で語った。 「僕は機体の真ん中ぐらいの51Aという窓側の席で、彼女は隣の51Bでした。着陸して滑走路を走っている最中にお尻が『ボンッ』という感じで跳ね上がり、窓から火花が見えたので『なんだなんだ』と思ってるうちに炎があがったんです。ちょうど翼が見える席だったんですが、その羽から勢いよく火があがっていました」 間もなく白い煙が機内に充満し、機内があっという間に熱くなった。 「最初はヘラヘラ笑ってたけど、熱さで危険を察知しました。機体はすぐに止まったけど、なかなか扉を開けてくれず、CAさんが『○番、開きません!』と絶叫口調だったので余計に不安が募りました。酸素マスクは降りてこなくて、でも息苦しくて、普通のマスクをしてたけど、苦しかった。CAさんたちが口々に『大丈夫です! 安心してください』声をかけてくれたけど、それどころじゃなかった。乗客のなかには『早く開けろ』と怒鳴る人や、逆に『CAの言うことを聞いたほうがいい』と諌める人がいたり、小さい女の子が泣き叫ぶ声なども聞こえて、混乱の渦でした」 澤田さんの体感では、機体後部が跳ねて煙が充満、無事に外に出られるまで、ずいぶんと時間がかかったように感じたという。安心させてあげようと、彼女の手をしっかりと握り続けるしかなかった。 やがて、前方2か所、後方1か所の非常ドアが開けられた。 澤田さんが撮影した着陸後の機内の様子 「そこからは白い布の滑り台で降りました。そこでは一人ずつ順番で、押したりする人はいなかったんですが、それ以前に荷棚から自分の荷物を取り出そうとする人に『何してるんだ』と怒る人はいました。外に出てからは燃えさかる機体から100メートルくらい離れたところでCAさんに『10人ずつ円になってください』と指示され、その状態で30分くらい待ちました」 薄着だった彼女に上着を羽織らせた。澤田さんたちがバスに案内され、バスターミナルに移動できたのは、事故発生から約4時間経った午後10時ごろだったという。 「手荷物以外の荷物は全て燃えてしまいました。旅行中だったこともあり、服は高価なものばかりで15万円分くらいでしょうか。アクセサリーも5万円分くらいはあったので、合わせて20万円くらいの損失を被ったと思います。JALの説明では、10日から20日以内に連絡があるそうですが、もう飛行機は乗りたくない。旅行も車で行ける範囲にしたいです」 「翼から炎が出ていて。『え? ヤバイな』と思っているうちに…」 群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。 「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
炎上したJAL機からの脱出は、想像を絶する凄まじさだった。
彼女と一緒に年末年始を旅行先の札幌で過ごしたという澤田翼さん(28)は、興奮冷めやらぬ口調で語った。
「僕は機体の真ん中ぐらいの51Aという窓側の席で、彼女は隣の51Bでした。着陸して滑走路を走っている最中にお尻が『ボンッ』という感じで跳ね上がり、窓から火花が見えたので『なんだなんだ』と思ってるうちに炎があがったんです。ちょうど翼が見える席だったんですが、その羽から勢いよく火があがっていました」 間もなく白い煙が機内に充満し、機内があっという間に熱くなった。 「最初はヘラヘラ笑ってたけど、熱さで危険を察知しました。機体はすぐに止まったけど、なかなか扉を開けてくれず、CAさんが『○番、開きません!』と絶叫口調だったので余計に不安が募りました。酸素マスクは降りてこなくて、でも息苦しくて、普通のマスクをしてたけど、苦しかった。CAさんたちが口々に『大丈夫です! 安心してください』声をかけてくれたけど、それどころじゃなかった。乗客のなかには『早く開けろ』と怒鳴る人や、逆に『CAの言うことを聞いたほうがいい』と諌める人がいたり、小さい女の子が泣き叫ぶ声なども聞こえて、混乱の渦でした」 澤田さんの体感では、機体後部が跳ねて煙が充満、無事に外に出られるまで、ずいぶんと時間がかかったように感じたという。安心させてあげようと、彼女の手をしっかりと握り続けるしかなかった。 やがて、前方2か所、後方1か所の非常ドアが開けられた。 澤田さんが撮影した着陸後の機内の様子 「そこからは白い布の滑り台で降りました。そこでは一人ずつ順番で、押したりする人はいなかったんですが、それ以前に荷棚から自分の荷物を取り出そうとする人に『何してるんだ』と怒る人はいました。外に出てからは燃えさかる機体から100メートルくらい離れたところでCAさんに『10人ずつ円になってください』と指示され、その状態で30分くらい待ちました」 薄着だった彼女に上着を羽織らせた。澤田さんたちがバスに案内され、バスターミナルに移動できたのは、事故発生から約4時間経った午後10時ごろだったという。 「手荷物以外の荷物は全て燃えてしまいました。旅行中だったこともあり、服は高価なものばかりで15万円分くらいでしょうか。アクセサリーも5万円分くらいはあったので、合わせて20万円くらいの損失を被ったと思います。JALの説明では、10日から20日以内に連絡があるそうですが、もう飛行機は乗りたくない。旅行も車で行ける範囲にしたいです」 「翼から炎が出ていて。『え? ヤバイな』と思っているうちに…」 群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。 「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
「僕は機体の真ん中ぐらいの51Aという窓側の席で、彼女は隣の51Bでした。着陸して滑走路を走っている最中にお尻が『ボンッ』という感じで跳ね上がり、窓から火花が見えたので『なんだなんだ』と思ってるうちに炎があがったんです。ちょうど翼が見える席だったんですが、その羽から勢いよく火があがっていました」
間もなく白い煙が機内に充満し、機内があっという間に熱くなった。 「最初はヘラヘラ笑ってたけど、熱さで危険を察知しました。機体はすぐに止まったけど、なかなか扉を開けてくれず、CAさんが『○番、開きません!』と絶叫口調だったので余計に不安が募りました。酸素マスクは降りてこなくて、でも息苦しくて、普通のマスクをしてたけど、苦しかった。CAさんたちが口々に『大丈夫です! 安心してください』声をかけてくれたけど、それどころじゃなかった。乗客のなかには『早く開けろ』と怒鳴る人や、逆に『CAの言うことを聞いたほうがいい』と諌める人がいたり、小さい女の子が泣き叫ぶ声なども聞こえて、混乱の渦でした」 澤田さんの体感では、機体後部が跳ねて煙が充満、無事に外に出られるまで、ずいぶんと時間がかかったように感じたという。安心させてあげようと、彼女の手をしっかりと握り続けるしかなかった。 やがて、前方2か所、後方1か所の非常ドアが開けられた。 澤田さんが撮影した着陸後の機内の様子 「そこからは白い布の滑り台で降りました。そこでは一人ずつ順番で、押したりする人はいなかったんですが、それ以前に荷棚から自分の荷物を取り出そうとする人に『何してるんだ』と怒る人はいました。外に出てからは燃えさかる機体から100メートルくらい離れたところでCAさんに『10人ずつ円になってください』と指示され、その状態で30分くらい待ちました」 薄着だった彼女に上着を羽織らせた。澤田さんたちがバスに案内され、バスターミナルに移動できたのは、事故発生から約4時間経った午後10時ごろだったという。 「手荷物以外の荷物は全て燃えてしまいました。旅行中だったこともあり、服は高価なものばかりで15万円分くらいでしょうか。アクセサリーも5万円分くらいはあったので、合わせて20万円くらいの損失を被ったと思います。JALの説明では、10日から20日以内に連絡があるそうですが、もう飛行機は乗りたくない。旅行も車で行ける範囲にしたいです」 「翼から炎が出ていて。『え? ヤバイな』と思っているうちに…」 群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。 「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
間もなく白い煙が機内に充満し、機内があっという間に熱くなった。
「最初はヘラヘラ笑ってたけど、熱さで危険を察知しました。機体はすぐに止まったけど、なかなか扉を開けてくれず、CAさんが『○番、開きません!』と絶叫口調だったので余計に不安が募りました。酸素マスクは降りてこなくて、でも息苦しくて、普通のマスクをしてたけど、苦しかった。CAさんたちが口々に『大丈夫です! 安心してください』声をかけてくれたけど、それどころじゃなかった。乗客のなかには『早く開けろ』と怒鳴る人や、逆に『CAの言うことを聞いたほうがいい』と諌める人がいたり、小さい女の子が泣き叫ぶ声なども聞こえて、混乱の渦でした」 澤田さんの体感では、機体後部が跳ねて煙が充満、無事に外に出られるまで、ずいぶんと時間がかかったように感じたという。安心させてあげようと、彼女の手をしっかりと握り続けるしかなかった。 やがて、前方2か所、後方1か所の非常ドアが開けられた。 澤田さんが撮影した着陸後の機内の様子 「そこからは白い布の滑り台で降りました。そこでは一人ずつ順番で、押したりする人はいなかったんですが、それ以前に荷棚から自分の荷物を取り出そうとする人に『何してるんだ』と怒る人はいました。外に出てからは燃えさかる機体から100メートルくらい離れたところでCAさんに『10人ずつ円になってください』と指示され、その状態で30分くらい待ちました」 薄着だった彼女に上着を羽織らせた。澤田さんたちがバスに案内され、バスターミナルに移動できたのは、事故発生から約4時間経った午後10時ごろだったという。 「手荷物以外の荷物は全て燃えてしまいました。旅行中だったこともあり、服は高価なものばかりで15万円分くらいでしょうか。アクセサリーも5万円分くらいはあったので、合わせて20万円くらいの損失を被ったと思います。JALの説明では、10日から20日以内に連絡があるそうですが、もう飛行機は乗りたくない。旅行も車で行ける範囲にしたいです」 「翼から炎が出ていて。『え? ヤバイな』と思っているうちに…」 群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。 「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
「最初はヘラヘラ笑ってたけど、熱さで危険を察知しました。機体はすぐに止まったけど、なかなか扉を開けてくれず、CAさんが『○番、開きません!』と絶叫口調だったので余計に不安が募りました。酸素マスクは降りてこなくて、でも息苦しくて、普通のマスクをしてたけど、苦しかった。CAさんたちが口々に『大丈夫です! 安心してください』声をかけてくれたけど、それどころじゃなかった。乗客のなかには『早く開けろ』と怒鳴る人や、逆に『CAの言うことを聞いたほうがいい』と諌める人がいたり、小さい女の子が泣き叫ぶ声なども聞こえて、混乱の渦でした」
澤田さんの体感では、機体後部が跳ねて煙が充満、無事に外に出られるまで、ずいぶんと時間がかかったように感じたという。安心させてあげようと、彼女の手をしっかりと握り続けるしかなかった。 やがて、前方2か所、後方1か所の非常ドアが開けられた。 澤田さんが撮影した着陸後の機内の様子 「そこからは白い布の滑り台で降りました。そこでは一人ずつ順番で、押したりする人はいなかったんですが、それ以前に荷棚から自分の荷物を取り出そうとする人に『何してるんだ』と怒る人はいました。外に出てからは燃えさかる機体から100メートルくらい離れたところでCAさんに『10人ずつ円になってください』と指示され、その状態で30分くらい待ちました」 薄着だった彼女に上着を羽織らせた。澤田さんたちがバスに案内され、バスターミナルに移動できたのは、事故発生から約4時間経った午後10時ごろだったという。 「手荷物以外の荷物は全て燃えてしまいました。旅行中だったこともあり、服は高価なものばかりで15万円分くらいでしょうか。アクセサリーも5万円分くらいはあったので、合わせて20万円くらいの損失を被ったと思います。JALの説明では、10日から20日以内に連絡があるそうですが、もう飛行機は乗りたくない。旅行も車で行ける範囲にしたいです」 「翼から炎が出ていて。『え? ヤバイな』と思っているうちに…」 群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。 「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
澤田さんの体感では、機体後部が跳ねて煙が充満、無事に外に出られるまで、ずいぶんと時間がかかったように感じたという。安心させてあげようと、彼女の手をしっかりと握り続けるしかなかった。
やがて、前方2か所、後方1か所の非常ドアが開けられた。
澤田さんが撮影した着陸後の機内の様子 「そこからは白い布の滑り台で降りました。そこでは一人ずつ順番で、押したりする人はいなかったんですが、それ以前に荷棚から自分の荷物を取り出そうとする人に『何してるんだ』と怒る人はいました。外に出てからは燃えさかる機体から100メートルくらい離れたところでCAさんに『10人ずつ円になってください』と指示され、その状態で30分くらい待ちました」 薄着だった彼女に上着を羽織らせた。澤田さんたちがバスに案内され、バスターミナルに移動できたのは、事故発生から約4時間経った午後10時ごろだったという。 「手荷物以外の荷物は全て燃えてしまいました。旅行中だったこともあり、服は高価なものばかりで15万円分くらいでしょうか。アクセサリーも5万円分くらいはあったので、合わせて20万円くらいの損失を被ったと思います。JALの説明では、10日から20日以内に連絡があるそうですが、もう飛行機は乗りたくない。旅行も車で行ける範囲にしたいです」 「翼から炎が出ていて。『え? ヤバイな』と思っているうちに…」 群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。 「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
澤田さんが撮影した着陸後の機内の様子 「そこからは白い布の滑り台で降りました。そこでは一人ずつ順番で、押したりする人はいなかったんですが、それ以前に荷棚から自分の荷物を取り出そうとする人に『何してるんだ』と怒る人はいました。外に出てからは燃えさかる機体から100メートルくらい離れたところでCAさんに『10人ずつ円になってください』と指示され、その状態で30分くらい待ちました」 薄着だった彼女に上着を羽織らせた。澤田さんたちがバスに案内され、バスターミナルに移動できたのは、事故発生から約4時間経った午後10時ごろだったという。 「手荷物以外の荷物は全て燃えてしまいました。旅行中だったこともあり、服は高価なものばかりで15万円分くらいでしょうか。アクセサリーも5万円分くらいはあったので、合わせて20万円くらいの損失を被ったと思います。JALの説明では、10日から20日以内に連絡があるそうですが、もう飛行機は乗りたくない。旅行も車で行ける範囲にしたいです」 「翼から炎が出ていて。『え? ヤバイな』と思っているうちに…」 群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。 「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
澤田さんが撮影した着陸後の機内の様子
澤田さんが撮影した着陸後の機内の様子

「そこからは白い布の滑り台で降りました。そこでは一人ずつ順番で、押したりする人はいなかったんですが、それ以前に荷棚から自分の荷物を取り出そうとする人に『何してるんだ』と怒る人はいました。外に出てからは燃えさかる機体から100メートルくらい離れたところでCAさんに『10人ずつ円になってください』と指示され、その状態で30分くらい待ちました」 薄着だった彼女に上着を羽織らせた。澤田さんたちがバスに案内され、バスターミナルに移動できたのは、事故発生から約4時間経った午後10時ごろだったという。 「手荷物以外の荷物は全て燃えてしまいました。旅行中だったこともあり、服は高価なものばかりで15万円分くらいでしょうか。アクセサリーも5万円分くらいはあったので、合わせて20万円くらいの損失を被ったと思います。JALの説明では、10日から20日以内に連絡があるそうですが、もう飛行機は乗りたくない。旅行も車で行ける範囲にしたいです」 「翼から炎が出ていて。『え? ヤバイな』と思っているうちに…」 群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。 「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
「そこからは白い布の滑り台で降りました。そこでは一人ずつ順番で、押したりする人はいなかったんですが、それ以前に荷棚から自分の荷物を取り出そうとする人に『何してるんだ』と怒る人はいました。外に出てからは燃えさかる機体から100メートルくらい離れたところでCAさんに『10人ずつ円になってください』と指示され、その状態で30分くらい待ちました」
薄着だった彼女に上着を羽織らせた。澤田さんたちがバスに案内され、バスターミナルに移動できたのは、事故発生から約4時間経った午後10時ごろだったという。 「手荷物以外の荷物は全て燃えてしまいました。旅行中だったこともあり、服は高価なものばかりで15万円分くらいでしょうか。アクセサリーも5万円分くらいはあったので、合わせて20万円くらいの損失を被ったと思います。JALの説明では、10日から20日以内に連絡があるそうですが、もう飛行機は乗りたくない。旅行も車で行ける範囲にしたいです」 「翼から炎が出ていて。『え? ヤバイな』と思っているうちに…」 群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。 「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
薄着だった彼女に上着を羽織らせた。澤田さんたちがバスに案内され、バスターミナルに移動できたのは、事故発生から約4時間経った午後10時ごろだったという。
「手荷物以外の荷物は全て燃えてしまいました。旅行中だったこともあり、服は高価なものばかりで15万円分くらいでしょうか。アクセサリーも5万円分くらいはあったので、合わせて20万円くらいの損失を被ったと思います。JALの説明では、10日から20日以内に連絡があるそうですが、もう飛行機は乗りたくない。旅行も車で行ける範囲にしたいです」 「翼から炎が出ていて。『え? ヤバイな』と思っているうちに…」 群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。 「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
「手荷物以外の荷物は全て燃えてしまいました。旅行中だったこともあり、服は高価なものばかりで15万円分くらいでしょうか。アクセサリーも5万円分くらいはあったので、合わせて20万円くらいの損失を被ったと思います。JALの説明では、10日から20日以内に連絡があるそうですが、もう飛行機は乗りたくない。旅行も車で行ける範囲にしたいです」
「翼から炎が出ていて。『え? ヤバイな』と思っているうちに…」 群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。 「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
「翼から炎が出ていて。『え? ヤバイな』と思っているうちに…」 群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。 「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。 「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
群馬県在住の50代女性は帰省先の札幌から夫と娘とともにUターンしたところだった。
「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」 澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
「年末から家族3人で札幌の実家に帰省していたのですが、夫の仕事の都合もあって今年はいつもより早めに戻ろうということで、2日の夕方に羽田に着く便に乗りました。座っていた席は前のほうでした。着陸時に『ドーン』といつもよりかなりひどい衝撃を感じたので、左側の窓から外を見ると、翼から炎が出ていました。『え? ヤバイな』と思っているうちに、酸素マスクが降りてきました」
澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
澤田さんが撮影した窓付近 そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
澤田さんが撮影した窓付近
澤田さんが撮影した窓付近

そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。 「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
そうこうしているうちに、客室乗務員の叫び声が聞こえてきたという。
「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。 娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」 脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
「昔見たドラマの『スチュワーデス物語』みたいでした。クルーさんが必死で『頭をさげてください! 頭をさげてください!』と叫んでいて、その指示に従いました。私の隣に娘がいて、その横に若い女性がいて二人ともキャーキャー悲鳴をあげながらパニックを起こしかけていたので、『頭をさげましょう』と落ち着かせるのに懸命でした。
娘たちにジャンバーを着させて、靴を履かせ、誘導に従いました。ドアは比較的に早い段階で開いたと思いますが、降りるのは1人ずつなので、避難誘導を待つ間も『一刻も早く外に出たい』という焦りはありました。それでも私たちは前から6列目だったので、パニックになるほどではなかったです。避難後はJALから状況説明はなくて、後日連絡があると聞いています。我々は自家用車で来ているのでこのまま帰宅できますが、宿がなかったり、荷物がまったく持ち出せなかったりで、泣いている方々も大勢いました」
脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
脱出する乗客たち(乗客撮影) 女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
脱出する乗客たち(乗客撮影)
脱出する乗客たち(乗客撮影)

女性の夫も衝撃をこう語った。 「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
女性の夫も衝撃をこう語った。
「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」 元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
「私はそれまで寝ていて、突然ドーンという衝撃で起きました。炎などは見ていません。今回あらためて感じたのは、やはり訓練が大事ということですね。機内で離陸前のCAさんの有事の際の説明を真面目に聞いていたので、落ち着いて動くことができました。私は1番前の席だったので、慌てることなく降りて、そこからは後続の乗客の脱出の手伝いをしていました。みなさんパニックにならずに冷静に滑り台を降りてきて、最後にCAさんが乗客が残っていないか確認を終えてから降りてきました。この日はファーストクラスも含めてほぼ満席でしたね。まだ年始ですから、早く家に帰りたいです」
元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
元CAが話す「魔の11分」 事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。 「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
事故機以外もこの影響で多くの便が欠航になった。JAL545便・釧路行きの乗客だった会社員男性(35)は、機上から空港に逆戻りを強いられた。
「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」 ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
「東京に帰省して、明日から出勤のために北海道に戻るところでした。17時30分発の飛行機に乗り込んで間もなく『ポン』と音がしたと思ったら、外で火花が見えて驚きました。そのまま釧路に到着するはずの19時15分くらいまで機内で待たされましたけど、自分が乗ってた飛行機じゃなくてホッとしました。明日から会社なので帰りたいけど、今日はもう飛行機は出ないとのことなので近くのホテルに泊まるしかない。とりあえずJALの職員にQRコードが印字された紙を渡されたので、その案内に従うしかないですね」
ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。 5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
ニュース映像では、あっという間に火だるまになったエアバス機が繰り返し映し出された。あの火勢から、乗客全員を脱出させた乗員たちの奮闘ぶりは、不幸な事故にあっても讃えられるべきだろう。実際、この事故を伝える欧米各紙の記事の見出しには「ミラクル(奇跡)」という言葉が並び、CAたちの臨機応変の素早い対応に賞賛の声が寄せられている。
5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。 欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
5年前までJALで客室乗務員を務めていたという女性にも話を聞いた。
欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
欠航が続いた羽田空港(利用客撮影) 「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
欠航が続いた羽田空港(利用客撮影)
欠航が続いた羽田空港(利用客撮影)

「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。 本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」 このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
「JALでは今でも1年に1回は脱出訓練をしています。煙が出たり炎が見えたら、すぐにパーサー経由で報告して、全ては機長の指示の下になりますが、各CAごとに担当エリアとドアが振り分けられているので、自分の担当する脱出ドアが開閉できるのかどうかを確認して、使えるドアに誘導します。
本日の機体の場合、脱出用の非常ドアは両サイドに4つずつ、計8枚あります。自分担当のドアが使用不能であっても、乗客に勝手に開けられないようにするため、そこからは離れずに大声で使えるドアに誘導します。煙が充満している場合は『腰をかがめて』『口をふさいで』など注意も呼びかけます。今日のケースは着陸後でしたから、ドアを守りながらの声出し誘導となります。事前に緊急着陸がわかっている場合は、救命胴衣を付けたりという行程があります」
このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。 脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
このように客室乗務員はあらゆる場面を想定した訓練を行い、なかでも離陸後3分・着陸前8分の「魔の11分」の訓練は特に重視されているという。女性はこう続けた。
脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
脱出する乗客(乗客撮影) 「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
脱出する乗客(乗客撮影)
脱出する乗客(乗客撮影)

「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。 ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。 今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
「客室乗務員は魔の11分を想定した緊急脱出シミュレーションを行っていますが、今日はそのシミュレーションが本番になりました。全員脱出は、本当にすごいことだと思います。
ただ、旧日本エアシステム(JAS)時代にも、着陸後に炎があがった事故がありました。実は、私の訓練時代の教官はその事故機の乗務員で、『事故後はその恐怖がしばらく拭えず、CAを辞めようと思ったけど、この経験を後輩に伝えていくことが使命だと感じて現場に戻ることを決めた』と聞いたとがあります。
今日の乗務員の中にも、業務に戻れない精神状況になる人もいるかもしれません。しかし、戻ってこられる人たちがいれば、この事故の経験をまた伝承していくことで、新たな教訓が生まれるのではないか、とも思っています」
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 ※「集英社オンライン」では、今回の事故について、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。 メールアドレス: [email protected] X(Twitter) @shuon_news
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